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本編:カヌーン魔導王国
お前を愛することはない系夫
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「では、こちらの魔道具をお持ちください。婚儀の夜、自動的に録音録画されます。因みに通常の初夜となれば、自動的に停止して記録削除される優れものですのでご安心を」
「有難くお借りいたしますわ。これでわたくしも我が家も救われます」
イブナ・サーデクは魔道具を受け取り微笑むと、王国特殊法監督局調査課を辞したのであった。
イブナ・サーデクは王国でも古い歴史を持つ侯爵家の令嬢である。数日後に婚儀を控えているが、その顔に花嫁となる喜びは一切ない。
イブナの結婚は貴族にとっては当たり前の政略結婚である。相手はモタガトレス伯爵サウジュ。困窮した侯爵家に援助してもらうための婚姻だ。
数年前に王国を災害が襲った。農業が主要産業である領地は大打撃を受けた。その年に収穫する作物が駄目になっただけではなく、氾濫した河川の土砂が農地に流れ込み、畑を一から作り直さねばならなくなった。村そのものが壊滅に近い被害を受けたところも少なくない。
幸い人的被害は父や領政官が迅速に避難を促したことにより殆どなかった。だが、その分、備蓄していた食料はその年の冬を越すころには底をついた。
侯爵家は代々伝わる家宝数点を除いて、殆どの財物を売り払った。家族皆が衣装や装飾品、蔵書などを売り、最低限の家財を残して金策した。何とかそれで領民の食糧は賄うことが出来た。
しかし、復興にも費用が掛かる。それを捻出する手段はなかった。
そこに手を差し伸べたのが、モタガトレス伯爵だった。成り上がり新興貴族で金満家のモタガトレス伯爵は旧家の血を求めてイブナに求婚したのだ。
初めのうちは両親とも難色を示していた。何しろ侯爵家に子はイブナ一人しかいない。親族を養子に迎えるにしても侯爵家固有魔法を発現できず後嗣にはなれない者しかいない。しかし、交流のある貴族家は何処も侯爵家と同じような被害を受け、とても他家に援助する余裕はない。モタガトレス伯爵が援助可能なのは、彼が大商会経営の実績で叙爵された法衣貴族で領地を持たないからだ。
結局、イブナの第二子を侯爵家の後嗣とすることで侯爵家は援助と引き換えの婚姻を受け入れた。事前に婚姻前契約書を作成し、援助金について、その返済について、後嗣についての取り決めを交わした。
契約内容については殆ど問題がなかった。だが、一点だけ気になる点があり、その項目はイブナが修正を要求した。
修正を要求した項目は『サーデク侯爵家後嗣にはサウジュ・モタガトレスの第二子を据えるものとする』というものだ。これでは母が誰でもいいということになってしまう。ゆえに『サーデク侯爵家後嗣には当該家の直系であるイブナとの第二子を据える者とする』と修正した。
念のため王立法律院所属の弁護士に同席してもらったのも幸いだった。これを修正しなければサインしないようにと弁護士が言ってくれたのも大きい。サウジュの機嫌を損ねれば援助してもらえなくなる。しかし、王立法律院、つまり王家直属の弁護士の言葉には新興貴族では異を唱えることすら出来なかった。
モタガトレス家からの帰宅途中、弁護士は特殊法監督局に事前相談しておいた方がいいと紹介状も書いてくれた。更に弁護士は『モタガトレス伯爵の言動によっては、この婚姻が無効になってもお家を救うことが出来ると思いますよ』と言った。そして、監督局に相談に行く前に特殊法を読み込んだイブナは生家を救えることを確信したのだった。
そうして訪れた婚姻の日。
結婚式も披露の夜会も伯爵家にしては盛大に行われた。豪奢な飾りつけの会場に贅沢な料理は金に飽かせただけはあるが、サウジュの人間性を示すような品性のないものだった。招待客も上位貴族は実家の他は極めて親しい数家だけで、ほとんどは下位貴族ですらない、サウジュの友人たちだった。場末の酒場のようなパーティに数少ない貴族たちは眉を顰め、イブナに大いに同情した。
