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「敵の総大将が内府(徳川家康のこと)ではなく、秀忠であるのが不満だな。内府であったら一気に首をも狙うのだが」
真田昌幸は不敵な笑みを、信繁に見せた。
信繁も今回の徳川軍を上田原に迎えて戦うことに胸を躍らせている。でもいくら家康がその中にいないとはいえ、敵の兵は十五年前の戦いとわけが違う。十五年前、やはり同じくこの上田原に徳川軍を迎え入れたときは七千だったのに対し、今回はゆうに三万を超えて四万近くだ。しかも味方は三千程度。それに敵方には、本多忠勝の娘を妻に迎えたため、徳川方についた兄の真田信之がいる。
真田家は親子、そして兄弟で、敵味方に分かれてしまっているわけだ。
「信繁。覚悟はできているか?」
「はい。砥石(といし)城の特性を存分に生かして、守り抜く所存でございます」
信繁は厳格な父に、畏まって答えた。
砥石城は名将・武田信玄も一度では落とせなかった山城で、上田原の北西に位置する重要な支城だ。今回の戦いで、この城の守りを、信繁に任された。信繁の作戦は、山を登ってくる敵に、上から銃弾や矢の雨を降らせるだけでなく、予め運んである岩や石(いし)礫(つぶて)、さらには熱湯に糞尿などを浴びせる戦術だ。その昔、千早赤阪の戦いで、数万の鎌倉幕府軍を相手に五百足らずの楠木正成が用いたものだ。その用意はじゅうぶんに整っている。
「それで、もし信之が砥石城を攻めてきたら、そなたはどうする?」
昌幸の質問は唐突だった。兄が、自分の守る城を攻めてくるなんて、思いも寄らないことだった。
「はい。いくら兄でも、敵は敵です。正々堂々と迎え撃つのみ」
「う~ん」と昌幸は唸った。信繁は正論を申し上げたつもりであったが、昌幸は顔をしかめている。「その場合は、やはり砥石城はくれてやれ」
「父上はわざと負けろと仰(おお)せられるのですか?」
「左様。そうすれば信之も、内府に対して面目が立つであろう」
昌幸の言葉に、信繁は腹が立ってきた。
「父上。それでは我が方が負けるような言い回しではございませんか?」
「いくらこの上田の地に秀忠の大軍を留めても、治部(じぶ)少輔(しょうゆう)(石田三成のこと)では内府に歯が立たぬであろう。わしのような大胆な作戦を用いなければ勝ち目はない」
「治部少輔殿が、大胆な作戦を取りますでしょうか?」
「周りの意見を聞いてくれれば勝ち目はあろうが、あの自尊心ばかりが高い男では、可能性は低いな」昌幸は自虐的に笑った。「だから、真田家存続のため、ぜひとも信之にはこの戦で軍功をあげてほしいのだ。信繁。忘れるな。信之と信繁が敵味方に分かれたのも、すべて真田の家のためだ。そうすれば、どちらが勝っても真田の家は生き残ることができる」
さすが、武田、上杉、北条、織田、豊臣、徳川と、主を次々に変えて、戦乱の世を巧みに生き残り、秀吉から「表裏比興の者」と評された昌幸だ。とにかく、真田家の役目は、ここに秀忠の大軍を一日でも長く留めさせて、美濃方面で起こるであろう戦に遅参させることだ。その戦いが長くなればなるほど、真田にとっても、三成にとっても、状況が好転する。それが昌幸の考えで、信繁もじゅうぶんに承知していた。
そして信繁は五百ばかりの手勢を率いて、砥石城に入った。五百の兵も精鋭ぞろいで、信繁はじゅうぶんに勝算がある。上田城に籠る昌幸も悠然と敵が来るのを待ち構えていた。
信繁は砥石城から、上田原を見下ろしていた。ここからは敵の様子がしっかりと見て取れる。上田城を見渡せる渋谷台に徳川の本隊が布陣した。それは信繁が今まで見たことのない大軍だ。
でもその中に、兄である信之の旗印が無かった。信繁は不吉な予感がした。
「申し上げます。信之さまがこの砥石城に進軍してくるとのことです」
やはりそうだ。砥石城を攻めてくるのは、兄の信之だ。
「兄上か……ならば、退却ぞ。全軍、上田城に退(ひ)くのだ」
信繁の下知により、砥石城の真田軍は全軍撤収した。
「内府殿。ここは一気に大垣城を攻めるのがよろしいかと。それがしが先鋒を承る」
福島正則が顔を真っ赤にして吠えるように言った。福島正則といえば、豊臣秀吉子飼いの武闘派の武将のなかでも、特に血の気が多い。そんな彼が石田三成憎しで、一気に大垣城を攻めたいのは、この赤坂の陣に到着したばかりの徳川家康にもよく分かっていた。だから彼は家康の挑発に乗り、清州を発って岐阜城を落としたのだ。
家康は腕を組んで、目を堅く閉ざして聞いている。
「上様。城攻めなら、城の南側を堰(せ)き止めて、水攻めが効果的かと思います。この城は内堀、外堀と二重に堀を巡らせており、力攻めではこちらの被害も大きいかと存じます」
発言したのは家臣の井伊直政だ。井伊の赤備えを有し、次々に軍功をあげ、今や徳川四天王の一人に数えられている。その戦いぶりから、井伊の赤鬼として恐れられている。
直政の意見は尤(もっと)もだ。家康もこの城を攻めるのであれば、水攻めを選択する。腕を組んで、目を閉ざしたまま、小さく頷いた。それを見て、血気盛んな正則は、悔しそうに自分の膝を拳で叩いた。彼はどうしても先陣きって大垣城を攻め、三成の首を上げたいのだ。
「内府殿。井伊殿の意見に私も賛成です。明日から天気も悪そうですし、そうすれば城攻めの間に、遅れている秀忠殿の軍勢も到着することでしょう」
発言したのは細川忠興だ。彼の妻、ガラシャは三成の人質になるのを拒否して、大阪の屋敷に火を放って命を落としている。彼も三成憎しであるが、正則に比べると冷静である。忠興の隣に座っている黒田長政も、大きく頷いた。
「ただ、城攻めに時間を要してしまうと、方々に散っている相手方も集結してしまうと存じます」
そう忠勝が意見した。大垣城に籠る相手方は、石田三成・宇喜多秀家・小西行長・島津義弘など三万程度だ。いま数の上で徳川方が圧倒的に有利なのは、西軍の多くが、畿内で家康に味方した大名の城を攻めているからである。例えば細川忠興の治める丹後もそうだ。さらにこの先の関が原には、毛利隊・小早川隊が布陣しているとの情報も入ってきている。万が一、これらが大垣城の後詰に回り、城攻めが長引けば、大阪にいるはずの毛利輝元が幼い秀頼を奉じて出てくるかもしれない。そうなれば、いま家康に味方している正則たちも心変わりしてしまうかもしれない。それが家康の、いちばん恐れていることだ。敵はあくまで三成でなければならないのだ。毛利や、秀頼であってはならない。
家康は爪を噛(か)んだ。困惑すると、幼児のように爪を噛むくせがある。
「殿。恐れながら申し上げます」
声をあげたのは、家康の横に控えている側室のお梶だ。家康のお気に入りの側室で、容姿もさることながら、頭脳も明晰(めいせき)である。おまけに剣術にもすぐれていて、男子なら城を任せることもできると、家康が思っているほどの女だ。しかもまだ若い。
そんな彼女は具足を身に着け、男装して戦に参加している。
「お梶。何かな?」
「はい。ここはわが軍が佐和山を抜けて大阪を目指すと、相手方に流してみてはいかがでしょうか。佐和山を抜けて大阪と言えば、三成も黙ってはおられないでしょう。それで三成を城から誘(おび)き出して、討つのです」
家康は爪を噛むのを止め、その顔がぱあっと明るくなった。籠城戦になると、時間を要する。味方も秀忠軍が加わるだろうが、長期戦になって怖いのは秀頼だ。彼が敵の軍勢に現れてしまうのが怖いのだ。そうなれば、家康が江戸で小早川や毛利家の吉川(きっかわ)らに行った内通工作がすべて水泡に帰してしまう。
ここはイチかバチか、賭(か)けだ。
「お梶。そなたに任せた。城内にその噂を流してくれ」
「はい! 畏(かしこ)まりました」
そう頭を下げ、お梶は席を立った。
家康の軍隊が大垣城の目と鼻の先、赤坂に到着したという一報を受けて、城内の兵は浮足立っていた。背後に会津の上杉景勝の存在があって、家康は容易に江戸を動けないと思っていたからだ。家康が西上すれば、上杉軍が怒涛(どとう)の如く、関東に攻め入る手はずになっていた。
それで、石田三成の家臣の島左近は、僅か五百の兵で、徳川方の中村・有馬隊に対して槍を突き合わせ、勝利して帰ってきた(杭(くい)瀬川(せがわ)の戦)。それによって、動揺していた城兵の士気も上がった。
三成に過ぎたるものが二つあり、島左近と佐和山の城、と言われるくらい、島左近は優れた武将だ。筒井家を出奔(しゅっぽん)して浪人であった左近を、当時知行がわずか四万石しかなかった三成は、半分の二万石も出して召し抱えたほどの家臣だ。豊臣政権で五奉行まで駆け上がった文知派の三成にとって、足りないものをいくつも補ってあまりある存在が、左近である。
「やはり、間違いなく内府は到着しております」
左近の報告に、三成は頷いた。三成はたいして驚いていない。それも計算のうちだ。上杉の背後には、岩出山の伊達家と山形の最上家がいる。上杉が家康のいない関東に攻め込めば、伊達・最上が南下してくる。その手はずを整えてから、家康が西上してくることは承知していた。それで、家康が西上する前に味方の全軍が揃ったら、福島正則以下四万程度の家康方を叩けばよいと考えていた。これならじゅうぶん勝算がある。
その伊達・最上の説得に、もう少し時間を要するものだと思っていた。畿内に散らばっている兵を集めるのにも時間がもう少し必要だし、何より大阪城にいて動いてくれない豊臣秀頼というか、その母親の淀君の説得に時間がかかっている。母親としては、まだ幼い秀頼を戦に出したくないのだ。その秀頼を奉じて、総大将の毛利輝元が出陣してくれれば、いくら敵に家康が居ようと、味方は勝ったも同然だ。
