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四幕一場 神崎ヒュウガの娘
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「お風呂入ったよ」
「おー、おー、おー! じゃあ隣に座んなさいよ、娘よ!」
母とお酒、若干の犯罪臭を感じる。いくつになってもこの人から幼さを感じてしまう。
母はバシバシと隣の椅子を叩く。顔はゆでだこの如く赤い。大分出来上がっているな。
台所で大人しくしている富沢さんは、立ちながら寝ていた。あの野郎、逃げたな。
「分かったよ」
冷蔵庫からオレンジジュースを取り出して座る。シラフでこの人と関わるのは非常に疲れる。だからといってアルコール摂取は法律に反するので、果汁摂取で我慢する。
カチャっと蓋を開け、一口飲む。うん、気分に何も変化はない。
「帰ってくるの、明日じゃなかった?」
「何よぉ、娘に会いたいから早く帰ってきたんじゃなぁい!」
肩を組み、ウザ絡みをする母。はぁ……もう帰りたい。「お前の家、ここだろ!」というツッコミは一切受け付けません。
「ああ、そうですか……」
「暫くはお休みよぉ! ママンが好きなとこ、連れてってあげるわよぉ!」
「いや、いいよ。今日も友だ」
友達と出かけたから。そう言いかけて口を噤む。アレは……友達ではない。どちらかと言えば他人、だな。
「いっそ海外行っちゃうぅ? 本場のオペラ見よーよー! あ、あとブロードウェイも! ねぇねぇ、葵ちゃーん! 一緒にいこーよ―」
傍から見ればどちらが子供か分からない。見る人によれば姉と妹に見えてしまうかもしれない。更に下手すれば、姉は私だ。はぁ……。
「母、ちょっとうざい。それと私は私で予定あるから他の人と行って」
「えー! 葵ちゃん冷たいぃー! あ、さては男だな! 男が出来たのか、コノヤ
ロー!」
肩に巻かれた手は拳となり、頭をぐりぐり押される。はぁ……これが日本を代表する舞台女優かぁ。何だか、すっごく嫌になる。
父と母との縁がある以上、私は完全に舞台を遮断することが出来ない。だからこうして、母と父に会うことは苦手だった。
勝手に役者を止めた罪悪感。期待に応えられなかった罪の重さ。死刑を宣告された囚人のような気分。
息が苦しくなって、頭痛がして、生きた心地がしない。でも、今日は少し違った。
息苦しさは残るけど、死にそうな程、苦しくはない。
陽彩と出会って、自分と向き合って、岩崎くんとデートして、自分を知って。私も少しは、変われているのかな。
「彼氏じゃないけど、デートはした」
「おおお! 葵ちゃん!」
「一昨日は、友達と遊んだよ。ゲーセンで、クレーンゲームしたの。あと太鼓のゲー
ム、私上手いんだよ」
「……なんか、変な感じねぇ。葵とこんな話するなんて」
完全にアルコールが回ったのか、するりと落ちた母の手は、机に上にだらりと置かれ、そのまま上半身が倒れ込んだ。
「母、飲みすぎ」
「ずっと、心配してたんだよぉ……葵、ずっとふさぎ込んでたから……ママン、不安だったんだよ……」
「母……」
罪悪感が膨張する。こんなんでも、母は母。親としての責任があるのだと実感する。
「嬉しいなぁ。葵が普通になって。やっぱり舞台なんかやるべきじゃなかったんだよ……どうしてあの時、もっと強く言わなかったんだろ……ずっと後悔してたんだぁ……」
「え……?」
後半の文脈が、上手く飲み込めなかった。
「なのに葵、ちっともゆずらないんだもん……まったく……パパに似たのね、あん
たは……」
「ちょ、ちょっと待ってよ……それ、どういう意味なの……⁉」
「んぁ……? 葵が、役者に、な、る、って、言った、ことじゃな、いのぉ……」
限界が来たのか、ガクッと母のこうべが垂れた。
「ちょっと、母! 何寝てんの⁉ 起きてよ。起きて続き、教えてよ!」
酔いつぶれた人間は簡単に起きない。そんな法則も忘れ、無我夢中で母の肩をさすった。
知らない。私、知らない。私……役者になりたいなんて、言ってない。
「私は……母に勧められて劇団に入ったんでしょう……⁉ 芸名だって、母の旧姓じゃない……! 役者になるならコネも七光りも必要って、母が言ったんじゃない!」
どれだけゆすって、呼びかけて、叫んでも、母は起きない。臭い寝息だけが、母の生を知らせる。
「どういう、ことなの……⁉ わ、私……私は何で、舞台に立ったの⁉」
雨漏りのように少しずつ、でも確実に、私の空っぽは満たされていた。
なのに酔っ払いの一言で、容器に大きな穴が空いた。
舞台への思い出。汗まみれの努力。苦しくて、苦しくて、その全てが真っ黒な絵の具。
ドロッとして、綺麗でも何でもない、全てを塗りつぶす真っ黒な思い出。
もしかしてその中に、何かあるの?
輝かしい虹色の思い出が、眠っているの?