余りに下品なパーティに貴族たちは早々に伯爵家を辞した。居た堪れないイブナも両親を早めに帰宅させ、自分は宛がわれた伯爵夫人の部屋へと辞した。
そこは当主夫人の部屋とは思えない、みすぼらしい部屋だった。恐らく物置を適当に掃除して最低限の家具だけを配置したのだろう。
「まぁ、呆れた。予想通りでございますね」
実家から連れてきた侍女が心底呆れ果てたように言う。伯爵には専属侍女と言っているが、実は特殊法監督局の調査官である。
「ええ、馬鹿にするにも程がありますわね。恐らく初夜はないでしょうが、そうなると捕縛に至るまでに時間がかかってしまうかもしれませんわ」
上手く行けば今夜で片が付くかとも思っていたが、特殊法成立以前の古典恋愛小説のように初夜に『お前を愛することはない』宣言は期待できないようだ。宣言してくれれば、そこから煽るなりなんなりしてしっかり言質を取って捕縛する予定だったのだが。
「お湯殿もございませんし、とても正夫人の扱いではございません。一先ず証拠の映像はしっかりと記録しておりますのでご安心を」
調査官は伯爵家の執事がこの部屋を伯爵夫人の私室として案内したところからしっかりと記録映像に残している。上位貴族出身の正式な妻を不当に扱い蔑んでいることの明確な証拠だ。
「調査官殿には数日は侍女の振りをしていただかないとなりませんわね。申し訳ございません」
まぁ、明日にでも初夜が行われなかったことを責め立てて伯爵がぼろを出すように挑発してみようとイブナは思った。
だが、それは不要だった。そろそろ休もうかと夜着に着替えようとしたところで突然ドアが開き、サウジュが部屋に入ってきたのだ。ノックもなく許しも得ずに入ってくるあたり、品性下劣なのは間違いないとイブナは嫌悪感を抱いた。おまけにサウジュは一人ではなく、場末の娼婦のような派手で露出度の高い下品なドレスを着た女を伴っていた。しかも女はサウジュに体を密着させ、サウジュは女の腰を抱いている。
ああ、これが調査書にあった愛人かとイブナは納得した。品性下劣なサウジュとはとてもお似合いだと。
「おい、イブナ! てめぇはこれからここで過ごせ! 自分は伯爵夫人だなんて思うんじゃねぇぞ! てめぇはお飾りだ! 俺が愛してんのはこいつ、パビーブだけだ! てめぇはパビーブが二人産むまでのお飾りだからな!」
頭の悪い言葉遣いで、頭の悪いことを言うサウジュにイブナも調査官も呆れた。伯爵位叙爵はサウジュの代だが、それに至る功績は彼の父が為したもので、運営する商会もサウジュは名ばかりの会頭だ。それがはっきりと判るサウジュの発言だった。
サウジュの言葉を受けて、調査官は取締課への通報魔法を発動している。ほどなく取締官たちが突入してくるだろう。それまで多少の時間を稼ぐために調査官はイブナに目配せした。
「あら、でしたら、婚前契約はどうなりまして? 実家のサーデク侯爵家はわたくしの第二子が継ぐことになっておりますのに、あなたのお言葉からはわたくしと子づくりなさる気はなさそうですわね?」
明らかに蔑んだ視線と声調でイブナは問いかける。
「決まってんだろ! パビーブが産んだ子をお前の子ってことにして侯爵家を継がせるんだよ!」
「あらあら。それはお家乗っ取りですわよ」
呆れたと言わんばかりにイブナは溜息を付く。そんな彼女に調査官は取締官がドアの向こうに到着した旨をハンドサインで伝える。事前に取り決めをしていたサインだ。取締官は転移魔法を使って伯爵家に入り込んでいたのだ。ついでに一緒に転移してきた王国騎士団によって使用人や宿泊客は無力化されている。
「はん! だからなんだってんだ。パビーブが産んだ子供をお前の子供として届けりゃ問題ねぇだろ!」
