浮気な彼と恋したい

南方まいこ

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16.心と体のバランス

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 予定外の早さで大学に辿り着いてしまい、何してるんだか……、と自らの行動に突っ込みを入れつつ、構内へ足を入れる。
 本当なら今頃、誠人の姿を眺め胸をときめかせているはずの時間だったのに、海翔の計画は物の見事に崩れ去った。
 仕方なく講義が始まるまで構内の片隅で丸くなっていると、背後から涼に「大丈夫か」と頭に缶コーヒーを乗っけられる。

「大丈夫ですよ。大丈夫じゃないように見えます?」
「俺から見ると大丈夫には見えないな」
「大丈夫なんですけど、滅多にないほど悩んでます」
「なるほど、ようやく思春期を迎えたのか」

 まるで中学生を見るかのような眼差しを向けられて、反発心が芽生えたが、そうなのかも知れないと思う。

「俺、今日、気になる人に会いに行って、それで、好きだと自覚したんです。そしたら、嬉しい気持ちより寂しい気持ちが勝って……」
「わかる。わかる。片思いって皆そうだから」
「つくづく、心と体のバランスって難しいなぁ……って思っちゃいました」

 体だけ……、それもいいと思うのに、好きになったせいで、欲張りになった。どうやって割り切ればいいんだろう? と迷子状態だ。
 涼が「今度のイベントに、その好きな人呼べば?」と提案をしてくる。どうやら、海翔がどんな男を好きになったのか、見て見たいようだった。
 
「んー、呼んでも来てくれないかも、って言うか興味が無さそう……」
「書道には興味が無くても、海翔に興味があれば来るんじゃないか?」

 涼に言われた言葉で、曇っていた心がピカーっと光り輝いてくる。誠人が海翔に興味があれば来てくれるが、なければ来ないということを教えてもらい、なるほどと思う。
 今まで、相手の気持ちを推し量るような行動や、言い回しをする女子達を沢山見て来たし、それを馬鹿にしてきたが、いざ自分が同じ立場になると、そっか、こういうことなのか、と急に理解力が高まった。

「俺……、今になって女の子達の気持ちが分かった」
「女心なんて分かった所でお前の人生にはまったく必要ないぞ、そんな物は習得しなくてもいいから、書の技術を習得しろ」

 涼が呆れ顔で言うのを聞き、書は書、誠人は誠人、だと自分の定義を並べる。ふと視界の隅に涼の彼女の姿を見つけて、「あれ、彼女さんじゃないですか?」と、すぐそこに彼女がいることを教えるが、咄嗟に目を伏せる彼の様子を見て不思議に思う。
 それに、最近は珍しく、サークルも休まず顔を出しているのが気になった海翔は、思ったことを口走った。

「そういえば、涼さん、最近、彼女さんとデートしてないんですか? 喧嘩でもしました?」
「……聞いちゃいけないことを聞いたな」

 しゅんという効果音が、背後から聞こえそうなほど涼の姿が落ち込んでいくのを見て、色々と察した海翔は「ああ、振られたんですか?」と聞いた。

「海翔は、遠慮なく傷口を抉るねぇ……」
「俺、他人には塩強めなんです」
「……まさかの粗塩あらじお対応で、先輩、びっくりしてます……」

 スンと目を座らせ、涼はヤケ酒の如く、缶コーヒーをぐびぐびと飲み始める。あんなに仲良かったのに、何が駄目だったのかと聞けば、時間の共有に失敗したと言う。
 女と付き合ったことのない海翔からすると、女性に時間を合わせるのは大変な苦労があるのだろうと思った。
 基本、異性愛は男がリードするようになっているので、女達が要求する様々なミッションをクリアしなくてはいけない。洒落た食事に、洒落たデートコース……、恐らく大変な努力をしているのだろう。
 薄っすら涙目を浮かべる涼は「俺はしばらく女断ちする」と宣言した。

