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17.友達とティータイム
しおりを挟むあんなに男に戻りたかったのに、いざ男に戻って見ると、何か物足りない気分になる。考えて見れば、令嬢だった時は朝から馬鹿みたいに忙しかったが、男に戻ったティムには特にやることがないのだ。
化粧はしなくてもいい、コルセットも、ダンスも、爪先立ちも、テーブルマナーも、おちょぼ口だってする必要はない。
この解放感をずっと待ち望んでいたのに、何故か退屈に思えてしまう。
けれど、せっかくの休みだし、楽しまないと勿体ないな、と歩みを進めていると、賑やかな街市場に出た。
色彩豊かな市場は見ているだけでも楽しい気分になるが、食べ物が並ぶ屋台はそれを倍増させた。
――うあ、何あれ、美味しそう。
眼鏡を外し、商品台の上に乗っている冷菓子を見つめた。
干した果物のような物体の上に、水飴がたっぷり乗った冷菓子がキラキラと輝き、ティムを誘っている。
「これ、いくらですか?」
「20フランですよ」
「え、結構高い……」
「この果物は近隣では実らない貴重な物なんでね」
そうなんだ? と訝し気に冷菓子を見つめた。
イゼルから100フラン貰ったが、ちょっと勿体ないと思ってしまう。何故なら、自分の給金から差し引かれているからだ。
どうしようか、と買うのを躊躇っていると「ティム?」と声を掛けられ、咄嗟に振り返った。
「良かった、見間違いかと思った」
声の主を確認すると、ルドルフだった。
緩めの癖毛をふわっと揺らし、ぱあっと笑みを見せる彼を見て、ティムも釣られて笑みを浮かべたが、「よく俺だって分かったね?」と小首を傾げた。
「あー、何か見た事ある後姿だなーって思って……」
「え、後姿で分かるのか?」
真っすぐな目でこちらを見るルドルフに、「分かるよ」と言われて、後ろ姿だけでティムだと判断出来るなんて、優秀なのは頭だけじゃないんだなと感心した。
けれど、貴族の彼がこんな所で何をしているのかと不思議に思い、ルドルフに何をしているのか聞けば、市場の調査に来たと言う。
「調査って?」
「俺達が住むペルピニャンは田舎だから、活気ある町づくりが課題だと思うんだ、だから王都にある市場とか参考にしようと思ってさ」
ティム達が暮らすペルピニャン地方は農業地帯ということもあり、商業が発展し難い。そのことを懸念し、町の発展の為の情報を集めていたと彼は説明してくれた。
へぇ、とティムが感心していると彼は視線を動かし「それ買うの?」と水飴の冷菓子を指さす。
「うーん、どうしようかなって思って」
「あのさ……、良かったら、あっちの店行って見ない?」
ルドルフが指さす方を見れば、何やら華やかで可愛らしい感じの建物が見える。
「何屋さんなの?」
「甘菓子店って言うのかな、ほら、俺達が住んでいる町にもあっただろ? 飲み物と焼菓子が出て来る店」
「ああ、あったね、へぇ……、けど高そうだし、俺お金が……」
そうなのだ、ティムにはお金の問題がある。自分のお金なので、どう使おうが構わないが、見た所100フランを全部使いそうな気配のする店だし、お断りしよう、と決意を固めた瞬間、ルドルフが「調査の一環だから、お金は俺が出すよ」と言ってくれて、やったー! と心の中で喜ぶ自分に情けなくなる。
そんな心の内を読み取ってくれたのか、彼は一人で入るのを躊躇っていたから丁度良かったと微笑んでくれた。
目的の店先で立ち止まった彼が、何か考え込んでいるのを見て、ティムは「どうかした?」と声をかけた。
「俺達の町には向いてない店だな」
「そうかな、令嬢達は喜びそうだけど……」
「うーん、令嬢だけじゃなく、色々な人が活用できないと」
「それもそうか、町作りって難しいな……」
どうやら、この店は若い女性に人気のようだった。外観といい、店内といい、確かに女性が好む店だなと思いながら、二人で店の一番端へと移動した。
飲み物は数種類ある茶葉から好きな物を選び、それを混ぜて煎じるらしく、当然、何を頼めばいいのか分からないティムは、ルドルフに選んでもらうことにしたが――、
「誘っておいて申し訳ないんだけど、俺も詳しくないんだ」
照れ笑いを見せるルドルフが、実はあまり詳しくないと言い、結局、店員のお任せで頼むことにした。
同郷と同じテーブルに着き、久しぶりに男として過ごすことに、爽快感と違和感が同時に押し寄せる。ティーカップの持ち方は、本来どうだったっけ? と、昨日までの令嬢だった自分に新たな試練が訪れた。
ティムのぎこちない仕草が全面に出ていたのか、ルドルフが首を傾げて「どうかした?」と尋ねて来る。
