婚約令嬢の侍女調教

和泉葉也

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第二章 従う事への教育

雇用契約書(4)

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「ここが、セレンティア様のお住まいとなります。後ほどレイン侍女長が昼食を運んで参りますので、それまでお楽になさっていて……」
「私たちは、これで退出致します。午後のお勤めは侍女長の指示に従って下さいませ」

 屋敷を一周廻る程にリードで引き回され、階段の昇り降りまで這って行い、午後も随分過ぎた頃に、セレンティアの自由を奪っていた手足の鉄棒と首のリードはようやく外された。
 手のひらは真っ赤になり、腕は感覚が無くなりそうなくらいに擦りむけて傷だらけだった。
 途中から膝の布枷を重しに這う事を覚えたので、膝の痛みは大分和らいだが、部屋に案内されても立ち上がる事さえ出来ない。

「……喉が渇いて、腫れるように痛いわ。何とか水を、飲まないと」

 どうにか上体を逸らして、室内を見渡して見れば、昨日までの客間より遥かに広い空間が広がり、窓枠には公爵家の紋章や宝石の飾りが取り付けられている。

 ---だけだった。

 部屋の隅には、小さなテーブルとイスが置かれており、奥にはバスルームらしい場所に続くだろう、扉が見える。後は、セレンティアが家から持ってきたバスケットと、暖炉の火だけが輝いている。

 有るのは天井と窓だけで、他に何もない。寝台も、衣装棚も、姿見やドレッサー。洗面器や水差し、着替えの服やタオルの一枚でさえ、この部屋には存在しない。

「……私は、何の冗談に付き合わされていると言うの?」

 何とか小さな扉まで辿り着き、バスルームへと向かうと、そこには見慣れた普通の姿見や大きなバスタブに洗面用具が備え付けられていた。
 本来なら身体を洗うための水甕だったが、秋風の吹く公爵家の庭を素足で這わされ続けたセレンティアの喉は完全に乾燥しきっており、砂埃で覆われた喉を勢いよく洗い流し、不作法に水を飲み干した。

 それから手足の汚れを拭き取っていき、エプロンドレスの埃を払っていく。髪を解いて束ね直し、備え付けの香油を塗って擦り傷を癒やす。

「バスルームは昨日の客間より豪華な造りなのに、何故部屋だけは、調度品の一つも用意されていないのかしら……?」

 よく探索してみれば、バスルーム以外にもドレッサールームらしい部屋も有り、鍵はかかったままだが、侍女用の待機部屋にも繋がっているらしい。
 もちろん、用具が有るのはバスルームだけであり、室内にはカーテンやランプでさえ置かれていない。
 蝋燭の一本も、それを置くための燭台も無ければ、小間使いを呼び出すためのベルもない。

 歩ける事が何だか嬉しくなり、手足の痛みも忘れセレンティアは何もない空間を動き回った。自分のバスケットからドロワーズも取り出し、ようやく下半身の寒さからも解放された。
 他の衣類も持っていれば、こんなに足を晒さなくても済むのだが、下手に実家の貧相なドレスを持ち込むのをはばかれたので、下着やコルセットの類しか見当たらない。

「……これは、今朝方にサインした雇用契約書?」

 室内を一回りした所で、小さなテーブルに置かれたままだった紙束に目が留まった。
 カースティ補佐官が控えを届けるような話をしていたが、これが有るという事は、ここが本当に自分の部屋なのだろう。

「甲は乙の所有物となり、一切の身分や権限を持たないものとする。甲は自らの肉体に損傷や破壊、心因的な障害を負わされる事になったとしても、一切の非難をしてはならない……」

 それは、セレンティアが一年の間にどのような拷問を受けようとも拒否する事は一切許されず、逃げ出したり、自害した場合は侯爵位や伯爵位は全て取り上げられ、金額にして税収数十年分の賠償金を父達が支払わなくてはならないと記載されており、同意のサインがしっかりと書かれた、極めて一方的で残忍な雇用契約書の控えだった。

「これを私に読まれないために、カースティ補佐官は焦ってサインを書かせて……」

 控えの紙には、裁判所のサインや印章まで押されており、公式な文書として認められた物だった。これに対して異議を唱えようにも、二枚目の紙にはその権利を放棄するものと記載されており、貴族院の印まで押されていては、例えばこの国の王であっても契約を覆す事は出来ない。

「私が公爵家で鞭を打たれても、ナイフで切られても、例えば手足を切り取られたり、爪を毟られても素直に受け入れるしかない……」

 父はきっと、ある程度この仕打ちを知っていて、この行儀見習いを反対し続けたのだろう。
 それが侯爵位まで寄越されてしまい、止める手立てを失ってしまった。

 唯一の救いは契約期間が一年間である事だけだが、これでは奴隷の身分に堕ちたのにも等しい。
 いっそ、暖炉にこの身を投げてしまいたくなったが、それでさえ賠償金の対象となり、父や領民に大きな負担をかけてしまう。
 枯れてしまったはずの涙が溢れ出し、バスケットの中に仕舞われた父や侍女達の贈り物や手紙を見返す事で、壊れかけた心を癒やしていく。

 教育に耐え抜いて、公爵夫人となる道へ向かうか、飽きるまで痛ぶられ精神を砕かれるか。
 どちらにしても、もう前に進む事しかセレンティアには許されなくなった。
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