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「それでは! 無事このメンツが誰も欠けず夏休みを迎えられたことに! カンパーイ!」
「カンパーイっ!」
グラスが打ち鳴らされる音が居酒屋の個室に響く。今日は油絵ゼミの男だけの打ち上げだった。本来、俺はこの打ち上げに参加していない。この打ち上げはそもそも、俺だけが課題を提出できるかできないかわからない状況だったので、開催されなかった。
それが、時乃の手によって何とか提出日一日前に終わらせることが出来た故に、ゼミ生の男全員が揃い、こうして飲み会を開く余裕が出来たのである。
「お前ら聞いて驚け! 今日はこの男臭いクソゼミに華をそろえてやった!」
コミュ強のゼミのリーダー格である同級生がもうすでに酔っぱらった口で強く叫ぶ。店に迷惑だ。「なになに?」と男共が小さく騒ぐ声を聴きながら、俺は内心ため息を吐いた。精神年齢だけ彼等と離れているので、若いテンションが辛い。このころは十代だ。二十代からしてみれば本気で辛い。しかもウチのゼミはほとんど男しかいないので本気でむさくるしい。だが、その言葉はすぐにどうでもよくなる。
「隣の女子美大からフリーの女の子連れてきました~!」
こんにちは~とぞろぞろ入ってくる知らない女子達。ウチのゼミの童貞たちは目に見えるくらいうろたえる。俺はその内の一人に目が離せなかった。
「春ちゃん……?」
コンサバ系、とでもいうのだろうか。女子アナウンサーの様な服を身に纏った彼女は小さい頃の面影を宿したまま、それでいて無駄な所をそぎ落としたような、すらっとした美人になっていた。
「黒川く……、時乃くん!?」
「春名さん……」
女子の群れに紛れていたのは春ちゃんだった。というか隣の美大に春ちゃんがいたのを四年間大学にいて初めて知った。春ちゃん美術部だったもんな。ちなみに俺も美術部だったが、実力は中学の時はバスケ部で、俺についてきて高校から美術部に入ってきた時乃に技術で負けている。油絵が向いてないだけだ。デジタルで漫画なら評価されているし……、というのは負け犬の遠吠えというものだろう。
「えーなに、あのイケメン春の知り合い?」
「小中の同級生だよ」
「やばー! 運命じゃん!」
はしゃぐ女子陣に男子陣は無言になる。女慣れなんてしていない、緊張している雰囲気の男子陣を放り、女子は主に時乃の周りに集まっていく。俺はそれを勝ち誇った眼で見ていた。
——あんたらがどんだけ媚びても時乃は俺が好きなんですよ!
このどんなに着飾った女どもよりも時乃はこんな平凡黒髪モサ陰キャの俺を選ぶのだ。そう思うと少しだけ優越感さえ湧いてくる。その中に昔ちょっと憧れていた春ちゃんがいるのがちょっと胸が痛むけれど。
そういえば、と思う。春ちゃんは結局のところ、未だに時乃の事が好きなんだろうか? 時乃に一途な保証はないけれど、見る感じ時乃を見る目は周りの女子と同じだ。やっぱり皆、平等女神様もイケメンには……。ま、相手が時乃なら春ちゃんを安心して任せられ……、そこまで考えてハッと気が付いた。
——春ちゃんと時乃がくっつけばハッピーエンドなのでは?
春ちゃんは多分時乃が好き、俺は良い子の春ちゃんなら変な女や男よりよっぽど時乃を任せられると思ってる、時乃は男、というか俺が好きだけど、彼女がいたこともあるから女もイケるはず、イコール春ちゃんも大丈夫。そして、きっと一度恋人関係になれば恐らく気持ちを向ける対象も変わる……、と仮定する。
つまり、だ。
上手くこの式を使えばみんな幸せ!
そうと決まれば、どうやって春ちゃんに興味が無い時乃と春ちゃんをくっつけるかだ。
時乃は俺が好きで、俺の為ならどんなこともやってくれる。それを利用すれば……、そうして少し考えてからひらめいた。これは俺がひと肌脱いでやろう。
全ては時乃が死なない未来のために!