それにはこの大垣城で籠城が得策だと、三成は考え直していた。この城は大阪や小田原ほどの規模ではないけれど、大垣の城下町をすっぽりと外堀で囲んでいる。さらに二重の水堀で囲まれていて、本丸と二の丸に通じる侵入経路も一つしかない。三成の居城である佐和山もなかなか堅固な城であるが、大垣はそれ以上である。敵が力攻めをするなら、本丸や二の丸から鉄砲の弾や弓矢を降らせば、敵はかなり痛手を負う。
もちろんこの城にも弱点はある。それは水攻めだ。下流を堰き止めれば、この城はいずれ落ちる。ただし時間がかかる。兵糧も蓄えているし、ゆうに一か月はもつはずだ。その間に畿内の兵を集め、輝元も秀頼を奉じて駆け付ける。そうなれば圧倒的に豊臣軍の兵数が多いし、秀頼もいるので、家康に味方している豊臣恩顧の武将が動揺し、こちらの勝ちだ。それにこの城には、気心の知れた小西行長に、豊臣一族と言っても良い宇喜多秀家ばかりか、猛将で知られる島津義弘までいる。豊臣家に恩顧など感じていないというか、むしろ秀吉によって殆ど平定しかけていた九州の大半の領土を没収された形の義弘は、成り行き上、三成に味方しただけなので、家康と通じていないか不安と言えば不安であるが、率いる兵は千ちょっとだけだ。寝返ったとしてもたいしたことはない。
島津よりももっと大きな不安は、三成の築いた松尾山の砦(とりで)に到着した小早川秀秋だ。彼は三成を嫌い、明らかに家康に通じている。そんな彼の軍勢は一万五千。これが三万ある毛利秀元の軍勢と共に大垣に押し寄せたら、かなり苦戦を強いられる。そんな不安も、大阪城の輝元が秀頼を奉じて駆け付けてくれれば丸く収まる。ただ、問題は、それがいつになるのかだ。
「殿。それで、中村・有馬隊を攻めたところ、妙な噂を聞きました。内府は今夜にも赤坂を発ち、佐和山を抜いて大阪を目指すという噂です」
「なに? 左近、それはまことか?」
「はい。今夜にも先鋒の福島・黒田隊から東山道を西に動き始め、遅れて内府も動くとのことです」
左近の報告を聞いて、三成は立ち上がった。これは三成の計算違いである。この城に籠城して持ちこたえている間に、大阪が動き出す。それが三成の計算だった。
「そうしたら、ぐずぐずしておられぬ。近江に家康を入れてはならぬ。我々もこの城を打って出ようかと思う。今でも数の上では有利。南宮山に毛利秀元殿、松尾山の砦に小早川秀秋殿がおられるから、この辺りに我々は陣を張り、東山道と伊勢街道の交差するこの辺りに内府軍が来れば、挟み撃ちにできると思う」
三成は地図の関が原を指しながら、興奮気味に言った。軍議に参加している島津義弘も宇喜多秀家も腕を組んで顔をしかめている。小西行長だけが、三成の言葉に頷いていた。
「治部少輔殿。数の上では我が方が有利。しかも内府は三方が敵に囲まれてまさに袋の鼠(ねずみ)ではないか」
確かに行長の言うとおりである。ただそれは小早川秀秋と毛利秀元が戦いに参加してくれたらの話である。それは宇喜多秀家も同じ考えのようだ。秀家はむつかしそうな顔を三成に向けた。
「治部少輔殿。それは却って敵の思う壺だと、それがしは存ずる。確かに敵は三方を我らに囲まれ、袋の鼠となりますが、小早川殿ばかりか、南宮山の毛利殿が動いてくれるか……吉川殿は内府に通じているという話も聞きますので」
毛利秀元の軍勢三万は南宮山に布陣している。毛利家の跡取り秀元はまだ若く、吉川広家が補佐役だ。その広家はそうとうの食わせ者で、何を考えているのか分からないところがある。そんな彼が家康に通じているのは確かだ。しかしながら伊勢方面の戦いで、大きな軍功を上げている。
「備前宰相(宇喜多秀家のこと)殿。それがしも同じことを思っております。まず小早川は動かないでしょう。でも毛利隊が内府の背後を突けば、我が方の勝利です。吉川殿も伊勢方面の戦いでは、大きな軍功も上げています。きっと我らと共に働いてくれると信じています」
三成は、年齢が一回りも下の秀家に、丁寧に説明した。というのも宇喜多家は、徳川家、上杉家、毛利家、前田家と並ぶ五大老の家柄であるうえに、秀家は秀吉の養女である豪姫を正室に迎えているからだ。そんな宇喜多家は、豊臣一門の家柄だと言っても良い。
三成の力説に、秀家は黙った。父の宇喜多直家は策略に通じた知将であったが、秀家は美男子で秀吉の寵愛を受けていたが、直家ほどの策士ではない。でも宇喜多隊は強く、三成も頼りにしている。
「殿。それがし、提案があるのですが」
「何だ、左近。申してみよ」
三成の言葉に左近は居住まいを正して、畏(かしこ)まった。
「ここは城を出て近江のほうへ引くと見せかけて敵に夜襲を仕掛けてみるのは、如何(いかが)かと存じます」
左近の言葉に、三成は耳を疑った。敵に夜襲を仕掛けるなど、およそ考えられないことだ。
「夜襲というのは面白い。内府が出立するのは後の方だろうから、そこを狙うと、あわよくば内府の首を取ることもできるかもしれぬ」
信じられぬことに、百戦錬磨の島津義弘まで左近の意見に賛成している。義弘は伏見城攻めからここまでよく戦ってくれている。だけれど三成は、彼に全幅の信頼を置いていない。所詮、島津家は徳川家同様、豊臣家から見ると外様だ。
「左近。夜襲というのは兵力が劣った方が勝(まさ)った相手に、イチかバチか行う作戦ぞ。いまこの美濃国に集結している味方はおよそ十万。兵の数では我が方が勝っておる。それなのに夜襲を仕掛けるとは?」
「殿。この情報は、内府が我らを城外に誘(おび)き出すために流したものと思われます。それで、備前宰相様と小西様は敵の情報に乗っかって、今すぐ城を出て、小早川隊のいる松尾山のふもと辺りまで進んでいただきます。そうすると、間違いなく相手の先鋒隊が動き出すでしょう。軍隊が次々に移動を始めて、本隊が手薄になります。そこを島津様と我々で、襲うのです」
「それは面白い。内府も長い移動で疲れているし、西に移動したと思わせて襲うのだから、敵は大混乱に陥る。五十年以上も前にあった、北条家も使った川越の夜襲と同じだな」
義弘は満足そうに頷いている。
川越の夜襲というのは、一五四六年、相模を平定し武蔵に進出した北条氏康が、川越城を囲んだ関東管領、上杉憲政(のりまさ)の八万の大軍を、わずか八千で打ち破った戦いのことである。そのとき氏康は攻めてこないと敵を油断させたところで、夜襲を仕掛けて見事に成功し、上杉方の多くの有力な武将が討ち取られた。
左近は義弘を眺めて、満足そうに頷いている。
「そうです。まさしく川越の夜襲と同じ作戦を使います。島津様と我々の軍隊を四つに分け、車懸(が)かりに近い戦法を用います。第一隊が切り込み、疲れたところで第二隊に交代。そして第二隊が戦い、疲れたところで第三隊に交代し、その第三隊が戦い、疲れたところで再び第一隊が戦います。そうして何回か繰り返し、立ち退くときは殿(しんがり)に第四隊を使うのです。我々は松明(たいまつ)を持たず、味方同士が識別できるように合言葉を決め、俊敏に動けるように具足や旗(はた)指物(さしもの)は身に着けず、敵を討ち取っても首は取らないというのも、川越の夜襲と同じでございます。我らはとにかく内府の首だけを目指すのです。それに徳川家には大野治長殿もおられます」
「左近殿。それは面白い。腕が鳴るぞ」
義弘は満足げに頷いている。これは乗っかるべきなのだろうか。
「よし。島津様と左近がそこまで言うのなら、この作戦、やってみようではないか」
三成はほくそ笑んだ。それでも目の前の義弘が裏切らないか不安があった。
敵の軍勢が続々と城を出、宇喜多隊などは交通の要所である関が原に布陣し始めたという知らせを受けて、家康はほくそ笑んでいた。野戦に持ち込めば、短時間でケリが付くからだ。
いくら野戦に持ち込んでも一つだけ不安がある。秀頼の誕生で冷遇された小早川秀秋は大丈夫であろうが、南宮山に陣を張る毛利隊である。その毛利隊を動かしているのが吉川広家である。彼は家康と内通しているが、曲者(くせもの)であるからだ。しかも凡庸な武将ではない。戦況を見て有利な方に付くはずだ。それまで南宮山で弁当でも食べて呑気に戦況を見守るであろう。それならば、野戦に持ち込んで秀秋さえ裏切れば一瞬してケリがつく。
三成方は関が原に陣を張れば、松尾山の小早川隊、南宮山の毛利隊で、家康を包囲したと得意になって戦を仕掛けるであろう。特に小早川隊が自分に向かう刃(やいば)であるというのに。
夜遅く家康は、関が原に向けて出陣を下知(げち)した。先鋒を買って出た福島正則の軍勢から赤坂を発っていく。黒田長政、細川忠興、加藤喜明、田中吉政など、秀吉子飼いの武将ながら三成と対立して家康に味方した諸将の軍勢が次々に関が原に向かって発っていった。
「上様。それでは我らも」
井伊直政と家康の四男松平忠吉も家康の陣所を離れて、それぞれ兵を率いて関が原へ発った。赤坂に残るのは家康本隊を除くと、本多忠勝隊・池田輝政隊などわずかな軍勢だ。
「敵方に名将・島津殿がおっても、関が原にのこのこ出てくるとは。お梶。よくやったぞ」
褒めると、お梶は畏まりながらも、微笑みを浮かべた。
「はい。佐和山を攻めると言えば、治部少輔も黙ってはおられますまい。今のままでは佐和山はわずかな守勢ゆえ、二日も持ちこたえられないでしょうから」
「さすが、お梶だ。そなたを女子(おなご)にしておくのはもったいない。女子でなければ佐渡(本多正信)とともに、わしの名補佐役としてなったであろうに」
「私が女子でなければ、殿の寵愛を受けることはできませぬ。それに、女子であっても、こうして戦場(いくさば)で殿の補佐をしているではありませぬか」
お梶は猫を愛(め)でるような声を出した。戦場の声ではない。夜の床で聞く声だ。
家康は我慢できずにお梶を抱き寄せた。
「おやめください。ここは戦場です」
と言いながら、その声は上擦(うわず)っている。もちろん嫌がってはいない。
「誰も見てはおらぬ。良いではないか」
家康はお梶の唇を吸う。でもさすがにそれ以上のことはできない。家康も具足を装着して、出陣の準備をしなければならないからだ。大将たるもの、きちんと具足を装着して、威容を示さなければならない。
