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29話 今週のかに座さんへのアドバイス
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Side:田原小鳩
『好きなテーマを書かれた方が良いかもしれないですね』
『ことり先生は私に合わせて下さってるだけだから』
『つまり元に戻るということです』
エアコンによってキンキンに冷やされた部屋で、先程宅配で受け取ったチェックシャツを抱え込みながら、奔馬鹿ノ子さんから送られてきたメッセージを眺めていた。
シャツは以前、彼女がスカートに飲み物をこぼした際に貸したもので、クリーニング済のタグが着いている。気にしなくても良いのに、と考えながら片手でホチキスどめされているタグを弄る。針の折りたたまれた部分が乾燥した指の腹に食い込むのを、さらに深く深くするように、強く指を押し付ける。
部屋は冷え続けている。鳥肌がたちはじめている。
僕はこのタグを外して、チェックシャツを羽織るべきだ。
でも出来ないでいる。
彼女のメッセージは、十六時という中途半端な時間に送られてきていた。おかげで僕がメッセージに気づいたのは、仕事を終えてからだ。会社のロッカーの前で立ち尽くしながら、三時間前に送信されたメッセージを確認する僕は、振られたか、はたまたぶっ込んでいた仮想通貨が大暴落したか、というように見えたことだろう。まあ、会社には僕に興味のある人間は居ないし、別に仮想通貨にぶっ込んでいたわけでもない。そして彼女――奔馬鹿ノ子さん――とは振った振られたなんて関係でもない。
それでもそう見えそうな立ち姿でいただろうってだけ。
ちなみにチェックシャツは帰宅してすぐに、見計らったようなタイミングで宅配業者が運んできた。荷物は十九時から二十一時の時間帯指定で送られてきていて、伝票にはさらに手書きで『できるだけ遅い時間に!!』と書かれている。そこに、荷物を確実に受け取らせようという彼女の意志を感じる。
じゃあ、メッセージは?
今までならば、僕がすぐに確認出来る時間に送られてきていたメッセージが、ランチ時でも就業後でもない中途半端な時間に送られてきたのはなぜだ?
内容と合わせて考えると、僕にはひとつしか解が浮かばなかった。
「見捨てられた、か」
深爪気味でささくれだらけの親指で、衿の内側のサイズタグに取りつけられた、クリーニング済みのタグのホチキスの針をひらく。
指にホチキスの針が突き刺さり、ぷくりと赤い球が浮かぶ。
親指同様にささくれだった気持ちで、傷ついた指を口に運んだ。当たり前に鉄さびの味がする。
そして、奔馬さんとの作品作りに本気で取り組んでいない、という誤解をうけた僕が見捨てられるのも、やっぱり当たり前のことだと思った。
シャツに腕を通すと、自覚していた以上に体が冷え込んでいたことが分かる。寒かったのだなあと、気付く。
作品を読んでくれた、奔馬さんの存在が嬉しかった。奔馬さんが現れたことで、僕は作品を読んでくれる相手に飢えていたことに、気付いた。
備え付けの古いエアコンは、設定温度を上げると途端に動きが鈍くなる。蒸し暑い中で過ごすか、キンキンの部屋でシャツを羽織って過ごすかの二択だ。
そして『羽織り』というものを一枚しか持っていない僕は、彼女からの荷物が届くまで、冷え続けていたというわけだ。
「シャツはもう脱げない」
温まりはじめた体を実感しながら呟く。
「誤解を解かないではいられない」
自分に言い聞かせ、奮い立たせる。
スマートフォンを手に取ると、血の止まった親指で短いメッセージを作成する。送信までに無駄に部屋を三周して、ゴミを拾う。不要になったクリーニング済みタグと一緒に、ゴミ箱に捨てる。
送信ボタンを、押す。
『もう、怪盗養成学園の話は書かないということでしょうか?』
我ながら、逃げ腰の内容だと思う。相手の意図を確認してからでないと動けないというような。
即座に既読が着いて、返信が返ってくる。
『書くか書かないかは私に聞くことではありません』
『リリン向けの方は無理をなさらないで下さい』
『半年後の短編賞向けですよね。ご応募をお待ちしております』
そっけない三行の返信だ。
ぽこ、ぽこ、ぽこ、と行が積み上げられて行く間、僕はその一つ一つに律儀に打ちのめされていた。
全く信じてこなかった神様的なものに、たずねたくなる。僕は果たしてすがりつくべきでしょうか。そんな勇気が僕にあるでしょうか。
神様的なものは、貧困な僕のイメージのなかで白いシーツみたいな服を来て、長いあごひげを撫でていた。撫でて、撫でて、最終的に櫛でとかしてリボンをつけ始めたので、僕は想像を打ち切った。だめだ、少女小説と童話を読み続けていたせいで、思い浮かぶものがいちいちファンシーになっている。
――すっかり頭がリリンナイズドされている……リリン……リリン?
