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絹毛の姫様
#05
しおりを挟む広々とした部屋には、重厚な机と天井まで聳える大きな本棚があり、リュシアはキョロキョロと辺りを見渡した。
自分の屋敷では見たことがない物ばかりが飾られており、ガラスで出来た太い柱の中を小さな魚が、上へ行ったり下へ行ったりしているのを物珍しく眺めていると、ここはダーヴィンの公務室だと教えてもらう。
彼は部屋の片隅にある調度品の引き出しから、紙の束を手に持つと難しい顔を見せた。
あれは何だろう? と彼の持つ紙の束にリュシアが興味を示していると、彼はパシっと紙の端を手で払い、「この報告書によると、お前は――」と言うのを聞き、彼の手にしている物が、王宮の質問に答えたリュシアの書類だと知る。
「俺に会いたいか? の質問に『とんでもないことです』と答えている」
器用に片頬をぐいっと上げ、「それから――」とダーヴィンは話を続けた。
「何か欲しい物は無いのか? の問いにも『とんでもないことです』と返事をしたな?」
そんなことを言われて、リュシアは途惑う。
いつの話だろう、そんな質問受けたかな? と記憶を辿るが、年を通して王宮からの使いの者は数えきれないほど来ていたし、質問内容も五十項目以上あって、十二歳から受けてきた質問を、全て覚えている方がおかしいことだった。
けれど、先程の質問の内容と回答を聞かされて、確かに自分なら、そう返事するだろうと思い、結んでいた口を解した。
「あの、恐れながらダーヴィン様、僕は王宮から使いの御方が来る度に、陛下からの質問だと聞かされて、それにお答えしてきました」
「ああ、それで?」
「ですから、僕が望みを持ったりするのは、いけないことだと思うのです……」
そう、ダーヴィンがリュシアに望む物は何でも捧げるが、その逆は無礼なことだから、先ほどの質問に関して『とんでも無いことです』と答えたのであれば、そういう意味で返事をしているはずだ。
だから、ダーヴィンのご機嫌を損ねるような回答では無いのに、どうして不機嫌になるのかと思う。
「そうか、では逆はいいと?」
「はい、僕はダーヴィン様に全てを捧げる覚悟があります。この心臓ですらダーヴィン様の物です」
ザっと一瞬でリュシアの隣へ来た彼が、ぐっとリュシアの腰を抱き寄せる。
「こんな時間から、そんなことを言うとはな……、しかも、今日はこんなことされても、達しないのか?」
「え……」
「初披露目の日、達っただろ?」
燦然たる笑みを向けられ、とろっと脳内が蕩けそうになる。あの日ダーヴィンに抱き上げられ、腰を抱かれただけで精通してしまったことを思い出し、ぼわっと頬に熱が走った。
そう、あの時、一瞬で彼の虜になって、それからずっと恋焦がれ、彼に会いたくてどうしようもなかった。
切望した日々を思い出しながら彼の体温に包まれ、目を潤ませていると、くすっと鼻を鳴らしたダーヴィンは、あの日と同じようにリュシアの首筋に唇を押し当て腰を撫で上げた。
「……ぁ、っ」
触れられた腰からじわっと彼の体温なのか、それとも魔力なのか、とにかく何かが流れ込んで来るような感覚に、ふるりと身体を震わせていると、ダーヴィンに顔を覗き込まれた。
「随分と可愛く育ってくれたな、可愛さ余ってなんとやらとは、このことか……」
彼からツンと鼻を指で弾かれ、不意に顔が近付く。
リュシアの顎を取り、一段とダーヴィンの顔が近付いた瞬間、バタンと勢いよく扉が開き「陛下!」と声を荒げ、エグモント執政官が凄い勢いで部屋へと入って来る。
「邪魔なヤツが来た……」
「何が『邪魔』ですか! 広間でリュシア様の到着を、皆が首を長くしてお待ちしております」
眉を寄せた執政官が呆れたように、決まり事は守るようにと言うが、ダーヴィンは、どうでもいいと言わんばかりの態度で、「待たせておけ」と返事をする。
「何を仰っているのですか、今宵は閨入りもあるのです。取りあえず、リュシア様には、一通りの行事をこなして頂き、しっかり休んで頂かなくては――」
エグモント執政官の話を聞き、急に現実に戻されたリュシアは、何を浮かれていたのだろうと自分の立場を忘れていたことを反省した。
大勢の人間が広間でリュシアの宮入りの挨拶を待っていることを知り、リュシアもダーヴィンに申し立てた。
「陛下、僕は今日から役職を頂いた側妻です、他の役職の方へご挨拶もなしに、宮殿内を歩くことは出来ません」
「ほう? なかなか言ってくれる。イリラノス家は、随分と厳しくお前を育てた見たいだな」
ぴりっと厳しい声色に変わった彼を見て、今更のように自分の身分を噛みしめた。「では行事とやらを済ませよう」と、あからさまに機嫌の悪くなったダーヴィンは立ち上がると、ついでにリュシアも立たせた。
――もしかして……、怒らせてしまった?
