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30話 押して駄目なら引いてみろ
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『無理しなくていいですよ』
『こちらご覧になってみては?』
二つのメッセージを続けて送信した後、三つ目にはURLだけを書いたメッセージを送信する。
リンクを踏むと、おふらんす書房の公募情報ページに飛ぶ。
送信したそばからメッセージは既読となった。
それからの、返信を待つ時間がもどかしい。
きっと今頃、田原小鳩――ことり先生は、おふらんす書房の公募要項を読んでいるはずだ。
高野先輩に教えてもらった通り、おふらんす書房の新人賞の下限文字数はおおよそ八万文字。原稿用紙換算の掛け算を、田原小鳩が暗算する。
私のそっけない返信については、どう思っているだろうか。
怒るだろうか。私なら怒るけれど、田原小鳩は私ではない。だから分からないし、祈るしかない。彼にとって私の言葉が、無感動なものじゃありませんように。
怒る、嘆く、呆れる。なんでも良いけれど、なにかしらの影響を与えられますように。
――押して駄目なら引いてみろ、とは言うけれど。
どれくらい押して駄目だったときに、どれくらい引けば良いのだろう。
田原小鳩からの返信を待つ時間が永遠に感じられる。否、本当に、永遠に待つことになるのかもしれない。
だって、突き放したのは私だから。
でも返信が欲しい。返信の内容によっては、次はぐっと押す一手を考えている。
スマートフォンにかじりつく姿勢でいると、肩に力が入って暗い気持ちになってくる。
『肩に力が入って前傾してる』なんて、高野先輩の声が聞こえてきそう。
そうだ、こんなときは……。
「ダウンドッグのポーズ!」
休憩室で高野先輩がしていたように、頭を下げて、四つん這いの姿勢から腕と脚をぴんと伸ばして、お尻を頂点にした三角形をつくる。いつもの私だったら絶対しないような格好をしているのが、おかしい。
落ち着かない気持ちは変わらないけれど、なるようになれ! という開き直りがどこかから生まれてくる。膝裏とか、背中とか、伸ばされた部分の血が巡っているのが分かるから、その血が開き直りを運んできてくれたのかもしれない。
回していけ、血流。開いていけ、体。動け、運命の輪。
そのときだった。
ぽん、とトーク画面に吹き出しが表示される。田原小鳩からの返信だ。
「わあ! うわ! 背中つる! え、ちょっと! わあーー!!」
スマートフォンを手に取ろうと急激にポーズを変えたために、私は部屋でひとりゴロンゴロン転がる羽目になった。何やってるんだろうほんとに。
ほふく前進みたいに這いつくばってスマートフォンを取り、画面を覗く。
『僕がこれから書くのはリリンの八万文字です』
トーク画面にはそう表示されていた。
「ぅよっし!」
思わずガッツポーズを取った私は、そこから天に向けて腕を伸ばして、なんらかの神聖っぽいものに感謝の意を示した。
「田原小鳩さんを、また『ことり先生』と呼べるようになりました。ありがとうございます」
ふわっとした神聖っぽいもののイメージにむけて、そんな言葉を呟いてみる。
それから、私は田原小鳩、否、ことり先生に向けての返信を作成する。さっき変な風にねじった背中が痛い。
よし、追撃開始だ。メッセージを送信しようとした瞬間、ピポパポパポ パポパパン と能天気な着信音が響く。画面が着信を告げるものに切り替わり、その中心には田原小鳩のアイコンが丸く表示されている。
アイコンはモーミンカフェの翌日から、モーミンのぬいぐるみのアップに変わっていて、やっぱりことり先生は可愛いものが好きなんだなあと私をにまにまさせた。
というのは今は良いとして、私は可及的速やかにこの受話器を上げなくてはならない。正確には受話器のアイコンを上方向にスワイプしなくてはならない。
ので、そうした。
すぐに、スマートフォンからは息の音が聞こえてくる。
言葉を発する前に、彼は息を吸う癖がある。
「もしも、し?」
「なんで疑問形なんですか」
そうツッコミ返しつつも、私は彼の声が落ち着いていることに安堵している。そして懐かしさも覚えている。
連絡をとっていなかった期間は二週間ほどなのに。
「通話出来て良かったなあと思って。電話口の向こうに奔馬さんが居るのが、なんだか信じられなくて疑問形になりました」
