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第一話
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棚に敷き詰められるようにして並べられた資料。椅子には眼鏡をかけた教師と、ぼんやりと無気力な顔の学生が椅子に座って向き合っている。学生はあどけなさの残る顔つきと、真紅の瞳が特徴的だ。椅子にもたれかかって座っているので、体は小さく見える。
「枳殻結斗《からたちゆいと》さん、そろそろ進路を真面目に考えた方が良いですよ」
呆れたように教師がため息を吐く。結斗と呼ばれた学生は教師の言葉が聞こえていないのか、虚空を虚ろな目で眺めている。
「結斗さん」
「え、あ、はい」
担任の先生に朝登校したら真っ先に進路指導室に行くように言われ、渋々来た結斗である。このような状況になっているのは初めてではなく、結斗は進路指導室の常連だ。何も収穫がないからこうなっている。
「何か興味があることは? 特技でも」
机に肘をつき、顎を手の上に乗せて結斗が「えーそうだな……」と呟く。
「俺は何かよくわかんないけど、年寄りと仲が良いんだ。っていうか好かれてる。だって俺、じぃちゃんとばぁちゃんとの三人暮らしだし」
「介護関係の仕事はどうでしょう?」
新しい結斗の情報に、教師は希望の光を見つけたように顔を輝かせた。しかし結斗は情けないほど間抜けた声で「嫌だ―」と言う。
「はぁ、将来の夢は何も無いのですか」
窓越しに見える登校中の生徒をしばらく見つめた後、結斗は背筋をすっと伸ばした。
「あんまりここが居場所のように思えないんですよね。俺は異世界に転移した方が良いかも」
「何を言っているのですか」
結斗に真剣に話す気が無いのは一目瞭然だ。進路指導室の担当は今まで粘り強く結斗と向き合ってきたが、もう打つ手がない。
「先生、俺行きます。宿題終わってないんで」
「ちょっと待ってください」
ふらふらと席を立った結斗を、教師が呼び止める。
「今の生活で譲れないものはありますか?」
普段と違う質問に目を丸くし、結斗は天井を仰いで考え込む。
「この日常ですかね。つまらない生活が終わるのは正直嫌です。つまらないって思うのは平和だという証じゃないですか」
結斗の発言に唖然としていた教師だが、結斗がそわそわしているのを見て教室に戻ることを許可した。
進路指導室を後にした結斗は、学ランのポケットに手を突っ込んで廊下を歩いていた。
「このつまらないほど平和な日常が壊れるのが怖い。今のままが一番楽しんだよなー」
昨夜から考えていた言い訳が見事に通用し、進路指導室から抜け出すことに成功した結斗は元気を取り戻している。あの教室に行くと、いつも気力がなくなるのだ。
るんるんと鼻歌を歌いながら、結斗はホームルームに戻った。
―☆—☆—☆—
授業中、眠気に打ち勝つことが難しくなった結斗はトイレに顔を洗いに行った。トイレには誰もいない。
何度か乱雑に水を顔にかける。ズボンのポケットから祖母の手作りのハンカチを取り出し、ゴシゴシと顔を拭く。
「朝から進路指導室に行ったせいかな……」
トイレに入ってきた時より幾分か良くなり、結斗がもう一度鏡を見た刹那——
「うおっ!?」
鏡に映った自分の真後ろにいる何かと目が合った。
結斗が飛び上がったのを見て、背後にいた存在はニヤリと歯を覗かせた。薄い紫色の肌に大きさが違う両目。ボロボロで所々裂けている半袖ポロシャツと短パン。彼は「妖怪」である。
自分しか見えない歪な人型の存在を、結斗は幼少期の頃から妖怪と呼んでいる。同居している祖父母は八歳の時に両親を火事で失ったショックのせいだ、と言っているが恐らく事故の前から見えている。
「君……名前は?」
さびた声が結斗の腕の毛を立たせる。今まで妖怪と話したことが無かった彼は、固まって動けなくなってしまった。
「お、お前らって喋るのか……」
何とか言葉を発したが、彼の声は緊張で痙攣して引きつっている。
「それ、質問の答えじゃないよ!?」
突然妖怪は片手で結斗の首を掴んで彼の体を持ち上げた。苦しそうに息をしながら結斗は妖怪の手を叩いたり引っ掻いたりするが、一向に放してくれない。突然の出来事に、じたばたすることしかできない。両腕の力が抜け、目が閉じかかったその時、
「ふーん、弱い魔神がいるじゃない」
柔らかい女性の声が入り口の方からした。直後に結斗を掴んでいる妖怪の手の方に閃光が走り、赤い液体が飛び散った。結斗は床に落ちて胸を押さえながら激しく咳き込んだ。