「うーん、カップの持ち方が分からない」
「え? 大丈夫か? 何処か具合が悪いのか?」
「そうじゃなくて、ルドルフだから言うけど、俺、ずっと令嬢の恰好で過ごしていたから、男に戻ったはいいけど、ティーカップをどう持てばいいのか分からなくて」
正直に白状した途端、ルドルフはくくっと肩を揺らして笑った。
「ああ、なるほどね。そうだ、昨日から聞きたくて仕方がなかったんだけど、どうして伯爵の婚約者に? 夜会で見た時、本当にびっくりしたんだぞ」
それは、そうだろうと思った。逆の立場でルドルフが令嬢として現れたら、慌てふためき大騒ぎしていたかも知れないのだから、彼の冷静な判断力に感謝してもしきれない。
ティムは取りあえず、婚約者のふりをした理由と、ティムの家で起きたことも含めて全てを話した。
「……つまり、ティムの父親とイゼル執事の間で、金銭的な取引されていたってことか……」
「そうみたい」
「え、じゃあ、ヴェルシュタム伯爵は知らないのか? ティムが男だってこと」
「うん、ちょっと変わった令嬢くらいには思われてる」
ティーカップを持ち上げたルドルフが、「いや……、き、綺麗な令嬢に見えたから、その辺りは大丈夫だと思うぞ」と太鼓判を押してくれて、それなら良かったと安心した。
「まあ、それでさ、俺は何も知らされてなくてさ、突然、役人がきて屋敷を追い出されたんだ」
「そっか……、人が良いからなラディーチェ伯爵様は、もしかして詐欺にでも遭ったんじゃないか?」
本当にソレ、とティムはここが街中じゃなければ、大声で賛同の声を上げていただろう。
騙されやすい父は、以前も普通の三倍の速度で育つという農作物の種を買ったことがあり、当然、そんな作物などあるわけもなく、普通に育ててから騙されたことに気が付いた。
ティムも、母も、どうしてそんな物を買ったのかと問い詰めたが、領土で働く農民の苦労を少しでも労うために買ったのだと言われてしまい、怒るに怒れなかった。
大半の詐欺は父の優しさに付け込んだ物ばかりで、今回の騒動も似たような詐欺に遭ったのだろうとティムが言えば、「そうだろうね」と大きな溜息をルドルフは吐いた。
「婚約者を偽って令嬢になっていた件も、人助け見たいな物だったんだ。ジェイク様は女性が近付くと蕁麻疹が出る病気を患ってるし」
「なるほど、大体の事情は分かったよ。令嬢の恰好も人助けのためだったんだな」
ルドルフは何度も頭を縦に動かし頷くと、「それで、今後はどうするんだ?」と聞いて来る。
「ジェイク様が時期を見て婚約破棄したと宰相には報告するって言ってた」
「ふーん、じゃあ、ヴェルシュタム伯爵は、結局、公爵家の娘と婚約することになるんじゃないか?」
「え……」
さり気無く言われた言葉に、ツキンと胸が痛くなり、息苦しくなる。どうやら、元々、公爵家の娘との婚姻を迫られていたらしく、今回ジェイクに婚約者が出来たことで話が流れたが、破棄したことが公になれば、そちらの話がまた浮上するのでは? とルドルフに言われて、ティムは複雑な心境になる。
「俺……、何か変な気分だ」
「どうした? 大丈夫か?」
何故、こんな気持ちになるのか分からないが、不安で不満で不快だった。
ティムは頭を小さく振りながら、「貴族って、やっぱり結婚しなきゃ駄目なんだよな……」と呟けば、それを聞いていたルドルフが――、
「爵位を残すなら、結婚は仕方ないことだと思う、俺も、好きな人と結婚したいと思うけど、それは叶わないから」
「好きな人がいるんだ?」
「いるよ……」
ルドルフは思いつめたような顔で、好きな人がいると言ったが、その表情から実らない恋なのだと思った。悲し気にも見える彼を見ながら、世の中、想い人と添い遂げるのは難しいことなのだと思った。
「ティムは、その……、好きな人とかいないのか?」
「俺? うーん、そういうの何かピンと来なくて」
実は、一度もそんな感情を抱いたことが無かった。今まで出会った中で可愛らしい令嬢も沢山いたけど、不思議とそれ以上の感情が芽生えることは無かった。
ティムの答えが意外だったのか、ルドルフは身を乗り出し、「貴族学校で、あんなに令嬢に囲まれていたのに?」と驚きの声を出した。
「あれは、みんな友達だよ。親切に色々教えてくれるんだ」
「友達って、それはティムがそう思っているだけで、ご令嬢達はそうじゃなかったと思うぞ?」
「そんなことないよ」
ティムの無頓着な返答にルドルフが、「なるほど、これは前途多難だ」と呟いたので、「何のこと?」と聞いて見たが、何でもないとルドルフは頭を軽く左右に振った。
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