「あ、男にします?」
「……それはちょっとな」
「前から思ってたんですけど、涼さん、いけると思います」
「ヤメロ……」

 実際、異性愛も、同性愛も、相手がいてこそだ。どのみち人間性に惹かれて恋が始まるのだから、涼だってこの先、男にときめくことがあるかも知れない。

「涼さん、抱かれるなら、どんなタイプがいいですか?」
「は……?」

 一瞬、涼が押し黙り、すかさず海翔は「どの男にしようか、ちょっと考えましたね?」と耳打ちした。その瞬間、涼は立ち上がり、耳を真っ赤にしたまま「考えてないから!」と慌てて海翔の元から走り去って行った。
 あれ、もしかすると、もしかするのかも? と海翔は思う。徹を紹介して見ようかな? と仲人気取りで色々考えたが、そんなことを考えたせいで、せっかく忘れていたのに、今朝の長谷川という男のことを思い浮かべてしまい、苛っとした。
 
 その日――。
 サークルでイベントのための書を、パフォーマンスを交えて揮毫きごうして、家に戻ってからも書に励んだ。
 ガシュガシュとすずりの上で墨を躍らせていると、父親に「こらこら、ストレスを発散させるんじゃない」と叱られる。

 ――欲求不満の塊なんです。息子と、その息子も!

 欲に塗れた脳内のせいで、父の小言も右から左へと流れて行った。
 ふぅ、と海翔は心を落ち着かせ、来週末行われる書道パフォーマンスを思い描き、絶対に成功させないとな……、と強く思う。何故なら、真剣に書道家の道を望んでいる人間が部内にいるからだった。
 静かに隣に座った父が、海翔をじっと見て、コホンっとわざとらしい咳払いをすると。

「最近は家にいることが多いようだけど、何かあったのか?」 
「何もないよ、何もないから家にいる」
「まあ、煩いことを言う気は無いが……」

 言う気はないと言いつつ、小言が始まる。

「お前は少し、遊びを控えなさい」
「遊んでないし」
「ならいいが、ちゃんと責任を取れるようになってからでも遅くはないんだから」
「責任?」
「つまり、女性の身体に興味があるのも分かるが――」

 いや、興味があるのは、男のナニにナニされることであって、女のアレにアレすることじゃないんですよ、と頭の中の海翔は深々と父親に土下座をした。
 父が心配するような遊びは、まったくしないので、大丈夫だと言った方がいいのかもなぁ……、と自分がゲイだとカミングアウトをする機会を伺っていたが、もうしばらくは父に夢を見させてあげようと思った。
 くどくど堅苦しい説教をする父親に「ねぇ、父さんって、何歳まで童貞だった?」と聞いて見る。

「っ、親になんてことを聞くんだ……、母さんと結婚するまでに決まってるだろう」
「は? 結婚したのいつ?」
「二十九歳の時だ」
「やばっ……、魔法使いの一歩手前じゃん……、いや、妖精か、いや、仙人……」
「何をわけの分からないことを――」

 なるほどな、と人生損している父を見つめながら、間違いなく自分は母親に似たのだと思った。
 その後、納得の行くまで書を揮毫きごうし、いつも通り夕飯を食べ終え、シャワーを浴びたあと、自室で携帯をぼんやり眺めた。

 ――あれ、そう言えば、誠人さんの番号しらない……。

 一度、連絡先を聞かれたのに、教えなかったことを海翔は思い出した。
 今までの男達とは明らかに違うタイプなのに、つい、いつもの癖で連絡先の交換を拒否してしまったことを、今更後悔した。
 折角、来週の書道のイベントに誘おうと思っていたのに……、また誠人の店に顔を出さなくてはいけなくなる。と考えて、出来れば行きたくないと思う。
 なぜなら、誠人が一晩過ごした男と一緒にいる所に出くわしたら、気分は最悪になるからだ。

 ――徹さんに連絡? いや、それは面倒な話になる。

 抱く抱かないの話をされても、返事は決まってるし、そもそも、あの人は本気で誘っているわけではないのが伝わって来る。誠人と同様、相手には困ってないだろうし、海翔を誘うのも良い返事が聞けたらラッキー程度なのだろう。

「どいつも、こいつも、余裕だな!」

 海翔はベッドへダイブするとポスっと枕に顔を埋める。どうして、こんなに誠人ことばかり考えているのだろうか、やるべきことに向き合っている時はいいが、することが無いと途端に考えてしまう。

 ――よし、こんな時はオタク業に励もう。

 父が出版した書道の教科書を手に取るが、どうも集中出来ない。あの発言のせいだろう、二十九歳まで童貞って? あの顔で? はあ? と自分の父親ながら、勿体ない気分にさせられた。
 結局、どの書を手に取っても、父親の衝撃告白の前に霞んでしまい、大した勉強にならなかった――。
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