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30.せっかく来て頂いたのにすいません
しおりを挟む翌朝、見慣れない天井を見つめながら、にやにやする自分が気持ち悪い。起き上がると水受けで顔を洗い、用意されている従僕の制服を着た。
――昨日は大変だったなぁ……。
従僕となったはいいが、急に具合が悪くなり消えてしまったティナと、急に現れた新人のティムという従僕に屋敷の皆は、どういうこと? と頭を捻っていた。
どちらにしても、ジェイクにも、モニカ夫人にも、素性はバレているのだから、令嬢の恰好をしても仕方がないし、素の姿で接することが出来るのはティムにとってありがたいことだった。
結局、あの後、ジェイクとモニカ夫人は本邸で会食をし、ティムは従僕としてウェイターを務めることになった。
時折、彼に呼ばれて「味見をしてくれませんか」と彼の膝に乗せられて、その様子を見ていたイゼルに、どうして拒否しないんだ! という目で見られ、しょうがないでしょう、自分には拒否権も決定権もないんだから! と反論することも出来ないまま天国と地獄を味わった。
――それにしても、何だか夢みたいだ。
これからは男の恰好でジェイクの側で働けるし、なんと言っても両想いだし、くふふっと一人で笑みを浮かべていると、扉を叩く音が聞えた。
どうせイゼルだろうと思ったティムは、「はい、準備出来てます」と応えたが、入って来たのはジェイクだった。
「あ、旦那様、おはようございます」
「……ええ、おはようございますっ……」
ガっと胸を押さえジェイクが片足を落として跪く。
「大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫です……。ドレス姿で言われるよりも、その姿で言われるほうがいいですね」
ジェイクのことが理解出来なくなる瞬間がコレなのだが、まあ、気にすることもないかな、とティムは気を取り直し「何かご用事ですか?」と聞いた。
「貴方をこんな使用人部屋に住まわせるのは忍びないので、私の隣に部屋を作ろうかと思いまして、家具はどのような物がいいかと聞きに来ました」
「や、やめて下さいよ」
「どうしてですか?」
「だって、イゼル執事に怒られてしまいます」
ふむ、とジェイクが作った拳を顎に添えながら。
「たかが、隣にティムの部屋を作ったくらいでイゼルが怒ると言うなら、彼を解雇してもいいのですよ?」
「絶対にやめてください!」
なんて恐ろしいことを言うのだろう。ジェイクはいいかも知れないが、自分が恨まれるのは目に見えている。
それにイゼルのような優秀で、主に忠実な執事を解雇するなんて勿体ない、ジェイクがどこまで本気で言っているのか分からないが、イゼルの老後のためにも、ここは自分が何とか穏便にことを運ばなくては……! と背負いたくも無い責任感を背負う。
それに、ジェイクの隣の部屋なんて与えられたら、他の従僕や、ベテランの従者に示しが付かない。ティムが懸命に駄目だと訴えていると「そうですか」とジェイクが分かり易く落ち込む。
ふと、そんなことを言うために、ここまで来たのかと疑問に思ったティムは……。
「あの、旦那様、本当は他の用事があったのではないでしょうか?」
「用事などありませんよ。貴方の顔が見たかっただけです」
真顔で会いたかったと言われて、急に照れ臭くなり、なんとなく甘ったるい空気が流れた。
彼の眼差しにティムの胸が鳴り、ぽっと頬が熱くなる。徐々に体の体温が上昇していくの感じていると、そっと彼の手が伸びてティムの後頭部を優しく撫でた。
「寝癖もサマになってますね」
「そうですか……」
変な褒められ方をされ、ティムは先程のときめきを取り消したくなる。普通は、恋する者同士の熱い触れ合い見たいな物があってもいいと思うのに……。
――なんか、思ってたのとチガウ。
不埒なことを考えているのは自分だけのようで、これは、ティムから何かしないといけないと考えていると、またもや扉を叩く音が聞えてくる。
今度は間違いなくイゼルだろうと確信しながらティムが「はい、どうぞ」と応えれば、やはり彼だった。
イゼルは部屋にジェイクがいることに驚き目を瞠ると。
「旦那様もいらっしゃったのですか」
「ああ、ティムに朝の挨拶をしに来た」
