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甘い罰と脱走
#26
しおりを挟むシアトは長椅子に腰かけ、いつ開くか分からない扉を見つめる。久しぶりに来る祭壇は、輝きが薄れている気がした。
――来ないか…。
具合でも悪いのだろうか? いつもの時刻にアプローチを通らないアダムが気になり、祭壇へ来てみたが、今日は来ないようだった。
仕方がないと肩を落とし、シアトは後で薔薇の宮殿へ様子を見行くことにした。
執務室へ戻ると、ジョエルが扉前で息を潜めていることに気が付く、近くまで行き声をかけた。
「どうした?」
「宜しいのでしょうか? 失礼します」
扉を開けジョエルが忠誠を誓う挨拶を済ませると、重い兜を脇に抱えながら目を細めた。
「今日も祭壇へ行かれなかったのですか? もし行かれるのであれば、お待ちしておりますが……?」
「いや、後で薔薇の宮殿へ向かう」
「そうですか」
珍しく笑みを見せるジョエルに、どうしたのか尋ねた。
「聖天様を随分と気にかけているようですね」
「気にかけるか、そうだな、ずっと会ってないから気にはなるが」
「4日です」
「何がだ?」
「ずっと、っと仰ったので、たったの4日です」
「皮肉を言うな」
幼馴染と言うのは、時に嫌な物だと感じた。相手の癖や言動など、微妙な違いにも気が付く、それだけ長い期間一緒に過ごして来た証ではあるが、こんな時の指摘は嫌味に聞えた。
愉快な顔を見せるジョエルを睨んだが、平然と受け止め溜息を吐き出された。唯一シアトの睨みが効かない相手に、これ以上凄んでも疲れると思い、話を続けた。
「それで、何の用事で来たんだ?」
「国を留守にする間、ジーク殿下にお任せするのですか?」
「そのつもりだ」
「民より聖天様が大事ですか」
ジョエルだって知っているはずだった。
前国王が聖天を失った後どうなったのか、異常な渇望に悶え苦しむ姿は、当時の子供だった自分にも哀れに思えた。
会ってない期間が、たった4日とジョエルは言うがシアトには何ヶ月にも感じる。ここ数日、祭壇へ向かわなかったのは、アダムに指摘されたことに、釈然としなかったからだった。
――『芳香があるから』
確かにそうだが、それだけではないと言うのに、思いを伝えるのは難しい物だと感じた。
何時ジークが強行手段に出るか分からないと思い、多少は強引だった気もしたが、それなりに意思表示はしたつもりでいた。
「どうされました?」
「いや…、心と言うのは難しい物だな」
「……っ」
「なんだ?」
「幾多の雌を、冷酷無比に扱って来た方のセリフとは思えませんね」
「だから、皮肉を言うな」
クッっと肩が揺れ、笑いを堪えるジョエルに苛っとした。
初めて思いを寄せる相手に出会ったのだから、上手く行かないこともあるだろうと、シアトは少し投げやりな言葉を吐き出した。
「俺がこの国を出たら、どうなるんだろうな」
「老政の者が血眼になって探し出すでしょう」
「まあ、当然か……」
ふっ、と笑みを零すとジョエルも同じように微笑んだ。兜を持ち直すと、思い出したかのように口を開いた。
「そう言えば、今日、臨時のキャラバンが出ておりました」
「そうか、なら満月にキャラバンは出ないのか?」
「出ないと思います」
また暫くはアダムと一緒の時が過ごせるのか、と心の中が喜悦で溢れるが、なるべく表情には出ないよう、口を固く閉じた。
ただ、妙だと感じた。
臨時でキャラバンが出るなど、年に1度あるかないかだった。その時は必ずシアトに報告があるが、今回は聞いておらず、おかしいと思った。
「それから、少し妙な動きがありました」
人間の子供が急に王宮の配属になったと言う。侍従長が直々に教える話になったと言うが、確かに妙だった。
王宮に人間の子が働ける場所などない、アダムの為に侍従長が配属したのなら、それも、おかしな話だと思った――。
急に胸騒ぎがして、シアトは侍従室を尋ねた。
侍従室で待機している侍女が、ソワソワしながらシアトの問いに答えた。