お梶から唇を離す。すると外が妙に騒がしいのに気付いた。お梶は微笑みを止めて、真剣な表情になって、刀を手にした。
「様子を見てまいります」
家康は頷いた。お梶は凛々しい「男」の顔になって颯爽と部屋から出ていく。家康も刀を手に取った。
鉄砲の音が聞こえた。一度ではない、二度、いや三度、その音はさらに続く。そして歓声か悲鳴か、判断つかない声が大きくなってくる。
「殿。敵でございます。この屋敷に火が放たれました。ここは危険です。お逃げください」
戻ってきたお梶の刀の先に、血が付いているのが分かった。それにこの屋敷に、火が放たれたという。敵がもう近くに来ているのだ。
「夜襲か?」
「はい。敵は松明もなく、旗指物も無いゆえ、敵か味方かも見分けがつかぬ有様でございます。殿はここを出て、急いで池田様の陣所に。後程、そこでお会いしましょう。それでは、ごめん」
お梶は再び部屋を出ていった。家康は指示に従うことにする。
本能寺のように、兵力に圧倒的な差があれば、信長がしたようにここは当然、自害を選択するべきであろう。しかしそうではない。いくら先鋒隊が関が原に発ったとはいえ、兵力ではまだこちらの方が勝っているはずだ。ここで逃げて態勢を立て直せば、じゅうぶんに反撃ができる。それに大阪に秀頼がいる以上、死ぬわけにはいかないのだ。跡取りが秀忠では、徳川家が乱世を生き抜くには心もとない。家康が生きているうちに、秀頼を亡き者にしないといけない。
信康が生きてくれていたら、わしが死んでも安泰であっただろうに。
家康は刀を手に、呟きながら廊下を早足で歩く。お梶の言うとおり、火の手は部屋のすぐ後方に迫っていた。勇猛なお梶は紅蓮(ぐれん)の炎のなか敵の陣に飛び込んで行ったみたいだが、無事に再会できるのであろうか。敵か味方か見当もつかないが、その声も大きくなっている。
突如、火のついた矢が目の前をかすめ、前方の柱に刺さった。そこから火が燃え広がる。敵はすぐ近くにやってきている。家康は唾を飲み込んだ。こんな目に遭うのは、今から三十年近く前、戦国時代最強と言われた武田信玄の軍勢に、三方ヶ原で激突したとき以来だ。もしあのとき、信玄が引き返さずに浜松城を攻め込んでいたら、徳川家は今まで存続していなかったに違いない。
突如、目の前に数人の男が現れた。男たちは甲冑(かっちゅう)を着けていない軽装だ。
「あめ!」
先頭に立つ男が叫んだ。刀をこちらに向けて、家康を睨んでいる。
その後ろから、もう一人の男が現れた。彼も甲冑を着けていない。そして年も若く、美男子だ。そう、彼は、家康殺害計画を企てて流罪になっていたが、この戦に従軍させている大野治長だ。
家康は身体を小刻みに震わせた。
「彼こそ内府殿だ!」
治長の怒声に数人の男は顔を引きつかせて、刀の刃先を家康に向けた。
真田昌幸の態度に、秀忠は怒った。八月下旬に送った降伏勧告になかなか応じず、九月六日になって再度送ると、「返答を延ばしていたのは籠城準備のため。準備も整ったので、ひと合戦つかまつろう」と、ようやく返事を寄越したからである。参謀役の本多正信は美濃への進軍を強く勧めたが、秀忠はそれを拒否した。正信は何度も何度も諫(いさ)めたが、秀忠はかたくなに合戦を主張した。普段は温厚な秀忠であるが、これほど烈火のごとく怒り狂う姿を見るのも、正信は初めてだった。
「今度は前の時と兵の数も違う。それに百戦錬磨の正信や康政もおるではないか」
前の合戦というは、徳川軍七千に対して、守る真田軍二千。この時の徳川軍の戦死者は千三百人だったという戦いである。
それで、今回であるが、最初のうちは優勢であった。家康軍に味方した真田信之の軍勢が、弟の信繁が守る支城の砥石(といし)城を簡単に落としたことで味方の士気は最高潮に達した。
昌幸は上田城に籠城する構えを見せている。ならばと、城下の田畑の稲をことごとく刈り取る作戦に出た。籠城しているのは農民兵が多く、田畑が荒らされては堪らないと、彼らが慌てて出てくる。出てきたところを、後備えの本多忠政隊が攻めかかった。ここまでは良かった。しかし農民兵は戦うことなく逃げ始めた。それを徳川勢が追っていく。上田城の城門近くまで一気に攻め込んだ。
そこへ真田の鉄砲隊がいっせい射撃を敢行(かんこう)する。徳川勢に矢と銃弾の雨が降り注ぎ、城門から勢いに乗った真田軍が襲い掛かり、徳川勢は屍(しかばね)の山を築いていった。さらに秀忠が本陣を置いた台地の北東に進軍した伏兵が、側面から襲い掛かったのだ。とどめとして昌幸はこの前の合戦と同じく、堰(せ)き止めていた神川の上流の堰を切った。その激流が秀忠隊を襲った。これで秀忠は這(ほう)這(ほう)の体で小諸まで逃げたのである。
戦に間に合うのだろうか。正信は焦っていた。
負け戦の後も、美濃に向かって東山道を進む徳川秀忠軍は、上田城の戦いを四日で切り上げて、木曽の妻(つま)籠(ご)に到着した。三万八千あった軍勢も、上田城の戦いで大きな痛手を被っている。そのうえ小諸に備えの兵を置いているので、いま東山道を行く軍勢は二万を少し超えた程度だ。「正信がついていながら何という体たらく」と家康の怒りを買ってしまうのは、覚悟している。
「正信。すまない。そなたの進言を素直に聞いておくべきだった。そうすれば、とっくに美濃に到着していただろうに。本当に、すまない」
秀忠は正信に頭を下げた。正信は首を横に振る。
「上様には、それがしが若殿に上田城を攻めるよう進言したと伝える所存。だから謝る必要なんか、ございませぬ。堂々としていてくだされ」
正信の言葉に、秀忠は首を横に振る。
「いや。意固地になって、上田城総攻撃を下知したのは、この私だ。真田を徳川に従わせれば、親父に褒められると思ったのだ」
「お気持ちは分かります。それがしも同じ考えでございますので」
秀忠の目が赤く腫(は)れているのが正信にも分かった。この弱さが、彼の長所でもあり、短所でもある。もしも彼が三十年以上早く生まれて、父親の代わりが務まるかと問われれば、回答は否だ。この優しさは乱世では仇(あだ)となる。しかし太平の世となれば、その優しさが遺憾(いかん)なく発揮され、穏やかに国が治まる。それは家康がよく口にしていたことだ。
秀忠には五つ上の兄に結城秀康がいる。母親の身分が低く、顔もオコゼに似ていた秀康は幼いころに、豊臣家に人質に出され、そののち、秀吉に気に入られて、一時は秀吉の養子にもなった男で、文武に秀でたものを持っている。おまけに父親譲りの威厳も持ち合わせている。そんな秀康が豊臣家から結城家の養子に出されたのは、秀吉に実子鶴松が誕生したからだ(鶴松は幼くして亡くなる)。それでも家康は、自らの後継者を秀忠から秀康に変えることはなかった。それは単純に秀康の母親の身分が低いということではない。一度養子に出された男子が実家に戻ることは当時なかったうえに、文武に秀でた兄が戻ってきたことで、秀忠と秀康とで家中が二つに割れてしまうのを、家康が嫌がったからだ。それに秀忠も決して凡庸な武将ではない。誰にも得手不得手があるように、父や兄に比べて、戦が不得手なだけだ。だから家康は、秀吉の亡き後、徳川の基盤を盤石にするために、事を急いでいるのである。
そんな家康の胸の内を、正信は誰よりもよく分かっている。正信は息子の正純とともに、最初のうち結城秀康を徳川家の跡取りに強く望んでいたが、秀忠の側(そば)に仕えるようになってからは、秀忠のことを理解するようになっていた。
「とにかく、親父は赤坂に布陣したと聞いている。城攻めになれば、兵も多く必要であろう。急ぎたいのは山々なれど、いかんせん、兵が疲れ切っている。これではどうしようもなるまい」
秀忠は溜め息まじりに言った。正信の目から見てもそうだ。上田の戦いで、兵の士気はかなり低下している。逃げ出す者も少なくない。この様子だと、美濃への到着には、あと二日ほど要する。
「城攻めになれば、日数も多く要しましょう。それに大垣はなかなかの堅城と伺っております。いくら上様でも、一日や二日で落とせないことでしょう。なれば、戦に間に合います」
と正信が気休めの言葉を掛けたところで、「申し上げます。ただいま、お梶さまが火急の用とのことで、参られております」と、近習の者が外から声を張り上げた。
それを聞いて、正信は嫌な予感がした。お梶には子がいないが、いま家康の寵愛を最も受けている側室である。容姿ばかりか、聡明であるため、今回の戦でも家康の側に仕えている。そんなお梶が、火急の用でこの妻籠に来ているのだ。ただならぬことが起きたのかもしれない。
皮肉なことに、正信の嫌な予感は当たってしまった。二人の前に姿を見せたお梶は、髪が乱れて、左腕には傷を負っている。
「申し訳ございません。裏切った大野治長によって、上様が討ち取られました」
お梶の声が震えている。聞いて正信の頭の中も、真っ白になった。
「私がお側に仕えておきながら、申し訳ございません。昨夜、赤坂の陣所で敵の夜襲を受けました。私が上様に佐和山を抜いて大阪に進軍するという噂を大垣城内に広めるように進言し、その噂に敵も乗り、城を出て西に退いたという知らせを受け、こちらも関が原に向かって進軍を始めたところでした。完全に間隙(かんげき)を突かれてしまいました。私めは、ここで腹を切り、若殿にお詫び申し上げたいと存じます」
そう畏まってお梶は言うと、懐刀を取り出して、それを握り締めた。秀忠は慌てて立ち上がり、彼女の手を抑える。
「待て! その方が腹を切っても、父上は帰ってこぬ。自害は決して許さぬ」
秀忠の言葉に、正信は我に返って、慌てて彼女の身体を取り押さえた。お梶の手から懐刀が落ち、彼女の身体から力が抜けるのが分かった。
「そうです。お梶殿は間違えておりませぬ。そのような作戦を上様に進言したのも、敵を野戦に誘き出し、短時間で決着させるためだったのでしょう。大阪から秀頼公が出陣されたら、厄介なことになりますからな」