尖ったところのない声色に話し方だ。でも、語尾が少しだけ揺らいでいる。
多分、私も同じような響き方の声になってしまうだろうと思いながら、口を開く。胸の深いところから湧き上がる言葉が、喉のところで渋滞して、それぞれが先を急ぐので混乱を起こしている。
「さっきのメッセージですが……」
と切り出す声が震えるのは仕方のないこと。うん。続けよう。声がひっくり返っても。
「リリン向けに長編を書く気になったということだと解釈しました。どうして急に、気持ちが変わったんですか?」
「それは『リリン』の、あの、かに座の、いや、なんでも無いです。エアコンで、その、部屋が冷えて。これも違うな。ええとシャツ、わざわざクリーニングして返して下さってありがとうございました」
「落ち着いてくださいことり先生。ええと、シャツ返すの遅くなりましてすみません。それにメッセージも、冷たかったですよね。ヒエヒエですよね。ごめんなさい。かに座? かに座なんですかことり先生」
「そうですけどそれは今いいです。奔馬さんこそ落ち着いて下さい」
ちょっと間があって、また、ことり先生が、すぅ、と息を吸う音が聞こえた。
「理由はいいじゃないですか。とにかく、メッセージで送ったとおりです。僕の「← こっち」は今のところリリンです。書きたいと本気で思ってるんです。奔馬さんが嫌だと言っても相談を持ちかけます。書きたいんです。一作入魂で行きますから、っった! なんか踏んだ!」
どうやらことり先生は、部屋をうろつきながら話していたらしい。熊みたいに部屋をぐるぐる回る姿を想像して、なんだか可笑しくなった。
かくいう私も、つった背中はいまだに痛いのだが。
「何踏みました?」
「あー、コンセントですね。痛い。それより僕、書きたいのは書きたいのですが、書くことへの恐れがまだ克服出来ていない状態なんですね。それで『リハビリ』という言葉を使ってしまって、すみません。その状態ですから、長編をと勧められて思わず意固地になってたんです」
ことり先生の声がまた自信なさげにゆらいだ。
「私こそ、すみませんでした。ことり先生の状況、分かっていたはずなのに、すねたりして。……これから、ひとつデータを共有しても良いですか?」
押して駄目なら引いてみろ。そこで相手が押してきてくれたら、次はこちらから押し返す番だ。
策は有った。
『こちらご覧になってみては?』
二つのメッセージを続けて送信した後、三つ目にはURLだけを書いたメッセージを送信する。
リンクを踏むと、おふらんす書房の公募情報ページに飛ぶ。
送信したそばからメッセージは既読となった。
それからの、返信を待つ時間がもどかしい。
きっと今頃、田原小鳩――ことり先生は、おふらんす書房の公募要項を読んでいるはずだ。
高野先輩に教えてもらった通り、おふらんす書房の新人賞の下限文字数はおおよそ八万文字。原稿用紙換算の掛け算を、田原小鳩が暗算する。
私のそっけない返信については、どう思っているだろうか。
怒るだろうか。私なら怒るけれど、田原小鳩は私ではない。だから分からないし、祈るしかない。彼にとって私の言葉が、無感動なものじゃありませんように。
怒る、嘆く、呆れる。なんでも良いけれど、なにかしらの影響を与えられますように。
――押して駄目なら引いてみろ、とは言うけれど。
どれくらい押して駄目だったときに、どれくらい引けば良いのだろう。
田原小鳩からの返信を待つ時間が永遠に感じられる。否、本当に、永遠に待つことになるのかもしれない。
だって、突き放したのは私だから。
でも返信が欲しい。返信の内容によっては、次はぐっと押す一手を考えている。
スマートフォンにかじりつく姿勢でいると、肩に力が入って暗い気持ちになってくる。
『肩に力が入って前傾してる』なんて、高野先輩の声が聞こえてきそう。
そうだ、こんなときは……。
「ダウンドッグのポーズ!」
休憩室で高野先輩がしていたように、頭を下げて、四つん這いの姿勢から腕と脚をぴんと伸ばして、お尻を頂点にした三角形をつくる。いつもの私だったら絶対しないような格好をしているのが、おかしい。
落ち着かない気持ちは変わらないけれど、なるようになれ! という開き直りがどこかから生まれてくる。膝裏とか、背中とか、伸ばされた部分の血が巡っているのが分かるから、その血が開き直りを運んできてくれたのかもしれない。
回していけ、血流。開いていけ、体。動け、運命の輪。
そのときだった。
