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「またですのね」
知らせにきた侍従に罪はないとはいえ、呆れを含んだ目で見てしまうのは仕方ないと思ってほしいところですわ。
本日はフェルゼンシュタイン大公殿下主催の夜会が行われます。わたくしどもベーレンドルフ侯爵家も招かれており、わたくしは婚約者ウーヴェのエスコートを受ける予定になっておりましたのよ。
それなのに、直前になってヤスミーン王女殿下の護衛のため参加できないとの連絡。馬鹿じゃないかしら。
夜会がありエスコートしてほしいことは一か月以上前に連絡済みでウーヴェからも了承の返事はもらっておりました。また、ヤスミーン殿下の護衛スケジュールは三か月前には決まりますから、当然、ウーヴェはヤスミーン殿下の護衛の日ではないことを承知の上でエスコートを了承したことになります。
恐らく、直前になってヤスミーン殿下がウーヴェを護衛に指名したのでしょうね。そして、ウーヴェはそれを断らなかった。断る権利、ありますのにね。よほどの公式行事ではない限り、急な護衛の交代は断ることが出来ますのよ。彼が一騎当千の強兵であるならばともかく、お飾りの近衛隊と称される王女殿下直属部隊に過ぎないのですもの。
「お父様、進めてくださいませ」
愛想も尽き果てましたわ。婚約破棄いたしましょう。
わたくしベーレンドルフ侯爵が一子アストリットと彼デングラー侯爵家次男ウーヴェの婚約が結ばれたのはわたくしが十歳、彼が十二歳のときでした。我が家にとってこれといった政略的な旨味があるわけでもなく、可もなく不可もないという相手でした。あちらにしてみても具体的な利はないものの、筆頭侯爵家と縁を持てるという程度の旨味。祖母同士が従姉妹という関係から何となくといううすぼんやりとした理由で結ばれた婚約でございました。
そして十五歳になり学院に入る段になって、何故かウーヴェは騎士科へ入学しました。『俺は次男で継ぐ爵位がないから、近衛騎士になって自力で爵位を得る!』とかなんとか。
そのとき初めてわたくしは彼との婚約解消を意識しましたの。継ぐ爵位、ありますわよね。確かにデングラー侯爵位は継げませんけれど、デングラー侯爵家には従属爵位がございますから、子爵位と男爵位をいくつかお持ちです。それにそもそも彼はわたくしの家に入り婿として入るのですから、彼自身には爵位など必要ありませんのに。もしかして入り婿になることを理解していないのかしらと不信感を抱いても仕方ありませんわ。
学院にだって、当主であり領主であり侯爵となるわたくしの補佐をするための領政科へ入学するように言われていたはずです。あら、これ、婚姻前契約不履行になりませんかしら。
両親とも話し合って婚約の白紙化をしようと思いましたのに、祖母が大反対して取り敢えず様子見となってしまいましたわ。とっても不本意でしたけれど。まぁ、お父様もお母様も呆れ果て、彼の役目は種馬限定とし、我が侯爵家の運営には一切関わらせない方針が定まりました。
ウーヴェは見た目だけは完璧な貴公子でしたから、どこぞでヤスミーン王女殿下の目に留まったらしく、卒業と同時にヤスミーン殿下直属の近衛隊への入隊が決まりました。彼は自分の実力が認められて引き抜かれたのだと自慢げにしておりましたけれど、ヤスミーン殿下直属近衛隊はヤスミーン殿下の私兵であって、王国の近衛騎士ではありません。そんなことも理解していないようで頭が痛くなりました。
当然婚約の白紙化について動こうとしましたが、我が家の祖母とあちらのご意向でわたくしが卒業する二年後までは様子を見るということになりましたの。
まぁ、それまでは一応婚約者としての行いは許容範囲でしたしね。ちゃんとお茶会も行いましたし、夜会のエスコートもしてくれましたし、折に触れての贈り物もございました。明らかに母君のデングラー侯爵夫人が選んだであろう品ではございましたけれど、ちゃんとカードは彼の筆跡でしたのでお母様の助言を得たのだろうと納得できましたしね。
ですが、ヤスミーン殿下の近衛隊に入ってからは徐々に許容範囲を超えることが起きるようになりました。まず、お茶会がなくなりました。正確にはお茶会はあるものの直前にキャンセルになります。やがてそれは連絡なしのキャンセルとなりました。夜会のエスコートも同様です。おまけに婚約者の義務である夜会のドレスも贈られてこなくなりました。
因みに夜会のドレスは全ての夜会に対して贈らねばならないわけではございません。我が国では年に二回社交シーズン初めと終わりの夜会の際に婚約者にドレスを贈るのが貴族の暗黙のルールでございます。財力のある殿方や婚約者を大切になさる殿方は毎回贈る方もいらっしゃるようですが。