「とーきのんっ! 連れションいこー!」
女子らが邪魔をするなとでもいう様に一斉にこちらを見る。女耐性が無いから少し怖かったけれど、そこは我慢だ。今は時乃の未来の方が大事! ずるずると引きずるように時乃を男子便所まで連れていく。誰もいないそこで、俺は時乃を壁に押し付けた。
「何が言いたいかわかるよな?」
所謂壁ドンの形であるが悲しいかな、時乃の方が頭一個分俺より背が大きいのでビジュアル的には悲しくなっている。
「……どーせ、春名さんとの仲を取り持てとかだろ」
「ビンゴ! でも俺は春ちゃんから何とも思われてないだろうから、こう……時乃から俺のプレゼンをしてほしいわけ! つまりは、俺の為に時乃が春ちゃんと仲良くなってほしいって話!」
「周りから好印象を聞かせられることで良い奴に見せるってこと?」
「理解が早くて助かる!」
まずは時乃と春ちゃんの接点を増やす。
俺の事は話のネタでいい。春ちゃんが時乃の好きだと仮定したら、それをきっかけにこの機会に仲良くなろうとするだろう。少なくとも、恋活アプリみたいにだんだん話題が無くなってフェードアウトという事は無いはずだ。それに時乃には俺の良い所をアピールしてくれと伝えてある。時乃は俺の事が好きが故に、万が一があったとしても俺が良く思っていた春ちゃんを途中でポイ捨てする事は無いはずだ。
「……はあ。お前がそれで喜ぶなら頑張る、けど……」
「頑張れ! あ、別に時乃が春ちゃん好きになっても責めないからな!」
「……おー」
「よし! じゃあ行ってこい! ミッション開始!」
「はー……」
気乗りしなさそうな時乃がトイレから出るのを手を振りながら見送ると上がっていた表情筋がスッと元に戻った。
「……敵に塩送るってこういうこと言うのかなー……」
さて。ゼロがイチになる程度の軌道修正でしかないが、現時点で微力ながらやれることはとりあえずやった。時乃の今まで付き合ってきた女の子の趣味はばらばらだ。本人曰く「付き合ってって言われたら付き合う」らしい。
だからこの飲み会で春ちゃんに接触させたのは正解なはずだ。もし、春ちゃんが時乃に告白すれば、時乃は今までの経験上、それを断らない。春ちゃんはどんな男にも平等な女神だけど、それでも女の子だ。時乃に気に入られて嫌なはずがない。
「しばらく時間潰しとくか……」
すぐ戻っては時乃と春ちゃんの交流時間が短くなる。ゼミの連中は珍しい女子に夢中で俺が居る居ないなんて気づきもしないはずだし。
いっそのこと帰ろうかと思ったが、そうすると時乃がついてくる可能性が高い。そうなるとトイレに籠城するしかなくなる。
俺はソシャゲを起動して洗面台の前に座り込む。このトイレが広くて助かった。トイレが一室しかないタイプだったら死んでいたが、ここは個室が二つもある上に洗面台が広い。
しばらくソーシャルゲームの周回に精を出していると、ギイっと古めかしい音を立てて、扉が開く。お客さんか、そう思いながら顔を上げるとそこには時乃が不服そうな顔で俺を見下ろしていた。
「お前を迎えに来た。二次会するって。費用は男持ちで」
「春ちゃんは?」
「オレが来るならって」
どうやら俺のちんけな作戦は成功していたらしい。俺は財布から一万円札を取り出すと、時乃に押し付けた。
「俺の分までよろしく!」
「……まだ接待しろってこと?」
「そう! 今日は帰ってこなくていいから!」
「……そういう人任せばっかしてると、お前の好きな春ちゃん、オレが取っちゃうかもしれないぞ。オレは告られたら誰でもOKしちゃうし」
「いいよ」
俺は努めて冷静な言葉で答えた。
「春ちゃんは俺にとってそういうのじゃないし。それに、春ちゃんと時乃なら俺は良いかな~って思ってる」