冷静なイブナに苛立ちながらサウジュはそれでも彼女を馬鹿にするように言う。
「ですから、それは無理ですわ。本当にあなた、愚かですわね。領地持ち貴族の出産には必ず、特殊法監督局から産婆が派遣されますのよ。ちゃんとその家の夫人が出産するのかを見届けるためにね。それに後日王城に召喚されて監督局所属神官によって、父母ともに親子鑑定が行われますの。監督局の職員ですから、買収は出来ませんし、権力にも屈しませんわよ」
貴族であれば常識である。かつての貴族が色々とやらかした結果、貴族は必ず監督局立会いの下で出産しなければならない。稀に早産などで監督局立会いが間に合わない案件もあったことから、監督局は自前の産婆を養成し、産科医院を所有している。
更にそれでも誤魔化そうとする往生際の悪い貴族がいたことから、出産後十日で王城に父母と生まれた子供が召喚され、神官による親子判定が行われるのだ。国王や王国魔導士長も立ち会うことから、愛人を妻或いは夫として連れてくることも不可能だ。
ここまで厳格な措置が取られていることを考えると、過去のやらかしは一体どんなものだったのかと恐ろしくなる。
「あなたは数年前まで貴族ではなかったから、まともに特殊法を学んではいらっしゃらないのね。貴族であれば常識ですわ。魔力を受け継ぎ、その家の魔法によって領地領民を守る貴族は血筋を何よりも尊びますの。だからこそ、婚姻に関して特殊法はとても厳しいのです」
貴族の家を継ぐのは直系子女と決まっている。それは旧家といわれる領地持ちの貴族家にはそれぞれ固有魔法が伝承されているからだった。だから絶対にお家乗っ取りが許されることはなく、企んだ者は死罪となるのである。
なお、領地を持たない法衣貴族は固有魔法を持たずそこまで厳格に取り締まる必要はない。ゆえに今回のように領地持ち貴族の継承に関わる案件でなければ、出産の立ち合いも親子鑑定も行われない。因みに法衣貴族は問題があればあっさりとお取り潰しになる。
初めて聞く話にサウジュは言葉もない。まさかそんな決まりがあるなんて知らなかった。簡単に乗っ取りが出来ると思っていた。パビーブも簡単に伯爵夫人になれると思っていたし(子供二人が生まれイブナを亡き者にしたら再婚する予定だった)、いずれは侯爵の母になれると思っていたのだ。二人とも浅はかとしか言いようがない。
「さて、取締官様方、お待たせいたしまして申し訳ございません。どうぞ、罪人どもを連行してくださいませ」
イブナは呆然としているサウジュとパビーブに冷たい眼を向けると、ドアの向こうに控えている取締官に声をかけたのだった。
監督局に連行されたサウジュは特殊法違反で処罰されることになった。
サウジュは王国特殊法 第二章貴族編 第二項 第五百十一条 婚前契約不履行、第五百七十三条 婚姻前よりの不貞、第五百八十四条 白い結婚詐欺、第六百一条 姻族乗っ取り未遂、第六百九条 出生虚偽申告未遂の罪に問われている。
愛人のパビーブは第五百七十三条、第六百一条、第六百九条の共犯だ。パビーブは平民なので王国特殊法 第三章平民編で該当する罪はない。
王国特殊法は王族貴族の血筋を守る、高貴なる者の務めを果たす、という二点を重視している法律なので、平民編はあまり制定されていないのである。
これらの罪によって、サウジュは貴族籍剥奪、サウジュしかいないモタガトレス伯爵家は取り潰しとなった。そのうえでサーデク侯爵家乗っ取り未遂によって死刑。パビーブは共犯であり、平民が貴族夫人の地位を騙ろうとしたこともあって同じく死刑となった。
また、それ以前に、婚姻前契約不履行・婚姻前よりの不貞・白い結婚詐欺の慰謝料及び賠償金に支払いも命じられ、婚姻契約の際の援助金の数倍の金額がサーデク侯爵家に支払われた。なお、婚姻無効により援助金返還が求められるところではあるが、無効になった理由がモタガトレス伯爵家にあるため、援助金返還無用との判断が下った。正確には賠償金の一部として返還不要とされたのである。因みに残ったモタガトレス伯爵家の財産は全て国庫へ納められている。
