Wild Frontier

beck

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第三章

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 約束の日の朝。

 準備は昨日には既に終わっていたが、アレクシスからの要望もあって最終日ギリギリまで延ばしたのだ。


 ヘイデンの駐屯地は、町の東側にある少し開けた土地に設営されていた。


 扇状地はその構造上、扇形の弧を描くように道を通すことが多い。
 トレバーの場合は南向きの斜面になっているため、交易に使えるような整備された道は東西に一本、そして町から蛇行するように南下する道が一本通っている。

 ヘイデンの元には俺とロルフ、そして護衛としてゲルトが同行していた。
 ゲルトは盗賊団のアジトで捕まえた、耳の不自由な剣士である。

「しかしヒースさん、本当にこの三人だけでよろしいのですか?」
「仲間達が同行を申し出てくれたのですが、今回の目的はいわば相手の説得です。あまり人数が多いと、逆に警戒されてしまいますので」
「確かに言われてみればそうですが、私はこういう事に慣れておらぬゆえ……」

 帯同する人物としては、セレナも候補の一人だった。
 だがそうすると今度はベァナ、ニーヴ、プリム達の護衛がいなくなってしまう。
 彼女達は強力な戦力ではあるが、近接戦闘は不得手だ。
 彼女達の守り手には、やはり一緒に旅をしてきたセレナが適任だろう。

「トレバーの自警団はヘイデンの差し金で辺境行きですし」
「ええ。そういう意味ではゲルトさんが町の護衛を名乗り出てくれた時は少しほっとしました。何しろ戦える住民なんて、今じゃ誰もいませんからね」

 彼が元々善良な人間だというのは、彼との交流で良く理解している。
 そして幸いな事に、ロルフも同じ印象を持ってくれたようだ。
 まぁロルフの場合は元々、人を信用しすぎる傾向があったのだが。

 もちろん盗賊団に身を置いていた事で、不安に思う住民や職員もいた。
 俺も地道に説明をしてはいるが、完全に払拭ふっしょくするには時間が必要だろう。

 しかし、今回護衛をするのはロルフ個人だ。
 ケビンの配下たちの行動を見ればわかる通り、魔法協会は普通の人間にとってみれば畏怖いふの対象である。協会の支部長を手にかけるような人間など滅多にいないし、それはゲルトも例外ではない。

 例外があるとすれば、それこそ魔神シンテザ信奉者くらいなものだ。

 筆談で事情を説明をしたところ、犯した罪の償いになるならばと笑顔で引き受けてくれた。
 今はロルフの後ろを少し離れて追随ついずいしている。

「それで、ヒースさんのお仲間は?」
「目立たないように後方に控えています」
「そうですか。そう言えばシアさんも同行すると言い張っていたようで……ご迷惑にならなければ良いのですが」
「彼女はとても腕の良い魔法使いです。足手まといになる事なんて無いですよ」


 とは言っても今回はあくまで保険である。
 ある程度の指示を出してはいるが、正面切って戦わせる予定は全くない。


「それにしても……初めて見る装置ですが、それは?」

 ロルフが持つ、変わった形の魔法具。
 構造は短剣に近いが、刃の代わりに針金のようなものがついていた。
 
 つばに当たる場所には魔法協会特製の謎素材が使われていた。
 刃に当たる部分には金属の輪っかのようなものが生えている。

 元の世界にこれと全く同じ物体は、おそらく無い。
 だがその輪っかを見て、なんだか妙に懐かしい気分を感じた。

(ああ、あれだ!)

 子供の頃の夏の思い出。
 それは虫取り網の、網を通す針金部分とそっくりだったのだ。
 つまり網を外した虫取り網の枠が、台座の上にくっついている。

「ああこれですか。普段あまり使う機会は無いのですが、これは声を増幅させる装置なのです。魔法協会は住民同士のいざこざ等には介入しませんが、魔物の侵攻や自然災害時には住民の皆さんに避難を促すという役目も持っているのです」
「離れた相手に声を届かせる装置って、それの事だったのですね」

 この世界版の拡声器といった所か。

 設置型魔法により空気の振動を増幅しているのだろう。
 俺の考えた魔法理論が正しければ、十分作成可能な装置だ。
 何しろ音の伝達も、ごく一般的な物理現象なのだから。