そう言われた時乃は表情を曇らせる。それはそうだろう。時乃は俺の事が好きなのだ。好きな人に他人との恋路を、しかも全然好きじゃない相手との恋愛を応援されるなんて嫌がらせ以外の何でもない。
でも、俺は時乃の気持ちには答えられない。
だって、漫画みたいに恋をしたとして、仮に成就したとして。その先は別れしかないじゃないか。それの何が良いんだ。俺は時乃の傍に居られなくなるなんて嫌だ。
——それに、一度時乃を殺した俺は、時乃を差し置いて先に幸せになれない。
だから、俺の為にも二人で幸せになってほしい。
自分勝手なのもわかってる。時乃に酷い事しているのもわかってる。でも、俺にはこれ以外方法が思いつかない。
「あの子から告られても、了承して本当にいいんだな?」
「勿論。俺にとって春ちゃんはそういうのじゃないから。むしろ俺の想いに応えるのは春ちゃんじゃねえ」
時乃は一つ舌打ちをした。機嫌は思いきり悪いようだ。そりゃそうか。
「……じゃ、お前の希望通り朝帰りするわ。今日はひとりで怖がりながら寝てろ」
「いや俺ひとりで寝れない歳じゃないから」
ひらひらと手を振って笑うと、時乃は不服そうな顔でトイレから出て行った。
「……ごめんな、時乃」
でも春ちゃんは良い子だし、あの子になら時乃を任せられるんだ。
「はい、消しゴム落としたよ」
そう言って俺に笑いかけた彼女に、初めて憧れを覚えた。
春ちゃんと出会ったのが小学四年生の時。それから数年間、俺は一方的に春ちゃんを見ているだけだった。彼女は他の女子の様に俺をキモがったり、厳しくなくて。当時、父親と母親からネグレクトを受けていて、まともな身なりをしていなかった俺にも、悪口を言わず優しく接してくれた時乃以外の唯一の人だった。
だれもかれも同じ対応。そんな差別しないやさしさに、俺は強く憧れたんだと思う。
中学で俺が両親から祖父母に預けられるようになって、心に余裕が出来た時、唯一の友人である時乃に「外見が普通になれるように教えて!」と頼み込んだことがある。
時乃は毒づきながらもイメチェンに付き合ってくれた。昔の俺は暗くて、時乃と話すとき以外は他人と接するのに緊張して喋れなくなってしまったくらいなので、矯正するのに時乃には大分迷惑をかけた。
昔からそうだ。お風呂に入れないときも無理矢理家に連れ帰って風呂に沈めてくれたし、着替えも「もう入らないから」なんて背丈も違うのに用意してくれて、客観的に見て、彼にはだいぶ助けてもらった。
その後、満を持して美術部に入ったけれど。やっぱり春ちゃんは人気者で、見た目は変わっても、中身は奥手なままの俺はろくに話すことが出来なかった。
それからしばらくした時だろうか。春ちゃんが時乃に告白したという噂が流れたのは。
真偽のほどは直接聞いたことが無いが、「告られたの?」と時乃に聞いた時の気まずそうな表情を見るに、信じたくはないけれど、本当なんだろうなと思った。多分、俺に気を使ってくれたんだろうけど、そんなの要らないのにな、とも。
やっぱり春ちゃんに憧れていても、彼女は俺には遠すぎるし、付き合いたいとかもなんか違うと思っていた。でも、それ以上に「俺を救ってくれた二人なら良いや」と思っていたのもあったと思う。
それから中学を卒業して、時乃と同じ高校に、大学にと進んで、勝手に自殺されて今に至る。
俺はもう、時乃が死ななければ、自分の事なんて後はどうでもよかった。
時乃が、俺が他の人間と結ばれるのが耐えられないというのなら、俺は誰とも付き合わない。時乃には俺以外の回答を教えてやればいい。きっと時乃は、『俺が面倒を見てあげなければ』という憐みの感情を好きだと勘違いしているだけなのだから。だってそうじゃなかったら、時乃が俺を好きになる理由なんて俺には見当もつかない。