サウジュが会頭を務めていた商会については、サウジュが捕縛されたのと同時にサウジュを会頭から解任、副会頭が新会頭となり、モタガトレス伯爵家とは無関係との立場を取った。しかし、それが何事もなく認められるはずもなく、騎士団及び商務省の監査を受けることとなった。商会そのものには問題はなかったが、ここでサウジュの横領が発覚し、国庫に納められる予定の財産から横領分の返還が為された。
「元モタガトレス伯爵についての処分はこのようになりました」
全ての処分を終え、イブナと両親は監督局の取締官から説明を受けた。
「この法律があって助かりましたわ。我が家は支援を受ける立場でしたから、あんな男の下種な申し出も甘んじて受けなければならないところでした」
話を聞き終えたイブナはそう言って微笑む。高位貴族らしい、内心を全く悟らせない完璧な笑みだ。だが、彼女が心から満足していることを百戦錬磨の取締官は見抜いていた。
確かに特殊法がなかった時代には援助と引き換えの婚姻であれば仮令婚家よりも上位貴族であっても立場は弱く、白い結婚もお飾り妻も受け入れざるを得なかっただろう。乗っ取りに関しては最後まで抵抗はしただろうが、援助金返済が終わるまでは有効な手が打てたかどうかは疑問だ。
しかし、特殊法に明確にそれらに対する罰則が定められ貴族間では犯罪であると規定されたことによって、逆転が可能となったのだ。
「ですが、この法律のおかげで無事に婚姻を無効に出来ましたし、賠償金と慰謝料を得ることも出来ました。援助を受けた分も返還しなくて済みましたし。これで領地も救われますわ」
穏やかに微笑む侯爵一家を見ていると、寧ろこれを狙ってこの一家はモタガトレス伯爵との婚姻を受け入れたのではないかと取締官は邪推した。そう、邪推なはずだ。名門旧家の侯爵家だ。魑魅魍魎跋扈する宮廷を約千年に亘り生き抜いている家だ。邪推が的外れでなかったとしても不思議ではない。
だが、賢明にも取締官は気付かなかったことにした。領地持ち貴族は国の根幹を支えているのだ。反逆罪でもない限り、深入りしないほうが長生きできるというものだ。
「この度は大変お世話になりました。わたくしどもでお役に立てることがございましたら、いつでもお声がけくださいませ」
次期侯爵らしい食えない笑みを浮かべてそう告げるイブナに、取締官も同様の笑みを浮かべてご厚意有難く頂戴しますと頭を下げたのであった。
今回の王国特殊法
第二項 第五百十一条 婚前契約不履行
婚姻前契約を結び特に罰則の定めがない場合、契約内容を履行しなかった者を有責として離婚が認められる。また、有責者は不履行の賠償金を元配偶者に支払うものとする。
第二項 第五百七十三条 婚姻前よりの不貞
貴族の婚姻は両家の血を結び付ける契約であり、婚姻前からの不貞はその契約を侵すものである。また、正式な婚姻関係にある夫婦の嫡出子が生まれる以前の不貞も同様に婚姻契約を侵すものである。よってこれらに反したものは処罰対象となる。
第二項 第五百八十四条 白い結婚詐欺
子を生すための夫婦関係を築かぬ婚姻は貴族家において有り得べからざるものである。子づくりをせぬ夫婦は、それを主導したものを有責とし、婚姻を無効とする。また、有責者は婚姻契約における詐欺行為を働いたものと見做す。なお、年齢等により当面白い結婚となる旨婚姻前契約書に明記してある場合は不問とするが、明記された期間を超えて白い結婚が継続している場合は罪に問われることとなる。
第二項 第六百一条 姻族乗っ取り
仮令婚姻関係にあろうともその家の血を引かぬ者が爵位を継承することは出来ない。これを画策する者は貴族家乗っ取りとなる。また、直系が幼く中継ぎとして爵位継承を望む場合は代行としての一時的権限預かりとなり、非直系者への爵位の継承は認めない。
第二項 第六百九条 出生虚偽申告未遂