そう致しますと、徐々に不愉快な噂が流れるようになりました。可憐な王女殿下と麗しの騎士の真実の愛だとか、それを邪魔する侯爵令嬢だとか。下位貴族を中心にそんな噂が出回っておりましたの。当然、そんな噂を放置するわけもございませんから、我が家の寄り子貴族たちが対処しておりましたわ。対処も出来ずに傍観或いは楽しんでいた寄子にはそれなりの対処も当然ながら致しました。
まともな寄子たちがした対処は真っ向から否定するのではなく、やんわりとそれが王族を馬鹿にしていると取られるのではないかと注意を促すことでした。
まず、恋愛の噂が出るような年齢の王女殿下であるのに、婚約者がいないこと。つまりそれは婚約者を定められないほどの問題があると思われること。何しろ当該王女の妹姫たちは皆さま婚約者がいらっしゃいますから。そんな王女だと噂していることになってしまいますよ、とやんわりとご忠告いたしましたの。
次に当該騎士の婚約は彼が王女殿下と出会うよりも遥か前に結ばれていること。つまり、横恋慕したのは王女であって、二人が恋人関係であるとすればそれは不貞に他ならないということ。不貞を容認するのだと認めてしまわれるのですか、だとしたら、ご主人や奥様、婚約者様が浮気なさってもお認めになるのですね、なんて寛大な御方でしょう!と持ち上げれば、お顔を引きつらせて不貞は良くありませんわねぇと笑っておられました。
そして、これが肝になるのですが、そんな二人を諫めることなく放置してる王家は筆頭侯爵家を軽んじていることになるということ。国家の重鎮たる筆頭侯爵家にこの扱いなのであれば、それより格の低い、或いは重職にない貴族家の扱いは推して知るべしということになりますわよね。当然そのままでは王家批判になってしまいますから、そうとられかねない噂をするのは良くありませんわよねぇという流れですわね。
そういった対処をしていた寄子や分家は大層優秀ですわ。実際に動いた令息令嬢はわたくしが侯爵となったときに有能な側近となってくれるでしょう。頼もしいかぎりです。
なお、高位貴族の社交界では噂はあるものの、ヤスミーン殿下やウーヴェに全く好意的ではなく、初めからわたくしに対して同情的でしたわね。まぁ、あんな婚約者でお気の毒にといった侮りはございましたけれど。そこはやはり分家や寄子が『令嬢が優秀なので、入り婿に求めるのは種馬としての働きだけ』『要は種馬なのだから容姿さえよければよい』と彼やご家族にとってはかなり腹立たしいことを言っては周囲に『それもそうだ』と納得されておりましたわね。
さて、そんな状況を一年も我慢しておりましたもの。そろそろ彼に引導を渡すことにいたしましょうか。お約束の二年には一年早いですけれど、状況が変わるとは思えませんし、悪化することはあれ改善はしないでしょうから。一年早いことも含めてあちらにもご納得いただかねばなりませんわね。
大体、学院を卒業するまで待って婚約破棄すれば、わたくしの次の婚約が遅くなりますもの。子を産んで育てることを考えると早めに動くのが肝要ですわよね。愚か者のために更に一年待つ必要性など微塵も感じませんわ。
エスコートを直前に断られた大公家の夜会から三日後、無事にわたくしの婚約は相手の不貞と婚約者の義務を果たしていないとして、ウーヴェ有責で破棄されました。
ウーヴェは婚約破棄について納得せず大騒ぎしていたようですけれど、あの方あんなに頭の弱い方だったかしら。王女殿下直属の近衛隊に入ってから、何一つ婚約者の義務を果たしていなかったのに。茶会や夜会に護衛とは名ばかりの距離でヤスミーン殿下をエスコートしておきながら不貞ではないなんて主張はご自分とお仲間の間でしか通じない非常識ですのにね。
あちらのデングラー侯爵家でも何度も何度もこのままでは婚約破棄となるからと諫めておられたのに、それを全く聞かなかったのはウーヴェ。王女殿下の騎士だから問題ないと理由にもならない理由を告げていたようですわ。ヤスミーン殿下の直属近衛隊は飽くまで私兵集団であって、公的な身分は何もないのに。つまり、彼は卒業からの一年間、ただの侯爵家次男という身分しか持たず、公職にもついていない状態だったのですわ。当然、彼が当初狙っていた騎士爵も与えられていませんわね。
ご自身の愚かな行いによってウーヴェは侯爵家から追い出されました。実際には廃嫡もされておりませんし、除籍もされておりませんから、ちょっとしたお仕置き程度のものでしかございませんけれどね。ウーヴェが現状を理解し反省すれば、領地の騎士団に入れるつもりだとデングラー侯爵は仰っていましたし。