正信の言葉に、お梶は力なく頷いた。お梶の華奢な身体を押さえつけている正信の手に、熱いものが落ちているのが分かった。お梶の涙だ。
「しかしながら、裏切った大野治長の手によって、殿の首が敵方に渡ってしまいました。敵が勢いづくのは間違いございませぬ。完全に私の落度でございます」
「よし。ならば父上の弔(とむら)い合戦ぞ。いますぐ美濃へ向かい、大垣と佐和山を落とし、大阪に向かうのだ」
秀忠は立ち上がった。しかし正信の腕の中で、お梶は首を横に振る。
「それはなりませぬ。いま美濃は豊臣恩顧の武将の軍勢で溢れております。ここは一旦、江戸へ退き、態勢を整えるのが肝要かと存じます」
お梶の言葉に、正信も頷いた。いま美濃に飛び込んでしまっては、石田勢だけでなく、徳川に味方していた秀吉子飼いの武将も、多くが敵方になって襲ってくる可能性が高いからだ。
秀忠は唇を噛み締めて、無念の表情で退却を下知した。
大阪城の大広間に、清々しい顔をした大野治長が現れた。家康の首が入った木箱が、治長の手によって、大事に抱えられている。
「お方様。お久しぶりでございます。下総に流罪になって一年間、秀頼公とお方様のことを忘れたことなど、一日たりともございませぬ」
「治長。そなた、よくやったぞ。近(ちこ)う、近う寄って、早よ、内府の首を見せてくれ」
上座の淀君は、いつになく上機嫌である。秀吉が亡くなってからというもの、これだけ機嫌の良い淀君を見るのは、いつも秀頼と淀君母子の側に仕える片桐且元には無かったと思う。「内府を討ち取る」の報が入るまでの淀君は、明らかに不機嫌で、且元にも当たり散らしていた。
それにもまして、淀君お気に入りの治長が、自分のもとに帰ってきたからだと、且元は穿(うが)った目で見ていた。巷(ちまた)で噂されているように、秀頼の父親が秀吉ではなく、治長であったと言われても、且元は納得する。それくらい、淀君は治長のことを気に入っていたし、実際に治長は眉目秀麗な美男子だ。巷の噂というのは、少なくとも秀頼は秀吉の子ではないということである。
その治長が、ちょうど一年前、家康暗殺を謀った。しかしその謀(はかりごと)が家康に密告され、下総国に流罪の身となり、この度はその罪も許され、家康の旗本として参陣していた。そんな治長が、家康の首を持って、大阪に戻ってきたのである。
言われた治長は、深く頭を下げて畏まったあと、立ち上がって上座に近づき、且元の控える前の位置で再び居住まいを正して座って、木箱を丁寧に解いて開けた。淀君は目を輝かせたが、隣に座る幼い秀頼は顔をしかめて、視線を背けた。
「おお。確かに内府の首ぞ。この狸も、まさか首を討たれるなど、夢にも思っていなかっただろうに。太閤殿下(豊臣秀吉のこと)亡き後、おのれの私利私欲に走った罰が当たったのじゃ。良い気味、実に良い気味じゃ。今宵は久々に皆で、祝いの酒を飲もうぞ」
治長は再び平伏(ひれふ)した。いちおうこの場所に且元ばかりか、毛利輝元も控えている。淀君も治長も、二人きりの時は互いの吐息が掛かるくらいに顔を近づけ、睦(むつ)まじく話しているところを、且元は何度か見てしまったことがある。それは秀吉が存命していたときから続いていた。
淀君は隣で縮こまっている秀頼に気付いたようだ。
「ほら。秀頼公もご覧あれ。これがあの憎たらしい、内府の首じゃ。この無様な姿、目蓋(まぶた)の裏によく焼き付けておくのじゃ」
母親に顔を強引に首へと向けられた秀頼は、目を堅く閉じて顔を激しく横に振って、首を見るのを拒絶した。武家に生まれてきたとはいえ、両親から甘やかされて育てられてきたから、それも仕方がないのかもしれない。
「治長。その首をもう収めてくれぬか。そして京の三条河原に晒(さら)しておくれ」
「はっはー」と治長は畏まって、家康の首を木箱の中に収めた。身体を竦(すく)めながらも、秀頼は母親に抱き寄せられて、鼻を鳴らしている。少し泣いていたのかもしれない。
「それで、治長。内府の最期はどんなに無様だったのか、わらわは興味がある。申してみよ」
「はい。内府の軍勢が西に向かって移動し始め、陣所が手薄になったところを、石田、島津隊が夜襲を仕掛け、我らも呼応いたしました。不意を突かれた内府の軍勢は、意外に脆(もろ)く、すぐに内府の陣所に火を放つことができたのでございます」
「その辺のところはもう良い。早よ、内府の最期を申せ」
淀君はすこぶる上機嫌だ。昨日までの淀君なら、且元が同じようにまどろっこしく話を進めたら、頭ごなしに叱責していた。
「はい。内府の近習の者も戦いに出ておりましたので、内府一人でおりました。最初は我らの正面に現れた男が、敵か味方か、炎を背にしていたので暗くて分かりませんので、打ち合わせしておいた合言葉を投げかけましたが、返してきません。敵だと分かりましたが、すぐに炎が広がって、相手の顔が見えました。紛れもありません。彼こそ、内府だったのです」
「それで、それで、どうなったのじゃ?」
淀君は秀頼から手を離して、前のめりの姿勢になった。彼女のつぶらな瞳が、好奇心で輝いている。
「はい。それがしが『彼こそ内府殿だ』と叫ぶと、内府は身体を震わせて、『わしは殿ではない。殿はとっくにこの陣屋から逃げ出した』などと抜かしたのです。『いや、見間違えるはずがない。そのほうこそ、内府殿だ』とそれがしが言うと、『それは治長殿の見間違えではないのか』と返ってきたのです。『どうして、そなた、わしが大野治長と分かったのか? やはりそなたは内府殿だ』と言ってやりました」
「ホホホ。内府はうつけ者よ。大うつけだわ。それで、その後はどうなったのか?」
「はい。その後はそれがしに跪(ひざまず)きました。『どうか、治長殿。わしの命をたすけてくれぬか』と身体を震わせて、命乞いをしたのでございます。それがしは呆れて、『武家の棟梁(とうりょう)らしく、潔く刀を合わせぬか。何なら、それがしが相手になろう』と言ってやりました。そうしたら怖気(おじけ)ついて逃げ出したのでございます。まことに、武士としてあるまじき行為。それでそれがしが背後から斬りつけてやりましてございます」
且元は治長の話が信じられなかった。というより、話半分で聞いている。いくら憎たらしい家康でも、首を取られたからには、ここまで冒涜(ぼうとく)するのは武士道に反する。それに治長は話術に長(た)けている。昔から話を面白おかしく脚色するのがうまい男だ。端正な顔立ちのうえに、話が上手いので、女性からの受けも良い。淀君が彼の虜になってしまっているのも、無理のない話だ。隣に座っている輝元も、どうやら且元と同じで、治長の話を信用していないようだ。顔が笑っていない。
でも淀君は、彼の話を真に受けている。
「ホホホ。命乞いをするとは、女々(めめ)しいこと。狸じじぃ、さぞかし死ぬのが怖かったのであろう。命乞いをして、叶わぬのなら逃げ出すとは。本当に、女々しいじじぃだこと。武士の恥じゃ」
「それで、大野殿」声を掛けたのは輝元だ。治長は輝元に身体を向け、「はい」と畏まった。「その後の美濃の様子はどうであるか?」
且元から見ても、昨日までの輝元の行動は不可解だった。六万の大軍とともに大阪城に入り、西の丸にいた家康の残党を追い出したまでは良かったのだが、大阪から一歩も外に出ない。輝元の率いる六万の大軍が美濃にあれば、合わせて二十万もの大軍となる。そうなれば家康も、のこのこと美濃に進出できなかった。その二十万の大軍で、家康方の多い東海道ではなく、頼りになる真田昌幸のいる東山道を進めば、逆に江戸を攻めることも可能であっただろう。それに会津の上杉、常陸の佐竹などの味方が呼応すれば、いくら堅固な江戸城でも、十年ほど前の小田原のように、内部から崩壊するであろう。それに東海道の諸大名も、大阪方に寝返るのも多く出てくるはずだ。そこには三成憎しの思いだけで家康に付いた、秀吉子飼いの武将が多いからだ。大将が三成ではなく輝元なら、皆も従うはずだ。
輝元の質問に治長が答える。
「はい。家康を討ち取ったことを、すぐに味方に報(しら)せ、敵にも報せました。敵方のうち、細川忠興、池田輝政、田中吉政などはこちら側に付き、福島正則と黒田長政は急遽、兵を清州に退きました。籠城の構えを見せているものと思われます。また松平忠吉(家康の四男)隊と、家康の家臣の井伊直政隊に、南宮山にいた毛利秀元様が襲い掛かっておりまして、おそらく壊滅的な打撃を受けているものと思われます」
輝元は口髭を曲げて頷いた。相変わらず輝元が何を考えているのか、且元には分からない。
治長は再び淀君と秀頼に身体を向けた。
「お方様。恐れながらお願いしたき儀がございます」
「なんじゃ、畏まって。治長、褒美にどこか国が欲しいのか。これで徳川が降伏して、関東ががら空きになるな。どこの国が欲しいか、申してみよ。相模か? それとも上総か? 下総か? いくら何でも武蔵を所望するのは欲張りぞ」
淀君は上機嫌で戯れている。いくら淀君でも、治長の所領を独断で決めることはできない。そもそも家康が居なくなったからといって、徳川が降伏するとは限らないのだ。家中には立派な武将や家臣も多く、関東にはまだ多くの兵が残っている。それに徳川に味方する大名家は、東北を中心にまだ多い。
「そんなことではございませぬ。ぜひ秀頼公をご出陣あそばれるよう、お願い申し上げます。そうすれば、我が方の士気も上がります」
治長は畳に額を擦りつけるくらいに、ひれ伏した。それを見て、輝元も秀頼にひれ伏す。同じく且元も額を畳に擦りつけた。
「ならぬ。それだけはならぬ。秀頼公を危険な戦場に連れていくことだけは、絶対にならぬ」
「そこをどうにか。お願いいたします」
「ならぬ、ならぬわ。たとえ小田原の陣のようなところでも、幼い秀頼公を戦場に向かわしては、絶対にならぬ」