「侍従長がいない?」
「はい、今朝、キャラバンの出迎えに行ったまま帰って来ません」
数日前から落ち着かない様子だったと言い、何かあったのでは無いかと侍女も心配そうにしていた。
シアトはジョエルに視線を投げ、顎でツっと行くべき道を示した。
侍従室から執務室へと戻る際、ブライ監察官が、書類を抱え歩いて来るのが見える。此方に気が付くと慌てて近付き。
「我が国の国王に、ご挨拶致します」
手を胸元へ置き、深々と腰を折り曲げる。
丸々とした身体がプルンと揺れ、たっぷり蓄えた髭が、フサフサと動く様子を見ながら、シアトは顔を上げるよう促した。
「何か用か?」
「人の子の配属に関する書類を、侍従長に持ってきたのです」
「侍従長が配属を頼んだのか?」
「ええ、急な申し出でしたが、お断りすることも出来ず……」
シアトは侍従長は留守だと伝え、書類は自分が預かると手を出し受け取った。申し出があったのは4日前、臨時のキャラバンを用意するのに、凡そ2日ほどの連絡のやりとりがあったと考える。
シアトは嫌な予感がした。
急に半身が削られるような気分になり、ジョエルに急いで薔薇の宮殿へ向かうことを告げ、足早に王宮を出た。
アーチを通りけようとした所で、侍従長が薔薇の宮殿から、此方へと歩いて来るのが見えた。
いつもと変わらない澄ました顔を見せながら。
「シアト王、何か用事でも?」
「聞きたいことがある、臨時のキャラバンのことだが」
「今から、ご報告に向かおうと思っておりました」
淡々とした口調で、報告が遅れたことを謝罪する。冷静で表情が変わることが無い侍従長を見ながら、直接的聞いた方が早いと思い、シアトは口を開くと単刀直入に聞いた。
「あの子に何かしたのか?」
「そうです」
「何を……」
「出て行ってもらいました」
その言葉を聞き、味わった事の無い喪失感に恐怖した。
「ど、……こへ?」
「存じ上げません」
血の気が引き、クラリと体の力が抜けて行く。ジョエルが自分を支えるが、シアトはその手を振り払った。
今から追いかければ、まだ間に合うと上着を脱ごうとした時、ジョエルが耳打ちをした。
「いけません、飛んで行くのは大事になります。今は堪えて下さい」
「……っ」
「大丈夫です。私が向かいます」
ジョエルがそう言うと走り出した。
シアトは気を取り直し侍従長に詰め寄った。怒りに似た感情を、どうにか閉じ込めながら口を開くと「何故?」と掠れた自分の声が耳を掠める。
「災いの元です」
「お前たちは、……っ、勝手なことばかり言う!」
災いだと冷たく吐き捨てるように言う侍従長に、震える声で怒鳴った。
「前国王がお亡くなりになられた時、私はまだ見習いでした。聖天様を失い、あのように衰弱される王を見て思いました。二度と見たくないと……、いずれにしても人間の寿命は短いです。シアト王が衰弱していく姿を見たくはありません」
切なくも苦しい表情を見せる。シアトは侍従長が初めて感情を表に出したのを見た気がした。
こちらの視線を受け止めながら「今ならまだ傷も浅く、その感情も時が解決するでしょう」と言い、自分の横をすり抜け立ち止まると。
「老政の者達には、聖天様と人間の幼子は自尽したと報告し、死体は焼いたと伝えておきます」
溜息交じりに侍従長は、これは独り言だと言いながら、近くの樹木に手を伸ばした。木肌を撫でると口を開き、眩しそうな表情を見せる。
「聖天様の傍に置いていた侍女に、数十年は苦労しないだけの宝石を渡して置きました。旅に出ると言ってましたが、そのうち戻って来るでしょう。旅の話をお聞きになる機会があれば良いのですが?」
ふっ、と小さく息を吐くと、侍従長はカツっと靴を鳴らしシアトの前から立ち去った。
「侍女が戻るまで、待てと言いたいのか」
ポソリと呟いた声は、自分から出た声だとは思えないほど、弱々しいものだった。
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