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愛しの番
#27
しおりを挟むセレスは父に言われた通り、久々に屋敷へ戻ることにした。
政務関係者の屋敷の中では、格段に広く豪華な家をぼんやり眺め、二度とこの屋敷にも戻って来ることはないだろう、と足を踏み入れた。
使用人達の驚いた顔は言うまでもなく、幼い頃から自分の面倒を見てくれていた乳母が、「お坊ちゃま」と涙を流す姿に何故かほっとした。
白髪の多くなった髪を綺麗に纏め上げた乳母は手で涙を拭い、「御無事でなによりです」と腰を折った。
「心配をかけてすまなかった」
言葉少なめに乳母に謝罪をして、足早に自室へ向かった。出て行った時と変わりない室内を見つめる。それらを庭先へ全て出し、土の中へ埋めた。
「坊ちゃま、なにをして……?」
「その、坊ちゃまは止めて欲しい、でも、これが最後だと思うと許してしまいたくなるな」
くすっとセレスは微笑し、乳母に別れを告げる。
「婆や、私は国を出る」
「……また陛下の側妻を探しに行かれるのですか」
「いや……、そうではなく――」
罪を犯した、とは言えなかった。何故なら、リュシアに慕情を抱き、一瞬とはいえこの胸に抱いたことを罪だとは思っていない上に、何一つ後悔などしていなかったからだ。
あの日、リュシアがセレスを誘った夜、陛下の側妻だと分かっていても、〝番〟相手に贖えるわけがなかった。
最初は、自分を捨てる決心をした彼なりの配慮なのだと思った。
最後だから、抱けなどと残酷な提案をする人に、切なくなる一方で、こんなにも欲しいと思ったことはない程に、心も体もリュシアを切望して止まなかった。
胸に抱けば強い独占欲と身体を駆け巡る熱い思いに蝕まれ、他はどうでも良くなる。導火線が付いたかのように魔力が暴動を起こし、血が逆流し熱くなる。
――リュシアは私の全てだ……。
彼に魔力が宿れば、全てを手の中に収めることが出来た。だから、その日まで待てばいいだけのことだったのに、結局は良心が勝った。
捨てろと迫ったのは自分に残る最後の道徳心が言わせた言葉だ。
「セレス様……、どうされたのですか?」
「いや、何でもない」
セレスは大きく息を吸い込むと、一度部屋へ戻り、室内を見渡した。所々に残る自分の幼い頃の思い出は、セレスにとって楽しい物では無かったし、リュシアのいない国に未練もない。思い出はあっても、縋るほどのものではなかった。
ふと、部屋の隅に残る自分の魔力に気が付き、その場所へ近寄った。誰にも見られないように壁に魔法で埋もれさせていたことを思い出し、魔法を解けばバサリとそれが床に落ちた。
――懐かしい……。
母親を幼少期に失ってから、父や乳母にも言えなかった思いを沢山綴って来たが、子供の頃に書いた物など、誰に見られても微笑ましい内容だった。
学び舎で誰かと誰かが喧嘩をした、今日の授業は面白くなかった、将来自分は父と同じ執政官になる、と志を書いたり、そんな子供の戯言が綴ってあるだけだ。
パラパラと捲り、最後に書いてある内容に、熱く込み上げる想いにポタリと涙が零れる。
――リュシア、私の愛しい番……。
二度と会うことはないだろうと思う。もし、会えばどうなるのかを考えるが、リュシアを不幸にさせてしまう気がして、その先は思考を止めた。
最低限の手荷物を手に取り、自室を出ようとした時、王宮から護衛の人間が屋敷内を取り囲んでいることを知らせに乳母が現れた。
「坊ちゃま! いえ、セレス様、お逃げ下さい」
「……逃げる必要はない」
「何を仰っているのです。リュシア様が行方知れずになったくらいのことで、セレス様に罪を問うなど!」
「多分、そうではない気がする」
恐らく、そんな単純なことではない気がした。
屋敷を出て見れば、父の姿と護衛騎士である火の使い手がズラリと並んでいた。
「セレス……、すまない、陛下の命令で君を拘束する」