「カンパーイっ!」
グラスが打ち鳴らされる音が居酒屋の個室に響く。今日は油絵ゼミの男だけの打ち上げだった。本来、俺はこの打ち上げに参加していない。この打ち上げはそもそも、俺だけが課題を提出できるかできないかわからない状況だったので、開催されなかった。
それが、時乃の手によって何とか提出日一日前に終わらせることが出来た故に、ゼミ生の男全員が揃い、こうして飲み会を開く余裕が出来たのである。
「お前ら聞いて驚け! 今日はこの男臭いクソゼミに華をそろえてやった!」
コミュ強のゼミのリーダー格である同級生がもうすでに酔っぱらった口で強く叫ぶ。店に迷惑だ。「なになに?」と男共が小さく騒ぐ声を聴きながら、俺は内心ため息を吐いた。精神年齢だけ彼等と離れているので、若いテンションが辛い。このころは十代だ。二十代からしてみれば本気で辛い。しかもウチのゼミはほとんど男しかいないので本気でむさくるしい。だが、その言葉はすぐにどうでもよくなる。
「隣の女子美大からフリーの女の子連れてきました~!」
こんにちは~とぞろぞろ入ってくる知らない女子達。ウチのゼミの童貞たちは目に見えるくらいうろたえる。俺はその内の一人に目が離せなかった。
「春ちゃん……?」
コンサバ系、とでもいうのだろうか。女子アナウンサーの様な服を身に纏った彼女は小さい頃の面影を宿したまま、それでいて無駄な所をそぎ落としたような、すらっとした美人になっていた。
「黒川く……、時乃くん!?」
「春名さん……」
女子の群れに紛れていたのは春ちゃんだった。というか隣の美大に春ちゃんがいたのを四年間大学にいて初めて知った。春ちゃん美術部だったもんな。ちなみに俺も美術部だったが、実力は中学の時はバスケ部で、俺についてきて高校から美術部に入ってきた時乃に技術で負けている。油絵が向いてないだけだ。デジタルで漫画なら評価されているし……、というのは負け犬の遠吠えというものだろう。
「えーなに、あのイケメン春の知り合い?」
「小中の同級生だよ」
「やばー! 運命じゃん!」
はしゃぐ女子陣に男子陣は無言になる。女慣れなんてしていない、緊張している雰囲気の男子陣を放り、女子は主に時乃の周りに集まっていく。俺はそれを勝ち誇った眼で見ていた。
——あんたらがどんだけ媚びても時乃は俺が好きなんですよ!
このどんなに着飾った女どもよりも時乃はこんな平凡黒髪モサ陰キャの俺を選ぶのだ。そう思うと少しだけ優越感さえ湧いてくる。その中に昔ちょっと憧れていた春ちゃんがいるのがちょっと胸が痛むけれど。
そういえば、と思う。春ちゃんは結局のところ、未だに時乃の事が好きなんだろうか? 時乃に一途な保証はないけれど、見る感じ時乃を見る目は周りの女子と同じだ。やっぱり皆、平等女神様もイケメンには……。ま、相手が時乃なら春ちゃんを安心して任せられ……、そこまで考えてハッと気が付いた。
——春ちゃんと時乃がくっつけばハッピーエンドなのでは?
春ちゃんは多分時乃が好き、俺は良い子の春ちゃんなら変な女や男よりよっぽど時乃を任せられると思ってる、時乃は男、というか俺が好きだけど、彼女がいたこともあるから女もイケるはず、イコール春ちゃんも大丈夫。そして、きっと一度恋人関係になれば恐らく気持ちを向ける対象も変わる……、と仮定する。
つまり、だ。
上手くこの式を使えばみんな幸せ!
そうと決まれば、どうやって春ちゃんに興味が無い時乃と春ちゃんをくっつけるかだ。
時乃は俺が好きで、俺の為ならどんなこともやってくれる。それを利用すれば……、そうして少し考えてからひらめいた。これは俺がひと肌脱いでやろう。
全ては時乃が死なない未来のために!