「はい。今回のように、離れた相手に意思疎通をする場合に使われます。地域ごとに形が違ったりはしていますが、軍を運用するような組織には必ずあるはずです」

 聞けば聞くほど、役所のような組織に思えてくる。
 しかし冒険者ギルドを傘下に持っているのだから、日本の一般的な役所とは少し構造が違う。

「今回この装置を一番お使いになるのは、おそらくヒースさんではないかと」
「そうですね。先方は私の身柄を要求しているわけですし」

 ヘイデン達に話す内容は、事前に一通り打ち合わせ済みなのだが──
 ロルフは打ち合わせ内容をもう一度確認すべく、口を開いた。

「ヒースさん。今更なんですが──本当にそんなあおるような口上こうじょうをなされるおつもりなんですか?」
「ええ。今回カギになるのは、彼らの恐怖心です。誰だって敵わない相手となんて戦いたくはありません。その為にはハッタリだろうが何だろうが、彼らが驚くような演出をし、少しでもして頂かなければなりません」
「それはわかりますが……ヒースさん自らが矢面やおもてに立つなんて」
「彼らが協会の支部長を襲う事なんて、まずありえません。ですから私のそばにロルフさんがいては駄目なのです。そんな事をしたら、まるで私がロルフさんを盾にするような臆病者に見えてしまいますからね」


 臆病者に恐怖する人間など居ない。
 だからこそ俺は俺一人で、千人の親衛隊相手に立ち回らなければならない。


「私が常識破りなのは、ロルフさんも良くご存知でしょう?」
「ヒースさんがそこまでおっしゃるのでしたら……ただ無茶だけはしないでくださいね」
「大丈夫ですよ。私も自分の命は惜しいですから」



 だがそれは、大きな賭けと言えるような内容だ。
 今回の作戦の成否は、ヘイデン親衛隊の心証によってのみ決まる。




 ヘイデンに対する恐怖か。

 魔法協会に対する畏怖いふか。




 どちらかがまさった時点で、トレバーの未来が確定する。





    ◆  ◇  ◇





 陣が見える位置に到着する。


「こりゃまた、えらい歓迎ぶりですね」


 街道から少し南に下った場所にあるかなり広い平地に、急ごしらえの陣を構えていたという話だったのだが……

 奥にザウロー家の紋章をあしらった軍旗がはためいていた。
 そしてその前方には、おそらく今回随行している全兵士が整列している。
 当然、各々おのおの手に武器を手にしていた。

 臨戦態勢だ。

「ま、まさかこんな……これではまるで戦争ではないですか!?」
「こちらは全くそんなつもりは無いのですが……少なくとも彼にとってはそうなのでしょうね」

 こちらより前に、ヘイデンの声が聞こえて来た。
 あちらも音声増幅装置を使っているのだろう。

「ヒースさん、これを」
「ありがたく使わせていただきます」

 ロルフは俺に拡声器を渡すと、事前の打ち合わせ通りその場から離れた。

「ヒース殿。ご同行していただく気になっていただけましたかな」

(こっちの世界の拡声器は、無駄に音質がいいのだな)

 普段の話し声と遜色ない音声が届く。
 元の世界の拡声器に慣れていたせいか、一瞬違和感を感じた。
 きっと増幅を行う周波数帯がやたらと広いのだろう。

 どうでもいい部分に感動を覚えた俺は、相手の質問に質問で返す。

「同行するだけにしては、随分物騒な歓待ぶりに見えるのですが」
「わたくしは酷く臆病な人間でしてな。何しろ数百体のゴブリンをお倒しになられるくらいの豪傑だとお聞きしておりますし、万が一という事もございますので」

(俺が一人で倒したわけでは無いのだが──)

 ただ今回の場合は、そう思っていてくれていたほうが都合が良い。
 敢えて否定せず、沈黙で返す。

「それで……こちらの質問に対する返答は如何いかに?」

 俺は辺りを見回す。
 ロルフとゲルトは右後方にいて、十分距離がある。
 この距離であれば攻撃を受ける心配は無い。

 仲間達の姿もここからは確認出来ない。
 おそらく少し離れた茂みにでも隠れているだろう。

 仲間達の安全は十分に確保されている。
 であれば──


 後顧こうこの憂いなく宣言出来る。


「その質問に対する答えは……『いな』だ。私は貴殿に従うつもりは無い」


 一帯に訪れる、刹那せつな静寂せいじゃく
 その静寂を破ったのは、悪徳領主のふてぶてしい声であった。


「まぁそんな事だろうとは思ってましたがね。残念です。もし、後ほど思い直すよう説得して差し上げましょう!」


 拡声器からの声はそこで一旦途絶えた。
 ヘイデンの陣がにわかに慌ただしくなるが、前衛の歩兵隊に動きは無い。


(弓兵による攻撃)