実家を追い出されたウーヴェは王城に向かい、近衛騎士団の寮に入ろうとしたようです。けれど、彼は近衛騎士ではございませんから、当然拒否されました。そこで彼は初めて自分が騎士ではないことを知ったようです。
そこで反省して実家に詫びればよかったのに、彼は王女宮へ行きお仲間や王女殿下に詰め寄ったそうですわ。まぁ、その後はそのまま王女宮に留まったので、めでたく王女殿下の愛人の仲間入りというわけですわね。当然ながら呆れ果てたデングラー侯爵はウーヴェを除籍なさいました。結果、ウーヴェは貴族ではなくなりました。王宮にいる資格を失ったのですけれど、そこは『王女の愛人』ですものねぇ。王女殿下がどんな手を使ったのかは判りませんが、王女宮に留まっているようです。流石にかつてのように近衛騎士隊にはいないようですけれどね。
そんな王女を許している王家に対する呆れはどんどん強いものになっておりましたの。そして、ついにとどめとなる、わたくしが王家から距離を取る決定的な出来事が起こりましたのよ。
ウーヴェとの婚約破棄の後、実はひそかに新たな婚約者は決まっておりました。色々と今回の件でご尽力いただいたフェルゼンシュタイン大公家のご三男クリストハルト様です。その方とのお茶会に何故か第二王子殿下がご参加なさいましたの。
どうやら、第二王子殿下はわたくしの新たな婚約者が決まったことをご存じないようでした。わたくしたちの婚約は国王陛下の承認も得ているのですけれど。
第二王子殿下はご自分が招かれざる客であるというご自覚はないようで、クリストハルト様を邪険になさり、大変図々しく太々しく尊大な態度でいらっしゃいましたわ。あら、悪意に塗れている? そうかもしれませんわね。わたくし、既に王家への敬意をかなり失っておりますもの。
第二王子殿下はわたくしの婚約者になりたいのか色々とご自分の有能アピールをなさいますが、場の空気が読めていない時点で入り婿としては無能ですわね。それに、王家が我が侯爵家とわたくしに何をしたのか、ご理解なさっていないようです。ですから、思い切ってお尋ねいたしましたのよ。まぁ、第二王子殿下がお茶会に参加をねじ込んできた時点で、追及することをお父様にもお許しいただいておりましたしね。
「ところで、今回の件につきまして、王家ではどのように始末をつけようとお考えですの?」
王子殿下はわたくしの言葉に不思議そうに首を傾げるだけでございました。え、本気で判っていないの?
信じられないとばかりにクリストハルト様の顔を見れば、苦笑しつつ頷かれました。なるほど、あの王女にしてこの王子ありですのね。
「何故王家が関係しているのかと言いたげですわね? ですが、王家がヤスミーン殿下を放置して好き勝手にさせたことがわたくしの婚約破棄の原因の一つでしてよ」
まるで自分は関係ないとばかりに『婚約破棄なんて大変だったねぇ』なんて擦り寄って、空いたわたくしの婚約者の座を狙っているこの愚か者にしっかりと理解させなければなりませんわね。
「王家は王女殿下と元デングラー侯爵次男の噂を放置しておりましたわね。知らなかったとは言わせませんわよ。元々噂の出どころは王女殿下のメイドたちですもの。それを把握していなかったのであれば、王家はとんだ無能ということになってしまいますわ。当然把握しておられましたでしょう?」
把握していなければ無能と認めることになるからか、王子は否定しませんでした。知らなかったと否定すればいいのに。
「ということは、王家は王女殿下と元デングラー侯爵次男との関係を認めていたということですわよね。でなければ王女の醜聞になりかねない噂などすぐに対応なさいますでしょう」
王女となれば通常は国の利益のために国外の王族に嫁ぎますわ。事実彼女の姉や妹はそうした婚約が決まっていますもの。ヤスミーン殿下は生母の身分が低いことからまだ婚約が決まってはおりませんが、恐らく他国の貴族家への縁組を予定していたのでしょう。
国内でないのは国内にヤスミーン殿下を娶りたいと思う貴族はいないからですわ。誰が次期国王やその生母に疎まれる王女を娶りたいと思うものですか。三人いる現国王の側室の中で彼女の母だけは王妃やその一族から敵視されています。とはいえあまりにも格が違うので疎まれる程度で済んでおりますけれど。敵視されても疎まれてもヤスミーン殿下の生母の自業自得でしかありません。それだけの愚かで図々しい行いをしているそうですから。陛下のご寵愛があるから命永らえているだけで、少しでもご寵愛に陰りが出れば即泉下に旅立たれることになるでしょうね。
実際にはそういった次期国王の派閥に疎まれている王女ですから、彼女の噂は放置されたのでしょう。醜聞になっても構わないと。醜聞に塗れた王女なのだから、格下の国で冷遇される婚姻でも仕方がないと。それを意図しているとしたら、王族怖い!