父母のどちらかを偽り出生を届けることは、貴族家の血の流れを偽ることであり、お家乗っ取りを画策すると見做される。庶子を嫡出子と偽ることは固く禁じる。
「有難くお借りいたしますわ。これでわたくしも我が家も救われます」
イブナ・サーデクは魔道具を受け取り微笑むと、王国特殊法監督局調査課を辞したのであった。
イブナ・サーデクは王国でも古い歴史を持つ侯爵家の令嬢である。数日後に婚儀を控えているが、その顔に花嫁となる喜びは一切ない。
イブナの結婚は貴族にとっては当たり前の政略結婚である。相手はモタガトレス伯爵サウジュ。困窮した侯爵家に援助してもらうための婚姻だ。
数年前に王国を災害が襲った。農業が主要産業である領地は大打撃を受けた。その年に収穫する作物が駄目になっただけではなく、氾濫した河川の土砂が農地に流れ込み、畑を一から作り直さねばならなくなった。村そのものが壊滅に近い被害を受けたところも少なくない。
幸い人的被害は父や領政官が迅速に避難を促したことにより殆どなかった。だが、その分、備蓄していた食料はその年の冬を越すころには底をついた。
侯爵家は代々伝わる家宝数点を除いて、殆どの財物を売り払った。家族皆が衣装や装飾品、蔵書などを売り、最低限の家財を残して金策した。何とかそれで領民の食糧は賄うことが出来た。
しかし、復興にも費用が掛かる。それを捻出する手段はなかった。
そこに手を差し伸べたのが、モタガトレス伯爵だった。成り上がり新興貴族で金満家のモタガトレス伯爵は旧家の血を求めてイブナに求婚したのだ。
初めのうちは両親とも難色を示していた。何しろ侯爵家に子はイブナ一人しかいない。親族を養子に迎えるにしても侯爵家固有魔法を発現できず後嗣にはなれない者しかいない。しかし、交流のある貴族家は何処も侯爵家と同じような被害を受け、とても他家に援助する余裕はない。モタガトレス伯爵が援助可能なのは、彼が大商会経営の実績で叙爵された法衣貴族で領地を持たないからだ。
結局、イブナの第二子を侯爵家の後嗣とすることで侯爵家は援助と引き換えの婚姻を受け入れた。事前に婚姻前契約書を作成し、援助金について、その返済について、後嗣についての取り決めを交わした。
契約内容については殆ど問題がなかった。だが、一点だけ気になる点があり、その項目はイブナが修正を要求した。
修正を要求した項目は『サーデク侯爵家後嗣にはサウジュ・モタガトレスの第二子を据えるものとする』というものだ。これでは母が誰でもいいということになってしまう。ゆえに『サーデク侯爵家後嗣には当該家の直系であるイブナとの第二子を据える者とする』と修正した。
念のため王立法律院所属の弁護士に同席してもらったのも幸いだった。これを修正しなければサインしないようにと弁護士が言ってくれたのも大きい。サウジュの機嫌を損ねれば援助してもらえなくなる。しかし、王立法律院、つまり王家直属の弁護士の言葉には新興貴族では異を唱えることすら出来なかった。
モタガトレス家からの帰宅途中、弁護士は特殊法監督局に事前相談しておいた方がいいと紹介状も書いてくれた。更に弁護士は『モタガトレス伯爵の言動によっては、この婚姻が無効になってもお家を救うことが出来ると思いますよ』と言った。そして、監督局に相談に行く前に特殊法を読み込んだイブナは生家を救えることを確信したのだった。
そうして訪れた婚姻の日。
結婚式も披露の夜会も伯爵家にしては盛大に行われた。豪奢な飾りつけの会場に贅沢な料理は金に飽かせただけはあるが、サウジュの人間性を示すような品性のないものだった。招待客も上位貴族は実家の他は極めて親しい数家だけで、ほとんどは下位貴族ですらない、サウジュの友人たちだった。場末の酒場のようなパーティに数少ない貴族たちは眉を顰め、イブナに大いに同情した。
余りに下品なパーティに貴族たちは早々に伯爵家を辞した。居た堪れないイブナも両親を早めに帰宅させ、自分は宛がわれた伯爵夫人の部屋へと辞した。
