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ep5.墓参り

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『本当にすまない……』
「まず約束してないってことわかってる?」
 朝の十一時。おおよそ三十八回プラス一の着信音に起こされた俺は朝っぱらから男の声を聞くことになった。寝起きの働かない頭の為に内容を整理すると今日は用事があるから遊べないということ。ちなみに俺はKと遊ぶ約束はしていないし、ついでにケー番も教えていない。
「まー、俺も今日は用事があるから家来られてもいなかったしな。ピンポン連打とか不法進入されても困るし逆に電話してきてもらって助かったわ」
『えっ、きみに用事なんてものがあるのかい?』
「殺すぞ」
 今回はその電話に免じて個人情報をパクった事を許してやろうと思ったがやっぱり然るべき所に相談してやろうか。
『あ、ごめんもう着くみたいだ。今日のお詫びはまた今度するね!』
「…………」
 切れた。一方的にかかってきて一方的に切れた。スピーカーから流れる無音にため息をつく。
「……早起き出来たからいいか」
 そう思おう。寛容的になることが生きる上で大事なのだ、たかが自由過ぎる無職に振り回されたくらいでイラついていてはいけない。無職っていうのは自由な職業でアレは通常運転なのだ。次会ったらシメよう。
 予定の時間まであと五時間位ある。が、誰と約束してるわけでもないし正直いつだっていいのだ。せっかくだし早めに行って外で昼飯を食うのも悪くない。キチンとした服に袖を通し髪の毛を整える。この間久しぶりに美容院に行った。自分の外見には余り興味はないけれど(そもそも外に出ないし)毎月この日は別だ。特に今日は一番大事な日だから外に出て、近くの花屋で花を買った。
 久しぶりに電車に乗った。タクシーに乗っていけと両親には言われたけれど電車に乗った。それはただの気分の問題かもしれないし、ちゃんとやろうと思えば社会生活が出来るという証明かもしれなかった。どちらにしても言えるのは今日だけは最後に会ったままのちゃんとした姿でいたかったということだ。それは例えるならば久しぶりに帰省して会う両親に良い顔したいみたいな気持ちに似てるかもしれない。いや、似てるじゃなくてそのままか。
「姉さん」
 彼女はただ石みたいにそこに立っていた。何も言わずに俺を見ていた。最後に会った時と変わらず綺麗な姿でそこで誰かを待っていた。その誰かは多分俺ではないけれど、その人の代わりに俺は姉に声をかける。
「……久しぶり。元気?」
 答えはない。何故なら俺はそこまで狂えなかったからだ。とても悲しかった。辛かった。一度は後を追いかけた。それでもまだ声も聞こえない。姿だって見えたりしない。もしかしたらそういうものが見える人よりは悲しんでいないのかもしれない。自分の気持ちなんてわからないけれど。もう自分がどんな気持ちだったかも忘れてしまった。三年前から靄がかかっている頭ではただ悲しいとしかわからない。深さなんてものを考える元気なんてもうないからだ。
「俺はね、元気。すごい元気。病気も怪我もしなかったよ」
「そう」
「…………」
 自分で返事をしてみても虚しいだけだった。姉の様な高い女性らしい声は自分は出せないし、仮に出せたとしても同一の名称の器官から発せられても本人のものではなければそれは偽物でどうやっても同じにはならない。姉の声はもう一生聞くことはないだろう。
 三年前の今日、姉はこの世界から居なくなった。
 自殺だった。ただ姉の人生はいつも上手くいっていたから死ぬ必要なんかなかった。少なくともずっと近くで見ていた俺にはそう思えた。容姿端麗、完璧超人、文武両道?身内の色眼鏡で見ていた部分があったとしてもそういう言葉がパズルのピースのようにピッタリハマる、そういう女である姉は大衆が言う勝ち組のレールを死ぬまで通って行くはずだったんだと思う。良いとこの会社に勤めて、あの美貌だからいい人と結婚して子供が出来て?
 幸せに生涯を全うするはずだったんだ。きっとあの男に出会わなければそうなってたはずだったんだ。三年前の、こんな天気の昼、姉からメールが来たのだ。今日は何か用事があるか、と。その日は授業が最後まであったから少し帰宅が遅くなる予定だった。ああ、そうだ。どうしてあの時直ぐに家に帰らなかったんだろう。あの日早退でもなんでもしていれば姉さんは、どうして。
 その日の夕方、親から電話が来た。俺は教室で友達と世間話をしていたと思う。最後に姉を見たのは病院だった。顔は見せてもらえなかった。家に帰ると部屋に俺宛の手紙が置いてあった。何故俺宛なのかはわからない。姉は両親と仲が良かったから両親への言葉もあるのかと思ったけれど、両親へは一言もなかった。俺にもなかった。あったのはただの事後報告。姉に初めて貰った手紙は遺書だった。笑える。あの人に選ばれなかったので死にます。遺書に書かれていたのはそれだけだ。他には何も書かれていなかった。残していく家族とか、友人とか、俺だとか、他の人間へのメッセージなんて一つもない。姉が最後に想ったのはあの男だけだったのだ。
 あの男一人に、姉の周りの世界全てが負けた。たった一人にフラれたから死ぬなんて姉にとって俺たちはなんだったんだろう。俺や他の世界は姉にとって現実に引き止めるものにはならなかった。
 今でも考えることがある。姉が覚悟を決める前に俺が出来ることは何もなかったのか。俺は姉をここに止めることは出来なかっただろうか。少なくともメールを送った時、姉は生きていたのだ。SOSに気づいていれば何かできたかもしれないのに。
「…………あれ」
 暮石のそば、普段なら何もないそこに花束が立てかけてあった。中身は菊などでは無く墓地には似合わない華やかなもの。
「こんなもん誰が置いたんだよ。仏花じゃないとか非常識すぎんだろ」
 白い薔薇をメインにしたそれはまるで結婚式のブーケの様で綺麗ではあるがこの空間には場違いに浮いている。俺は自分の持って来た花を活けてブーケを手に取った。いやに目立つし誰からかもわからない。男だったら最悪。殺したい。いっそ処分してしまおうかと思ったが抑えて元の場所に戻す。
「……でも姉さんは喜ぶかもなぁ、綺麗なの好きだし」
 それにまだ姉のことを大事に想ってくれる人がいるのは……、男だったら本当嫌だけどまぁ嬉しいと思う。微妙な気持ちを抱きながら俺は暮石の掃除の準備を始めた。
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