私は……何か重要なものを塗りつぶしてしまった、らしい。
「おー、おー、おー! じゃあ隣に座んなさいよ、娘よ!」
母とお酒、若干の犯罪臭を感じる。いくつになってもこの人から幼さを感じてしまう。
母はバシバシと隣の椅子を叩く。顔はゆでだこの如く赤い。大分出来上がっているな。
台所で大人しくしている富沢さんは、立ちながら寝ていた。あの野郎、逃げたな。
「分かったよ」
冷蔵庫からオレンジジュースを取り出して座る。シラフでこの人と関わるのは非常に疲れる。だからといってアルコール摂取は法律に反するので、果汁摂取で我慢する。
カチャっと蓋を開け、一口飲む。うん、気分に何も変化はない。
「帰ってくるの、明日じゃなかった?」
「何よぉ、娘に会いたいから早く帰ってきたんじゃなぁい!」
肩を組み、ウザ絡みをする母。はぁ……もう帰りたい。「お前の家、ここだろ!」というツッコミは一切受け付けません。
「ああ、そうですか……」
「暫くはお休みよぉ! ママンが好きなとこ、連れてってあげるわよぉ!」
「いや、いいよ。今日も友だ」
友達と出かけたから。そう言いかけて口を噤む。アレは……友達ではない。どちらかと言えば他人、だな。
「いっそ海外行っちゃうぅ? 本場のオペラ見よーよー! あ、あとブロードウェイも! ねぇねぇ、葵ちゃーん! 一緒にいこーよ―」
傍から見ればどちらが子供か分からない。見る人によれば姉と妹に見えてしまうかもしれない。更に下手すれば、姉は私だ。はぁ……。
「母、ちょっとうざい。それと私は私で予定あるから他の人と行って」
「えー! 葵ちゃん冷たいぃー! あ、さては男だな! 男が出来たのか、コノヤ
ロー!」
肩に巻かれた手は拳となり、頭をぐりぐり押される。はぁ……これが日本を代表する舞台女優かぁ。何だか、すっごく嫌になる。
父と母との縁がある以上、私は完全に舞台を遮断することが出来ない。だからこうして、母と父に会うことは苦手だった。
勝手に役者を止めた罪悪感。期待に応えられなかった罪の重さ。死刑を宣告された囚人のような気分。
息が苦しくなって、頭痛がして、生きた心地がしない。でも、今日は少し違った。
息苦しさは残るけど、死にそうな程、苦しくはない。
陽彩と出会って、自分と向き合って、岩崎くんとデートして、自分を知って。私も少しは、変われているのかな。
「彼氏じゃないけど、デートはした」
「おおお! 葵ちゃん!」
「一昨日は、友達と遊んだよ。ゲーセンで、クレーンゲームしたの。あと太鼓のゲー
ム、私上手いんだよ」
「……なんか、変な感じねぇ。葵とこんな話するなんて」
完全にアルコールが回ったのか、するりと落ちた母の手は、机に上にだらりと置かれ、そのまま上半身が倒れ込んだ。
「母、飲みすぎ」
「ずっと、心配してたんだよぉ……葵、ずっとふさぎ込んでたから……ママン、不安だったんだよ……」
「母……」
罪悪感が膨張する。こんなんでも、母は母。親としての責任があるのだと実感する。
「嬉しいなぁ。葵が普通になって。やっぱり舞台なんかやるべきじゃなかったんだよ……どうしてあの時、もっと強く言わなかったんだろ……ずっと後悔してたんだぁ……」
「え……?」
後半の文脈が、上手く飲み込めなかった。
「なのに葵、ちっともゆずらないんだもん……まったく……パパに似たのね、あん
たは……」
「ちょ、ちょっと待ってよ……それ、どういう意味なの……⁉」
「んぁ……? 葵が、役者に、な、る、って、言った、ことじゃな、いのぉ……」
限界が来たのか、ガクッと母のこうべが垂れた。
「ちょっと、母! 何寝てんの⁉ 起きてよ。起きて続き、教えてよ!」
酔いつぶれた人間は簡単に起きない。そんな法則も忘れ、無我夢中で母の肩をさすった。
知らない。私、知らない。私……役者になりたいなんて、言ってない。
「私は……母に勧められて劇団に入ったんでしょう……⁉ 芸名だって、母の旧姓じゃない……! 役者になるならコネも七光りも必要って、母が言ったんじゃない!」
どれだけゆすって、呼びかけて、叫んでも、母は起きない。臭い寝息だけが、母の生を知らせる。
「どういう、ことなの……⁉ わ、私……私は何で、舞台に立ったの⁉」
雨漏りのように少しずつ、でも確実に、私の空っぽは満たされていた。
なのに酔っ払いの一言で、容器に大きな穴が空いた。
舞台への思い出。汗まみれの努力。苦しくて、苦しくて、その全てが真っ黒な絵の具。
ドロッとして、綺麗でも何でもない、全てを塗りつぶす真っ黒な思い出。
もしかしてその中に、何かあるの?
輝かしい虹色の思い出が、眠っているの?
私は……何か重要なものを塗りつぶしてしまった、らしい。
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