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第一話 夏休みのはじまり
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旧校舎は使われないまま、グラウンドの奥にあった。
正門を正面として見れば左手だ。奥にある、と言う時に起点となるのはグラウンドを挟んで向かいにあたる新校舎だ。新校舎の二階の、二年三組の、窓際の前から四番目の席から、戸川ミナがながめると、いつでも 蔦をからませて旧校舎はあった。
旧校舎は元々は旧日本陸軍の所有する建物だったという。 屯田兵を元にした歩兵連隊があり、その 遺構であるとされている、というところまでは細かいので大半の生徒は知らない。
まだ現役の校舎として使われていた時代の兄弟や両親から、旧陸軍兵士にまつわる怪談を聞いている生徒も少なくない。
ミナの通う中学において、学校の怪談とはすなわち旧校舎にまつわる旧陸軍兵士の霊のことであった。ほとんどの生徒は、郷土史に興味などないものだから、 漠然と「昔の兵隊さん」を 各々にあたう限りのおどろおどろしい雰囲気で想像しているだけのことだ。
小学校のころに聞いていた、歩く人体模型も、三番目のトイレに出る霊も、建設からまだ十年も経っていない新校舎には現れそうもない。人間の側の想像力を働かせるだけの薄暗がりというものが、そこには無いのだろうと、霊というもの自体を信じていないミナは考えている。
その点、 蔦の絡まる旧校舎は、その歴史から連想される物語も相まって、きっと愉快な集団幻覚に満ちていたのだろうとも。
旧校舎に通いたかったとは思わないが、そんな噂話にはしゃいでは「見た」「出た」と言い合えるのは、いかにも長閑な青春という感じがして、羨ましい気持ちもあった。
そんなわけで、ミナは授業中に、つい旧校舎を眺める癖があった。旧校舎が好きだったと言ってもいい。
蔦が咲かせた小さな白い花の連なりが、ぽこぽこと顔を出し始めている。
多くの花をつけすぎて、重みでしなりながらも空に伸びている。蔦は壁を厚く 覆うようにして繁茂していて、建物のぬいぐるみがあったらこんな感じだな、というシルエットになっている。
盛夏に向かうにつれて白い花はどんどん増えていき、真夏は建物全体が雪に 覆われたようになる。ナツユキカズラという名の通りだ。
夏休みに入って早々、ミナを含むいつメン五人は行き先に往生した。イオンも飽きたし、互いの家の行き来もそう 頻繁にしては居られない。図書館は会話が出来ないし、まだ宿題に手をつけるという時期ではない。
手をつける口実が出来てから嫌というほど行くと分かっている。
夕方になれば涼しいので公園でだらりと過ごすのも悪くないが、日中はどうしようもない。
仕方なしに郷土資料館で涼むことになった。郷土資料館を提案したのはミナだ。元が軍都であったこの地域の資料館には、旧陸軍の資料が沢山展示されている。
入館無料で人が少ないというところがポイントだった。
「戸川はこういうの詳しいのよな」
軍服を着たマネキンがおさめられたガラスケースを覗き込みながら言うのは、和久井裕太だ。
曇ったケースに映る裕太の顔を見ながら、ミナは曖昧に頷いた。
「旧校舎好きって言ってたもんね。私には不気味にしか見えないけど」
転校してきたばかりの馬渡小枝子は、教室から旧校舎が見えるのが未だに落ち着かない、と続けた。
ミナは旧校舎が好きというよりも建物のまとうロマンチシズムが好きなのだが、それを説明するのは恥ずかしいので黙っていた。
「長く居られるのもいいけど、何見て良いのか分からない。こういう銃とかも、余計怖い想像しちゃいそうでよく見られないし、うちは苦手。だってここだって昔の軍隊の建物なんでしょ。どうする? 夜な夜なマネキンが……」
「あーやストップ! そういうの、不謹慎ってやつだと思う! そりゃあ歴史的に色々あるけどさあ、それで亡くなった人をすぐ霊にするのって失礼だよ!」
あーや、と呼ばれた奥原あやのをたしなめる形で放たれた茅原萌加の声が甲高く響く。
入り口近くに座って話すでもなく水を飲んでいた二人の老人がこちらを見て、歯の隙間からシッとチッの間の、空気を射るような音を出した。
萌加は何も気にしないふうで、低いガラスケースの前にしゃがみ込むと展示された歩兵銃と見つめ合っている。
「生きている人間が一番怖いってよく言うじゃん! モノ自体が怖いなんてないし、ずっとむかしに死んだ人に勝手に怖いイメージつけるの良くないって。そんなの本当の兵隊さんと違うじゃん、嘘だよ」
