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愛しの番
#22
しおりを挟むそれから数日後、仕事が休みで家でのんびりしていたセレスから、「たまには一緒に買い物にでも行きませんか?」と誘われた。
リュシアも適度に運動しなくてはいけないと、医師であるゲルマンから言われているので、彼の誘いに乗ることにした。
外へ出る前にセレスが、「これを着て下さい」と自身の上着をリュシアに羽織らせる。大きな上着のおかげで、お腹は目立たないけど、不意に彼の香りに包まれて胸が奇妙な鼓動を鳴らした。
――……っ、今のは違う、ちょっと驚いただけ……。
自分に必死に言い聞かせていると、「さあ、行きましょう」とセレスに手を繋がれる。
日に日に彼の存在が大きくなって行くのを感じてしまうのは、自分のせいだけでは無く、彼の挙動が今までと違うからだった。
必要以上の優しさは困ると思っているのに拒めなくて、不意に訪れる不可解な胸のときめきを、どうしても防げなかった。
市場に差し掛かると、食材を眺めながらセレスがリュシアの顔を覗き込んで来る。
「今日は何が食べたいですか?」
「んー……、セレスの作るものなら何でもいいよ。全部美味しいから」
「それは困りましたね。何でも美味しそうに食べてしまうので、一体どれが貴方の好きな物なのか未だに分かりません」
セレスが嬉しそうな顔を向けて来る。
そんなに嬉しそうにされると、こちらの方が気恥しくなる。それに、彼との距離が近くなると意識したくないのに、ふとした時、どうしようもなく彼を〝番〟だと意識してしまい、平常心を保つのが大変だった。
「どうかしましたか?」
「ううん、どうもしてないよ、僕のこと食い意地が張ってると思ってるのかなって思っただけ」
「そうですね」
「えー? 本当に?」
くすっと笑ったセレスが「冗談です」と言う。
「あなたは小食なので、もっと食べてもらいたいほどです」
「結構、食べてると思うけど」
「いいえ、お腹に子がいるというのに以前と食事量が変わっておりませんので、少し心配です」
普通の妊婦とは違い、沢山の食事をしなくても、リュシアの場合は幼少の頃からずっと蓄えられている魔力が身体中を巡っているので、腹の子はそれを摂取している。
だからだろうか、食に関する欲求は殆ど無かった。
普通はこの時期になると無性に食べる物に執着が湧くと聞いているし、無理してでも食べた方がいいのかな……、と考えている最中、ふと数日前にゲルマンに診察してもらった時のことを思い出した。
出産に関する説明を聞きながら、セレスの絶句していた顔が浮かんで思わず、
「……っふ」とリュシアは笑みが零れた。
「思い出し笑いですか?」
「あ、うん、お腹を切って子供を取り出す話を急に思い出して……、あの時のセレスの慌てた顔を思い出した」
笑った理由を正直に白状した。
「ああ、それは未だに納得しておりません」
「そんなこと言うけど、そのまま放置していたら、お腹を蹴破って出て来そうだよ……?」
「そんな恐ろしい話をするのは止めて下さい……」
リュシアがくすくす笑っていると、彼は途惑いながら。
「本当に心配してるのです」
「うん、分かってるよ、けど、セレスがこんなにも心配性だとは思っても見なかった」
リュシアの身に起きる全てのことを心配してくる彼に、本当に大袈裟だよね……、と溜息を吐いた。
「私を捨てたくなったのですか?」
「どうして急にそんなことを言うの?」
「呆れたような溜息を吐いていたので、捨てられるのかと思いました」
微笑した彼の顔を見て、冗談で言ったのか、本気だったのか分かり難くて、返事に困っていると、彼は口元を和らげた。
「私は、あなたの為なら何でもします。消えろと言うなら、すぐにでも視界に入らないようにします」
「ちょ、ちょっと待って! 僕が、セレスに消えて欲しいなんてそんなこと思うわけ無いよ」
「いいえ、でも……、いい機会かも知れません」
「え……?」
セレスの手がリュシアの手をぎゅっと握り込んで来る。
「この機会を逃せば、私から逃げ出すことは不可能です。子供が生まれたら、あなたを〝番〟という籠の中に入れてしまうと思います」
「……っ、セ、……ごほっ……」
「大丈夫ですか?」
分かり易く内に秘める情熱を自分に向けて来るセレスを見て、本当にそうなってしまう気がして、怖いと思うのに、胸がきゅうっと締め付けられた。
「セレス……、僕はダーヴィン陛下の側妻だよ」
「知っています」
「いつ陛下の元に戻されるか分からないのに……」
実際に彼の子を授かっているし、このまま逃げ隠れて暮らせるとは思ってはなかった。
それに、もしかしたら罪人扱いになっている可能性だってある。リュシアは自分の身の振りだって、どうなるか分からないのに……、と思う反面、セレスからの愛情に酔いそうになる。
ふと、立ち止まった彼を不思議に思い、顔を向ければ、いつもとなんら変わりない表情を見せるセレスが。
「私は、あなたを手に入れたら、誰にも渡すつもりはありません」
じっと見つめたままセレスは、一言一句を、まるでリュシアの心の中へ書き込むように言う。
「たとえ、それが陛下でも渡しません……。ですから、拒みたいなら私を捨てて下さい」
ぴしりと言う彼を見て、本気で言っていることが分かった。
言われた言葉は死別に近くて、急に崖の上に立たされたような気分になる。セレスを捨てる? そう考えるだけで、何故か涙が零れて来た。
胸の奥に重たい何かが沈んでいく感覚、その重たい何かは一度沈めば、一生自分の足枷となって、孤独が心を蝕んでいく気がした。
「すみません、苦しめるつもりはないのです」
その言葉を聞いて、きっと苦しいのは彼の方だとリュシアは思った。
一生を添い遂げるはずの番が陛下の側妻なのだから、どうにもならない想いを彼が抱いていることくらい、自分にだって分かる。
だから、彼は捨てろと言った。
ここで決別をしないなら、二度とセレスから逃れることは出来ないことを警告したのだと思った。
自分の瞳から止め処なく零れる涙を彼の指が掬うと、悲しい笑みを浮かべ、「もう、家に戻りましょうか」と言う。その言葉にリュシアは素直に頷き、来た道を振り返ると家に戻った。
その日の夜、リュシアはセレスに一緒に寝ることを伝えた――。
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