ほんのり甘かった空気は、急に不機嫌になったダーヴィンによって重々しい空気に変わり、リュシアの喉がひりひりと乾き始める。
けれど、自分は間違ったことを言ったわけでもないし、おかしなことを言ったわけでもないと考えていると、エグモント執政官がリュシアへ優しい笑みを浮かべて口元を和らげた。
「リュシア様には広間の挨拶が終わった後、その足で先代の王へ挨拶に出向いてもらうことになります。それから――」
これから行う行事の説明を受けて、本当に沢山の予定が詰め込まれていることを知り、先ほど見せたエグモントの剣幕も頷けると思った。
滞りなく行事が終わらなければ、リュシアのことを良く思ってない人間から、難癖を付けられて足元をすくわれることだってあるのだから、と彼の話を聞きながら気を引き締めた。
こちらの様子を見ていたダーヴィンは不満顔を見せながら、「では行くか」とリュシアへと手を伸ばしてくる。
「あ、あの……」
「ん、どうした?」
陛下と手を握って歩くことを想定していなかったリュシアは、「宜しいのでしょうか?」とエグモント執政官へ目を向けた。
「仕方ありません、広間に付くまで……」
しょうがない人だとダーヴィンを見つめ、諦めたような顔をする執政官に、「分かりました」とリュシアは返事した。
広間へ行くまでの道中、ダーヴィンから先王の説明を受ける。魔障病と呼ばれる病にかかっており、動く度に些細な衝撃で何処かの骨が砕けてしまうのだと教えられた。
ダーヴィンの母である皇太后は、つきっきりで先王の看病をしているらしく、必然と二人へ同時に挨拶をすることになると言う。
「魔障病は治らないのでしょうか?」
「ああ、現段階では外部の治療法は見つかってない」
どうやら、体内に入り込んだ闇魔法を完全に浄化出来ずにいるらしく、それを排除出来るだけの魔力が先王には残っていないと言う。
「そうですか、出過ぎたことを言ってしまいました」
「いや、いい、気にするな」
他人の傷は、外傷でも体内でもあっと言う間に治療出来てしまうのに、神聖魔法使いは、自分の魔力でしか自分を治療出来ない。しかも先王は闇の魔障が体内に入り込んでいる状態で、魔力の回復も出来ずにいると言う。
以前は、神聖魔法を頼りに、近隣国から魔物の巣を塞ぐ申請をしてくる国が多かったが、それを撤廃したのが、ダーヴィンだった。
自分達で何もせず、魔法使いに全て丸投げをする無能な人間達のために、何故、父である先王が犠牲にならなくてはいけなかったのかと怒り狂い、訪問に来る他国民を全て拒むようになったのだ。
「自分達で最低限の防衛をしてもらうのは悪いことではないだろう?」
ダーヴィンの言うことは当たり前のことに思えたので、リュシアはコクっと頷き、「当然のことだと思います」と答えた。
「それを、偉そうに『魔力があるなら人の役に立て』などとよく言えたもんだ。自分達は何もせず、何でもかんでも助けてもらえると思ったら大間違いだ」
怒りを露にするダーヴィンを見て、先王の身体の状態がどれだけ酷いのか伺えた。
自分の父親が他国民のせいで不自由になり、歩くこともままならくなったのに、助けてもらった国は感謝を述べるだけで、その後は音沙汰も無いのだから、ダーヴィンが怒り狂うのも頷ける話だった。
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