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私の番

#39

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 牢窓から見える離宮は、とても遠かった。
 どれだけ手を伸ばしても無駄なのだと思い知らされているようで、夜に灯る明りを見て切なくなる。
 記憶がないというのに、会いに来てくれるリュシアが愛しくも残酷で、セレスは自分の気持ちの行き場がなく、どうしようもなく苛立った。
 心の中は、どうにもならない思いで荒れ狂うばかりで、何一つ優しい言葉をかけられず、顔すら見ることが出来ないでいた。
 リュシアの顔を見てしまえば、愛心があふれて彼に何をするか自分でも分からなくて、それが恐ろしい。

 ――いっそ何処かへ……。

 魔法が使えない牢では脱獄することは難しいが、外部からの手助けがあれば、可能だろう。
 はっとなり、何を馬鹿なことを考えているのだと失笑した。
 自分が逃げ出せば、父だって責任を問われるし、屋敷の人間達だって白い目で見られる可能性があるのだ。そんな思いをさせるわけにはいかない……、消えることのない離宮の明かりを見つめながら、馬鹿なことを考えていると――、コツっと踵の鳴る音が聞えた。
 誰が来たのかセレスには凡そ見当が付いていたが、その人物が牢前に来るのを素知らぬ顔で待った。

「来る日も、来る日も飽きないか?」

 声を掛けられて、鉄格子の方へ目を向ければ、牢の前でダーヴィンは両腕を組むと小首を傾げていた。
 セレスは彼の問いに、「いい勉強をさせて頂いてます」と答えた。

「そうか、そういえば、リュシアがお前を牢から出せと言って来た」
「っ……」
「だから条件を満たせば牢から出すと言った」
 
 一体、どんな条件を出したのかは分からないが、あまりいい話では無さそうだとセレスが思っていると、優々たる態度でダーヴィンは不満を口にした。

「あれが帰って来てから、何故か俺を拒んでいる……、お前のせいか?」
「滅相もありません、そもそも、リュシア様は私の記憶すら残っていないでしょう」
 
 そのはずだ、自分の名を呼ぶとき彼は敬称を付けて『セレスさん』と呼んでいる。記憶があるなら、敬称などで自分の名を呼ぶはずがない。
 けれど、陛下を拒んでいると聞いて、胸がどうしようもなく騒ぎ立てた。

「記憶がなくても、魔力がなくても、〝番〟なら何かを感じるのかも知れんな……」
「……どう、お答えすればいいのか分かりません」
「お前は、一度くらいその気取った態度を剥いで見たらどうだ? 牢内なら、すでに罪人扱いだ。俺を罵倒したところで、たいした罪にもならん」
「とんでもございません」

 似た物同士だな、とダーヴィンが微笑した。
 彼は、リュシアの両親から借りた風の使い手の手記を読んだと言い、一生を添い遂げる相手がいるなど不幸な話だと言った。

「それが、受巣持ちで俺の物なら尚更だな……」
「……それも宿命です」
「つまらない答えだ、リュシアを愛してないのか?」

 ――それを……、いま、ここで聞くのか……。

「お前は、またリュシアの従者として働いてもらう、あれの記憶もそろそろ戻るだろう」
「……左様ですか、ですが従者としてお仕えすることは私には出来ません」

 それを聞いたダーヴィンがクっと肩を上げて笑う。

「リュシアに仕えることで、何か困ることがあるのか?」

 リュシアの記憶が戻ればどうなるのか、魔力が戻ればどうなるのか、そうなった時、リュシアを目の前にして自分は正気でいられない気がした。
 大きな溜息を吐くとダーヴィンは、無言でセレスの元から立ち去った。
 しばらくして、パタパタと走ってくる足音が近付いて来る。

「セレス様、先ほど陛下から聞きました。明日、出られるかも知れないと……、良かったですね」
「……どうでもいい」
「そんなこと、仰らないで下さい。せっかくリュシア様が陛下に頼んで下さったのですから」

 ――ここから出た所で、地獄のような日々が待っているだけだ。

「リュシア様に聞かれたのですよ、どうして何時までも牢に入ってるのかと」
「……」
「だから、陛下に聞いて見ないと分からないと答えて、リュシア様が頼めば出してもらえると助言させて頂きました」

 そんなことは望んでないと言うのに、どうして上手くいかないのだろうか、幸せに暮らしてくれるだけでいい、自分のことを忘れているなら、忘れたままでいい。それなのに、何が悲しくて、つがいが奪われる日々に耐えなくてはいけないのか……、陛下に対する妬心や怒りよりも、悲しみだけが胸の奥から込み上げた。
 しゅんと肩を下げるエヴァンは、こちら見つめたまま口を開くと、

「せっかく出れると言うのに、嬉しくないのですね?」
「分からない、出た所で自分には何もない……」

 最初から分かっていたことだ。陛下の側妻が自分の〝番〟などという、絶望的な関係を知り、自分なりに消化して来たあの頃に戻るだけ、それだけだ。
 それなのに、一度、胸に抱いてしまったせいで、こんなにも苦しい思いをしなくてはいけない、決して後悔などしてはいないはずなのに……、と熱い雫が勝手に流れる。

「あの、大丈夫でしょうか……?」
「大丈夫です。さあ、エヴァンも仕事があるでしょう、戻って下さい」
「す、すみません、こんな物しかなくて」

 差し出された手拭を受け取り、「ありがとう」と御礼を伝えると、セレスは離宮が見える小窓へと身を寄せた――。
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