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恋しくて…
#34
しおりを挟む目が覚めると、ぼーっとして思考が儘ならない。けれど、幸せな夢を見れた気がして、ぱちぱちと瞬きを繰り返した。
――夢…。
唇に触れた感触があり、抱きしめられ頭を撫でられた。
せっかくシドに会えたのに、彼は「ごめん」と言って何処かに消えてしまった。
確かに、生々しい感触が残っているが、彼に会いたいと思う自分の心が作り出した虚像のような気もした。
自分の唇に手を当て考え事をしていると、カチャカチャと食器が鳴る音と共に、マリエが微笑みながら朝食を持って来る。
「ご気分は如何でしょうか?」
「少しだけ、ぼーっとします」
「左様ですか、ジーク殿下より、今日はお土産が届きますから、退屈せずに済みそうですよ」
「そうですか」
ジークの名前を聞き、気分が落ち込むが、昨日来ると言っていたのに、来なかったのだろうか? とアダムはその疑問を口にする。
「マリエさん、ジークさんは昨日来なかったのでしょうか?」
「いいえ、いらっしゃいましたが、聖天様は、その……、お休みになられておりましたので、直ぐにお帰りになりました」
昨日来たと聞き、ジークならアダムが寝ていても、起こしそうな気がしたが、彼も忙しいのだろうと、気にするのを止めた――。
夕刻前、昨日案内してもらった中庭へ行く。こんな生活を続けていたら、気がおかしくなりそうだと思いながら、マリエが用意したお茶に口を付けた。
――何か聞こえる。
微かに讃美歌を奏でる音が聞える気がした。
こんな場所でどうして聞えるのか分からない音に、ソワソワする。少しだけ音程がおかしいが、確かに讃美歌の音楽に聞え、それが近付いてくる。
「マリエさん、外から音楽が聞える」
「本当ですね」
「外が見える場所へ行きたい」
「……いいえ、きっと、商人が持って来た遊具が、誤って音でも奏でているのでしょう。外をご覧になっても意味が御座いません」
冷たく言われるが、アダムは辺りを見回し、外が見えそうな窓へ走った。
少し高い位置にある出窓へ向かい、外の様子を伺ったが、背の高い木々に遮られ、よく分からない。
「聖天様、ここは密林にあるお屋敷です。外には大量のガスが発生しておりますし、木々が密集しておりますので、窓が少ないのです」
自分より背も体も小さなマリエが、背後に立つと軽々とアダムを持ち上げ、窓から引き剥す。
「マリエさん、少しだけでいいから外に行きたいです」
マリエに訴えても無駄だと分かっているが、アダムは懇願した。彼女は困った顔で、溜息と共に首を横に振り、赤い目が鋭く光らせ、「いいえ、もう、お部屋に戻りましょう」と、とても冷えた目と声でアダムの行動を制御した。
部屋に戻ると、使いの者が本や遊具を持って来る。変わった遊具があり、その中で不思議な物を目にした。
それは、あの祭壇でシドに聖天の歌を奏でることが出来る笛が入っていると教えられた小さな箱にそっくりだった。
いや、そっくりなのではなく、そのものだ。見間違えるわけが無い、箱にはアダムが縛り付けた鍵も一緒に括られていた。
間違いなく、あの讃美歌の流れる笛が入った箱だった。
――さっきの音はこれだ……。
シドが直してくれて、音が出るようになったのだと思い、その箱を手に取った瞬間、はっとした。
アダムがここにいることをシドが知っているのだと知り、視界がぼやけて熱い雫が、ポタポタと落ちた。
――やっぱり、昨日、会いに来てくれた?
それなら、どうしてアダムは置き去りにされたのだろう? そこまで考えて、自分は彼から見捨てられたと感じた。
その事実に胸が痛くなるが、逃げ出したのは自分の方だった事を思い出し、また目から雫が落ちた――――。
昨日と同じく、湯場で全身に何かを塗られた。マリエがアダムの肌は、とても綺麗だと言いながら、薄くキラキラとした寝着を着せてくれる。部屋に戻ると、昨日食べた果物が置いてあるが、マリエが果実に視線を移すと。
「そちらの果実はジーク殿下とお召し上がりになって下さい」
「はい」
「それから、閨時に、これをお飲みになられると良いと思います」
「何、す、るの…?」
マリエの一言に、アダムは一気に不安になる。差し出されたグラスは薄バラ色の液体が注がれている。
まさか、シドと行った行為をジークとするのだろうか? そう考えると寒気でゾっと体が震える。
「マ、マリエさん、僕、やっ……!」
嫌だと訴えようとした時、鐘の鳴る音が聞えた。マリエが扉を開き腰を折ると、ジークが部屋へと入って来る。
「今日は大丈夫そう?」
「はい、まだ召し上がっておりません」
「良かった」
マリエは深く頭を下げると部屋から出て行った。
――どうしよう……!