入り口に立っている女性は、黒のロングスカートを靡かせながら腰に手を当てる。腰には先程妖怪の手を斬り落とした刀を佩いている。闇に溶けそうな色のミディアムヘアー、皺一つない白いシャツ。紅色の唇は弧を描いている。
「晴輝《はるき》さん、始末を」
言っていることと裏腹に彼女はしんみりした口調だ。
女性の後ろから結斗と同年代ぐらいの少年が姿を現し、口では笑っていながらも感情のない目で片手を失って狼狽えている妖怪を見据えた。彼は女性と似た白シャツと、黒のズボンを穿いている。腰には茶色のベルト。
「き、貴様アアア!!」
妖怪が咆哮をあげながら女性と少年をめがけて地面を蹴った。彼らに近づいた時には妖怪の手が再生しており、笑みを消さない女性に向けてその手を振り下ろす。
攻撃が彼女に当たると思いきや少年が前に出て妖怪の両腕を掴み、足を妖怪の足に勢いよく打ち当てた。妖怪は抵抗することもできずに体が反転し、床に叩きつけられた。
「や、やめろ!!」
妖怪が起き上がろうとする前に、彼の胸に少年が自身の手を突き刺す。
グシャ
鮮血が散り、妖怪の口から血が流れ出る。自分に血が付着しても動じず、少年は妖怪の胸の中から赤い石を取り出した。それは丸い形状で血管のようなものも突き出ており、ルビーのような色と光沢がある。
少年は枯れた葉っぱを握りつぶすかの如く赤い石を片手で壊すと、妖怪はしわがれた叫び声を上げた。
そして紙が燃えるように妖怪の体が少しずつ消滅していくと、やっと少年は妖怪から離れた。
「え、えぇ……」
残されたのは微笑をたたえる女性、ふうと息を吐く少年と、呆気に取られる結斗。結斗が状況を整理しようとしている間に、少年は手洗い場で手についた血を洗い流した。品のある動作で、手もしっかりハンカチで拭く。
「大丈夫? 怪我はない?」
角の取れたまるい声で少年は聞きながら、座り込んでいる結斗に手を差し出す。
「あ、ああ……」
目が点になっている結斗は少年の手を借りて立ち上がったが、頭が回っていないせいで言葉が出てこない。
「ボクは晴輝。こっちは川喜田春子《かわきだはるこ》先生。ボク達は魔術師で、さっき君が襲われたのが魔神。そこで君に提案があるんだ」
晴輝と名乗った少年と、川喜田先生と呼ばれた女性は顔を見合わせて頷いた。晴輝が何を言っているのか分からず、結斗は目を白黒させる。
「君、魔術師にならない?」
「枳殻結斗《からたちゆいと》さん、そろそろ進路を真面目に考えた方が良いですよ」
呆れたように教師がため息を吐く。結斗と呼ばれた学生は教師の言葉が聞こえていないのか、虚空を虚ろな目で眺めている。
「結斗さん」
「え、あ、はい」
担任の先生に朝登校したら真っ先に進路指導室に行くように言われ、渋々来た結斗である。このような状況になっているのは初めてではなく、結斗は進路指導室の常連だ。何も収穫がないからこうなっている。
「何か興味があることは? 特技でも」
机に肘をつき、顎を手の上に乗せて結斗が「えーそうだな……」と呟く。
「俺は何かよくわかんないけど、年寄りと仲が良いんだ。っていうか好かれてる。だって俺、じぃちゃんとばぁちゃんとの三人暮らしだし」
「介護関係の仕事はどうでしょう?」
新しい結斗の情報に、教師は希望の光を見つけたように顔を輝かせた。しかし結斗は情けないほど間抜けた声で「嫌だ―」と言う。
「はぁ、将来の夢は何も無いのですか」
窓越しに見える登校中の生徒をしばらく見つめた後、結斗は背筋をすっと伸ばした。
「あんまりここが居場所のように思えないんですよね。俺は異世界に転移した方が良いかも」
「何を言っているのですか」
結斗に真剣に話す気が無いのは一目瞭然だ。進路指導室の担当は今まで粘り強く結斗と向き合ってきたが、もう打つ手がない。
「先生、俺行きます。宿題終わってないんで」
「ちょっと待ってください」
ふらふらと席を立った結斗を、教師が呼び止める。
「今の生活で譲れないものはありますか?」
普段と違う質問に目を丸くし、結斗は天井を仰いで考え込む。
「この日常ですかね。つまらない生活が終わるのは正直嫌です。つまらないって思うのは平和だという証じゃないですか」
結斗の発言に唖然としていた教師だが、結斗がそわそわしているのを見て教室に戻ることを許可した。
進路指導室を後にした結斗は、学ランのポケットに手を突っ込んで廊下を歩いていた。
