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ep25.第一幕【日南芽衣子の独白】

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 ——私、日南芽衣子にとって世の中というものはとてもつまらないものでした。
 なんでも思い通りになるのだから当然です。裕福で仲の良い両親、私を好いてくれる弟、友人や上司にも恵まれ、学園では私は才女と呼ばれていました。何の努力もしていないのに。なんておかしいのでしょう。弟の言葉を借りるならば「この世はヌルゲー」とでも言いましょうか。それほどこの世界は私に都合がよく、くだらない物語でした。きっと私は何の挫折も無く大手企業に就職し、何の挫折も無く良い人と結ばれ結婚し、絵に描いたような家庭を築き、皆が羨むような理想の死が約束されている、それがわかっているから、つまらないのです。なにもかも思い通りに行く人生ほど、退屈なものはございません。
 ですが、そんな私に転機が訪れたのです。
 今日、運命の人と出会いました。
 私のバイト先の塾に赴任してきた、星川糺先生。
 先生は、とても素敵な人でした。芸能人みたいに格好良くって、博識で、お金持ちで。私の配偶者になる殿方は、きっとこんな人なのだと思います。ですから、私はご挨拶したのです。話しかけるきっかけに、彼が持っていた探偵小説を使って。
「その本、私も好きなんです。気が合いますね」
「貴方は?」
「日南芽衣子と申します。ご挨拶が遅れました、この塾の事務員です」
「そうなんですね、わ~、うれしいなあ」
そうしたら、彼は、私に笑いかけてくれました。
「僕、好きな本が一致した人と出会うの初めてなんです。ぜひ仲良くしてくださいね」
 初めて、自分以外の他の人間に見惚れてしまいました。私は、恋をしてしまったのです。きっと、きっと、この人が私の運命の人なのです。そう思ったので、私は待ちました。私は、殿方から好意を貰わない日はありませんでした。実の弟ですら、私に好意を持っているくらいなのです。星川先生も、きっと私の事を好きになってくれると思っていました。恋人がいるかと聞いたこともありました。幸いなことに、彼には恋人はいないようです。近くのマンションに寂しくひとり暮らしをしていると。
 必ず、この人は私のものになる。そう思っていました。
 ですが、待てども待てども。彼は私に告白をしてくれません。歳の差を気にしているのでしょうか? 確かに私は大学生で、彼は私よりも年齢が上ですが、歳の差恋愛等、今時珍しくないでしょう。私の学友にも、年上の恋人がいる子は沢山います。
 恥ずかしい話ですが、所謂アピールというものは数えきれないほどしました。ですが、彼が見ていたのは私ではなく、別の女——、アルバイトの女教員だったのです。
 初めて、嫉妬という感情を覚えました。
 あの女を排除しなければならないと思いました。星川先生も趣味が悪い、あんなブスの何が良いのでしょうか。私には理解できません。ですから、私は、あのブスを処分しようとしました。職場では、私の言う事を聞いてくれるゴミは山ほどいます。それらを使えば、あの女を辞めさせることなど容易いことです。そう思っていました。あの女と彼の話を聞くまでは。
「ストーカーに困っているんですか? じゃあ僕が家まで送りますよ」
 星川先生はあのブタにそう言いました。あのブスに付きまとって辞めるまで追い込めと指示したのは私です。まさか、こんな展開になるなんて。私は奥歯を噛み締めました。
 どうしたら星川先生は私の事を見てくれるのでしょう?
 私は考えました。考えました。考えて考えて、たどり着きました。
 ——私も被害者になればいいんだ、と。
 そこからは簡単でした。前から私に好意を抱いていたゴミに適当な事を他人経由で吹聴し、付きまとわせました。そして、星川先生とふたりきりの時に「不審者に付きまとわれていて」と泣きつきました。正義感が強い方なのでしょう。ブタが卒論で忙しくなって、バイトを辞めた後でしたので、あの女も一緒に、ということも無く。毎週、バイトの度に彼は私を家まで送ってくれました。
 さて、問題はここからです。ここからどうやって恋人まで持っていきましょう?
 私は悩みました。そこで、気が付いたのです。共通の話題であるミステリー作家の新刊が数日後に発売されることに。「一緒に買いに行きませんか?」女性からそう誘うのははしたないことだとは思いますが、星川先生は私を見てくれません。断腸の想いで、私は彼を誘いました。彼は二つ返事でそれを了承してくれました。人生で初めてのデートは楽しかったです。無理を言って一緒にプリクラを取ったり、カフェに行ったり、本屋でウインドウショッピングをしたり。いつも周りにゴミしかいないので、私はデートをしたことがありません。殿方とのデートは初めてで緊張しましたが、私はあの時、世界で一番幸せでした。
「僕、塾を辞めるんだ」
 あの言葉を聞くまでは。
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