ジークが歩み寄って来ると、あっと言う間に抱き抱え寝台へと降ろされた。
アダムを見下ろし、じっと見つめてくる。その眼差しを何処かで見たと感じたが、今はそんな事を考えている場合では無かった。
ここから逃れる手段を考えないといけない、けれど、はたと気が付く、逃げる? 何処へ? 窓もなく、ジークより遥かに力も無い自分が、どうやって彼から逃れる事が出来るのだろう。現実を冷静に受け入れると、アダムは一気に体の力が抜けた。
軽々とアダムの身体を持ち上げるとジークが膝に乗せる。
「どうしたの?」
「……」
「話したくないかな…?」
「……」
彼がサイドテーブルにある、果物籠へ手を伸ばすと、ひとつ果実を摘まむ。
「口、開けて…」
「っ……ん」
抵抗しても無駄だと思い、言われるまま昨日も食べた果実を口にした。この果物は美味しい、けれど、あまり良くない物のような気がして、躊躇してしまう。
「僕、家に帰りたい」
「うん、いいよ」
「ホント?」
「本当だよ。俺は王様になったから、君を幸せに出来る」
「王様になった……?」
「そうだよ」
涼しい顔をしたジークが、自分は王様になったといい、家に帰してくれると言う。前の王様に何かあったのだろうか? アダムが不思議に思いながら小首を傾げていると。
「前の王様は愛する人を追いかけて出て行ったんだ」
「そうですか……」
「でも、会えなくて可哀想だよね……」
寂しそうな顔をするジークを見ていると、胸がザワザワしてくる。
「芳香が出ないのは、俺が嫌いだから?」
「分からない、けど、ジークさんは嫌な事ばかりするから」
「そっか」
ツっとジークの指が、胸元にある寝着の紐を弄ぶ。
「兄上と同じことしているだけなのにな……、あの日、この実を食べさせられたでしょう?」
「……? なにを、…い……って」
ふっとジークが鼻を鳴らすと。
「この実は幻覚作用もあるんだけどね、興奮作用も高いんだよ。あの夜、兄上に食べさせられたでしょう? それに閨も君の意思じゃ無かったはずだよ」
――あぁ……、う、そ……。
バラバラだった破片が集まり始め、ひとつの塊になる。
シドはジークの兄? それならばシドは……、と震える唇を動かした。
「シドさんは……王様?」
「前のね、本当の名前はシアトだよ」
アダムはシドが聖獣王だったと知るが、同時に、先ほど言っていた愛する人を追いかけて、出て行ったと言う言葉を思い出し、胸が張り裂けそうになった。
シドに想い人がいると知り、それならどうして自分に優しくし、体を重ねて夜を共に過ごしたのか、こんな残酷なことは無い。知らぬうちに彼に惹かれ、奪われた心が壊れそうになる。
ショックで震えるアダムの体をジークが抱きしめると、もうひとつ果実に手を伸ばし、「ほら」と口を開ける様に促される。
「もう、いらない……」
「だめ、たべて」
「う、ん……っ…」
仕方なく口に入れると、アダムの額にかかる髪の毛を撫であげ耳に掛けてくれた。
その仕草と微笑んだ顔が、シドとよく似ていて錯覚しそうになる。こちらを優しく見る眼差しを見て、昨日シドだと思った人物がジークだったと気が付く。
「昨日、ここにジークさんが来たの?」
「そうだよ、兄上だと思ったんでしょう?」
「うん……、シドさんが来てくれたと思った」
「まあ、パッと見た感じは似てると言われてるからね、芳香が出て来たね……、兄上を思い出した?」
そう、ジークの言う通りシドを思い出していた。
「こっち見て」
確かに似てる気もするが、彼はシドじゃない。
なのに頭がクラクラして、判断が鈍って来る。唇に口づけを受けると、彼の舌が入ってくるが身体に力が入らず抵抗出来なかった。
唇が離れ、アダムの口から零れる唾液をジークが舐め取る。
「…っ……ぁ」
「今だけ代わりにしてもいいよ?」
「代わり……」
「そうだよ、君は兄上が好きでしょう?」
その言葉に頷いた。
自然とポロポロと涙が零れる。気分がいいはずなのに、シドが好きだと思うだけで、切なくて涙が溢れる。
ジークがそっと瞼に口づけをし、涙を舐め取った。
「時間がかかってもいいから、いつか俺を好きになって……」
「好き……に……?」
「うん」
どうやって好きになるのか、アダムには分からなかった。
シドの事だって、知らない間に好きになっていた。彼に微笑まれ、困ったヤツだと溜息を吐かれ、甘く優しく接して来るシドに、気が付けば心を奪われていた。
――会いたい……
アダムの肩にジークの頭が落ちて来る。その重みを感じると、首筋を噛まれ、チリチリっと痛みが走る。
顔を上げたジークは無表情に胸元の紐を引き、アダムの衣類をストンと肩から落とした。
「お人形さんのようだね……」
衣類を剥ぎ取られると、下着も付けていないアダムは全裸になるが、羞恥など起きなかった。
もう、どうでもいいと思った。何もかも忘れてしまおうと思った瞬間、何処かのガラスが割れる音がした。
「ッ、まったく、いいタイミングで来るなぁ、流石と言うべきかな」
ジークが大きな溜息を付くと、アダムの頬に唇を押し当てる。
「ちょっと、待っててね」
心底、厭そうな表情をし、彼は脱ぎかけの衣類を着直すと、部屋から出て行った。それを見届け、ぼんやり部屋を見つめた。
目の焦点が合うと中央のテーブルに置かれた小さな箱が目に留まり、ふら付く足でその箱を手に取った。
愛しい人の思い出が残るその箱は、キラキラと輝いてアダムをより一層、孤独にさせる。
ぎゅっと箱を抱きしめ、寝台へ戻ると横になり目を閉じた。
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