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21話 田原小鳩の少女小説体験
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Side:田原小鳩
レターパックで現金ならぬ本が送られてきた。
奔馬鹿ノ子と邂逅してから、五日後の土曜日のことだ。
しかもレターパックプラスの方だったので、手渡しで受け取らないといけなかった。
「はいどうもね」とダルさを隠さず局員から手渡されたレターパックプラスはずしりと重い。
予想はしていたが差出人名は、『奔馬鹿ノ子』。差出人住所はリリンか、と思いきや見覚えのない住所で、書かれている電話番号も携帯電話の番号だ。
「いや、めちゃくちゃ個人情報!」
中をあらためる前に、僕は思わず口に出してツッコんでいた。
猫っ毛の黒髪が、雨に濡れてぺったりと肩に張り付いていた、奔馬さんの姿を思い出す。捨てられた子猫みたいだな、と思った。色の薄い瞳は心の動きに正直で、落ち込めば曇り、嬉しくなればきらきらと輝く。
奔馬さんは二十代の女性としての自覚というか、警戒心が足りなさすぎるのでは無いのだろうか。
僕が危険人物だったらどうするつもりだ。信用してくれているのは嬉しいが。
ローテーブル(といえば聞こえはいいがこれはちゃぶ台だ)にレターパックプラスを投げると、どさり、と重い音がする。ひとまずキッチンでアイスコーヒーを汲んで戻り、開封する。
個人情報の塊である封筒をどうするか迷い、取り敢えずテーブルの横に置いてあるファイルボックスに突っ込んだ。これは断じて下心あっての行動ではない。他人の個人情報をそのまま捨てるわけにはいかないので、そのうち会社のシュレッダーにでもかけるかという、そういう腹づもりである。本当に。誓って。
持った感じから想像はしていたが、中身は本だった。
『楽しいモーミン一家』が一冊、『海のまち』シリーズの続刊が一冊、他にも少女漫画みたいな表紙の本が四冊。計六冊の本が入っていた。ちなみに『海のまち』シリーズの一巻は、強引に押し付けられたまま僕のカバンの中に入れっぱなしだ。
はらり、と落ちた紙切れを見ると、手紙が添えられている。手紙はなぜか本文の書かれた側を表側にしてたたまれていて、さらにボールペンで走り書きをされているだけだ。
結構、雑なんだな。
手紙には『取り急ぎお送りします! ご参考にどうぞ! 返却はお気になさらず。でも読んで下さいね』と書かれていて、強引な彼女らしくて苦笑いしてしまった。
「取り急ぎってなんだよ……」
と呟きながら本の裏表紙の返しのところを順番に見ていくと、大体がシリーズものだ。海のまちシリーズに至っては全十五冊出ているらしい。全部読めってことか……?
呆れて手紙の裏を見ると、『参考図書一覧』なんて表が印刷されていて、僕の語彙にはないタイトルがずらりとならんでいる。
彼女はこれをワードかなにかで作成して、プリントアウトしたのだろうか。その裏に、手書きのメモみたいに走り書きをして、『取り急ぎ』なんて書いて、レターパックプラスの厚み限界まで詰めて……とそこまで考えた所で、苦笑いから、本気の笑いに変わっていた。
彼女は本当に少女小説オタクで、そして僕のサポートをしてくれようとしている。大真面目に。きっと『邪淫真珠泥棒~海女さんのあわび貝~』も大真面目に今頃読了しているんだろう。
そう考えると、自分が『海のまち』一巻をカバンに入れっぱなしにしているのがひどく薄情な気がしてくる。
テーブルに積み上がった本の上に、カバンから取り出した、彼女から借りた一冊を加える。
アイスコーヒーを一口飲んでから、僕は休日を読書にあてることに決めた。
*
寄宿舎ものお嬢様学校の小説を読みながら、いつの間にか僕はその世界に浸りきっていた。
主人公は普通の庶民の出だから、お嬢様だらけの世界でまず困惑する。僕はその困惑に、自分がいま生きている現実に対して抱えている困惑を重ねている。
僕の両親は物心ついたころから別居していて、幼少期の僕は二つの家を行き来して過ごしていた。
ただ、小学校にあがる頃からは、父の家に居た記憶しかない。理由は分からないけれど、僕は父と居る方が好きだったから気にしたことは無かった。
今も続いている流され癖は、その頃からあったみたいだ。なんていうか、なるようにしかならないから、なれる範囲で良いことを見つけようって感覚だ。