「分かりました」
同僚だった火の使い手は、眉尻を下げるとセレスの腕を拘束した。
父は、ただ黙って見ていたが、その表情に納得出来ないと書いてあるのが読み取れて、通り過ぎる際、父に向って「申し訳ありません」と謝罪をした――。
王宮の東、魔法書庫の奥にある牢屋は滅多に使われることはないため、寂れた施設のひとつだが、風の使い手の管轄ということもあり、牢内は塵ひとつないほど清潔に保たれていた。
長く続く通路の一番奥にある一室に案内され、「一体、どういうことなんだ」と同僚も納得出来ない口振りで鉄格子を開けた。
「さあ、分かりません」
「はぁ……お前って、いつでも冷静だな……」
「焦った所で解決しません。それに陛下の命令ならば、仕方のないことです」
「……牢屋に入れられていることが仕方ないことなのか?」
納得が行かないと文句を言う同僚に、「考えがあってのことでしょう」とセレスは淡々と答えた。
恐らく、陛下は何かを感じ取ったのだろう、普通に接したつもりだったが、不審に思われるような言動が見え隠れしていたのかも知れないな、と先程の短いやり取りを思い返した。
「私のことはもういいですから、仕事に戻って下さい」
「分かったよ、それじゃあな……」
彼の足音が遠ざかると、牢内を眺めた。
牢と呼ぶには快適な部屋で、普通に寝台と机に本棚、それに湯浴みも出来る空間がある。魔法が使えない制御素材で出来ているため、魔法使いのための牢だが、それを省けば普通の部屋だった。
椅子に腰を落とし、何気なく本棚にある本を手に取り捲っていると、カツンと足音が聞えた。
ゆっくりと迫る靴音に、誰が近付いて来ているのかセレスは分かっていたが、開いた本から目を離すことなく、その足音が目の前で止まるのを待った。
「随分と大人しいな」
鉄格子を挟んで君主の顔を拝むことになるとは思っても見なかったが、セレスは腰を上げてから一礼すると、「暴れても意味がありません」と答えた。
「リュシアを何処へやった?」
「仰っている意味が分かりません」
「……ならば、質問を変えよう、番の契りを交わしたか?」
くつくつと肩を揺らすダーヴィンが、「そんなはずは無いか」と溜息を漏らした。
「魔力のないリュシアと結ばれるはずもない、愚問だったな」
「番だと……、ご存じだったのですか……」
「リュシアが寝言で、お前の六芒星が綺麗だと言っていたのを聞いた」
「……そうでしたか」
誰にも言ってはいけないとリュシアに約束させても、さすがに寝言までは制御出来ない。可愛い番の寝姿を思い浮かべ、困った人だとセレスは笑みが零れた。
「お前が、唆して国の外へ向かわせたのか?」
セレスの態度が癇に障ったのか、怒りを露にするダーヴィンに、「いいえ」と否定の言葉と同時に首を横に振り。
「そのようなこと私が企むはずありません」
「ならば、どうしてリュシアは国を出た?」
「陛下、私は何もお答え出来ません」
「信じていた者に裏切られるとは……、俺がどれだけ心を痛めたか分かるか?」
その言葉が胸に刺さる。確かに彼が言うように裏切ったと自分でも思う部分はあるが、それに関しては罪悪感など抱いてなかった。
「まあ、どうでもいい、それでリュシアの居場所は何処だ?」
「存じあげません」
「……この期に及んで、まだそんなことを言うか」
リュシア本人が帰って来たいと言うのなら分かるが、どうしても帰りたくないと言っている。その気持ちを裏切るわけにはいかなかった。
それとは別に、心の底から願う強い気持ちが身体を熱くさせる。
――渡したくない、誰にも……。
それが叶うのであれば、どんな罰でも自分は受け入れる覚悟がある。番を奪われるくらいなら、死んだ方がマシだった。
セレスはその後、ダーヴィンから何を聞かれても首だけを横へ振り、沈黙を貫いた――――。
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