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第二十五話 萌加の秘密2
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そんな中、実際に蔦に脚を取られて転んだ園児があらわれた。
蔦は不自然に園児の脚にからまり、痛みと恐怖で泣くその子を慰めながら保育士が二人がかりで蔦を外した。ハサミでもなかなか切れない蔦を、保育士はハサミの持ち手に体重をかけるようにして断ち切った。
その必死の形相の方が、余計に怖かった、と裕太は語った。
蔦は意思を持ったように絡みついていたし、被害に会った園児はおばけが居た! と泣き叫んだあとに熱を出して早退していった。
それたきっかけになり、萌加は自分に何か特別な力があると信じたのかもしれない。
そんな折の、ある日のこと。
いつものように萌加の話を聞いてくれていた母親が、急に、具合が悪いと言ってソファに寝転がった。汗で前髪がべったりと額に張り付いていた。母親は、話し続けようとする萌加を、虫でもはらうようにして追い返した。会話が遮断され、母親の唸り声は断続的に続いた。
萌加の体を、「ママが赤ちゃんだけのママになっちゃうことがある」という言葉が、通り抜けて行った。心の前に肉体の痛みとして知った。
「ママお腹いたいいたいなんだね」
体に受けた痛みをこらえてさすろうとしたが、その手も払われた。
「触らないで」
絞り出された声に、いつもの優しさはかけらも無かった。
その夜、父親は母親について、萌加は一人で寝た。
一人で眠る夜は長い。赤ちゃんが産まれたら、ずっとこの夜が続くのかもしれない。萌加の体にまた痛みがよみがえってきて、痛みから逃れたくて萌加は呟いた。
「赤ちゃんがうまれなければいいのに」
それがどういうことを意味するのかは分かっていなかった。とにかく、ママのお腹が大きくなる前に帰れたらいいと、そう思ってのことだった。痛みは癒えず、痛みのなかで萌加は眠った。涙のつたった頬がかゆかった。ティッシュで拭いてくれる母親も父親も、部屋にはいなかった。
深夜、萌加は父親に無理に起こされた萌加は、パジャマ姿のまま抱きかかえられるようにして救急車に運び込まれた。
家の前に停った救急車の回転灯がまぶしい。遠巻きに集まる近所の人たちの顔が赤く照らされるのが恐ろしい。わけがわからないまま乗り込んだ救急車内には、固そうな水色のベッドに寝転んで呻く母親がいた。
かけられた毛布に、赤い染みが広がっていくのが見える。背中にあたる父親の心臓は、強く脈打っていて、夏用のガーゼのパジャマごしに伝わってきた。
血管の浮かぶ太い腕は震えていた。それと一緒に、萌加も震えないといけない気がしたけれど、眠気のなかでぼうっとすることしか出来なかった。泣くことすらも出来なかった。
ただ体を貫く痛みはいっとき消えていた。
シザン、という言葉を聞いたのは病院の待合の、合皮のソファで横になっていたときだ。夜の病院は怖くて、父親は膝枕をしていてくれた。だがその膝は絶えず揺れていて、眠るに眠れなかった。
「シザンってなに」
たずねる萌加に父親はただ涙を流して答えなかった。
そのまま父親と二人でタクシーに乗って帰宅した萌加は、父親と並んで寝た。一人で眠るのはイヤだから、一緒に眠れるのは嬉しかった。
赤ん坊が来なくなった、と知ったのは、翌日午後に母親が退院してからのことだ。家の空気が沈むのを、萌加は幼児なりに肌で感じた。それから、赤ちゃんが来なくなったところで、両親の心はより、消えた赤ちゃんに縛られるのだということを知った。
『赤ちゃんがうまれなければいいのに』
その呟きがなにを招いたのか。いったい自分は何を呟いたのか、萌加はようやっと気づいた。死産は決して萌加の言葉だけのせいだとは言い切れないが、そう自分を慰めるだけの優しさを、萌加は自身に対して持てなかった。
全ては自分の考えなしの言葉のせいだ、そう思い詰めた。ウソつきだから言葉の罰があたったのだ。
「ママにおはなししたことはぜんぶウソなの! もえかの作ったおはなしなの! ウソついてごめんなさい!」
萌加は泣いて謝ったが、母親は死産にショックをうけた娘が不安定になっただけだと受け取った。
「ママはもえちゃんの話してくれたお話し、好きだよ。お話しを作れるのはすごいよ。ウソじゃないよ」
「でも、ウソなの! もえかもう一生ウソは言わないから、ゆるして!」
「大丈夫、大丈夫だから。ね、落ち着いて、ママをひとりにしてくれる?」
真面目に受け取ってほしくとも、どだい無理な話だった。
母親にそれ以上萌加につきあう余裕はなく、空き部屋に敷いた布団で休みたがった。父親もそれに付き添った。
結局萌加はしばらく一人で眠ることになった。
萌加はウソを告白して、謝って、責められて、許されたかった。
園でも同様に試みたが、死産について聞き及んでいた保育士は、やはり「ウソじゃないよ、楽しいお話しだったよ」としか言ってくれなかった。他の園児にも、萌加を責めないように、優しくするように、と口を極めて言い含めた。
罪悪感だけが宙吊りになった結果、萌加は人が変わったようになった。
それまで引っ込みじあんだったのが、他人にも自分にもウソや作り話を決して許さないという姿勢に変わった。それにより他の園児との衝突も増え、遠巻きにされることにもなった。
萌加はもはやあみちゃんには相談しなかった。