「とーきのんっ! 連れションいこー!」
女子らが邪魔をするなとでもいう様に一斉にこちらを見る。女耐性が無いから少し怖かったけれど、そこは我慢だ。今は時乃の未来の方が大事! ずるずると引きずるように時乃を男子便所まで連れていく。誰もいないそこで、俺は時乃を壁に押し付けた。
「何が言いたいかわかるよな?」
所謂壁ドンの形であるが悲しいかな、時乃の方が頭一個分俺より背が大きいのでビジュアル的には悲しくなっている。
「……どーせ、春名さんとの仲を取り持てとかだろ」
「ビンゴ! でも俺は春ちゃんから何とも思われてないだろうから、こう……時乃から俺のプレゼンをしてほしいわけ! つまりは、俺の為に時乃が春ちゃんと仲良くなってほしいって話!」
「周りから好印象を聞かせられることで良い奴に見せるってこと?」
「理解が早くて助かる!」
まずは時乃と春ちゃんの接点を増やす。
俺の事は話のネタでいい。春ちゃんが時乃の好きだと仮定したら、それをきっかけにこの機会に仲良くなろうとするだろう。少なくとも、恋活アプリみたいにだんだん話題が無くなってフェードアウトという事は無いはずだ。それに時乃には俺の良い所をアピールしてくれと伝えてある。時乃は俺の事が好きが故に、万が一があったとしても俺が良く思っていた春ちゃんを途中でポイ捨てする事は無いはずだ。
「……はあ。お前がそれで喜ぶなら頑張る、けど……」
「頑張れ! あ、別に時乃が春ちゃん好きになっても責めないからな!」
「……おー」
「よし! じゃあ行ってこい! ミッション開始!」
「はー……」
気乗りしなさそうな時乃がトイレから出るのを手を振りながら見送ると上がっていた表情筋がスッと元に戻った。
「……敵に塩送るってこういうこと言うのかなー……」
さて。ゼロがイチになる程度の軌道修正でしかないが、現時点で微力ながらやれることはとりあえずやった。時乃の今まで付き合ってきた女の子の趣味はばらばらだ。本人曰く「付き合ってって言われたら付き合う」らしい。
だからこの飲み会で春ちゃんに接触させたのは正解なはずだ。もし、春ちゃんが時乃に告白すれば、時乃は今までの経験上、それを断らない。春ちゃんはどんな男にも平等な女神だけど、それでも女の子だ。時乃に気に入られて嫌なはずがない。
「しばらく時間潰しとくか……」
すぐ戻っては時乃と春ちゃんの交流時間が短くなる。ゼミの連中は珍しい女子に夢中で俺が居る居ないなんて気づきもしないはずだし。
いっそのこと帰ろうかと思ったが、そうすると時乃がついてくる可能性が高い。そうなるとトイレに籠城するしかなくなる。
俺はソシャゲを起動して洗面台の前に座り込む。このトイレが広くて助かった。トイレが一室しかないタイプだったら死んでいたが、ここは個室が二つもある上に洗面台が広い。
しばらくソーシャルゲームの周回に精を出していると、ギイっと古めかしい音を立てて、扉が開く。お客さんか、そう思いながら顔を上げるとそこには時乃が不服そうな顔で俺を見下ろしていた。
「お前を迎えに来た。二次会するって。費用は男持ちで」
「春ちゃんは?」
「オレが来るならって」
どうやら俺のちんけな作戦は成功していたらしい。俺は財布から一万円札を取り出すと、時乃に押し付けた。
「俺の分までよろしく!」
「……まだ接待しろってこと?」
「そう! 今日は帰ってこなくていいから!」
「……そういう人任せばっかしてると、お前の好きな春ちゃん、オレが取っちゃうかもしれないぞ。オレは告られたら誰でもOKしちゃうし」
「いいよ」
俺は努めて冷静な言葉で答えた。
「春ちゃんは俺にとってそういうのじゃないし。それに、春ちゃんと時乃なら俺は良いかな~って思ってる」