尤も、実際のところは何の意図もなく、どうでもいいから噂を放置していたというのが正解でしょうけれど。
ただね、それは王家にとって悪手でしかございませんわよ。だって、あの噂では明確に悪役とされた者がおりましたもの。そう、わたくしですわ。筆頭侯爵家次期当主であるわたくし、ですわ。
これが単なるお姫様と騎士の恋物語なら良かったのです。めでたしめでたしで終わったでしょうね。ですが、王女殿下やその周囲は恋物語を盛り上げるためか、悪役を求めました。真実の愛を邪魔する悪役令嬢を。当然、それは彼の正当な婚約者であるわたくしの役目になりました。
倫理に悖る行いをしている、不貞を犯しているのは王女ですのにね。何故正当な権利を持つ婚約者のわたくしが悪役にならねばならないのかしら。
この噂によって、わたくしは不利益を被りましたし、我が侯爵家も同じこと。両親やわたくしの指示のもと分家や寄子が十分な働きをしてくれましたから、大きな瑕疵もなく損害を受けることもございませんでしたけれどね。
ですが、このことは我が侯爵家に王家に対する不信感を抱かせるには十分なものでごさいましたわ。だって、わたくしを、次期ベーレンドルフ侯爵を馬鹿にしてもいいと王家が認めたということですもの。
王家がそれを理解していたとすれば、王家が我が家を、筆頭侯爵家を軽んじているということに他なりません。そして、理解していなかったとすれば、そんなことすら理解できない愚かな王家ということになります。どちらであっても噂の対処をしなかった時点で、我が家が王家への不信感を抱くに十分でした。
それに比べ、我が家を、わたくしを気遣い、ご協力くださった大公家への信頼は増しましたわね。色々とヤスミーン殿下を諫めたり、王女直属近衛隊の解体にご尽力いただいたり、我が家では出来ないことをしてくださいましたもの。ですから、王家とのご縁をお断りしても大公家とのご縁は喜んで結びたいと思っておりますのよ。
「此度の件で王家が我が侯爵家を、ひいては貴族をどのようにお思いなのかよく解りましたわ。王家がどれだけ我が侯爵家を馬鹿にしておられるのか、蔑ろにしても問題ないとお考えなのか。ですので、我が侯爵家及び分家は王城から身を引かせていただきますわね」
我が一族は全て領地に引っ込むことにいたしましたの。国のためには働きますけれど、王家のためには、ねぇ。国のためにと申しましても、王家に軽んじられる程度の力しかない侯爵家ですもの。領地をまとめるので精いっぱいですわね。周囲の貴族家との交流が精々で王都の社交界とも疎遠になってしまうかもしれませんわ。でも仕方ありませんわね。王家に蔑ろにされる程度の侯爵家ですもの。
漸く自分たちが放置したことがどういったことなのか、第二王子殿下はご理解されたようです。正確にはご理解なさっていなくてもとんでもなくまずいことになったとは感じていらっしゃるのでしょうね。まぁ、王城に帰り王太子殿下や宰相閣下にご相談になればよいわ。
既に我が一族が公職から退いておりますから、空いた高位高官の席を自分の派閥で埋めるために大忙しの宰相閣下がどれだけ王家のためにお力をお貸しになるかは判りませんけれどね。
辞去のあいさつもそこそこに大慌てでお帰りになった第二王子殿下を見送り、わたくしはクリストハルト様とのお茶会を続けることにいたします。元々は婚約者とのお茶会でしたのに、何を勘違いしたのか、婚約者候補とのお見合いと思い込んだ王子殿下が参加をねじ込んできましたのよ。あら、それを考えると、王家は情報収集能力が欠けているのかもしれませんわね。情報収集能力のない王家なんて、先がないも同然ではございませんか。これは領地の防備を固めたほうがいいかもしれません。そこは隣接する大公家ともご相談いたしましょうか。二つの領を合わせて公国となる未来があるかもしれませんものね。
その後、ヤスミーン王女殿下は北の隣国の隣国のそのまた隣国、最北の国と呼ばれる小国に国王の十三妃として嫁がれました。彼女の私兵である親衛隊も護衛として同行し、そのまま最北の国で生涯を過ごすよう命じられたそうですわ。
最北の国に嫁がせて、何か我が国に利はあるのかしら。遠すぎてまともな国交もございませんし、国王は既にご高齢で確か我が国の国王陛下の父君に近いお年のはず。単なる厄介払いとしか思えない結婚ですわね。
折角王家の(見た目だけは)可憐な姫を嫁がせるのであれば、もう少し国益にかなう国を選べばよいのに。我が国の王家、本当に大丈夫なのかしら。
「やはり、公国となるべきかしら?」
夫や舅、お父様ともご相談しなければなりませんわね。