小田原の陣とは、十年前に秀吉が二十万以上の大軍で、北条氏政・氏真親子の籠る小田原城を包囲した戦のことだ。そこに淀君も、茶人の千利休と共に招かれて、箱根の陣屋で過ごした。秀吉軍は二十万の大軍で巨大な城を包囲している間に、北条方が内部崩壊をしたので、戦いらしい戦いは殆ど無かった。そういう戦であっても、秀頼を戦場に送りたくないという淀君の言葉に、且元は落胆した。
輝元も、そして治長も、であろう。
「それならば、これからそれがしが、総大将として戦場に立ちましょう」
毛利輝元が口髭を曲げて、力強く言った。
「敵の総大将が内府(徳川家康のこと)ではなく、秀忠であるのが不満だな。内府であったら一気に首をも狙うのだが」
真田昌幸は不敵な笑みを、信繁に見せた。
信繁も今回の徳川軍を上田原に迎えて戦うことに胸を躍らせている。でもいくら家康がその中にいないとはいえ、敵の兵は十五年前の戦いとわけが違う。十五年前、やはり同じくこの上田原に徳川軍を迎え入れたときは七千だったのに対し、今回はゆうに三万を超えて四万近くだ。しかも味方は三千程度。それに敵方には、本多忠勝の娘を妻に迎えたため、徳川方についた兄の真田信之がいる。
真田家は親子、そして兄弟で、敵味方に分かれてしまっているわけだ。
「信繁。覚悟はできているか?」
「はい。砥石(といし)城の特性を存分に生かして、守り抜く所存でございます」
信繁は厳格な父に、畏まって答えた。
砥石城は名将・武田信玄も一度では落とせなかった山城で、上田原の北西に位置する重要な支城だ。今回の戦いで、この城の守りを、信繁に任された。信繁の作戦は、山を登ってくる敵に、上から銃弾や矢の雨を降らせるだけでなく、予め運んである岩や石(いし)礫(つぶて)、さらには熱湯に糞尿などを浴びせる戦術だ。その昔、千早赤阪の戦いで、数万の鎌倉幕府軍を相手に五百足らずの楠木正成が用いたものだ。その用意はじゅうぶんに整っている。
「それで、もし信之が砥石城を攻めてきたら、そなたはどうする?」
昌幸の質問は唐突だった。兄が、自分の守る城を攻めてくるなんて、思いも寄らないことだった。
「はい。いくら兄でも、敵は敵です。正々堂々と迎え撃つのみ」
「う~ん」と昌幸は唸った。信繁は正論を申し上げたつもりであったが、昌幸は顔をしかめている。「その場合は、やはり砥石城はくれてやれ」
「父上はわざと負けろと仰(おお)せられるのですか?」
「左様。そうすれば信之も、内府に対して面目が立つであろう」
昌幸の言葉に、信繁は腹が立ってきた。
「父上。それでは我が方が負けるような言い回しではございませんか?」
「いくらこの上田の地に秀忠の大軍を留めても、治部(じぶ)少輔(しょうゆう)(石田三成のこと)では内府に歯が立たぬであろう。わしのような大胆な作戦を用いなければ勝ち目はない」
「治部少輔殿が、大胆な作戦を取りますでしょうか?」
「周りの意見を聞いてくれれば勝ち目はあろうが、あの自尊心ばかりが高い男では、可能性は低いな」昌幸は自虐的に笑った。「だから、真田家存続のため、ぜひとも信之にはこの戦で軍功をあげてほしいのだ。信繁。忘れるな。信之と信繁が敵味方に分かれたのも、すべて真田の家のためだ。そうすれば、どちらが勝っても真田の家は生き残ることができる」
さすが、武田、上杉、北条、織田、豊臣、徳川と、主を次々に変えて、戦乱の世を巧みに生き残り、秀吉から「表裏比興の者」と評された昌幸だ。とにかく、真田家の役目は、ここに秀忠の大軍を一日でも長く留めさせて、美濃方面で起こるであろう戦に遅参させることだ。その戦いが長くなればなるほど、真田にとっても、三成にとっても、状況が好転する。それが昌幸の考えで、信繁もじゅうぶんに承知していた。
そして信繁は五百ばかりの手勢を率いて、砥石城に入った。五百の兵も精鋭ぞろいで、信繁はじゅうぶんに勝算がある。上田城に籠る昌幸も悠然と敵が来るのを待ち構えていた。
信繁は砥石城から、上田原を見下ろしていた。ここからは敵の様子がしっかりと見て取れる。上田城を見渡せる渋谷台に徳川の本隊が布陣した。それは信繁が今まで見たことのない大軍だ。
でもその中に、兄である信之の旗印が無かった。信繁は不吉な予感がした。
「申し上げます。信之さまがこの砥石城に進軍してくるとのことです」
やはりそうだ。砥石城を攻めてくるのは、兄の信之だ。
「兄上か……ならば、退却ぞ。全軍、上田城に退(ひ)くのだ」
信繁の下知により、砥石城の真田軍は全軍撤収した。
「内府殿。ここは一気に大垣城を攻めるのがよろしいかと。それがしが先鋒を承る」
福島正則が顔を真っ赤にして吠えるように言った。福島正則といえば、豊臣秀吉子飼いの武闘派の武将のなかでも、特に血の気が多い。そんな彼が石田三成憎しで、一気に大垣城を攻めたいのは、この赤坂の陣に到着したばかりの徳川家康にもよく分かっていた。だから彼は家康の挑発に乗り、清州を発って岐阜城を落としたのだ。
家康は腕を組んで、目を堅く閉ざして聞いている。
「上様。城攻めなら、城の南側を堰(せ)き止めて、水攻めが効果的かと思います。この城は内堀、外堀と二重に堀を巡らせており、力攻めではこちらの被害も大きいかと存じます」
発言したのは家臣の井伊直政だ。井伊の赤備えを有し、次々に軍功をあげ、今や徳川四天王の一人に数えられている。その戦いぶりから、井伊の赤鬼として恐れられている。
直政の意見は尤(もっと)もだ。家康もこの城を攻めるのであれば、水攻めを選択する。腕を組んで、目を閉ざしたまま、小さく頷いた。それを見て、血気盛んな正則は、悔しそうに自分の膝を拳で叩いた。彼はどうしても先陣きって大垣城を攻め、三成の首を上げたいのだ。
「内府殿。井伊殿の意見に私も賛成です。明日から天気も悪そうですし、そうすれば城攻めの間に、遅れている秀忠殿の軍勢も到着することでしょう」
発言したのは細川忠興だ。彼の妻、ガラシャは三成の人質になるのを拒否して、大阪の屋敷に火を放って命を落としている。彼も三成憎しであるが、正則に比べると冷静である。忠興の隣に座っている黒田長政も、大きく頷いた。
「ただ、城攻めに時間を要してしまうと、方々に散っている相手方も集結してしまうと存じます」
そう忠勝が意見した。大垣城に籠る相手方は、石田三成・宇喜多秀家・小西行長・島津義弘など三万程度だ。いま数の上で徳川方が圧倒的に有利なのは、西軍の多くが、畿内で家康に味方した大名の城を攻めているからである。例えば細川忠興の治める丹後もそうだ。さらにこの先の関が原には、毛利隊・小早川隊が布陣しているとの情報も入ってきている。万が一、これらが大垣城の後詰に回り、城攻めが長引けば、大阪にいるはずの毛利輝元が幼い秀頼を奉じて出てくるかもしれない。そうなれば、いま家康に味方している正則たちも心変わりしてしまうかもしれない。それが家康の、いちばん恐れていることだ。敵はあくまで三成でなければならないのだ。毛利や、秀頼であってはならない。
家康は爪を噛(か)んだ。困惑すると、幼児のように爪を噛むくせがある。
「殿。恐れながら申し上げます」
声をあげたのは、家康の横に控えている側室のお梶だ。家康のお気に入りの側室で、容姿もさることながら、頭脳も明晰(めいせき)である。おまけに剣術にもすぐれていて、男子なら城を任せることもできると、家康が思っているほどの女だ。しかもまだ若い。
そんな彼女は具足を身に着け、男装して戦に参加している。
「お梶。何かな?」
「はい。ここはわが軍が佐和山を抜けて大阪を目指すと、相手方に流してみてはいかがでしょうか。佐和山を抜けて大阪と言えば、三成も黙ってはおられないでしょう。それで三成を城から誘(おび)き出して、討つのです」
家康は爪を噛むのを止め、その顔がぱあっと明るくなった。籠城戦になると、時間を要する。味方も秀忠軍が加わるだろうが、長期戦になって怖いのは秀頼だ。彼が敵の軍勢に現れてしまうのが怖いのだ。そうなれば、家康が江戸で小早川や毛利家の吉川(きっかわ)らに行った内通工作がすべて水泡に帰してしまう。
ここはイチかバチか、賭(か)けだ。
「お梶。そなたに任せた。城内にその噂を流してくれ」
「はい! 畏(かしこ)まりました」
そう頭を下げ、お梶は席を立った。
家康の軍隊が大垣城の目と鼻の先、赤坂に到着したという一報を受けて、城内の兵は浮足立っていた。背後に会津の上杉景勝の存在があって、家康は容易に江戸を動けないと思っていたからだ。家康が西上すれば、上杉軍が怒涛(どとう)の如く、関東に攻め入る手はずになっていた。
それで、石田三成の家臣の島左近は、僅か五百の兵で、徳川方の中村・有馬隊に対して槍を突き合わせ、勝利して帰ってきた(杭(くい)瀬川(せがわ)の戦)。それによって、動揺していた城兵の士気も上がった。
三成に過ぎたるものが二つあり、島左近と佐和山の城、と言われるくらい、島左近は優れた武将だ。筒井家を出奔(しゅっぽん)して浪人であった左近を、当時知行がわずか四万石しかなかった三成は、半分の二万石も出して召し抱えたほどの家臣だ。豊臣政権で五奉行まで駆け上がった文知派の三成にとって、足りないものをいくつも補ってあまりある存在が、左近である。
「やはり、間違いなく内府は到着しております」
左近の報告に、三成は頷いた。三成はたいして驚いていない。それも計算のうちだ。上杉の背後には、岩出山の伊達家と山形の最上家がいる。上杉が家康のいない関東に攻め込めば、伊達・最上が南下してくる。その手はずを整えてから、家康が西上してくることは承知していた。それで、家康が西上する前に味方の全軍が揃ったら、福島正則以下四万程度の家康方を叩けばよいと考えていた。これならじゅうぶん勝算がある。
その伊達・最上の説得に、もう少し時間を要するものだと思っていた。畿内に散らばっている兵を集めるのにも時間がもう少し必要だし、何より大阪城にいて動いてくれない豊臣秀頼というか、その母親の淀君の説得に時間がかかっている。母親としては、まだ幼い秀頼を戦に出したくないのだ。その秀頼を奉じて、総大将の毛利輝元が出陣してくれれば、いくら敵に家康が居ようと、味方は勝ったも同然だ。
