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第十四話……長篠・設楽ヶ原の戦い【後編】

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 武田勢は織田方に比べて寡兵ながらも善戦していた。

 しかし、交戦から既に4時間が経っており、各隊は矢玉や弾薬なども尽き始め、疲労もたまっていた。





「ご報告! 鳶の巣砦陥落の由! 武田信実様、お討ち死!」



「ご苦労!」



 伝令の報告に勝頼は威厳たっぷりに答えたが、凄まじい焦燥感を味わっていた。



 武田軍本隊の後方の砦が落ちたのだ。

 この場にずっといれば挟撃されかねなかった……。



 ……しかし、ここで急いで背を向けて撤退すれば、正面の織田徳川連合軍に追撃されて、大敗北は必至であった。





「よし、各隊に伝えよ! 一の太鼓で全力攻撃、敵が怯んだところで、二の太鼓を鳴らすので、その時に全軍撤退せよと!」



「「「はっ!」」」



 勝頼の命を受けて、伝令たる百足衆が各隊に散った。



 作戦としては、正面にいる織田徳川勢を一旦押し込んでおいて、戦いが有利なうちに一斉に撤退するとの策だった。





――ドンドンドン



 武田本陣から、一の太鼓が鳴り響き、武田勢は最後の力を振り絞って攻撃にかかった。



 特に、中央の内藤隊や真田隊の奮戦はすさまじく、敵の戦意を大いに挫くかに見えた。





「やったか? ……うん?」



 高台の本陣にて、作戦の成功を半ば確信した勝頼の眼に、不可思議な光景が飛び込む。

 内藤隊や真田隊の勇戦をよそに、一族衆の武田信豊の隊が戦わずに退きはじめたのだ。



 それを見た、同じく一族衆の武田信廉隊も、一目散に撤退にかかる。





「まだ二の太鼓は鳴っておらんぞ!」



 本陣の勝頼は憤慨したが、勝頼の旗本衆も多くは前線に出ており、抗する手段は無かった。







☆★☆★☆



「武田信豊様、御撤退の模様!」



「何!?」



 報告を聞いた内藤昌豊は焦る。

 武田信豊隊が抜けては、内藤隊は敵地に孤立する恐れがあったのだ。





「……ぬぬぬ」



 昌豊は勝頼の本陣を見た。

 しかし、勝手に逃げる他の一族衆と違い、勝頼の馬印は前線に留まっていたのだ。



 ……ふむう、ワシももう年じゃでな。

 もうこの老体は、明日の武田には必要あるまい。





「勝頼様を見捨てて逃げては、武田武士の恥じゃ!」

「者ども掛かれ!」



 内藤昌豊は織田勢の施した三番目の柵に迫る。

 しかし、その柵は土塁の上にあり、馬で近づくことが出来なかった。



「者ども、下馬せよ! 突っ込め!」



 昌豊は馬を降り、同じく馬を降りた郎党を連れ、果敢に突撃。

 柵をよじ登ったところを、織田勢の鉄砲を受け、刀と槍の輪の中で討ち取られた。





 ……同じような形で、真田信綱、土屋昌次、小幡信貞が鉄砲の餌食となった。



 武田武士団は精強を誇ったが、その誇りと伝統を、圧倒的な数の鉛玉が踏みにじっていった。

 日々武芸を鍛錬した強者たちが、雑兵の手にする鉄砲で簡単に死んでいったのだ。



 新たな時代の足音にとって、古き伝統など無用が如くに……。







☆★☆★☆



「真田昌輝様、お討ち死に!」

「内藤隊、壊滅!」」



 勝頼の本陣には次々に悲報が飛び込んでくる。

 兄たちの死に、涙する昌幸の姿もあった。



 ……もはや、これまで。

 勝頼は目をつむり、討ち死にする覚悟を決めた。





「御屋形様、お退きなされい!」



 勝頼が気が付くと、目の前に馬場信春の姿があった。

 態々に部隊を離れ、進言しに来たのだ。





「わしは退かぬ。そもそもわしは陣代であって、御屋形ではないわ!」



 勝頼は半ばやけくそに、信春に言い放つ。





「誰が御館かは、家臣たる我らが決めること。それとも内藤や真田の死を無駄になさるのか!?」



 勝頼は『はっ』と気づく。

 内藤隊や真田隊が犠牲になって戦ってくれたからこそ、今現在、考える余裕もあったのだ。



 ……きっと彼等も、わしを御屋形とおもうてくれたのか。



 ならば死ねぬ。

 織田徳川め、この恨み忘れはせんぞ!





「よし、退こう!」

「全軍に撤退の合図を!」



「はっ!」



 もはやこのまま在陣したとて犬死。

 無様にでも生き延びて、再戦を誓うが真の勇者の道だった。





「馬場! お主の隊も退くのじゃぞ!」



「もちろんでございます! 躑躅が崎館で会いましょうぞ!」



 隊に戻る信春を見届け、勝頼は近習に護られ撤退を図った。



 ……自分が討ち取られれば、家臣の死は無駄になる。

 勝頼は悲壮感に打ちひしがれるも、必死で馬を操り駆けていった。







☆★☆★☆



「全軍退却とのことです!」



「御意!」



 この機になっても、山県昌景は騎馬60騎を率い、徳川勢と交戦する足軽たちを指揮し、善戦していた。





「御屋形様はお退きなったか!?」



 ……伝令は『ご陣代様では?』と、問い返しそうになったが、昌景の意を組んで応える。





「御屋形様も既に御撤退の由!」



「それは良き事。我が山県隊は殿を承る!」



 こうして山県隊はその場に踏みとどまり、敵中に孤立することになる。





 奇しくも、武田一族衆が自分勝手に逃げる中、最後まで戦場に踏みとどまった諏訪勝頼の姿に、譜代家臣たちが『御屋形』を認めた瞬間であった。
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