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16話 彼と私と腹の虫
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「そ……そんなこと、無理に決まってるじゃないですか! ちょっとあなた、強引すぎますよ!」
田原小鳩の声が背の高い棚を越えて、天井にぽぉんと当たって店に広がる。そんな音の動きが目に見えるようだった。湿度の高い空気をものともせず泳いでいく音が、出入り口のガラス戸にあたってびぃぃんと揺らす。
店員さんが、カウンターの中で何かをささやき合いながらこちらを見ている。
「出ましょうか?」
棚からこちらを覗き込む人と、田原小鳩の肩ごしに目を合わせながら、私はそう言った。
自分で出した声に驚いて固まっていたらしい田原小鳩は、私の言葉に我にかえったらしい。
無言のまま頭を何度も縦に振ると、私の手を取って一直線に出入り口へと向かった。
「あの、田原さん?」
「なんですか?」
「手、繋いだままで……?」
早足で私を引っ張る田原小鳩にそう声をかけると、彼は唐突に足を止めた。
「わぷっ!」
田原小鳩は、慣性の法則そのままに背中にぶつかった私から手を離して、ホールドアップしている人みたいな――あるいは電車で痴漢と疑われないようにする人みたいな――両手をあげたポーズをとった。
肩越しに振り向いた顔は、分かりやすく赤に染まっている。
「早く言ってください!」
「言う前にあなたが手を握って歩きだしたんですよ!」
出入り口前の平積み棚の前で言い合う私たちを、先程カウンター内で囁き合っていた二人組の店員が、もはやとりつくろうこともせずにまじまじと見つめている。
私たちの頭上では、高輝度の蛍光灯がともっていた。
蛍光灯の平面的な光はどこまでも明るいけれど、室内が明るければ明るいほど、外の暗さがしゅるしゅると入り込んできている感じがする。
ガラス戸の外は暗く、ガラスは水気に覆われており、現在の外の天気がどうなっているのかは私たちからは分からなかった。
「……とりあえず、出ましょう。私のこの本だけ、会計を通させてくださいね」
そう言ってポポン文庫の邪淫真珠泥棒を取り出すと、私はさっさとレジに向かった。
つかつかとレジに向かっていく私を、カウンター内の店員さんはおばけでも見るような目で見つめている。よく考えたら私の額には絆創膏が貼られており、頬にも恐らく擦り傷があり、そして店内で痴話喧嘩と見られてもおかしくない騒ぎを起こしていたのだ。
そしてカウンターに突き出したのが『邪淫真珠泥棒~海女さんのあわび貝~』である。
この手の本に慣れているはずの店員さんも、流石に表情を固くした。
「カバーはお付けいたしますか?」
「結構です」
「はい……え?! あ、はい、かしこまりました」
そんな正直すぎる反応もむべなるかな。
しかし私はいつも、書店のカバーは断っている。いつもどおりにしただけだ。官能小説でも、一緒。
袋も断って、買った小説をそのままカバンにしまった。
呆けた顔をして私の会計を見守っていた田原小鳩の手には、私が貸した『海のまち』シリーズ一巻が握られている。私のお気に入りの布製ブックカバーは、はがれた状態で垂れ下がっている。
少年・ムージカと少女・ネイロが並ぶ可愛らしい表紙が、レインコートを着崩した田原小鳩の手から覗いているのがミスマッチでおかしかった。
「さて、出ますか。話の続きをしましょう」
「続きもなにも無いですよ。僕はもう書けない、それで良いじゃないですか」
反論しつつも、田原小鳩は出入り口のガラス戸を押し開けて、私を先に通してくれた。
親切が体にしみついている人だと思う。
外に出ると、小雨ながらもまだ雨は降り続いていた。
田原小鳩が自然な動きで取ってくれたピンク色の傘を受け取り、開く。すっかり忘れていたのだけれど、この傘はすでに骨が折れている。
開いた瞬間、変な沈黙が私たちの間に流れた。
「あ、はは、そういえば私、雨宿りのために本屋に入ったんでした」
笑ってみせる私の顔の前に、男物の紺色の傘が差し出された。
「僕はレインコートがあるので、傘、持っていってくれていいですよ。返していただかなくてもいいですから。ハンカチも。あ、あと、この本もお返ししますよ。何を読んでも、どんな風にでも、書けないに決まってますから」
「分からないじゃないですか。田原さん、『書かない』とは言ってない。書けないんじゃなくて『書かない』だったら諦めますけど、そう言えます?」
田原小鳩が突き返そうとした『海のまち』を、押し戻しながら問いかける。
彼の動きが止まった。
「言えますよ……か、書か……」
彼がそう口ごもったときだった。
ぐうぅぅー
間の抜けたお腹の虫の音が響いた。
夜ご飯を求める、私の正直すぎるお腹の虫が鳴いたのだ。
そしてもうひとつ。
くぅぅぅーー
なぜか私よりも可愛らしい音が、目の前のレインコートの中から響いてきた。
「田原さんのお腹の虫、私よりも小さいんですかね?」
そう訪ねて見上げると、田原小鳩は押し合いになっていた『海のまち』を両手に持って顔を隠した。
乙女か?