それにはこの大垣城で籠城が得策だと、三成は考え直していた。この城は大阪や小田原ほどの規模ではないけれど、大垣の城下町をすっぽりと外堀で囲んでいる。さらに二重の水堀で囲まれていて、本丸と二の丸に通じる侵入経路も一つしかない。三成の居城である佐和山もなかなか堅固な城であるが、大垣はそれ以上である。敵が力攻めをするなら、本丸や二の丸から鉄砲の弾や弓矢を降らせば、敵はかなり痛手を負う。
もちろんこの城にも弱点はある。それは水攻めだ。下流を堰き止めれば、この城はいずれ落ちる。ただし時間がかかる。兵糧も蓄えているし、ゆうに一か月はもつはずだ。その間に畿内の兵を集め、輝元も秀頼を奉じて駆け付ける。そうなれば圧倒的に豊臣軍の兵数が多いし、秀頼もいるので、家康に味方している豊臣恩顧の武将が動揺し、こちらの勝ちだ。それにこの城には、気心の知れた小西行長に、豊臣一族と言っても良い宇喜多秀家ばかりか、猛将で知られる島津義弘までいる。豊臣家に恩顧など感じていないというか、むしろ秀吉によって殆ど平定しかけていた九州の大半の領土を没収された形の義弘は、成り行き上、三成に味方しただけなので、家康と通じていないか不安と言えば不安であるが、率いる兵は千ちょっとだけだ。寝返ったとしてもたいしたことはない。
島津よりももっと大きな不安は、三成の築いた松尾山の砦(とりで)に到着した小早川秀秋だ。彼は三成を嫌い、明らかに家康に通じている。そんな彼の軍勢は一万五千。これが三万ある毛利秀元の軍勢と共に大垣に押し寄せたら、かなり苦戦を強いられる。そんな不安も、大阪城の輝元が秀頼を奉じて駆け付けてくれれば丸く収まる。ただ、問題は、それがいつになるのかだ。
「殿。それで、中村・有馬隊を攻めたところ、妙な噂を聞きました。内府は今夜にも赤坂を発ち、佐和山を抜いて大阪を目指すという噂です」
「なに? 左近、それはまことか?」
「はい。今夜にも先鋒の福島・黒田隊から東山道を西に動き始め、遅れて内府も動くとのことです」
左近の報告を聞いて、三成は立ち上がった。これは三成の計算違いである。この城に籠城して持ちこたえている間に、大阪が動き出す。それが三成の計算だった。
「そうしたら、ぐずぐずしておられぬ。近江に家康を入れてはならぬ。我々もこの城を打って出ようかと思う。今でも数の上では有利。南宮山に毛利秀元殿、松尾山の砦に小早川秀秋殿がおられるから、この辺りに我々は陣を張り、東山道と伊勢街道の交差するこの辺りに内府軍が来れば、挟み撃ちにできると思う」
三成は地図の関が原を指しながら、興奮気味に言った。軍議に参加している島津義弘も宇喜多秀家も腕を組んで顔をしかめている。小西行長だけが、三成の言葉に頷いていた。
「治部少輔殿。数の上では我が方が有利。しかも内府は三方が敵に囲まれてまさに袋の鼠(ねずみ)ではないか」
確かに行長の言うとおりである。ただそれは小早川秀秋と毛利秀元が戦いに参加してくれたらの話である。それは宇喜多秀家も同じ考えのようだ。秀家はむつかしそうな顔を三成に向けた。
「治部少輔殿。それは却って敵の思う壺だと、それがしは存ずる。確かに敵は三方を我らに囲まれ、袋の鼠となりますが、小早川殿ばかりか、南宮山の毛利殿が動いてくれるか……吉川殿は内府に通じているという話も聞きますので」
毛利秀元の軍勢三万は南宮山に布陣している。毛利家の跡取り秀元はまだ若く、吉川広家が補佐役だ。その広家はそうとうの食わせ者で、何を考えているのか分からないところがある。そんな彼が家康に通じているのは確かだ。しかしながら伊勢方面の戦いで、大きな軍功を上げている。
「備前宰相(宇喜多秀家のこと)殿。それがしも同じことを思っております。まず小早川は動かないでしょう。でも毛利隊が内府の背後を突けば、我が方の勝利です。吉川殿も伊勢方面の戦いでは、大きな軍功も上げています。きっと我らと共に働いてくれると信じています」
三成は、年齢が一回りも下の秀家に、丁寧に説明した。というのも宇喜多家は、徳川家、上杉家、毛利家、前田家と並ぶ五大老の家柄であるうえに、秀家は秀吉の養女である豪姫を正室に迎えているからだ。そんな宇喜多家は、豊臣一門の家柄だと言っても良い。
三成の力説に、秀家は黙った。父の宇喜多直家は策略に通じた知将であったが、秀家は美男子で秀吉の寵愛を受けていたが、直家ほどの策士ではない。でも宇喜多隊は強く、三成も頼りにしている。
「殿。それがし、提案があるのですが」
「何だ、左近。申してみよ」
三成の言葉に左近は居住まいを正して、畏(かしこ)まった。
「ここは城を出て近江のほうへ引くと見せかけて敵に夜襲を仕掛けてみるのは、如何(いかが)かと存じます」
左近の言葉に、三成は耳を疑った。敵に夜襲を仕掛けるなど、およそ考えられないことだ。
「夜襲というのは面白い。内府が出立するのは後の方だろうから、そこを狙うと、あわよくば内府の首を取ることもできるかもしれぬ」
信じられぬことに、百戦錬磨の島津義弘まで左近の意見に賛成している。義弘は伏見城攻めからここまでよく戦ってくれている。だけれど三成は、彼に全幅の信頼を置いていない。所詮、島津家は徳川家同様、豊臣家から見ると外様だ。
「左近。夜襲というのは兵力が劣った方が勝(まさ)った相手に、イチかバチか行う作戦ぞ。いまこの美濃国に集結している味方はおよそ十万。兵の数では我が方が勝っておる。それなのに夜襲を仕掛けるとは?」
「殿。この情報は、内府が我らを城外に誘(おび)き出すために流したものと思われます。それで、備前宰相様と小西様は敵の情報に乗っかって、今すぐ城を出て、小早川隊のいる松尾山のふもと辺りまで進んでいただきます。そうすると、間違いなく相手の先鋒隊が動き出すでしょう。軍隊が次々に移動を始めて、本隊が手薄になります。そこを島津様と我々で、襲うのです」
「それは面白い。内府も長い移動で疲れているし、西に移動したと思わせて襲うのだから、敵は大混乱に陥る。五十年以上も前にあった、北条家も使った川越の夜襲と同じだな」
義弘は満足そうに頷いている。
川越の夜襲というのは、一五四六年、相模を平定し武蔵に進出した北条氏康が、川越城を囲んだ関東管領、上杉憲政(のりまさ)の八万の大軍を、わずか八千で打ち破った戦いのことである。そのとき氏康は攻めてこないと敵を油断させたところで、夜襲を仕掛けて見事に成功し、上杉方の多くの有力な武将が討ち取られた。
左近は義弘を眺めて、満足そうに頷いている。
「そうです。まさしく川越の夜襲と同じ作戦を使います。島津様と我々の軍隊を四つに分け、車懸(が)かりに近い戦法を用います。第一隊が切り込み、疲れたところで第二隊に交代。そして第二隊が戦い、疲れたところで第三隊に交代し、その第三隊が戦い、疲れたところで再び第一隊が戦います。そうして何回か繰り返し、立ち退くときは殿(しんがり)に第四隊を使うのです。我々は松明(たいまつ)を持たず、味方同士が識別できるように合言葉を決め、俊敏に動けるように具足や旗(はた)指物(さしもの)は身に着けず、敵を討ち取っても首は取らないというのも、川越の夜襲と同じでございます。我らはとにかく内府の首だけを目指すのです。それに徳川家には大野治長殿もおられます」
「左近殿。それは面白い。腕が鳴るぞ」
義弘は満足げに頷いている。これは乗っかるべきなのだろうか。
「よし。島津様と左近がそこまで言うのなら、この作戦、やってみようではないか」
三成はほくそ笑んだ。それでも目の前の義弘が裏切らないか不安があった。
敵の軍勢が続々と城を出、宇喜多隊などは交通の要所である関が原に布陣し始めたという知らせを受けて、家康はほくそ笑んでいた。野戦に持ち込めば、短時間でケリが付くからだ。
いくら野戦に持ち込んでも一つだけ不安がある。秀頼の誕生で冷遇された小早川秀秋は大丈夫であろうが、南宮山に陣を張る毛利隊である。その毛利隊を動かしているのが吉川広家である。彼は家康と内通しているが、曲者(くせもの)であるからだ。しかも凡庸な武将ではない。戦況を見て有利な方に付くはずだ。それまで南宮山で弁当でも食べて呑気に戦況を見守るであろう。それならば、野戦に持ち込んで秀秋さえ裏切れば一瞬してケリがつく。
三成方は関が原に陣を張れば、松尾山の小早川隊、南宮山の毛利隊で、家康を包囲したと得意になって戦を仕掛けるであろう。特に小早川隊が自分に向かう刃(やいば)であるというのに。
夜遅く家康は、関が原に向けて出陣を下知(げち)した。先鋒を買って出た福島正則の軍勢から赤坂を発っていく。黒田長政、細川忠興、加藤喜明、田中吉政など、秀吉子飼いの武将ながら三成と対立して家康に味方した諸将の軍勢が次々に関が原に向かって発っていった。
「上様。それでは我らも」
井伊直政と家康の四男松平忠吉も家康の陣所を離れて、それぞれ兵を率いて関が原へ発った。赤坂に残るのは家康本隊を除くと、本多忠勝隊・池田輝政隊などわずかな軍勢だ。
「敵方に名将・島津殿がおっても、関が原にのこのこ出てくるとは。お梶。よくやったぞ」
褒めると、お梶は畏まりながらも、微笑みを浮かべた。
「はい。佐和山を攻めると言えば、治部少輔も黙ってはおられますまい。今のままでは佐和山はわずかな守勢ゆえ、二日も持ちこたえられないでしょうから」
「さすが、お梶だ。そなたを女子(おなご)にしておくのはもったいない。女子でなければ佐渡(本多正信)とともに、わしの名補佐役としてなったであろうに」
「私が女子でなければ、殿の寵愛を受けることはできませぬ。それに、女子であっても、こうして戦場(いくさば)で殿の補佐をしているではありませぬか」
お梶は猫を愛(め)でるような声を出した。戦場の声ではない。夜の床で聞く声だ。
家康は我慢できずにお梶を抱き寄せた。