父は作家をしていて忙しくて、そんなに遊んでくれる方ではなかった。
でもほとんど家で仕事をして過ごしていたから、ずっと一緒にいられた。それが嬉しかった。
父の書斎には自由に入れるようになっていて、そこには資料の本がたくさんあった。父の書いている小説も、資料も、性的な要素がないものは無かった。小説には種類があると知った今、彼が書いていたのは官能小説であったと分かるけれど、当時はそんなことは分からない。
真剣に仕事をする父の横顔を眺めながら、僕は真剣に資料本たちを眺めていた。絵本みたいに。
ちんちんがもぞもぞするなと思いながら。
そんなわけで良識ある大人が聞いたら倒れそうな環境に居たわけだけれど、僕は父を誇りに思っているし、父が好きだ。だからこそ、無意識に『その他の本』に触れないようにしていたのかもしれない。そういう情報が目に入りそうになったら、即座に目を瞑るくらいには、ある種の潔癖さを持って生きてきた。
そんな本を自由に子供が手に取れるようにするな、なんていかにも言われそうだし、憐れまれそうだ。そんな目に合うくらいなら、自分の知る世界を狭めたほうがマシだった。
気付くと僕は、お嬢様学校の寄宿舎で奮闘する主人公・リリコの姿に涙していた。こっそり忍び込んだキッチンでおばあちゃん直伝のカルメ焼きを焼いて、なんとなく溝があった宿舎の友人達と夜のパーティをする。
キッチンに忍び込む際に協力し合うのも、お菓子が全然無いとがっかりする友だちに機転をきかせてカルメ焼きを焼くのも、「美味しいものを一緒に食べたらもうお友達よ」というおばあちゃんの魔法みたいな言葉も、秘密を共有するワクワクも、全部が、知らないけど知りたいことだった。
「書けるのかな、俺に」
涙を拭くと、淫魔養成学園に誤って入学してしまった少女の話のプロットを練り始めた。
久しぶりに、何か書きたいという気持ちになれた。
レターパックで現金ならぬ本が送られてきた。
奔馬鹿ノ子と邂逅してから、五日後の土曜日のことだ。
しかもレターパックプラスの方だったので、手渡しで受け取らないといけなかった。
「はいどうもね」とダルさを隠さず局員から手渡されたレターパックプラスはずしりと重い。
予想はしていたが差出人名は、『奔馬鹿ノ子』。差出人住所はリリンか、と思いきや見覚えのない住所で、書かれている電話番号も携帯電話の番号だ。
「いや、めちゃくちゃ個人情報!」
中をあらためる前に、僕は思わず口に出してツッコんでいた。
猫っ毛の黒髪が、雨に濡れてぺったりと肩に張り付いていた、奔馬さんの姿を思い出す。捨てられた子猫みたいだな、と思った。色の薄い瞳は心の動きに正直で、落ち込めば曇り、嬉しくなればきらきらと輝く。
奔馬さんは二十代の女性としての自覚というか、警戒心が足りなさすぎるのでは無いのだろうか。
僕が危険人物だったらどうするつもりだ。信用してくれているのは嬉しいが。
ローテーブル(といえば聞こえはいいがこれはちゃぶ台だ)にレターパックプラスを投げると、どさり、と重い音がする。ひとまずキッチンでアイスコーヒーを汲んで戻り、開封する。
個人情報の塊である封筒をどうするか迷い、取り敢えずテーブルの横に置いてあるファイルボックスに突っ込んだ。これは断じて下心あっての行動ではない。他人の個人情報をそのまま捨てるわけにはいかないので、そのうち会社のシュレッダーにでもかけるかという、そういう腹づもりである。本当に。誓って。
持った感じから想像はしていたが、中身は本だった。
『楽しいモーミン一家』が一冊、『海のまち』シリーズの続刊が一冊、他にも少女漫画みたいな表紙の本が四冊。計六冊の本が入っていた。ちなみに『海のまち』シリーズの一巻は、強引に押し付けられたまま僕のカバンの中に入れっぱなしだ。
はらり、と落ちた紙切れを見ると、手紙が添えられている。手紙はなぜか本文の書かれた側を表側にしてたたまれていて、さらにボールペンで走り書きをされているだけだ。
結構、雑なんだな。
手紙には『取り急ぎお送りします! ご参考にどうぞ! 返却はお気になさらず。でも読んで下さいね』と書かれていて、強引な彼女らしくて苦笑いしてしまった。
「取り急ぎってなんだよ……」
と呟きながら本の裏表紙の返しのところを順番に見ていくと、大体がシリーズものだ。海のまちシリーズに至っては全十五冊出ているらしい。全部読めってことか……?