「そうだ!」
立ち上がって僕は、部屋の隅の、本が積まれた一角に一歩で行く。狭いワンルームだからこそのフットワーク。さながらバドミントンのコートのごとく。
なんて韻を踏みながら僕は本の山から、一冊の雑誌を手に取る。
季刊発行の少女雑誌、リリンの夏号。最新号だ。
リリンは半分近くが占いページだ。そこで、自分の星座であるかに座のページを開く。他にも色々な占いが載っているが、ベタなところで星座くらいでいいだろう。
三ヶ月間の運勢とアドバイスが、一週間区切りで書かれている。
該当の週を見つけて、思わず僕は指でその文字をなぞった。
「『運命の転換期を迎えようとしています。出口が見える時期。勇気を出して動いて。』か。勇気、そうだな、勇気」
ふわっとしたイメージの神様像よりは、星座占いの方がまだ親しみがあった。
それに、これは彼女が関わっている雑誌の占いであり、僕が投稿する先の雑誌の言葉でもある。
つむじに冷風があたって、髪のそよいでいるのが分かる。
冷え込んだ部屋で、シャツはもう脱げない。
誤解を解かないではいられない。
意を決して僕は、奔馬さん宛のメッセージを送信した。
『僕は今、リリンの作品に全力投球する覚悟を決めました。見捨てられたくない。リリンが「← こっち」なんです』
既読は、すぐについた。
『好きなテーマを書かれた方が良いかもしれないですね』
『ことり先生は私に合わせて下さってるだけだから』
『つまり元に戻るということです』
エアコンによってキンキンに冷やされた部屋で、先程宅配で受け取ったチェックシャツを抱え込みながら、奔馬鹿ノ子さんから送られてきたメッセージを眺めていた。
シャツは以前、彼女がスカートに飲み物をこぼした際に貸したもので、クリーニング済のタグが着いている。気にしなくても良いのに、と考えながら片手でホチキスどめされているタグを弄る。針の折りたたまれた部分が乾燥した指の腹に食い込むのを、さらに深く深くするように、強く指を押し付ける。
部屋は冷え続けている。鳥肌がたちはじめている。
僕はこのタグを外して、チェックシャツを羽織るべきだ。
でも出来ないでいる。
彼女のメッセージは、十六時という中途半端な時間に送られてきていた。おかげで僕がメッセージに気づいたのは、仕事を終えてからだ。会社のロッカーの前で立ち尽くしながら、三時間前に送信されたメッセージを確認する僕は、振られたか、はたまたぶっ込んでいた仮想通貨が大暴落したか、というように見えたことだろう。まあ、会社には僕に興味のある人間は居ないし、別に仮想通貨にぶっ込んでいたわけでもない。そして彼女――奔馬鹿ノ子さん――とは振った振られたなんて関係でもない。
それでもそう見えそうな立ち姿でいただろうってだけ。
ちなみにチェックシャツは帰宅してすぐに、見計らったようなタイミングで宅配業者が運んできた。荷物は十九時から二十一時の時間帯指定で送られてきていて、伝票にはさらに手書きで『できるだけ遅い時間に!!』と書かれている。そこに、荷物を確実に受け取らせようという彼女の意志を感じる。
じゃあ、メッセージは?
今までならば、僕がすぐに確認出来る時間に送られてきていたメッセージが、ランチ時でも就業後でもない中途半端な時間に送られてきたのはなぜだ?