だが、突然の変貌に驚いた裕太にだけ、「もえのせいで赤ちゃんが死んだ」と語ってみせた。
そんなことが、あった。
蔦は不自然に園児の脚にからまり、痛みと恐怖で泣くその子を慰めながら保育士が二人がかりで蔦を外した。ハサミでもなかなか切れない蔦を、保育士はハサミの持ち手に体重をかけるようにして断ち切った。
その必死の形相の方が、余計に怖かった、と裕太は語った。
蔦は意思を持ったように絡みついていたし、被害に会った園児はおばけが居た! と泣き叫んだあとに熱を出して早退していった。
それたきっかけになり、萌加は自分に何か特別な力があると信じたのかもしれない。
そんな折の、ある日のこと。
いつものように萌加の話を聞いてくれていた母親が、急に、具合が悪いと言ってソファに寝転がった。汗で前髪がべったりと額に張り付いていた。母親は、話し続けようとする萌加を、虫でもはらうようにして追い返した。会話が遮断され、母親の唸り声は断続的に続いた。
萌加の体を、「ママが赤ちゃんだけのママになっちゃうことがある」という言葉が、通り抜けて行った。心の前に肉体の痛みとして知った。
「ママお腹いたいいたいなんだね」
体に受けた痛みをこらえてさすろうとしたが、その手も払われた。
「触らないで」
絞り出された声に、いつもの優しさはかけらも無かった。
その夜、父親は母親について、萌加は一人で寝た。
一人で眠る夜は長い。赤ちゃんが産まれたら、ずっとこの夜が続くのかもしれない。萌加の体にまた痛みがよみがえってきて、痛みから逃れたくて萌加は呟いた。
「赤ちゃんがうまれなければいいのに」
それがどういうことを意味するのかは分かっていなかった。とにかく、ママのお腹が大きくなる前に帰れたらいいと、そう思ってのことだった。痛みは癒えず、痛みのなかで萌加は眠った。涙のつたった頬がかゆかった。ティッシュで拭いてくれる母親も父親も、部屋にはいなかった。
深夜、萌加は父親に無理に起こされた萌加は、パジャマ姿のまま抱きかかえられるようにして救急車に運び込まれた。
家の前に停った救急車の回転灯がまぶしい。遠巻きに集まる近所の人たちの顔が赤く照らされるのが恐ろしい。わけがわからないまま乗り込んだ救急車内には、固そうな水色のベッドに寝転んで呻く母親がいた。
かけられた毛布に、赤い染みが広がっていくのが見える。背中にあたる父親の心臓は、強く脈打っていて、夏用のガーゼのパジャマごしに伝わってきた。
血管の浮かぶ太い腕は震えていた。それと一緒に、萌加も震えないといけない気がしたけれど、眠気のなかでぼうっとすることしか出来なかった。泣くことすらも出来なかった。
ただ体を貫く痛みはいっとき消えていた。
シザン、という言葉を聞いたのは病院の待合の、合皮のソファで横になっていたときだ。夜の病院は怖くて、父親は膝枕をしていてくれた。だがその膝は絶えず揺れていて、眠るに眠れなかった。
「シザンってなに」
たずねる萌加に父親はただ涙を流して答えなかった。
そのまま父親と二人でタクシーに乗って帰宅した萌加は、父親と並んで寝た。一人で眠るのはイヤだから、一緒に眠れるのは嬉しかった。
赤ん坊が来なくなった、と知ったのは、翌日午後に母親が退院してからのことだ。家の空気が沈むのを、萌加は幼児なりに肌で感じた。それから、赤ちゃんが来なくなったところで、両親の心はより、消えた赤ちゃんに縛られるのだということを知った。
『赤ちゃんがうまれなければいいのに』
その呟きがなにを招いたのか。いったい自分は何を呟いたのか、萌加はようやっと気づいた。死産は決して萌加の言葉だけのせいだとは言い切れないが、そう自分を慰めるだけの優しさを、萌加は自身に対して持てなかった。
全ては自分の考えなしの言葉のせいだ、そう思い詰めた。ウソつきだから言葉の罰があたったのだ。
「ママにおはなししたことはぜんぶウソなの! もえかの作ったおはなしなの! ウソついてごめんなさい!」
萌加は泣いて謝ったが、母親は死産にショックをうけた娘が不安定になっただけだと受け取った。
「ママはもえちゃんの話してくれたお話し、好きだよ。お話しを作れるのはすごいよ。ウソじゃないよ」
「でも、ウソなの! もえかもう一生ウソは言わないから、ゆるして!」
「大丈夫、大丈夫だから。ね、落ち着いて、ママをひとりにしてくれる?」
真面目に受け取ってほしくとも、どだい無理な話だった。
母親にそれ以上萌加につきあう余裕はなく、空き部屋に敷いた布団で休みたがった。父親もそれに付き添った。
結局萌加はしばらく一人で眠ることになった。
萌加はウソを告白して、謝って、責められて、許されたかった。
園でも同様に試みたが、死産について聞き及んでいた保育士は、やはり「ウソじゃないよ、楽しいお話しだったよ」としか言ってくれなかった。他の園児にも、萌加を責めないように、優しくするように、と口を極めて言い含めた。
罪悪感だけが宙吊りになった結果、萌加は人が変わったようになった。
それまで引っ込みじあんだったのが、他人にも自分にもウソや作り話を決して許さないという姿勢に変わった。それにより他の園児との衝突も増え、遠巻きにされることにもなった。
萌加はもはやあみちゃんには相談しなかった。
だが、突然の変貌に驚いた裕太にだけ、「もえのせいで赤ちゃんが死んだ」と語ってみせた。
そんなことが、あった。
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