「おやめください。ここは戦場です」
と言いながら、その声は上擦(うわず)っている。もちろん嫌がってはいない。
「誰も見てはおらぬ。良いではないか」
家康はお梶の唇を吸う。でもさすがにそれ以上のことはできない。家康も具足を装着して、出陣の準備をしなければならないからだ。大将たるもの、きちんと具足を装着して、威容を示さなければならない。
お梶から唇を離す。すると外が妙に騒がしいのに気付いた。お梶は微笑みを止めて、真剣な表情になって、刀を手にした。
「様子を見てまいります」
家康は頷いた。お梶は凛々しい「男」の顔になって颯爽と部屋から出ていく。家康も刀を手に取った。
鉄砲の音が聞こえた。一度ではない、二度、いや三度、その音はさらに続く。そして歓声か悲鳴か、判断つかない声が大きくなってくる。
「殿。敵でございます。この屋敷に火が放たれました。ここは危険です。お逃げください」
戻ってきたお梶の刀の先に、血が付いているのが分かった。それにこの屋敷に、火が放たれたという。敵がもう近くに来ているのだ。
「夜襲か?」
「はい。敵は松明もなく、旗指物も無いゆえ、敵か味方かも見分けがつかぬ有様でございます。殿はここを出て、急いで池田様の陣所に。後程、そこでお会いしましょう。それでは、ごめん」
お梶は再び部屋を出ていった。家康は指示に従うことにする。
本能寺のように、兵力に圧倒的な差があれば、信長がしたようにここは当然、自害を選択するべきであろう。しかしそうではない。いくら先鋒隊が関が原に発ったとはいえ、兵力ではまだこちらの方が勝っているはずだ。ここで逃げて態勢を立て直せば、じゅうぶんに反撃ができる。それに大阪に秀頼がいる以上、死ぬわけにはいかないのだ。跡取りが秀忠では、徳川家が乱世を生き抜くには心もとない。家康が生きているうちに、秀頼を亡き者にしないといけない。
信康が生きてくれていたら、わしが死んでも安泰であっただろうに。
家康は刀を手に、呟きながら廊下を早足で歩く。お梶の言うとおり、火の手は部屋のすぐ後方に迫っていた。勇猛なお梶は紅蓮(ぐれん)の炎のなか敵の陣に飛び込んで行ったみたいだが、無事に再会できるのであろうか。敵か味方か見当もつかないが、その声も大きくなっている。
突如、火のついた矢が目の前をかすめ、前方の柱に刺さった。そこから火が燃え広がる。敵はすぐ近くにやってきている。家康は唾を飲み込んだ。こんな目に遭うのは、今から三十年近く前、戦国時代最強と言われた武田信玄の軍勢に、三方ヶ原で激突したとき以来だ。もしあのとき、信玄が引き返さずに浜松城を攻め込んでいたら、徳川家は今まで存続していなかったに違いない。
突如、目の前に数人の男が現れた。男たちは甲冑(かっちゅう)を着けていない軽装だ。
「あめ!」
先頭に立つ男が叫んだ。刀をこちらに向けて、家康を睨んでいる。
その後ろから、もう一人の男が現れた。彼も甲冑を着けていない。そして年も若く、美男子だ。そう、彼は、家康殺害計画を企てて流罪になっていたが、この戦に従軍させている大野治長だ。
家康は身体を小刻みに震わせた。
「彼こそ内府殿だ!」
治長の怒声に数人の男は顔を引きつかせて、刀の刃先を家康に向けた。
真田昌幸の態度に、秀忠は怒った。八月下旬に送った降伏勧告になかなか応じず、九月六日になって再度送ると、「返答を延ばしていたのは籠城準備のため。準備も整ったので、ひと合戦つかまつろう」と、ようやく返事を寄越したからである。参謀役の本多正信は美濃への進軍を強く勧めたが、秀忠はそれを拒否した。正信は何度も何度も諫(いさ)めたが、秀忠はかたくなに合戦を主張した。普段は温厚な秀忠であるが、これほど烈火のごとく怒り狂う姿を見るのも、正信は初めてだった。
「今度は前の時と兵の数も違う。それに百戦錬磨の正信や康政もおるではないか」
前の合戦というは、徳川軍七千に対して、守る真田軍二千。この時の徳川軍の戦死者は千三百人だったという戦いである。
それで、今回であるが、最初のうちは優勢であった。家康軍に味方した真田信之の軍勢が、弟の信繁が守る支城の砥石(といし)城を簡単に落としたことで味方の士気は最高潮に達した。
昌幸は上田城に籠城する構えを見せている。ならばと、城下の田畑の稲をことごとく刈り取る作戦に出た。籠城しているのは農民兵が多く、田畑が荒らされては堪らないと、彼らが慌てて出てくる。出てきたところを、後備えの本多忠政隊が攻めかかった。ここまでは良かった。しかし農民兵は戦うことなく逃げ始めた。それを徳川勢が追っていく。上田城の城門近くまで一気に攻め込んだ。
そこへ真田の鉄砲隊がいっせい射撃を敢行(かんこう)する。徳川勢に矢と銃弾の雨が降り注ぎ、城門から勢いに乗った真田軍が襲い掛かり、徳川勢は屍(しかばね)の山を築いていった。さらに秀忠が本陣を置いた台地の北東に進軍した伏兵が、側面から襲い掛かったのだ。とどめとして昌幸はこの前の合戦と同じく、堰(せ)き止めていた神川の上流の堰を切った。その激流が秀忠隊を襲った。これで秀忠は這(ほう)這(ほう)の体で小諸まで逃げたのである。
戦に間に合うのだろうか。正信は焦っていた。
負け戦の後も、美濃に向かって東山道を進む徳川秀忠軍は、上田城の戦いを四日で切り上げて、木曽の妻(つま)籠(ご)に到着した。三万八千あった軍勢も、上田城の戦いで大きな痛手を被っている。そのうえ小諸に備えの兵を置いているので、いま東山道を行く軍勢は二万を少し超えた程度だ。「正信がついていながら何という体たらく」と家康の怒りを買ってしまうのは、覚悟している。
「正信。すまない。そなたの進言を素直に聞いておくべきだった。そうすれば、とっくに美濃に到着していただろうに。本当に、すまない」
秀忠は正信に頭を下げた。正信は首を横に振る。
「上様には、それがしが若殿に上田城を攻めるよう進言したと伝える所存。だから謝る必要なんか、ございませぬ。堂々としていてくだされ」
正信の言葉に、秀忠は首を横に振る。
「いや。意固地になって、上田城総攻撃を下知したのは、この私だ。真田を徳川に従わせれば、親父に褒められると思ったのだ」
「お気持ちは分かります。それがしも同じ考えでございますので」
秀忠の目が赤く腫(は)れているのが正信にも分かった。この弱さが、彼の長所でもあり、短所でもある。もしも彼が三十年以上早く生まれて、父親の代わりが務まるかと問われれば、回答は否だ。この優しさは乱世では仇(あだ)となる。しかし太平の世となれば、その優しさが遺憾(いかん)なく発揮され、穏やかに国が治まる。それは家康がよく口にしていたことだ。
秀忠には五つ上の兄に結城秀康がいる。母親の身分が低く、顔もオコゼに似ていた秀康は幼いころに、豊臣家に人質に出され、そののち、秀吉に気に入られて、一時は秀吉の養子にもなった男で、文武に秀でたものを持っている。おまけに父親譲りの威厳も持ち合わせている。そんな秀康が豊臣家から結城家の養子に出されたのは、秀吉に実子鶴松が誕生したからだ(鶴松は幼くして亡くなる)。それでも家康は、自らの後継者を秀忠から秀康に変えることはなかった。それは単純に秀康の母親の身分が低いということではない。一度養子に出された男子が実家に戻ることは当時なかったうえに、文武に秀でた兄が戻ってきたことで、秀忠と秀康とで家中が二つに割れてしまうのを、家康が嫌がったからだ。それに秀忠も決して凡庸な武将ではない。誰にも得手不得手があるように、父や兄に比べて、戦が不得手なだけだ。だから家康は、秀吉の亡き後、徳川の基盤を盤石にするために、事を急いでいるのである。
そんな家康の胸の内を、正信は誰よりもよく分かっている。正信は息子の正純とともに、最初のうち結城秀康を徳川家の跡取りに強く望んでいたが、秀忠の側(そば)に仕えるようになってからは、秀忠のことを理解するようになっていた。
「とにかく、親父は赤坂に布陣したと聞いている。城攻めになれば、兵も多く必要であろう。急ぎたいのは山々なれど、いかんせん、兵が疲れ切っている。これではどうしようもなるまい」
秀忠は溜め息まじりに言った。正信の目から見てもそうだ。上田の戦いで、兵の士気はかなり低下している。逃げ出す者も少なくない。この様子だと、美濃への到着には、あと二日ほど要する。
「城攻めになれば、日数も多く要しましょう。それに大垣はなかなかの堅城と伺っております。いくら上様でも、一日や二日で落とせないことでしょう。なれば、戦に間に合います」
と正信が気休めの言葉を掛けたところで、「申し上げます。ただいま、お梶さまが火急の用とのことで、参られております」と、近習の者が外から声を張り上げた。
それを聞いて、正信は嫌な予感がした。お梶には子がいないが、いま家康の寵愛を最も受けている側室である。容姿ばかりか、聡明であるため、今回の戦でも家康の側に仕えている。そんなお梶が、火急の用でこの妻籠に来ているのだ。ただならぬことが起きたのかもしれない。
皮肉なことに、正信の嫌な予感は当たってしまった。二人の前に姿を見せたお梶は、髪が乱れて、左腕には傷を負っている。
「申し訳ございません。裏切った大野治長によって、上様が討ち取られました」
お梶の声が震えている。聞いて正信の頭の中も、真っ白になった。
「私がお側に仕えておきながら、申し訳ございません。昨夜、赤坂の陣所で敵の夜襲を受けました。私が上様に佐和山を抜いて大阪に進軍するという噂を大垣城内に広めるように進言し、その噂に敵も乗り、城を出て西に退いたという知らせを受け、こちらも関が原に向かって進軍を始めたところでした。完全に間隙(かんげき)を突かれてしまいました。私めは、ここで腹を切り、若殿にお詫び申し上げたいと存じます」
そう畏まってお梶は言うと、懐刀を取り出して、それを握り締めた。秀忠は慌てて立ち上がり、彼女の手を抑える。
「待て! その方が腹を切っても、父上は帰ってこぬ。自害は決して許さぬ」