知らせにきた侍従に罪はないとはいえ、呆れを含んだ目で見てしまうのは仕方ないと思ってほしいところですわ。
本日はフェルゼンシュタイン大公殿下主催の夜会が行われます。わたくしどもベーレンドルフ侯爵家も招かれており、わたくしは婚約者ウーヴェのエスコートを受ける予定になっておりましたのよ。
それなのに、直前になってヤスミーン王女殿下の護衛のため参加できないとの連絡。馬鹿じゃないかしら。
夜会がありエスコートしてほしいことは一か月以上前に連絡済みでウーヴェからも了承の返事はもらっておりました。また、ヤスミーン殿下の護衛スケジュールは三か月前には決まりますから、当然、ウーヴェはヤスミーン殿下の護衛の日ではないことを承知の上でエスコートを了承したことになります。
恐らく、直前になってヤスミーン殿下がウーヴェを護衛に指名したのでしょうね。そして、ウーヴェはそれを断らなかった。断る権利、ありますのにね。よほどの公式行事ではない限り、急な護衛の交代は断ることが出来ますのよ。彼が一騎当千の強兵であるならばともかく、お飾りの近衛隊と称される王女殿下直属部隊に過ぎないのですもの。
「お父様、進めてくださいませ」
愛想も尽き果てましたわ。婚約破棄いたしましょう。
わたくしベーレンドルフ侯爵が一子アストリットと彼デングラー侯爵家次男ウーヴェの婚約が結ばれたのはわたくしが十歳、彼が十二歳のときでした。我が家にとってこれといった政略的な旨味があるわけでもなく、可もなく不可もないという相手でした。あちらにしてみても具体的な利はないものの、筆頭侯爵家と縁を持てるという程度の旨味。祖母同士が従姉妹という関係から何となくといううすぼんやりとした理由で結ばれた婚約でございました。
そして十五歳になり学院に入る段になって、何故かウーヴェは騎士科へ入学しました。『俺は次男で継ぐ爵位がないから、近衛騎士になって自力で爵位を得る!』とかなんとか。
そのとき初めてわたくしは彼との婚約解消を意識しましたの。継ぐ爵位、ありますわよね。確かにデングラー侯爵位は継げませんけれど、デングラー侯爵家には従属爵位がございますから、子爵位と男爵位をいくつかお持ちです。それにそもそも彼はわたくしの家に入り婿として入るのですから、彼自身には爵位など必要ありませんのに。もしかして入り婿になることを理解していないのかしらと不信感を抱いても仕方ありませんわ。
学院にだって、当主であり領主であり侯爵となるわたくしの補佐をするための領政科へ入学するように言われていたはずです。あら、これ、婚姻前契約不履行になりませんかしら。
両親とも話し合って婚約の白紙化をしようと思いましたのに、祖母が大反対して取り敢えず様子見となってしまいましたわ。とっても不本意でしたけれど。まぁ、お父様もお母様も呆れ果て、彼の役目は種馬限定とし、我が侯爵家の運営には一切関わらせない方針が定まりました。
ウーヴェは見た目だけは完璧な貴公子でしたから、どこぞでヤスミーン王女殿下の目に留まったらしく、卒業と同時にヤスミーン殿下直属の近衛隊への入隊が決まりました。彼は自分の実力が認められて引き抜かれたのだと自慢げにしておりましたけれど、ヤスミーン殿下直属近衛隊はヤスミーン殿下の私兵であって、王国の近衛騎士ではありません。そんなことも理解していないようで頭が痛くなりました。
当然婚約の白紙化について動こうとしましたが、我が家の祖母とあちらのご意向でわたくしが卒業する二年後までは様子を見るということになりましたの。
まぁ、それまでは一応婚約者としての行いは許容範囲でしたしね。ちゃんとお茶会も行いましたし、夜会のエスコートもしてくれましたし、折に触れての贈り物もございました。明らかに母君のデングラー侯爵夫人が選んだであろう品ではございましたけれど、ちゃんとカードは彼の筆跡でしたのでお母様の助言を得たのだろうと納得できましたしね。
ですが、ヤスミーン殿下の近衛隊に入ってからは徐々に許容範囲を超えることが起きるようになりました。まず、お茶会がなくなりました。正確にはお茶会はあるものの直前にキャンセルになります。やがてそれは連絡なしのキャンセルとなりました。夜会のエスコートも同様です。おまけに婚約者の義務である夜会のドレスも贈られてこなくなりました。
因みに夜会のドレスは全ての夜会に対して贈らねばならないわけではございません。我が国では年に二回社交シーズン初めと終わりの夜会の際に婚約者にドレスを贈るのが貴族の暗黙のルールでございます。財力のある殿方や婚約者を大切になさる殿方は毎回贈る方もいらっしゃるようですが。