そう言われた時乃は表情を曇らせる。それはそうだろう。時乃は俺の事が好きなのだ。好きな人に他人との恋路を、しかも全然好きじゃない相手との恋愛を応援されるなんて嫌がらせ以外の何でもない。
でも、俺は時乃の気持ちには答えられない。
だって、漫画みたいに恋をしたとして、仮に成就したとして。その先は別れしかないじゃないか。それの何が良いんだ。俺は時乃の傍に居られなくなるなんて嫌だ。
——それに、一度時乃を殺した俺は、時乃を差し置いて先に幸せになれない。
だから、俺の為にも二人で幸せになってほしい。
自分勝手なのもわかってる。時乃に酷い事しているのもわかってる。でも、俺にはこれ以外方法が思いつかない。
「あの子から告られても、了承して本当にいいんだな?」
「勿論。俺にとって春ちゃんはそういうのじゃないから。むしろ俺の想いに応えるのは春ちゃんじゃねえ」
時乃は一つ舌打ちをした。機嫌は思いきり悪いようだ。そりゃそうか。
「……じゃ、お前の希望通り朝帰りするわ。今日はひとりで怖がりながら寝てろ」
「いや俺ひとりで寝れない歳じゃないから」
ひらひらと手を振って笑うと、時乃は不服そうな顔でトイレから出て行った。
「……ごめんな、時乃」
でも春ちゃんは良い子だし、あの子になら時乃を任せられるんだ。
「はい、消しゴム落としたよ」
そう言って俺に笑いかけた彼女に、初めて憧れを覚えた。
春ちゃんと出会ったのが小学四年生の時。それから数年間、俺は一方的に春ちゃんを見ているだけだった。彼女は他の女子の様に俺をキモがったり、厳しくなくて。当時、父親と母親からネグレクトを受けていて、まともな身なりをしていなかった俺にも、悪口を言わず優しく接してくれた時乃以外の唯一の人だった。
だれもかれも同じ対応。そんな差別しないやさしさに、俺は強く憧れたんだと思う。
中学で俺が両親から祖父母に預けられるようになって、心に余裕が出来た時、唯一の友人である時乃に「外見が普通になれるように教えて!」と頼み込んだことがある。
時乃は毒づきながらもイメチェンに付き合ってくれた。昔の俺は暗くて、時乃と話すとき以外は他人と接するのに緊張して喋れなくなってしまったくらいなので、矯正するのに時乃には大分迷惑をかけた。
昔からそうだ。お風呂に入れないときも無理矢理家に連れ帰って風呂に沈めてくれたし、着替えも「もう入らないから」なんて背丈も違うのに用意してくれて、客観的に見て、彼にはだいぶ助けてもらった。
その後、満を持して美術部に入ったけれど。やっぱり春ちゃんは人気者で、見た目は変わっても、中身は奥手なままの俺はろくに話すことが出来なかった。
それからしばらくした時だろうか。春ちゃんが時乃に告白したという噂が流れたのは。
真偽のほどは直接聞いたことが無いが、「告られたの?」と時乃に聞いた時の気まずそうな表情を見るに、信じたくはないけれど、本当なんだろうなと思った。多分、俺に気を使ってくれたんだろうけど、そんなの要らないのにな、とも。
やっぱり春ちゃんに憧れていても、彼女は俺には遠すぎるし、付き合いたいとかもなんか違うと思っていた。でも、それ以上に「俺を救ってくれた二人なら良いや」と思っていたのもあったと思う。
それから中学を卒業して、時乃と同じ高校に、大学にと進んで、勝手に自殺されて今に至る。
俺はもう、時乃が死ななければ、自分の事なんて後はどうでもよかった。
時乃が、俺が他の人間と結ばれるのが耐えられないというのなら、俺は誰とも付き合わない。時乃には俺以外の回答を教えてやればいい。きっと時乃は、『俺が面倒を見てあげなければ』という憐みの感情を好きだと勘違いしているだけなのだから。だってそうじゃなかったら、時乃が俺を好きになる理由なんて俺には見当もつかない。
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