上 下
16 / 60

ep16.証言➁

しおりを挟む
 夢を見た。
 部屋で男に出会う夢だ。
 男は顔は見えないが、今日も香水のいい香りを身に纏っている。顔も覚えていないのに香りだけ覚えているのは、嗅覚が一番脳に記憶として残りやすいからかもしれない。
『今日からきみの家庭教師をする――――だ。よろしくね』
 男はしゃがみこむ俺に目線を合わせてそう言った。
『姉さんは……』
『そのお姉さんに頼まれたんだよ』
 その頃、家庭内で姉には避けられていた。なぜかはわからない。告白したから? と思ったが姉のような人間がそんなことをするはずがない。
『お姉さんがバイト中は僕がきみの面倒をみることになったから、よろしくね』
 顔は真っ黒に塗りつぶされてよく見えない。だけど、その男の顔が見るに耐えないものではないことだけは俺は自信を持って覚えていた。

「バイト先に行ってきたよ」
 それから二日後、葛西がまたボイスレコーダーを持って家を訪れた。
「早いな」
「えへへ、もっと褒めてくれていいよ」
「調子に乗るな……」
 ボイスレコーダーを葛西からひったくり中身を再生する。そこには過去、姉の同僚であったであろう男性の証言が入っていた。

〈——芽衣子の上司の証言——〉
『いやあ、こんなに貰ってしまってすまないね。日南くんの話だっけ? だいぶ昔の話だから、あやふやなところがあったら申し訳ない』
『彼女の勤務態度は真面目だったよ。半年間、週五も入ってくれてね、それでいて亡くなる直前は単発で別の仕事もしてるっていうんだから勤勉な子だった。……その別の仕事? そこまではわからないな。教えてくれなかったから』
『気になった事?……なんだか私のことをじっと見ていることが多かったくらいかな!いや~、私には妻も子供もいるのにモテちゃうからいけないんだよね~。日南くんもまさか私に好意を抱いていたとか……なんてね!』
〈——証言終了——〉

「んな訳ねーだろハゲ」
「よく相手の頭髪が心もとないのがわかったね。やはり君にも探偵の才能がある」
「ねーよ」
 大切な姉に無粋な発言をされたことにより俺は怒りに震えていた。もし、目の前にこの男がいたらきっと何かしてしまっていたと思う。葛西に行ってもらってよかった。
「でもこれでも彼女が副業をしていたことがわかったからね。いい収穫だよ」
「副業? 短期バイトとか?」
「うん、これは雑談中に聞いたことだからデータは無いけど、亡くなる直前は午後は塾、午前は別で何か動いていたらしい。急に別の子にシフト変わってもらったりもしていたみたい。日南くんは、そのあたり彼女がなにか言ってたとか覚えてない? 急に遅くなったとか」
「そういえば……」
 大学というものがよくわからなかったから気にもしなかったが、夕方に帰ってくる日と夜遅くに帰ってきた日があった気がする。「どこに言ってたの!」と詰め寄ると飲み会だと言われていたから、飲み会だと思っていた。あれは嘘だったんだろうか。
「あるんだね。だったらその"用事"を当たれば何かわかるかもしれないが、悪いね、それがまだわかってないんだ。給与明細でもあればいいんだけど、この前の家探しでは見つからなかった」
 調べてないのはこの鍵のかかった机くらいだね。葛西は指でデスクの引き出しを叩くと残念そうな顔をした。
「ピッキングは得意だろ。不法侵入者」
「あはは……、でも、ここを開けるのは最終手段にさせてくれ」
「?」
「まだ準備ができてないんだ」
 葛西はそういうと困ったように笑った。らしくない。今までだったらすぐに開けていたのに。
「日南くんは何か思い出したりした?」
「ええっと、プリクラ? その先生と撮ったプリクラがあること思い出した」
「写真か。いいね、見せてくれ」
「俺も怖くてまだ確認してないんだけど……」
 俺は姉の手帳型スマホケースを取り出すと、そこからスマホカバーを引っぺがす。携帯の電池パックの裏にプリクラを貼っつけてた世代だ。古いなとは思うが当時は何も思わなかった。スマホの裏には記憶通りプリクラが貼ってあった。笑顔の姉と、ぎこちない表情の男。
「こいつだ……」
 俺はこの男に会ったことがある。
「こいつが姉さんを……」
 パーマがかかった髪に切れ長の目、口元のほくろが印象的な二十代後半くらいの男だった。
しおりを挟む

処理中です...