そこは当主夫人の部屋とは思えない、みすぼらしい部屋だった。恐らく物置を適当に掃除して最低限の家具だけを配置したのだろう。
「まぁ、呆れた。予想通りでございますね」
実家から連れてきた侍女が心底呆れ果てたように言う。伯爵には専属侍女と言っているが、実は特殊法監督局の調査官である。
「ええ、馬鹿にするにも程がありますわね。恐らく初夜はないでしょうが、そうなると捕縛に至るまでに時間がかかってしまうかもしれませんわ」
上手く行けば今夜で片が付くかとも思っていたが、特殊法成立以前の古典恋愛小説のように初夜に『お前を愛することはない』宣言は期待できないようだ。宣言してくれれば、そこから煽るなりなんなりしてしっかり言質を取って捕縛する予定だったのだが。
「お湯殿もございませんし、とても正夫人の扱いではございません。一先ず証拠の映像はしっかりと記録しておりますのでご安心を」
調査官は伯爵家の執事がこの部屋を伯爵夫人の私室として案内したところからしっかりと記録映像に残している。上位貴族出身の正式な妻を不当に扱い蔑んでいることの明確な証拠だ。
「調査官殿には数日は侍女の振りをしていただかないとなりませんわね。申し訳ございません」
まぁ、明日にでも初夜が行われなかったことを責め立てて伯爵がぼろを出すように挑発してみようとイブナは思った。
だが、それは不要だった。そろそろ休もうかと夜着に着替えようとしたところで突然ドアが開き、サウジュが部屋に入ってきたのだ。ノックもなく許しも得ずに入ってくるあたり、品性下劣なのは間違いないとイブナは嫌悪感を抱いた。おまけにサウジュは一人ではなく、場末の娼婦のような派手で露出度の高い下品なドレスを着た女を伴っていた。しかも女はサウジュに体を密着させ、サウジュは女の腰を抱いている。
ああ、これが調査書にあった愛人かとイブナは納得した。品性下劣なサウジュとはとてもお似合いだと。
「おい、イブナ! てめぇはこれからここで過ごせ! 自分は伯爵夫人だなんて思うんじゃねぇぞ! てめぇはお飾りだ! 俺が愛してんのはこいつ、パビーブだけだ! てめぇはパビーブが二人産むまでのお飾りだからな!」
頭の悪い言葉遣いで、頭の悪いことを言うサウジュにイブナも調査官も呆れた。伯爵位叙爵はサウジュの代だが、それに至る功績は彼の父が為したもので、運営する商会もサウジュは名ばかりの会頭だ。それがはっきりと判るサウジュの発言だった。
サウジュの言葉を受けて、調査官は取締課への通報魔法を発動している。ほどなく取締官たちが突入してくるだろう。それまで多少の時間を稼ぐために調査官はイブナに目配せした。
「あら、でしたら、婚前契約はどうなりまして? 実家のサーデク侯爵家はわたくしの第二子が継ぐことになっておりますのに、あなたのお言葉からはわたくしと子づくりなさる気はなさそうですわね?」
明らかに蔑んだ視線と声調でイブナは問いかける。
「決まってんだろ! パビーブが産んだ子をお前の子ってことにして侯爵家を継がせるんだよ!」
「あらあら。それはお家乗っ取りですわよ」
呆れたと言わんばかりにイブナは溜息を付く。そんな彼女に調査官は取締官がドアの向こうに到着した旨をハンドサインで伝える。事前に取り決めをしていたサインだ。取締官は転移魔法を使って伯爵家に入り込んでいたのだ。ついでに一緒に転移してきた王国騎士団によって使用人や宿泊客は無力化されている。
「はん! だからなんだってんだ。パビーブが産んだ子供をお前の子供として届けりゃ問題ねぇだろ!」
冷静なイブナに苛立ちながらサウジュはそれでも彼女を馬鹿にするように言う。
「ですから、それは無理ですわ。本当にあなた、愚かですわね。領地持ち貴族の出産には必ず、特殊法監督局から産婆が派遣されますのよ。ちゃんとその家の夫人が出産するのかを見届けるためにね。それに後日王城に召喚されて監督局所属神官によって、父母ともに親子鑑定が行われますの。監督局の職員ですから、買収は出来ませんし、権力にも屈しませんわよ」