 右手を前に突き出す。

 ヘイデンの兵士たちは流石によく訓練されているようだ。
 射出準備はすぐに完了した



「撃てぇい!」



 この距離からでも号令が聞こえてくる。
 五百名の弓兵が矢を放つと同時に、俺も詠唱を開始した。
 呪文を唱えながら、突き出した右手をゆっくりと回転させる。





── ᛚᚨ ᚲᛖᛗ ᛞᛖ ᛚᚨ ᚣᚨᛈᚱ ᚲᚨᛃ ᛚᚨ ᛢᛚᛞᚨ ᚨᛚ ᚳᛁ ᛞᚨᚢᚱ ──





 比較的長めの呪文だが、既に何度か詠唱済みの防護壁プロテクションだ。
 今まで唱えて来た魔法と違い、この魔法は手の動作を伴う。
 動作と言っても、詠唱に合わせて手を時計回りに回転させるだけだ。

 魔法は矢が届く前に発動し、目の前にハニカム構造の半透明な壁が現れた。

 自分自身を守る為だけならば、玄関ドア程度の大きさがあれば良い。

 だがこの魔法を使った目的は、自分の身を守るだけのものではない。
 最大の目的は、相手に絶対的な無力感を与える事にある。
 そのため、俺は敢えて広い範囲に展開するイメージで魔法詠唱を行った。


 壁はすぐに出現した。
 その大きさ、およそ五メートル四方。

 矢から自らの身を守るにしては大げさ過ぎる。
 しかし、これだけの広さがあれば、すべての矢を受け止められるだろう。

 直後、壁に五百本の矢が打ち付けられた。
 だがそれらの矢は壁に当たると勢いを無くし、全て地面へと落下していく。


「なんだ、あれは!」
「矢が途中で跳ね返されたぞ!?」


 この距離であれば何が起こったのか、相手側の兵士にも確認出来る。
 ヘイデンの陣が少し騒がしくなった。


 だが彼らは訓練された兵士だ。
 すぐに次の攻撃を放つ。


 プロクションは継続発動が可能だ。
 かざした手を下げなければ、その効果は発揮されたままである。


 再び降り注ぐ矢の雨。


 しかし、それらはただの一本ですら、俺には届かなかった。
 親衛隊員達から更なるどよめきの声が上がる。


(よし。このタイミングだ)


 俺は再び拡声器をかざし、彼らに呼び掛けた。


「聞くが良い親衛隊の諸君! 私が使用した魔法は、仮領主代行のケビンに魔法協会が与えた罰と同じものだ! 君たちに破る事など決して出来ないし、私を攻撃するという事は、そう言う事なのだと肝に銘じよ!」

 ケビンの噂は、間違いなく親衛隊の隊員の耳にも入っている。
 そして使った魔法は全く同じものでは無いものの、出現しているハニカム構造の壁はどう見ても同じものだ。
 多少大げさではあるが、嘘とまでは言えない。


 だが流石にヘイデンも黙ってはいなかった。
 一段と騒がしくなった自陣に向け、彼も声を張り上げる。

「者ども! そんなものははったりだ。そもそも協会に侵入したのはケビンでは無いっ!」
「あくまで白を切ると言うのだなっ! それではその証拠を魔法協会支部長自らお聞かせ差し上げようっ!」

 俺はそう叫び、ロルフに視線を送った。
 彼は意を得たりと、こちらに向かって歩き始める。

 協会の要職にある彼が攻撃されるような事は無いはずだ。
 だが万が一そう言った事態になったとしても、プロテクションの魔法がある。
 先にその魔法を見ていたためか、ロルフは落ち着いた面持ちで俺の横に並んだ。

 ここまでは筋書き通りだ。
 アレクシスからの情報が正しければ、次の一手でかなりの混乱を引き起こせる。

 拡声器をロルフに渡す。

 さすがの親衛隊の隊員たちにとっても、魔法協会支部長の一挙一動は看過できない重みを感じているようだ。
 事の行く末を固唾かたずを飲んで見守る。

 ロルフの口が動いた。

「魔法協会トレバー支部は、トレバー仮領主代行ケビン・ザウローにより署名された正規文書を入手した。そして照合の結果、先日協会内で精神魔法を行使した者がケビン・ザウロー本人であったという事実を、魔法協会として正式に認知した旨、ここに宣言する!」

