浮気な彼と恋したい

南方まいこ

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17.学会

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 誠人は店内の掃除を済ませ、携帯の画面を眺めた。

 ――そういや連絡先、知らなかったな……。

 海翔が訪ねて来た日から数日が経ち、あれから店に来ることも無く、一体どうしたのだろうと考える。この間会った時、様子が変だったことも気になるし、妙に心配になった。
 だが、誠人は恋人でもなければ友達でも無い、そもそも、海翔のプライベートに関して自分が心配する義理もないのだ。
 天井を仰ぎながら、勢いよく頭を左右に振り、邪念を払っていると不意に店の電話が鳴った。
 この時間に予約は珍しいな、と思いながら電話に出ると、海翔からだった。

「ん? はっ……? イベント? いや、何で俺が、ちょ……っ」

 一方的に用件だけ言い渡され、電話を切られた。
 来週末、大学で書道のイベントがあると言うが、自分が行っても浮くのでは? という不安と、海翔の大学先を知らない。それに来週末は誠人にも予定があった。
 料理の調理学会に呼ばれていて、その話をする間もなく電話を切られたので、どうしたものかと誠人は頭を悩ませるが、考えても仕方ないので取りあえずは仕込みを続けた。
 しばらく作業に打ち込んでいると、店のガラス窓をコツンと叩く音が聞える。そちらへと目をやれば、長谷部がガラス越しに手を振っているのが視界に入った。
 遠慮なく店内に入って来る男に向かって誠人は「こんなに頻繁に俺の所に来て自分の店は大丈夫なのか?」と尋ねた。

「まあ、優秀な弟子がいるから、うちは大丈夫」
「さすが、有名店は言うことが違うな」

 長谷部が店を構えている場所は、よく雑誌でも紹介される表参道だし、そこに美形のオーナーシェフがいるとなれば、注目を浴びるのも当然だった。
 誠人の心からの褒め言葉を、皮肉と受け取ったのか、長谷部は口元を軽く歪める。

「よく言うよ、須藤だって大々的にアピールすれば、あっと言う間に何店舗も抱える店のオーナーになれるだろ」
「別になりたくないな……」
「ほらね、すぐ、そういうことを言う」 

 実際、この店だけでも大変なのに、他の誰かを雇って店を任せて、金だけを稼ぐことに興味は無かった。それこそ料理が好きな誠人は、一店舗でじっくりと自分の料理を振る舞いたい派だ。長谷部のような合理主義とは真逆の考えを持っている。
 同じ店で修業をしていた時から、その辺りの考えのズレはあったし、だからこそ一緒に居ることが楽しかった時もあったが、今はもう楽しめるような物ではなくなっていた。

「で? 今日は何の用事で来たんだ?」
「んー、最近潤いが足りないなぁ……と、思って」
「……つまり、抱けと?」

 回りくどく言われるのが面倒で、誠人は直球で聞き返したが、それを聞いた長谷部は苦笑した。

「そう言われると、身も蓋もないな」
「俺じゃなくても、その日限りならいくらでも相手がいるだろ」
 
 以前なら手を出してたかも知れないが、今は長谷部も含め、誰かを抱く気にはなれなかった。
 こちらの思考を読み取ったのか、「一足、遅かったかな」と言いながら長谷部は微笑むと、話題を変えた。
 
「ところで、来週末の学会は須藤も行く?」
「ああ、行くよ」
「ん、そっか、じゃあ、俺も顔出そう」

 長谷部はそれだけ言い残すと店を出て行った。
 いつも学会に顔なんて出さないのに珍しいこともあるな、と消えて行った店の扉をしばらく眺めた――。

 予定していた料理学会の日、会場へ向う途中で海翔のことが頭を過ったが、どうしようもなかった。
 自分達の関係は、その他大勢の一人に過ぎないのだから、わざわざ日程を合わせるような必要はない。十分過ぎるほど分かっていることを、誠人は何度も頭の中で自分へ言い聞かせるように反芻はんすうした。
 車で指定の会場へと着いた頃には、久々に会う恩師を思い浮かべ、軽い緊張感に襲われていた。
 着慣れないスーツで大きな会場へ足を運べば、顔なじみの料理人などが既に集まっていたが、誠人はそれを横目に恩師の姿を探した。
 遠目にお目当の人物を見つけたが、その流れで長谷部と目が合う。派手なスーツというわけでもないが、元々の雰囲気が華やかなせいか、ぱっと人目を引く風貌に否応なしに吸い寄せられた。

「もう来てたのか、店はいいのか?」
「うん、今日は店は人に任せて来たから」 
「今日、も、だろ?」

 と誠人の嫌味に薄っすら目を細めた長谷部は「金子先生に会った?」と聞いてくる。

「いや、これから」
「あっちにいるよ」
「知ってる。お前が目に入ったから、先に挨拶しただけだよ」

 多少、苦笑いの混じった長谷部の顔を見て、「また後でな」と言い残し、足早に移動すると、久々に恩師の顔を拝んだ。
須藤すどうくん」と馴染みのある声で呼ばれて、誠人は歩み寄り「お久しぶりです、金子先生」と深々と頭を下げた。

「何度か店の方に顔を出そうと思っていたんだが、なかなか行けなくて、すまないね」
「いえいえ。緊張して味付けに失敗しそうですので、先生は来ないで下さい」

 多忙な人間が、たかが弟子のために、店に尋ねて来るなど出来るわけもない。気を遣わせてしまったな、と誠人は申し訳なく思う。
 久々に会う恩師との会話を楽しんでいると、「それで須藤くんは今年のコンクールはどうするんだ?」と聞かれて、実は今年からコンクールに出場するのは、止めようと思っていたことを打ち明けた。

「そうか、まあ、いつまでも若手と言うわけじゃないし、自分の店のこともあるし、仕方がないことだな」

 仕方がないと言われて、そうなのかもなと思う。しばらく金子と話をしていると、わらわらと同世代の料理人が集まって来る。
 自分達世代からすると、金子に教わりたくて彼の店の扉を叩く料理人が多かったし、引退さえしていなければ、今でも彼から教わりたいと願う料理人は世界中にいるだろう。誠人は一歩後ろに下がると、料理人たちに囲まれている恩師を遠目に眺めた。
 その途端、ツンと背中に手が添えられて、誰かと思って確認すれば長谷部だった。
「コンクールの話されただろ?」と金子と何を話したのか、分かっている口振りで聞かれる。

「まあな、今年は出ないって伝えた。お前も出ないんだって?」
「ああ、そろそろ世代交代じゃない?」
「そうかもな、情熱も不足してるしなぁ……」

 長谷部は急にニヤニヤする。
 
「情熱ねぇ、あの子には注いでそうだね」
「あの子……?」
「ほら、店の前で待ってた子」
「ああ……」

 海翔に対する気持ちを、情熱と呼んでいいのか分からないが、確かに色々な意味で、誠人に影響を及ぼしているのは間違いなかった。
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