貴族であれば常識である。かつての貴族が色々とやらかした結果、貴族は必ず監督局立会いの下で出産しなければならない。稀に早産などで監督局立会いが間に合わない案件もあったことから、監督局は自前の産婆を養成し、産科医院を所有している。
更にそれでも誤魔化そうとする往生際の悪い貴族がいたことから、出産後十日で王城に父母と生まれた子供が召喚され、神官による親子判定が行われるのだ。国王や王国魔導士長も立ち会うことから、愛人を妻或いは夫として連れてくることも不可能だ。
ここまで厳格な措置が取られていることを考えると、過去のやらかしは一体どんなものだったのかと恐ろしくなる。
「あなたは数年前まで貴族ではなかったから、まともに特殊法を学んではいらっしゃらないのね。貴族であれば常識ですわ。魔力を受け継ぎ、その家の魔法によって領地領民を守る貴族は血筋を何よりも尊びますの。だからこそ、婚姻に関して特殊法はとても厳しいのです」
貴族の家を継ぐのは直系子女と決まっている。それは旧家といわれる領地持ちの貴族家にはそれぞれ固有魔法が伝承されているからだった。だから絶対にお家乗っ取りが許されることはなく、企んだ者は死罪となるのである。
なお、領地を持たない法衣貴族は固有魔法を持たずそこまで厳格に取り締まる必要はない。ゆえに今回のように領地持ち貴族の継承に関わる案件でなければ、出産の立ち合いも親子鑑定も行われない。因みに法衣貴族は問題があればあっさりとお取り潰しになる。
初めて聞く話にサウジュは言葉もない。まさかそんな決まりがあるなんて知らなかった。簡単に乗っ取りが出来ると思っていた。パビーブも簡単に伯爵夫人になれると思っていたし(子供二人が生まれイブナを亡き者にしたら再婚する予定だった)、いずれは侯爵の母になれると思っていたのだ。二人とも浅はかとしか言いようがない。
「さて、取締官様方、お待たせいたしまして申し訳ございません。どうぞ、罪人どもを連行してくださいませ」
イブナは呆然としているサウジュとパビーブに冷たい眼を向けると、ドアの向こうに控えている取締官に声をかけたのだった。
監督局に連行されたサウジュは特殊法違反で処罰されることになった。
サウジュは王国特殊法 第二章貴族編 第二項 第五百十一条 婚前契約不履行、第五百七十三条 婚姻前よりの不貞、第五百八十四条 白い結婚詐欺、第六百一条 姻族乗っ取り未遂、第六百九条 出生虚偽申告未遂の罪に問われている。
愛人のパビーブは第五百七十三条、第六百一条、第六百九条の共犯だ。パビーブは平民なので王国特殊法 第三章平民編で該当する罪はない。
王国特殊法は王族貴族の血筋を守る、高貴なる者の務めを果たす、という二点を重視している法律なので、平民編はあまり制定されていないのである。
これらの罪によって、サウジュは貴族籍剥奪、サウジュしかいないモタガトレス伯爵家は取り潰しとなった。そのうえでサーデク侯爵家乗っ取り未遂によって死刑。パビーブは共犯であり、平民が貴族夫人の地位を騙ろうとしたこともあって同じく死刑となった。
また、それ以前に、婚姻前契約不履行・婚姻前よりの不貞・白い結婚詐欺の慰謝料及び賠償金に支払いも命じられ、婚姻契約の際の援助金の数倍の金額がサーデク侯爵家に支払われた。なお、婚姻無効により援助金返還が求められるところではあるが、無効になった理由がモタガトレス伯爵家にあるため、援助金返還無用との判断が下った。正確には賠償金の一部として返還不要とされたのである。因みに残ったモタガトレス伯爵家の財産は全て国庫へ納められている。