そう致しますと、徐々に不愉快な噂が流れるようになりました。可憐な王女殿下と麗しの騎士の真実の愛だとか、それを邪魔する侯爵令嬢だとか。下位貴族を中心にそんな噂が出回っておりましたの。当然、そんな噂を放置するわけもございませんから、我が家の寄り子貴族たちが対処しておりましたわ。対処も出来ずに傍観或いは楽しんでいた寄子にはそれなりの対処も当然ながら致しました。
まともな寄子たちがした対処は真っ向から否定するのではなく、やんわりとそれが王族を馬鹿にしていると取られるのではないかと注意を促すことでした。
まず、恋愛の噂が出るような年齢の王女殿下であるのに、婚約者がいないこと。つまりそれは婚約者を定められないほどの問題があると思われること。何しろ当該王女の妹姫たちは皆さま婚約者がいらっしゃいますから。そんな王女だと噂していることになってしまいますよ、とやんわりとご忠告いたしましたの。
次に当該騎士の婚約は彼が王女殿下と出会うよりも遥か前に結ばれていること。つまり、横恋慕したのは王女であって、二人が恋人関係であるとすればそれは不貞に他ならないということ。不貞を容認するのだと認めてしまわれるのですか、だとしたら、ご主人や奥様、婚約者様が浮気なさってもお認めになるのですね、なんて寛大な御方でしょう!と持ち上げれば、お顔を引きつらせて不貞は良くありませんわねぇと笑っておられました。
そして、これが肝になるのですが、そんな二人を諫めることなく放置してる王家は筆頭侯爵家を軽んじていることになるということ。国家の重鎮たる筆頭侯爵家にこの扱いなのであれば、それより格の低い、或いは重職にない貴族家の扱いは推して知るべしということになりますわよね。当然そのままでは王家批判になってしまいますから、そうとられかねない噂をするのは良くありませんわよねぇという流れですわね。
そういった対処をしていた寄子や分家は大層優秀ですわ。実際に動いた令息令嬢はわたくしが侯爵となったときに有能な側近となってくれるでしょう。頼もしいかぎりです。
なお、高位貴族の社交界では噂はあるものの、ヤスミーン殿下やウーヴェに全く好意的ではなく、初めからわたくしに対して同情的でしたわね。まぁ、あんな婚約者でお気の毒にといった侮りはございましたけれど。そこはやはり分家や寄子が『令嬢が優秀なので、入り婿に求めるのは種馬としての働きだけ』『要は種馬なのだから容姿さえよければよい』と彼やご家族にとってはかなり腹立たしいことを言っては周囲に『それもそうだ』と納得されておりましたわね。
さて、そんな状況を一年も我慢しておりましたもの。そろそろ彼に引導を渡すことにいたしましょうか。お約束の二年には一年早いですけれど、状況が変わるとは思えませんし、悪化することはあれ改善はしないでしょうから。一年早いことも含めてあちらにもご納得いただかねばなりませんわね。
大体、学院を卒業するまで待って婚約破棄すれば、わたくしの次の婚約が遅くなりますもの。子を産んで育てることを考えると早めに動くのが肝要ですわよね。愚か者のために更に一年待つ必要性など微塵も感じませんわ。
エスコートを直前に断られた大公家の夜会から三日後、無事にわたくしの婚約は相手の不貞と婚約者の義務を果たしていないとして、ウーヴェ有責で破棄されました。
ウーヴェは婚約破棄について納得せず大騒ぎしていたようですけれど、あの方あんなに頭の弱い方だったかしら。王女殿下直属の近衛隊に入ってから、何一つ婚約者の義務を果たしていなかったのに。茶会や夜会に護衛とは名ばかりの距離でヤスミーン殿下をエスコートしておきながら不貞ではないなんて主張はご自分とお仲間の間でしか通じない非常識ですのにね。
あちらのデングラー侯爵家でも何度も何度もこのままでは婚約破棄となるからと諫めておられたのに、それを全く聞かなかったのはウーヴェ。王女殿下の騎士だから問題ないと理由にもならない理由を告げていたようですわ。ヤスミーン殿下の直属近衛隊は飽くまで私兵集団であって、公的な身分は何もないのに。つまり、彼は卒業からの一年間、ただの侯爵家次男という身分しか持たず、公職にもついていない状態だったのですわ。当然、彼が当初狙っていた騎士爵も与えられていませんわね。
ご自身の愚かな行いによってウーヴェは侯爵家から追い出されました。実際には廃嫡もされておりませんし、除籍もされておりませんから、ちょっとしたお仕置き程度のものでしかございませんけれどね。ウーヴェが現状を理解し反省すれば、領地の騎士団に入れるつもりだとデングラー侯爵は仰っていましたし。
実家を追い出されたウーヴェは王城に向かい、近衛騎士団の寮に入ろうとしたようです。けれど、彼は近衛騎士ではございませんから、当然拒否されました。そこで彼は初めて自分が騎士ではないことを知ったようです。