秀忠の言葉に、正信は我に返って、慌てて彼女の身体を取り押さえた。お梶の手から懐刀が落ち、彼女の身体から力が抜けるのが分かった。
「そうです。お梶殿は間違えておりませぬ。そのような作戦を上様に進言したのも、敵を野戦に誘き出し、短時間で決着させるためだったのでしょう。大阪から秀頼公が出陣されたら、厄介なことになりますからな」
正信の言葉に、お梶は力なく頷いた。お梶の華奢な身体を押さえつけている正信の手に、熱いものが落ちているのが分かった。お梶の涙だ。
「しかしながら、裏切った大野治長の手によって、殿の首が敵方に渡ってしまいました。敵が勢いづくのは間違いございませぬ。完全に私の落度でございます」
「よし。ならば父上の弔(とむら)い合戦ぞ。いますぐ美濃へ向かい、大垣と佐和山を落とし、大阪に向かうのだ」
秀忠は立ち上がった。しかし正信の腕の中で、お梶は首を横に振る。
「それはなりませぬ。いま美濃は豊臣恩顧の武将の軍勢で溢れております。ここは一旦、江戸へ退き、態勢を整えるのが肝要かと存じます」
お梶の言葉に、正信も頷いた。いま美濃に飛び込んでしまっては、石田勢だけでなく、徳川に味方していた秀吉子飼いの武将も、多くが敵方になって襲ってくる可能性が高いからだ。
秀忠は唇を噛み締めて、無念の表情で退却を下知した。
大阪城の大広間に、清々しい顔をした大野治長が現れた。家康の首が入った木箱が、治長の手によって、大事に抱えられている。
「お方様。お久しぶりでございます。下総に流罪になって一年間、秀頼公とお方様のことを忘れたことなど、一日たりともございませぬ」
「治長。そなた、よくやったぞ。近(ちこ)う、近う寄って、早よ、内府の首を見せてくれ」
上座の淀君は、いつになく上機嫌である。秀吉が亡くなってからというもの、これだけ機嫌の良い淀君を見るのは、いつも秀頼と淀君母子の側に仕える片桐且元には無かったと思う。「内府を討ち取る」の報が入るまでの淀君は、明らかに不機嫌で、且元にも当たり散らしていた。
それにもまして、淀君お気に入りの治長が、自分のもとに帰ってきたからだと、且元は穿(うが)った目で見ていた。巷(ちまた)で噂されているように、秀頼の父親が秀吉ではなく、治長であったと言われても、且元は納得する。それくらい、淀君は治長のことを気に入っていたし、実際に治長は眉目秀麗な美男子だ。巷の噂というのは、少なくとも秀頼は秀吉の子ではないということである。
その治長が、ちょうど一年前、家康暗殺を謀った。しかしその謀(はかりごと)が家康に密告され、下総国に流罪の身となり、この度はその罪も許され、家康の旗本として参陣していた。そんな治長が、家康の首を持って、大阪に戻ってきたのである。
言われた治長は、深く頭を下げて畏まったあと、立ち上がって上座に近づき、且元の控える前の位置で再び居住まいを正して座って、木箱を丁寧に解いて開けた。淀君は目を輝かせたが、隣に座る幼い秀頼は顔をしかめて、視線を背けた。
「おお。確かに内府の首ぞ。この狸も、まさか首を討たれるなど、夢にも思っていなかっただろうに。太閤殿下(豊臣秀吉のこと)亡き後、おのれの私利私欲に走った罰が当たったのじゃ。良い気味、実に良い気味じゃ。今宵は久々に皆で、祝いの酒を飲もうぞ」
治長は再び平伏(ひれふ)した。いちおうこの場所に且元ばかりか、毛利輝元も控えている。淀君も治長も、二人きりの時は互いの吐息が掛かるくらいに顔を近づけ、睦(むつ)まじく話しているところを、且元は何度か見てしまったことがある。それは秀吉が存命していたときから続いていた。
淀君は隣で縮こまっている秀頼に気付いたようだ。
「ほら。秀頼公もご覧あれ。これがあの憎たらしい、内府の首じゃ。この無様な姿、目蓋(まぶた)の裏によく焼き付けておくのじゃ」
母親に顔を強引に首へと向けられた秀頼は、目を堅く閉じて顔を激しく横に振って、首を見るのを拒絶した。武家に生まれてきたとはいえ、両親から甘やかされて育てられてきたから、それも仕方がないのかもしれない。
「治長。その首をもう収めてくれぬか。そして京の三条河原に晒(さら)しておくれ」
「はっはー」と治長は畏まって、家康の首を木箱の中に収めた。身体を竦(すく)めながらも、秀頼は母親に抱き寄せられて、鼻を鳴らしている。少し泣いていたのかもしれない。
「それで、治長。内府の最期はどんなに無様だったのか、わらわは興味がある。申してみよ」
「はい。内府の軍勢が西に向かって移動し始め、陣所が手薄になったところを、石田、島津隊が夜襲を仕掛け、我らも呼応いたしました。不意を突かれた内府の軍勢は、意外に脆(もろ)く、すぐに内府の陣所に火を放つことができたのでございます」
「その辺のところはもう良い。早よ、内府の最期を申せ」
淀君はすこぶる上機嫌だ。昨日までの淀君なら、且元が同じようにまどろっこしく話を進めたら、頭ごなしに叱責していた。
「はい。内府の近習の者も戦いに出ておりましたので、内府一人でおりました。最初は我らの正面に現れた男が、敵か味方か、炎を背にしていたので暗くて分かりませんので、打ち合わせしておいた合言葉を投げかけましたが、返してきません。敵だと分かりましたが、すぐに炎が広がって、相手の顔が見えました。紛れもありません。彼こそ、内府だったのです」
「それで、それで、どうなったのじゃ?」
淀君は秀頼から手を離して、前のめりの姿勢になった。彼女のつぶらな瞳が、好奇心で輝いている。
「はい。それがしが『彼こそ内府殿だ』と叫ぶと、内府は身体を震わせて、『わしは殿ではない。殿はとっくにこの陣屋から逃げ出した』などと抜かしたのです。『いや、見間違えるはずがない。そのほうこそ、内府殿だ』とそれがしが言うと、『それは治長殿の見間違えではないのか』と返ってきたのです。『どうして、そなた、わしが大野治長と分かったのか? やはりそなたは内府殿だ』と言ってやりました」
「ホホホ。内府はうつけ者よ。大うつけだわ。それで、その後はどうなったのか?」
「はい。その後はそれがしに跪(ひざまず)きました。『どうか、治長殿。わしの命をたすけてくれぬか』と身体を震わせて、命乞いをしたのでございます。それがしは呆れて、『武家の棟梁(とうりょう)らしく、潔く刀を合わせぬか。何なら、それがしが相手になろう』と言ってやりました。そうしたら怖気(おじけ)ついて逃げ出したのでございます。まことに、武士としてあるまじき行為。それでそれがしが背後から斬りつけてやりましてございます」
且元は治長の話が信じられなかった。というより、話半分で聞いている。いくら憎たらしい家康でも、首を取られたからには、ここまで冒涜(ぼうとく)するのは武士道に反する。それに治長は話術に長(た)けている。昔から話を面白おかしく脚色するのがうまい男だ。端正な顔立ちのうえに、話が上手いので、女性からの受けも良い。淀君が彼の虜になってしまっているのも、無理のない話だ。隣に座っている輝元も、どうやら且元と同じで、治長の話を信用していないようだ。顔が笑っていない。
でも淀君は、彼の話を真に受けている。
「ホホホ。命乞いをするとは、女々(めめ)しいこと。狸じじぃ、さぞかし死ぬのが怖かったのであろう。命乞いをして、叶わぬのなら逃げ出すとは。本当に、女々しいじじぃだこと。武士の恥じゃ」
「それで、大野殿」声を掛けたのは輝元だ。治長は輝元に身体を向け、「はい」と畏まった。「その後の美濃の様子はどうであるか?」
且元から見ても、昨日までの輝元の行動は不可解だった。六万の大軍とともに大阪城に入り、西の丸にいた家康の残党を追い出したまでは良かったのだが、大阪から一歩も外に出ない。輝元の率いる六万の大軍が美濃にあれば、合わせて二十万もの大軍となる。そうなれば家康も、のこのこと美濃に進出できなかった。その二十万の大軍で、家康方の多い東海道ではなく、頼りになる真田昌幸のいる東山道を進めば、逆に江戸を攻めることも可能であっただろう。それに会津の上杉、常陸の佐竹などの味方が呼応すれば、いくら堅固な江戸城でも、十年ほど前の小田原のように、内部から崩壊するであろう。それに東海道の諸大名も、大阪方に寝返るのも多く出てくるはずだ。そこには三成憎しの思いだけで家康に付いた、秀吉子飼いの武将が多いからだ。大将が三成ではなく輝元なら、皆も従うはずだ。
輝元の質問に治長が答える。
「はい。家康を討ち取ったことを、すぐに味方に報(しら)せ、敵にも報せました。敵方のうち、細川忠興、池田輝政、田中吉政などはこちら側に付き、福島正則と黒田長政は急遽、兵を清州に退きました。籠城の構えを見せているものと思われます。また松平忠吉(家康の四男)隊と、家康の家臣の井伊直政隊に、南宮山にいた毛利秀元様が襲い掛かっておりまして、おそらく壊滅的な打撃を受けているものと思われます」
輝元は口髭を曲げて頷いた。相変わらず輝元が何を考えているのか、且元には分からない。
治長は再び淀君と秀頼に身体を向けた。
「お方様。恐れながらお願いしたき儀がございます」
「なんじゃ、畏まって。治長、褒美にどこか国が欲しいのか。これで徳川が降伏して、関東ががら空きになるな。どこの国が欲しいか、申してみよ。相模か? それとも上総か? 下総か? いくら何でも武蔵を所望するのは欲張りぞ」
淀君は上機嫌で戯れている。いくら淀君でも、治長の所領を独断で決めることはできない。そもそも家康が居なくなったからといって、徳川が降伏するとは限らないのだ。家中には立派な武将や家臣も多く、関東にはまだ多くの兵が残っている。それに徳川に味方する大名家は、東北を中心にまだ多い。
「そんなことではございませぬ。ぜひ秀頼公をご出陣あそばれるよう、お願い申し上げます。そうすれば、我が方の士気も上がります」
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