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第二十六話……冴える信長の鬼謀! ~高天神の悲劇~

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――天正九年(1581年)

 甲斐国・躑躅が崎館に凶報が届く。





「申し上げます! 高天神城落城、城将の岡部元信様お討ち死に、城兵も皆殺しとのことです!」



「なんだと!?」



 勝頼は驚愕した。

 それは高天神城が落ちたことでは無かった。



 岡部元信は武田の遠江方面軍の司令官であり、信玄時代からの優れた将であった。



 勝頼は岡部より援軍を求められてはいたが、彼に城が持ちこたえそうになければ降伏するように命じていたのだ。

 攻め手の徳川家への条件として、高天神城以外にもいくつかの城を譲渡することも伝えていた。

 それなのに降伏が受け入れられず、皆殺しにされたのことだった。



 戦国時代において、城将の降伏は、一般的に攻撃側に温かく受け入れられる。

 何故ならば、日本の山城は峻険な地の堅城が多く、城将の降伏なしには攻略がおぼつかないという事情があったのだ。





 ……なぜに、皆殺しに!?



 勝頼は知らせを疑うが、いくら調べても事実は変わりはしなかった。

 しかし、調べた際に、違う面での真実が分かった。

 この一連の凶状は、全て織田信長の差し金であることが判ったのだった……。





「お……、おのれ! 信長許すまじ!」



 勝頼は激高した。

 何故ならば、先日も織田家の和睦交渉の使者がやってきて、



『和睦の条件として、遠江国の徳川軍を、あまり刺激しないでほしい』



 ……と、暗に伝えてきたのだ。

 よって、勝頼は遠江国の高天神城に援軍を送らず、代わりに城兵たちに降伏を認めていたのだ。



 遠江国の支配権を諦める代わりに、織田徳川連合軍と和睦。

 これが、勝頼が描いた構図だったのだ。



 三又の者が報告してきた事の真相としては、武田と和睦するそぶりを見せ、信長は遠江方面の戦線を有利に運ばせていたのだ。

 さらに降伏を認めず、城兵を皆殺しにしたことによって、あたかも勝頼が援軍に行かないばかりに、城兵が見殺しにされたと周囲に宣伝することに成功。



 この二つ目の事案は、武田家の威信と信用を大きく失墜させた。

 武田に味方したとて、援軍には来てもらえない、と多くの地方豪族に思わせることになったのだ。



 ……しかも、高天神城の城兵には、駿河や飛騨、信濃や甲斐の名族たちの子弟たちが多くいたのだ。

 武田の主要な領国に、勝頼の醜聞は瞬く間に広まっていったのだった。





 恐るべきは、織田信長の策略の冴えであった。

 戦国の世には、騙される方が悪いのである。 





 ……戦場で勝つだけが戦ではない。

 戦う前に勝ちを収めよ!



 信玄の生前の言葉を思い出し、勝頼は一人、大きく肩を落とした。

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