内容と合わせて考えると、僕にはひとつしか解が浮かばなかった。
「見捨てられた、か」
深爪気味でささくれだらけの親指で、衿の内側のサイズタグに取りつけられた、クリーニング済みのタグのホチキスの針をひらく。
指にホチキスの針が突き刺さり、ぷくりと赤い球が浮かぶ。
親指同様にささくれだった気持ちで、傷ついた指を口に運んだ。当たり前に鉄さびの味がする。
そして、奔馬さんとの作品作りに本気で取り組んでいない、という誤解をうけた僕が見捨てられるのも、やっぱり当たり前のことだと思った。
シャツに腕を通すと、自覚していた以上に体が冷え込んでいたことが分かる。寒かったのだなあと、気付く。
作品を読んでくれた、奔馬さんの存在が嬉しかった。奔馬さんが現れたことで、僕は作品を読んでくれる相手に飢えていたことに、気付いた。
備え付けの古いエアコンは、設定温度を上げると途端に動きが鈍くなる。蒸し暑い中で過ごすか、キンキンの部屋でシャツを羽織って過ごすかの二択だ。
そして『羽織り』というものを一枚しか持っていない僕は、彼女からの荷物が届くまで、冷え続けていたというわけだ。
「シャツはもう脱げない」
温まりはじめた体を実感しながら呟く。
「誤解を解かないではいられない」
自分に言い聞かせ、奮い立たせる。
スマートフォンを手に取ると、血の止まった親指で短いメッセージを作成する。送信までに無駄に部屋を三周して、ゴミを拾う。不要になったクリーニング済みタグと一緒に、ゴミ箱に捨てる。
送信ボタンを、押す。
『もう、怪盗養成学園の話は書かないということでしょうか?』
我ながら、逃げ腰の内容だと思う。相手の意図を確認してからでないと動けないというような。
即座に既読が着いて、返信が返ってくる。
『書くか書かないかは私に聞くことではありません』
『リリン向けの方は無理をなさらないで下さい』
『半年後の短編賞向けですよね。ご応募をお待ちしております』
そっけない三行の返信だ。
ぽこ、ぽこ、ぽこ、と行が積み上げられて行く間、僕はその一つ一つに律儀に打ちのめされていた。
全く信じてこなかった神様的なものに、たずねたくなる。僕は果たしてすがりつくべきでしょうか。そんな勇気が僕にあるでしょうか。
神様的なものは、貧困な僕のイメージのなかで白いシーツみたいな服を来て、長いあごひげを撫でていた。撫でて、撫でて、最終的に櫛でとかしてリボンをつけ始めたので、僕は想像を打ち切った。だめだ、少女小説と童話を読み続けていたせいで、思い浮かぶものがいちいちファンシーになっている。
――すっかり頭がリリンナイズドされている……リリン……リリン?
「そうだ!」
立ち上がって僕は、部屋の隅の、本が積まれた一角に一歩で行く。狭いワンルームだからこそのフットワーク。さながらバドミントンのコートのごとく。
なんて韻を踏みながら僕は本の山から、一冊の雑誌を手に取る。
季刊発行の少女雑誌、リリンの夏号。最新号だ。
リリンは半分近くが占いページだ。そこで、自分の星座であるかに座のページを開く。他にも色々な占いが載っているが、ベタなところで星座くらいでいいだろう。
三ヶ月間の運勢とアドバイスが、一週間区切りで書かれている。
該当の週を見つけて、思わず僕は指でその文字をなぞった。
「『運命の転換期を迎えようとしています。出口が見える時期。勇気を出して動いて。』か。勇気、そうだな、勇気」
ふわっとしたイメージの神様像よりは、星座占いの方がまだ親しみがあった。
それに、これは彼女が関わっている雑誌の占いであり、僕が投稿する先の雑誌の言葉でもある。
つむじに冷風があたって、髪のそよいでいるのが分かる。
冷え込んだ部屋で、シャツはもう脱げない。
誤解を解かないではいられない。
意を決して僕は、奔馬さん宛のメッセージを送信した。
『僕は今、リリンの作品に全力投球する覚悟を決めました。見捨てられたくない。リリンが「← こっち」なんです』
既読は、すぐについた。
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