「あのう、この辺においしいご飯屋さんあります? がっつり目が希望です。もちろん奢りますよ。こんな時間まで連れ回したのは私の責任ですので」
そう言って、田原小鳩のレインコートの袖を引くと、渋々といった様子で彼は自分の傘を開いた。
田原小鳩の声が背の高い棚を越えて、天井にぽぉんと当たって店に広がる。そんな音の動きが目に見えるようだった。湿度の高い空気をものともせず泳いでいく音が、出入り口のガラス戸にあたってびぃぃんと揺らす。
店員さんが、カウンターの中で何かをささやき合いながらこちらを見ている。
「出ましょうか?」
棚からこちらを覗き込む人と、田原小鳩の肩ごしに目を合わせながら、私はそう言った。
自分で出した声に驚いて固まっていたらしい田原小鳩は、私の言葉に我にかえったらしい。
無言のまま頭を何度も縦に振ると、私の手を取って一直線に出入り口へと向かった。
「あの、田原さん?」
「なんですか?」
「手、繋いだままで……?」
早足で私を引っ張る田原小鳩にそう声をかけると、彼は唐突に足を止めた。
「わぷっ!」
田原小鳩は、慣性の法則そのままに背中にぶつかった私から手を離して、ホールドアップしている人みたいな――あるいは電車で痴漢と疑われないようにする人みたいな――両手をあげたポーズをとった。
肩越しに振り向いた顔は、分かりやすく赤に染まっている。
「早く言ってください!」
「言う前にあなたが手を握って歩きだしたんですよ!」
出入り口前の平積み棚の前で言い合う私たちを、先程カウンター内で囁き合っていた二人組の店員が、もはやとりつくろうこともせずにまじまじと見つめている。
私たちの頭上では、高輝度の蛍光灯がともっていた。
蛍光灯の平面的な光はどこまでも明るいけれど、室内が明るければ明るいほど、外の暗さがしゅるしゅると入り込んできている感じがする。
ガラス戸の外は暗く、ガラスは水気に覆われており、現在の外の天気がどうなっているのかは私たちからは分からなかった。
「……とりあえず、出ましょう。私のこの本だけ、会計を通させてくださいね」
そう言ってポポン文庫の邪淫真珠泥棒を取り出すと、私はさっさとレジに向かった。
つかつかとレジに向かっていく私を、カウンター内の店員さんはおばけでも見るような目で見つめている。よく考えたら私の額には絆創膏が貼られており、頬にも恐らく擦り傷があり、そして店内で痴話喧嘩と見られてもおかしくない騒ぎを起こしていたのだ。
そしてカウンターに突き出したのが『邪淫真珠泥棒~海女さんのあわび貝~』である。
この手の本に慣れているはずの店員さんも、流石に表情を固くした。
「カバーはお付けいたしますか?」
「結構です」
「はい……え?! あ、はい、かしこまりました」
そんな正直すぎる反応もむべなるかな。
しかし私はいつも、書店のカバーは断っている。いつもどおりにしただけだ。官能小説でも、一緒。
袋も断って、買った小説をそのままカバンにしまった。
呆けた顔をして私の会計を見守っていた田原小鳩の手には、私が貸した『海のまち』シリーズ一巻が握られている。私のお気に入りの布製ブックカバーは、はがれた状態で垂れ下がっている。
少年・ムージカと少女・ネイロが並ぶ可愛らしい表紙が、レインコートを着崩した田原小鳩の手から覗いているのがミスマッチでおかしかった。
「さて、出ますか。話の続きをしましょう」
「続きもなにも無いですよ。僕はもう書けない、それで良いじゃないですか」
反論しつつも、田原小鳩は出入り口のガラス戸を押し開けて、私を先に通してくれた。
親切が体にしみついている人だと思う。
外に出ると、小雨ながらもまだ雨は降り続いていた。
田原小鳩が自然な動きで取ってくれたピンク色の傘を受け取り、開く。すっかり忘れていたのだけれど、この傘はすでに骨が折れている。
開いた瞬間、変な沈黙が私たちの間に流れた。
「あ、はは、そういえば私、雨宿りのために本屋に入ったんでした」
笑ってみせる私の顔の前に、男物の紺色の傘が差し出された。
「僕はレインコートがあるので、傘、持っていってくれていいですよ。返していただかなくてもいいですから。ハンカチも。あ、あと、この本もお返ししますよ。何を読んでも、どんな風にでも、書けないに決まってますから」
「分からないじゃないですか。田原さん、『書かない』とは言ってない。書けないんじゃなくて『書かない』だったら諦めますけど、そう言えます?」
田原小鳩が突き返そうとした『海のまち』を、押し戻しながら問いかける。
彼の動きが止まった。
「言えますよ……か、書か……」
彼がそう口ごもったときだった。
ぐうぅぅー
間の抜けたお腹の虫の音が響いた。
夜ご飯を求める、私の正直すぎるお腹の虫が鳴いたのだ。
そしてもうひとつ。
くぅぅぅーー
なぜか私よりも可愛らしい音が、目の前のレインコートの中から響いてきた。
「田原さんのお腹の虫、私よりも小さいんですかね?」
そう訪ねて見上げると、田原小鳩は押し合いになっていた『海のまち』を両手に持って顔を隠した。
乙女か?
「あのう、この辺においしいご飯屋さんあります? がっつり目が希望です。もちろん奢りますよ。こんな時間まで連れ回したのは私の責任ですので」
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