ぽん、とトーク画面に吹き出しが表示される。田原小鳩からの返信だ。
「わあ! うわ! 背中つる! え、ちょっと! わあーー!!」
スマートフォンを手に取ろうと急激にポーズを変えたために、私は部屋でひとりゴロンゴロン転がる羽目になった。何やってるんだろうほんとに。
ほふく前進みたいに這いつくばってスマートフォンを取り、画面を覗く。
『僕がこれから書くのはリリンの八万文字です』
トーク画面にはそう表示されていた。
「ぅよっし!」
思わずガッツポーズを取った私は、そこから天に向けて腕を伸ばして、なんらかの神聖っぽいものに感謝の意を示した。
「田原小鳩さんを、また『ことり先生』と呼べるようになりました。ありがとうございます」
ふわっとした神聖っぽいもののイメージにむけて、そんな言葉を呟いてみる。
それから、私は田原小鳩、否、ことり先生に向けての返信を作成する。さっき変な風にねじった背中が痛い。
よし、追撃開始だ。メッセージを送信しようとした瞬間、ピポパポパポ パポパパン と能天気な着信音が響く。画面が着信を告げるものに切り替わり、その中心には田原小鳩のアイコンが丸く表示されている。
アイコンはモーミンカフェの翌日から、モーミンのぬいぐるみのアップに変わっていて、やっぱりことり先生は可愛いものが好きなんだなあと私をにまにまさせた。
というのは今は良いとして、私は可及的速やかにこの受話器を上げなくてはならない。正確には受話器のアイコンを上方向にスワイプしなくてはならない。
ので、そうした。
すぐに、スマートフォンからは息の音が聞こえてくる。
言葉を発する前に、彼は息を吸う癖がある。
「もしも、し?」
「なんで疑問形なんですか」
そうツッコミ返しつつも、私は彼の声が落ち着いていることに安堵している。そして懐かしさも覚えている。
連絡をとっていなかった期間は二週間ほどなのに。
「通話出来て良かったなあと思って。電話口の向こうに奔馬さんが居るのが、なんだか信じられなくて疑問形になりました」
尖ったところのない声色に話し方だ。でも、語尾が少しだけ揺らいでいる。
多分、私も同じような響き方の声になってしまうだろうと思いながら、口を開く。胸の深いところから湧き上がる言葉が、喉のところで渋滞して、それぞれが先を急ぐので混乱を起こしている。
「さっきのメッセージですが……」
と切り出す声が震えるのは仕方のないこと。うん。続けよう。声がひっくり返っても。
「リリン向けに長編を書く気になったということだと解釈しました。どうして急に、気持ちが変わったんですか?」
「それは『リリン』の、あの、かに座の、いや、なんでも無いです。エアコンで、その、部屋が冷えて。これも違うな。ええとシャツ、わざわざクリーニングして返して下さってありがとうございました」
「落ち着いてくださいことり先生。ええと、シャツ返すの遅くなりましてすみません。それにメッセージも、冷たかったですよね。ヒエヒエですよね。ごめんなさい。かに座? かに座なんですかことり先生」
「そうですけどそれは今いいです。奔馬さんこそ落ち着いて下さい」
ちょっと間があって、また、ことり先生が、すぅ、と息を吸う音が聞こえた。
「理由はいいじゃないですか。とにかく、メッセージで送ったとおりです。僕の「← こっち」は今のところリリンです。書きたいと本気で思ってるんです。奔馬さんが嫌だと言っても相談を持ちかけます。書きたいんです。一作入魂で行きますから、っった! なんか踏んだ!」
どうやらことり先生は、部屋をうろつきながら話していたらしい。熊みたいに部屋をぐるぐる回る姿を想像して、なんだか可笑しくなった。
かくいう私も、つった背中はいまだに痛いのだが。
「何踏みました?」
「あー、コンセントですね。痛い。それより僕、書きたいのは書きたいのですが、書くことへの恐れがまだ克服出来ていない状態なんですね。それで『リハビリ』という言葉を使ってしまって、すみません。その状態ですから、長編をと勧められて思わず意固地になってたんです」
ことり先生の声がまた自信なさげにゆらいだ。
「私こそ、すみませんでした。ことり先生の状況、分かっていたはずなのに、すねたりして。……これから、ひとつデータを共有しても良いですか?」
押して駄目なら引いてみろ。そこで相手が押してきてくれたら、次はこちらから押し返す番だ。
策は有った。
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