「もえは嘘が嫌いだもんね」
「そういうこと! 言霊っていうのがあるからね、言葉は大事にしなきゃだよ!」
正門を正面として見れば左手だ。奥にある、と言う時に起点となるのはグラウンドを挟んで向かいにあたる新校舎だ。新校舎の二階の、二年三組の、窓際の前から四番目の席から、戸川ミナがながめると、いつでも 蔦をからませて旧校舎はあった。
旧校舎は元々は旧日本陸軍の所有する建物だったという。 屯田兵を元にした歩兵連隊があり、その 遺構であるとされている、というところまでは細かいので大半の生徒は知らない。
まだ現役の校舎として使われていた時代の兄弟や両親から、旧陸軍兵士にまつわる怪談を聞いている生徒も少なくない。
ミナの通う中学において、学校の怪談とはすなわち旧校舎にまつわる旧陸軍兵士の霊のことであった。ほとんどの生徒は、郷土史に興味などないものだから、 漠然と「昔の兵隊さん」を 各々にあたう限りのおどろおどろしい雰囲気で想像しているだけのことだ。
小学校のころに聞いていた、歩く人体模型も、三番目のトイレに出る霊も、建設からまだ十年も経っていない新校舎には現れそうもない。人間の側の想像力を働かせるだけの薄暗がりというものが、そこには無いのだろうと、霊というもの自体を信じていないミナは考えている。
その点、 蔦の絡まる旧校舎は、その歴史から連想される物語も相まって、きっと愉快な集団幻覚に満ちていたのだろうとも。
旧校舎に通いたかったとは思わないが、そんな噂話にはしゃいでは「見た」「出た」と言い合えるのは、いかにも長閑な青春という感じがして、羨ましい気持ちもあった。
そんなわけで、ミナは授業中に、つい旧校舎を眺める癖があった。旧校舎が好きだったと言ってもいい。
蔦が咲かせた小さな白い花の連なりが、ぽこぽこと顔を出し始めている。
多くの花をつけすぎて、重みでしなりながらも空に伸びている。蔦は壁を厚く 覆うようにして繁茂していて、建物のぬいぐるみがあったらこんな感じだな、というシルエットになっている。
盛夏に向かうにつれて白い花はどんどん増えていき、真夏は建物全体が雪に 覆われたようになる。ナツユキカズラという名の通りだ。
夏休みに入って早々、ミナを含むいつメン五人は行き先に往生した。イオンも飽きたし、互いの家の行き来もそう 頻繁にしては居られない。図書館は会話が出来ないし、まだ宿題に手をつけるという時期ではない。
手をつける口実が出来てから嫌というほど行くと分かっている。
夕方になれば涼しいので公園でだらりと過ごすのも悪くないが、日中はどうしようもない。
仕方なしに郷土資料館で涼むことになった。郷土資料館を提案したのはミナだ。元が軍都であったこの地域の資料館には、旧陸軍の資料が沢山展示されている。
入館無料で人が少ないというところがポイントだった。
「戸川はこういうの詳しいのよな」
軍服を着たマネキンがおさめられたガラスケースを覗き込みながら言うのは、和久井裕太だ。
曇ったケースに映る裕太の顔を見ながら、ミナは曖昧に頷いた。
「旧校舎好きって言ってたもんね。私には不気味にしか見えないけど」
転校してきたばかりの馬渡小枝子は、教室から旧校舎が見えるのが未だに落ち着かない、と続けた。
ミナは旧校舎が好きというよりも建物のまとうロマンチシズムが好きなのだが、それを説明するのは恥ずかしいので黙っていた。
「長く居られるのもいいけど、何見て良いのか分からない。こういう銃とかも、余計怖い想像しちゃいそうでよく見られないし、うちは苦手。だってここだって昔の軍隊の建物なんでしょ。どうする? 夜な夜なマネキンが……」
「あーやストップ! そういうの、不謹慎ってやつだと思う! そりゃあ歴史的に色々あるけどさあ、それで亡くなった人をすぐ霊にするのって失礼だよ!」
あーや、と呼ばれた奥原あやのをたしなめる形で放たれた茅原萌加の声が甲高く響く。
入り口近くに座って話すでもなく水を飲んでいた二人の老人がこちらを見て、歯の隙間からシッとチッの間の、空気を射るような音を出した。
萌加は何も気にしないふうで、低いガラスケースの前にしゃがみ込むと展示された歩兵銃と見つめ合っている。
「生きている人間が一番怖いってよく言うじゃん! モノ自体が怖いなんてないし、ずっとむかしに死んだ人に勝手に怖いイメージつけるの良くないって。そんなの本当の兵隊さんと違うじゃん、嘘だよ」
「もえは嘘が嫌いだもんね」
「そういうこと! 言霊っていうのがあるからね、言葉は大事にしなきゃだよ!」
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