そこで反省して実家に詫びればよかったのに、彼は王女宮へ行きお仲間や王女殿下に詰め寄ったそうですわ。まぁ、その後はそのまま王女宮に留まったので、めでたく王女殿下の愛人の仲間入りというわけですわね。当然ながら呆れ果てたデングラー侯爵はウーヴェを除籍なさいました。結果、ウーヴェは貴族ではなくなりました。王宮にいる資格を失ったのですけれど、そこは『王女の愛人』ですものねぇ。王女殿下がどんな手を使ったのかは判りませんが、王女宮に留まっているようです。流石にかつてのように近衛騎士隊にはいないようですけれどね。
そんな王女を許している王家に対する呆れはどんどん強いものになっておりましたの。そして、ついにとどめとなる、わたくしが王家から距離を取る決定的な出来事が起こりましたのよ。
ウーヴェとの婚約破棄の後、実はひそかに新たな婚約者は決まっておりました。色々と今回の件でご尽力いただいたフェルゼンシュタイン大公家のご三男クリストハルト様です。その方とのお茶会に何故か第二王子殿下がご参加なさいましたの。
どうやら、第二王子殿下はわたくしの新たな婚約者が決まったことをご存じないようでした。わたくしたちの婚約は国王陛下の承認も得ているのですけれど。
第二王子殿下はご自分が招かれざる客であるというご自覚はないようで、クリストハルト様を邪険になさり、大変図々しく太々しく尊大な態度でいらっしゃいましたわ。あら、悪意に塗れている? そうかもしれませんわね。わたくし、既に王家への敬意をかなり失っておりますもの。
第二王子殿下はわたくしの婚約者になりたいのか色々とご自分の有能アピールをなさいますが、場の空気が読めていない時点で入り婿としては無能ですわね。それに、王家が我が侯爵家とわたくしに何をしたのか、ご理解なさっていないようです。ですから、思い切ってお尋ねいたしましたのよ。まぁ、第二王子殿下がお茶会に参加をねじ込んできた時点で、追及することをお父様にもお許しいただいておりましたしね。
「ところで、今回の件につきまして、王家ではどのように始末をつけようとお考えですの?」
王子殿下はわたくしの言葉に不思議そうに首を傾げるだけでございました。え、本気で判っていないの?
信じられないとばかりにクリストハルト様の顔を見れば、苦笑しつつ頷かれました。なるほど、あの王女にしてこの王子ありですのね。
「何故王家が関係しているのかと言いたげですわね? ですが、王家がヤスミーン殿下を放置して好き勝手にさせたことがわたくしの婚約破棄の原因の一つでしてよ」
まるで自分は関係ないとばかりに『婚約破棄なんて大変だったねぇ』なんて擦り寄って、空いたわたくしの婚約者の座を狙っているこの愚か者にしっかりと理解させなければなりませんわね。
「王家は王女殿下と元デングラー侯爵次男の噂を放置しておりましたわね。知らなかったとは言わせませんわよ。元々噂の出どころは王女殿下のメイドたちですもの。それを把握していなかったのであれば、王家はとんだ無能ということになってしまいますわ。当然把握しておられましたでしょう?」
把握していなければ無能と認めることになるからか、王子は否定しませんでした。知らなかったと否定すればいいのに。
「ということは、王家は王女殿下と元デングラー侯爵次男との関係を認めていたということですわよね。でなければ王女の醜聞になりかねない噂などすぐに対応なさいますでしょう」
王女となれば通常は国の利益のために国外の王族に嫁ぎますわ。事実彼女の姉や妹はそうした婚約が決まっていますもの。ヤスミーン殿下は生母の身分が低いことからまだ婚約が決まってはおりませんが、恐らく他国の貴族家への縁組を予定していたのでしょう。
国内でないのは国内にヤスミーン殿下を娶りたいと思う貴族はいないからですわ。誰が次期国王やその生母に疎まれる王女を娶りたいと思うものですか。三人いる現国王の側室の中で彼女の母だけは王妃やその一族から敵視されています。とはいえあまりにも格が違うので疎まれる程度で済んでおりますけれど。敵視されても疎まれてもヤスミーン殿下の生母の自業自得でしかありません。それだけの愚かで図々しい行いをしているそうですから。陛下のご寵愛があるから命永らえているだけで、少しでもご寵愛に陰りが出れば即泉下に旅立たれることになるでしょうね。
実際にはそういった次期国王の派閥に疎まれている王女ですから、彼女の噂は放置されたのでしょう。醜聞になっても構わないと。醜聞に塗れた王女なのだから、格下の国で冷遇される婚姻でも仕方がないと。それを意図しているとしたら、王族怖い!