サウジュが会頭を務めていた商会については、サウジュが捕縛されたのと同時にサウジュを会頭から解任、副会頭が新会頭となり、モタガトレス伯爵家とは無関係との立場を取った。しかし、それが何事もなく認められるはずもなく、騎士団及び商務省の監査を受けることとなった。商会そのものには問題はなかったが、ここでサウジュの横領が発覚し、国庫に納められる予定の財産から横領分の返還が為された。
「元モタガトレス伯爵についての処分はこのようになりました」
全ての処分を終え、イブナと両親は監督局の取締官から説明を受けた。
「この法律があって助かりましたわ。我が家は支援を受ける立場でしたから、あんな男の下種な申し出も甘んじて受けなければならないところでした」
話を聞き終えたイブナはそう言って微笑む。高位貴族らしい、内心を全く悟らせない完璧な笑みだ。だが、彼女が心から満足していることを百戦錬磨の取締官は見抜いていた。
確かに特殊法がなかった時代には援助と引き換えの婚姻であれば仮令婚家よりも上位貴族であっても立場は弱く、白い結婚もお飾り妻も受け入れざるを得なかっただろう。乗っ取りに関しては最後まで抵抗はしただろうが、援助金返済が終わるまでは有効な手が打てたかどうかは疑問だ。
しかし、特殊法に明確にそれらに対する罰則が定められ貴族間では犯罪であると規定されたことによって、逆転が可能となったのだ。
「ですが、この法律のおかげで無事に婚姻を無効に出来ましたし、賠償金と慰謝料を得ることも出来ました。援助を受けた分も返還しなくて済みましたし。これで領地も救われますわ」
穏やかに微笑む侯爵一家を見ていると、寧ろこれを狙ってこの一家はモタガトレス伯爵との婚姻を受け入れたのではないかと取締官は邪推した。そう、邪推なはずだ。名門旧家の侯爵家だ。魑魅魍魎跋扈する宮廷を約千年に亘り生き抜いている家だ。邪推が的外れでなかったとしても不思議ではない。
だが、賢明にも取締官は気付かなかったことにした。領地持ち貴族は国の根幹を支えているのだ。反逆罪でもない限り、深入りしないほうが長生きできるというものだ。
「この度は大変お世話になりました。わたくしどもでお役に立てることがございましたら、いつでもお声がけくださいませ」
次期侯爵らしい食えない笑みを浮かべてそう告げるイブナに、取締官も同様の笑みを浮かべてご厚意有難く頂戴しますと頭を下げたのであった。
今回の王国特殊法
第二項 第五百十一条 婚前契約不履行
婚姻前契約を結び特に罰則の定めがない場合、契約内容を履行しなかった者を有責として離婚が認められる。また、有責者は不履行の賠償金を元配偶者に支払うものとする。
第二項 第五百七十三条 婚姻前よりの不貞
貴族の婚姻は両家の血を結び付ける契約であり、婚姻前からの不貞はその契約を侵すものである。また、正式な婚姻関係にある夫婦の嫡出子が生まれる以前の不貞も同様に婚姻契約を侵すものである。よってこれらに反したものは処罰対象となる。
第二項 第五百八十四条 白い結婚詐欺
子を生すための夫婦関係を築かぬ婚姻は貴族家において有り得べからざるものである。子づくりをせぬ夫婦は、それを主導したものを有責とし、婚姻を無効とする。また、有責者は婚姻契約における詐欺行為を働いたものと見做す。なお、年齢等により当面白い結婚となる旨婚姻前契約書に明記してある場合は不問とするが、明記された期間を超えて白い結婚が継続している場合は罪に問われることとなる。
第二項 第六百一条 姻族乗っ取り
仮令婚姻関係にあろうともその家の血を引かぬ者が爵位を継承することは出来ない。これを画策する者は貴族家乗っ取りとなる。また、直系が幼く中継ぎとして爵位継承を望む場合は代行としての一時的権限預かりとなり、非直系者への爵位の継承は認めない。
第二項 第六百九条 出生虚偽申告未遂
父母のどちらかを偽り出生を届けることは、貴族家の血の流れを偽ることであり、お家乗っ取りを画策すると見做される。庶子を嫡出子と偽ることは固く禁じる。
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