「……いけません、旦那様が使用人に挨拶をしにくるなど、今後は控えて下さい」
「それなら、私の部屋の隣を彼の部屋にしてもらえないだろうか?」
それを言われたイゼルが絶句し、ティムを睨み付ける。ほら、やっぱり恨まれるのはこっちじゃないか、と目を細めて大きな溜息を吐いた。
結局、また部屋を作る作らないの話に戻り、無駄な時間を過ごしていると、何かを思い出したイゼルが「こんなくだらない話をしている場合ではありません」と話を断絶する。
「大奥様の見送りに行かなくてはいけません」
キッとこちらに目を向けるイゼルに、「俺もですか?」と聞けば、当然だと言われ、ティムも別邸へ向かうことになった――。
別邸に到着すると、既に大奥様の荷物が荷台に運ばれている最中だった。ティムはモニカ夫人の前まで行き、深く頭を下げながら「色々とすみませんでした」と謝った。
「いいのよ」
「でも……、せっかく来て頂いたのに、こんなことになってしまって――」
すみませんと再度、ティムが頭を下げるとモニカ夫人は小さな声で「いいのよ、うちの息子って見かけによらず頑固だから、貴方も大変ね」と何故か労いの言葉をもらい、彼女は何もかも分かっているような笑みを浮かべた。
「いつか、またブーケディに遊びに来て」
「はい、必ず遊びに行きます」
「待ってるわね」
モニカ夫人は艶やかな笑みを浮かべ、ジェイクとイゼルにも声をかけ、馬車へ乗り込むと別邸を出て行った。
小さくなっていく馬車を見つめながら、モニカ夫人に申し訳ないことをしたと思う。
ジェイクに婚約者が出来た思って楽しみにしていたのではないかと思うと、ティムの良心はこの上なく痛んだ――。
それから月日が流れ、ティムも従僕としての仕事に慣れ親しんだ頃、ジェイクが執務室へ来るように言う。どのような仕事を任されるのかと思っていると、ポンとティムに書類の束を手渡し、「その書類に目を通して下さい」と言われて見た。
今回ティムの父親が失踪することになった原因と、借金を背負わされた詐欺に関する記述が書かれた内容証明だった。
差し押さえられた家財などの財産は戻って来ることになったが、爵位は戻せないと言う。
「ですが、場合が場合でしたので子爵は授けて貰えそうですよ」
「そうなんですか……、良かった」
父に関しては自業自得だが、母上をこのまま下町生活をさせるのは忍びないと思っていただけに、ジェイクの報告は嬉しい話だった。
「それから、貴方のお父様の行方なのですが、王都にいるようです」
――え……、じゃあ、やっぱり、あの日見たのは……。
劇場で見かけた人物が父親だったことが分かり、あの日もっと真剣に探せば良かったと後悔しているとジェイクが「遊戯街にいるとの報告を受けました」と居場所を教えてくれる。
「そんな所で何をしているのでしょうか?」
「多分ですが、騙されて働かされているのではないでしょうか」
溜息交じりにジェイクが言葉を零すのを聞き、情けないことに、その通りだと思ってしまう自分がいて、思わず苦笑した。
けれど、いったい遊戯街で何をしているのか、不安しか湧かないまま、ジェイクの導きで父親と対面することにした。
「すいません、旦那様のお手を煩わせることになって……」
「いいえ、ティムのお父様は、私のお父様です」
満面の笑みを浮かべるジェイクを見て、正直、うちの駄目な父親を『お父様』などと貴方に呼んで頂く価値はないのですが、と心苦しく思う。
「諸事情により、明日の午後からになりますが、遊戯街に行って見ましょう」
「分かりました。何から何まですみません」
ペコっと頭を下げティムは執務室を出た。
もらった書類を見ながら、今度はどんな騙され方をしたのか見てみると、井戸の建設に関する物だった。
そういえば、ペルピニャン地方の奥まった場所に、数人の年配の老夫婦が住んでいる土地があるのを思い出した。
――あー、あの辺は集合井戸しかないから、皆の家に井戸を作ってあげたかったのか……。
老夫婦が住んでいる場所は、川から随分遠いし、井戸を何度も往復するが大変だから作ってあげたかったのだと察した。
結局、今回のことも怒るに怒れない話で、ティムは父親らしいな、と笑みを浮かべた――。
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