尤も、実際のところは何の意図もなく、どうでもいいから噂を放置していたというのが正解でしょうけれど。
ただね、それは王家にとって悪手でしかございませんわよ。だって、あの噂では明確に悪役とされた者がおりましたもの。そう、わたくしですわ。筆頭侯爵家次期当主であるわたくし、ですわ。
これが単なるお姫様と騎士の恋物語なら良かったのです。めでたしめでたしで終わったでしょうね。ですが、王女殿下やその周囲は恋物語を盛り上げるためか、悪役を求めました。真実の愛を邪魔する悪役令嬢を。当然、それは彼の正当な婚約者であるわたくしの役目になりました。
倫理に悖る行いをしている、不貞を犯しているのは王女ですのにね。何故正当な権利を持つ婚約者のわたくしが悪役にならねばならないのかしら。
この噂によって、わたくしは不利益を被りましたし、我が侯爵家も同じこと。両親やわたくしの指示のもと分家や寄子が十分な働きをしてくれましたから、大きな瑕疵もなく損害を受けることもございませんでしたけれどね。
ですが、このことは我が侯爵家に王家に対する不信感を抱かせるには十分なものでごさいましたわ。だって、わたくしを、次期ベーレンドルフ侯爵を馬鹿にしてもいいと王家が認めたということですもの。
王家がそれを理解していたとすれば、王家が我が家を、筆頭侯爵家を軽んじているということに他なりません。そして、理解していなかったとすれば、そんなことすら理解できない愚かな王家ということになります。どちらであっても噂の対処をしなかった時点で、我が家が王家への不信感を抱くに十分でした。
それに比べ、我が家を、わたくしを気遣い、ご協力くださった大公家への信頼は増しましたわね。色々とヤスミーン殿下を諫めたり、王女直属近衛隊の解体にご尽力いただいたり、我が家では出来ないことをしてくださいましたもの。ですから、王家とのご縁をお断りしても大公家とのご縁は喜んで結びたいと思っておりますのよ。
「此度の件で王家が我が侯爵家を、ひいては貴族をどのようにお思いなのかよく解りましたわ。王家がどれだけ我が侯爵家を馬鹿にしておられるのか、蔑ろにしても問題ないとお考えなのか。ですので、我が侯爵家及び分家は王城から身を引かせていただきますわね」
我が一族は全て領地に引っ込むことにいたしましたの。国のためには働きますけれど、王家のためには、ねぇ。国のためにと申しましても、王家に軽んじられる程度の力しかない侯爵家ですもの。領地をまとめるので精いっぱいですわね。周囲の貴族家との交流が精々で王都の社交界とも疎遠になってしまうかもしれませんわ。でも仕方ありませんわね。王家に蔑ろにされる程度の侯爵家ですもの。
漸く自分たちが放置したことがどういったことなのか、第二王子殿下はご理解されたようです。正確にはご理解なさっていなくてもとんでもなくまずいことになったとは感じていらっしゃるのでしょうね。まぁ、王城に帰り王太子殿下や宰相閣下にご相談になればよいわ。
既に我が一族が公職から退いておりますから、空いた高位高官の席を自分の派閥で埋めるために大忙しの宰相閣下がどれだけ王家のためにお力をお貸しになるかは判りませんけれどね。
辞去のあいさつもそこそこに大慌てでお帰りになった第二王子殿下を見送り、わたくしはクリストハルト様とのお茶会を続けることにいたします。元々は婚約者とのお茶会でしたのに、何を勘違いしたのか、婚約者候補とのお見合いと思い込んだ王子殿下が参加をねじ込んできましたのよ。あら、それを考えると、王家は情報収集能力が欠けているのかもしれませんわね。情報収集能力のない王家なんて、先がないも同然ではございませんか。これは領地の防備を固めたほうがいいかもしれません。そこは隣接する大公家ともご相談いたしましょうか。二つの領を合わせて公国となる未来があるかもしれませんものね。
その後、ヤスミーン王女殿下は北の隣国の隣国のそのまた隣国、最北の国と呼ばれる小国に国王の十三妃として嫁がれました。彼女の私兵である親衛隊も護衛として同行し、そのまま最北の国で生涯を過ごすよう命じられたそうですわ。
最北の国に嫁がせて、何か我が国に利はあるのかしら。遠すぎてまともな国交もございませんし、国王は既にご高齢で確か我が国の国王陛下の父君に近いお年のはず。単なる厄介払いとしか思えない結婚ですわね。
折角王家の(見た目だけは)可憐な姫を嫁がせるのであれば、もう少し国益にかなう国を選べばよいのに。我が国の王家、本当に大丈夫なのかしら。
「やはり、公国となるべきかしら?」
夫や舅、お父様ともご相談しなければなりませんわね。
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