呆れて手紙の裏を見ると、『参考図書一覧』なんて表が印刷されていて、僕の語彙にはないタイトルがずらりとならんでいる。
彼女はこれをワードかなにかで作成して、プリントアウトしたのだろうか。その裏に、手書きのメモみたいに走り書きをして、『取り急ぎ』なんて書いて、レターパックプラスの厚み限界まで詰めて……とそこまで考えた所で、苦笑いから、本気の笑いに変わっていた。
彼女は本当に少女小説オタクで、そして僕のサポートをしてくれようとしている。大真面目に。きっと『邪淫真珠泥棒~海女さんのあわび貝~』も大真面目に今頃読了しているんだろう。
そう考えると、自分が『海のまち』一巻をカバンに入れっぱなしにしているのがひどく薄情な気がしてくる。
テーブルに積み上がった本の上に、カバンから取り出した、彼女から借りた一冊を加える。
アイスコーヒーを一口飲んでから、僕は休日を読書にあてることに決めた。
*
寄宿舎ものお嬢様学校の小説を読みながら、いつの間にか僕はその世界に浸りきっていた。
主人公は普通の庶民の出だから、お嬢様だらけの世界でまず困惑する。僕はその困惑に、自分がいま生きている現実に対して抱えている困惑を重ねている。
僕の両親は物心ついたころから別居していて、幼少期の僕は二つの家を行き来して過ごしていた。
ただ、小学校にあがる頃からは、父の家に居た記憶しかない。理由は分からないけれど、僕は父と居る方が好きだったから気にしたことは無かった。
今も続いている流され癖は、その頃からあったみたいだ。なんていうか、なるようにしかならないから、なれる範囲で良いことを見つけようって感覚だ。
父は作家をしていて忙しくて、そんなに遊んでくれる方ではなかった。
でもほとんど家で仕事をして過ごしていたから、ずっと一緒にいられた。それが嬉しかった。
父の書斎には自由に入れるようになっていて、そこには資料の本がたくさんあった。父の書いている小説も、資料も、性的な要素がないものは無かった。小説には種類があると知った今、彼が書いていたのは官能小説であったと分かるけれど、当時はそんなことは分からない。
真剣に仕事をする父の横顔を眺めながら、僕は真剣に資料本たちを眺めていた。絵本みたいに。
ちんちんがもぞもぞするなと思いながら。
そんなわけで良識ある大人が聞いたら倒れそうな環境に居たわけだけれど、僕は父を誇りに思っているし、父が好きだ。だからこそ、無意識に『その他の本』に触れないようにしていたのかもしれない。そういう情報が目に入りそうになったら、即座に目を瞑るくらいには、ある種の潔癖さを持って生きてきた。
そんな本を自由に子供が手に取れるようにするな、なんていかにも言われそうだし、憐れまれそうだ。そんな目に合うくらいなら、自分の知る世界を狭めたほうがマシだった。
気付くと僕は、お嬢様学校の寄宿舎で奮闘する主人公・リリコの姿に涙していた。こっそり忍び込んだキッチンでおばあちゃん直伝のカルメ焼きを焼いて、なんとなく溝があった宿舎の友人達と夜のパーティをする。
キッチンに忍び込む際に協力し合うのも、お菓子が全然無いとがっかりする友だちに機転をきかせてカルメ焼きを焼くのも、「美味しいものを一緒に食べたらもうお友達よ」というおばあちゃんの魔法みたいな言葉も、秘密を共有するワクワクも、全部が、知らないけど知りたいことだった。
「書けるのかな、俺に」
涙を拭くと、淫魔養成学園に誤って入学してしまった少女の話のプロットを練り始めた。
久しぶりに、何か書きたいという気持ちになれた。
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