「このつまらないほど平和な日常が壊れるのが怖い。今のままが一番楽しんだよなー」
昨夜から考えていた言い訳が見事に通用し、進路指導室から抜け出すことに成功した結斗は元気を取り戻している。あの教室に行くと、いつも気力がなくなるのだ。
るんるんと鼻歌を歌いながら、結斗はホームルームに戻った。
―☆—☆—☆—
授業中、眠気に打ち勝つことが難しくなった結斗はトイレに顔を洗いに行った。トイレには誰もいない。
何度か乱雑に水を顔にかける。ズボンのポケットから祖母の手作りのハンカチを取り出し、ゴシゴシと顔を拭く。
「朝から進路指導室に行ったせいかな……」
トイレに入ってきた時より幾分か良くなり、結斗がもう一度鏡を見た刹那——
「うおっ!?」
鏡に映った自分の真後ろにいる何かと目が合った。
結斗が飛び上がったのを見て、背後にいた存在はニヤリと歯を覗かせた。薄い紫色の肌に大きさが違う両目。ボロボロで所々裂けている半袖ポロシャツと短パン。彼は「妖怪」である。
自分しか見えない歪な人型の存在を、結斗は幼少期の頃から妖怪と呼んでいる。同居している祖父母は八歳の時に両親を火事で失ったショックのせいだ、と言っているが恐らく事故の前から見えている。
「君……名前は?」
さびた声が結斗の腕の毛を立たせる。今まで妖怪と話したことが無かった彼は、固まって動けなくなってしまった。
「お、お前らって喋るのか……」
何とか言葉を発したが、彼の声は緊張で痙攣して引きつっている。
「それ、質問の答えじゃないよ!?」
突然妖怪は片手で結斗の首を掴んで彼の体を持ち上げた。苦しそうに息をしながら結斗は妖怪の手を叩いたり引っ掻いたりするが、一向に放してくれない。突然の出来事に、じたばたすることしかできない。両腕の力が抜け、目が閉じかかったその時、
「ふーん、弱い魔神がいるじゃない」
柔らかい女性の声が入り口の方からした。直後に結斗を掴んでいる妖怪の手の方に閃光が走り、赤い液体が飛び散った。結斗は床に落ちて胸を押さえながら激しく咳き込んだ。
入り口に立っている女性は、黒のロングスカートを靡かせながら腰に手を当てる。腰には先程妖怪の手を斬り落とした刀を佩いている。闇に溶けそうな色のミディアムヘアー、皺一つない白いシャツ。紅色の唇は弧を描いている。
「晴輝《はるき》さん、始末を」
言っていることと裏腹に彼女はしんみりした口調だ。
女性の後ろから結斗と同年代ぐらいの少年が姿を現し、口では笑っていながらも感情のない目で片手を失って狼狽えている妖怪を見据えた。彼は女性と似た白シャツと、黒のズボンを穿いている。腰には茶色のベルト。
「き、貴様アアア!!」
妖怪が咆哮をあげながら女性と少年をめがけて地面を蹴った。彼らに近づいた時には妖怪の手が再生しており、笑みを消さない女性に向けてその手を振り下ろす。
攻撃が彼女に当たると思いきや少年が前に出て妖怪の両腕を掴み、足を妖怪の足に勢いよく打ち当てた。妖怪は抵抗することもできずに体が反転し、床に叩きつけられた。
「や、やめろ!!」
妖怪が起き上がろうとする前に、彼の胸に少年が自身の手を突き刺す。
グシャ
鮮血が散り、妖怪の口から血が流れ出る。自分に血が付着しても動じず、少年は妖怪の胸の中から赤い石を取り出した。それは丸い形状で血管のようなものも突き出ており、ルビーのような色と光沢がある。
少年は枯れた葉っぱを握りつぶすかの如く赤い石を片手で壊すと、妖怪はしわがれた叫び声を上げた。
そして紙が燃えるように妖怪の体が少しずつ消滅していくと、やっと少年は妖怪から離れた。
「え、えぇ……」
残されたのは微笑をたたえる女性、ふうと息を吐く少年と、呆気に取られる結斗。結斗が状況を整理しようとしている間に、少年は手洗い場で手についた血を洗い流した。品のある動作で、手もしっかりハンカチで拭く。
「大丈夫? 怪我はない?」
角の取れたまるい声で少年は聞きながら、座り込んでいる結斗に手を差し出す。
「あ、ああ……」
目が点になっている結斗は少年の手を借りて立ち上がったが、頭が回っていないせいで言葉が出てこない。
「ボクは晴輝。こっちは川喜田春子《かわきだはるこ》先生。ボク達は魔術師で、さっき君が襲われたのが魔神。そこで君に提案があるんだ」
晴輝と名乗った少年と、川喜田先生と呼ばれた女性は顔を見合わせて頷いた。晴輝が何を言っているのか分からず、結斗は目を白黒させる。
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