 親衛隊隊員達の間に動揺が広がった。
 無理もない。


 魔法協会がザウロー家を、正式に『敵対勢力』と認めたのだ。



 ヘイデンの陣からアレクシスを呼ぶ怒号が聞こえる。
 おそらくヘイデン自身のものだろう。
 だが当のアレクシスは、既にこの場から脱出を図っているはずだ。

 ロルフから再び拡声器を受け取る。
 彼の出番はこれで全てだったが、最も重要、かつ十分な役目を果たしてくれた。

 俺は親衛隊員達へ更なる一声を加える。

「親衛隊の諸君が今ここにいるのは、自らの職務に忠実である証であり、諸君らにはなんら責任も無いと認識している。しかしっ!」

 自分でもおかしいと感じるのだが、俺は元々こんな演説など一切した事が無い。
 だがそれほど違和感を感じないのは、元々のヒースにこういった資質があったからかも知れない。
 こんな一か八かの瀬戸際の場面で、なぜかそんな事が頭に浮かぶ。



「このまま魔法協会へ反抗する態度を見せるのであれば、その者たちも同罪であるっ! 今であれば何の裁きも受ける事もないっ! 早々に立ち去るが良いっ!!」



 俺の命運はここで決まる。
 親衛隊達に何も思う所が無ければ、俺はここで一生を終えるだろう。

 だが勝算は十分ある。
 今まで見聞きした情報から考えると、ヘイデンに人望など一切無い。

 そしてその推測は、アレクシスからの情報で確信へと変わった。


(親衛隊員達は、ヘイデンの元を離れるタイミングを常に探している!)


 効果はすぐに現れた。
 前衛にいた歩兵の一部が逃走し始めたのだ!

 それの状況を見たヘイデンが拡声器を片手にわめく。

「貴様等、逃亡は許さぬぞっ!! 誰か逃亡者を止めろ! 場合によっては殺しても構わぬ! 留まって戦う者には褒賞を倍与えようっ!!」

 どうやら親衛隊員と言っても様々なタイプがいるようで、逃げ出す兵士もいれば、逆に逃げる者を襲う兵士もいる。
 アレクシスの話では、忠誠心のある兵士などほとんどいないそうだ。
 残っているのはよっぽど良い思いをして来た奴等か、一部の戦闘狂だけだろう。


 ざっと見た感じ、逃走を試みているのが大多数で八割程度。
 残りの二割程度の兵士が、逃げようとする者達と戦っている。


(そろそろ頃合いか)


 これだけの乱戦になると、弓兵による一斉掃射は出来ない。
 誰に当たるか分からないからだ。
 そもそも前衛が総崩れなため、弓兵達も既に逃走を始めていた。

「ロルフさん! 危険ですので町に帰還を!」

 拡声器を渡し、そう伝える。

「まだまだ多くの兵士がいます。ヒースさんも気を付けてくださいね」
「大丈夫です。私には仲間がおりますので」

 ゲルトにも視線を送る。

 言葉の聞こえない彼には、事前に決めていた合図を送った。
 親指を上に立てそれ以外の指を握る仕草。
 サムズアップThumbs upだ。

 これは最初の作戦がうまく行った合図として決めておいたものだ。
 そしてゲルトにはロルフを護衛しつつ、トレバーへ送る役目を与えてある。

 彼も同様に親指を立て、笑顔で応えた。


 丁度そのタイミングで、潜んでいた場所から仲間達が走ってきた。
 今回はシアも参加してくれている。

「みんなありがとう。とにかく逃げようとする兵士は追わず、それを邪魔しようとする兵士を倒すんだ。この状況でヘイデン側に付く兵士など、まともな奴であるはずがない。いいか、自分の命が最優先だ。もし襲われたら、相手の命を奪う事を躊躇ためらってはいけない」

 セレナは問題無い。
 俺のこの言葉はシア、ニーヴ、プリム、そしてベァナに向けたものだ。

「俺はヘイデンを追う。奴を捕縛しさえすれば、この戦いもトレバーの受難も全て終わる。俺は大丈夫だ。君たちはまず自分の命、そして次に仲間の命を大事にして欲しい。これは俺からの、心からのお願いだ」

「承知いたしましたわ」
「はいです!」
「わかりました!」

 娘達はいつも通り元気な返事で答えてくれた。
 ベァナも状況はわかっているようで、力強くうなずく。
 これなら積極的に命を取る事は無いにしても、攻撃を躊躇ためらいはしないだろう。

「セレナは彼女達に近付く敵を排除してやってくれ。そして安全だと判断出来たらでいい。ゆっくりで良いので、俺の後を追ってきて欲しい」
「承知した」



「俺は今から敵陣に切り込む。みんなすまんが、その間は援護を頼む!」




 俺は剣を手にし、敵陣へと駆け出した。



 この戦いの行く末は、きっとその先にある。



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