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第三章
瀬戸際の攻防
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カークトン、領主の執務室。
トレバー方面の情報を報告する為に、一人の男が立っていた。
ケビンの元から逃走を図ったデニスを始末した男、アレクシスだ。
彼は諜報要員として、平時からケビンの部下として紛れていた。
しかしケビンが暴走し始めたあたりで一度カークトンに戻り、その後再びケビンの配下たちから情報を集めていた。
そして領主への報告を一通り終え──
「ケビンが魔法協会に盾突いて死んだだと!?」
「はい。ケビン様の複数の部下からそういった話が出ています」
「そのケビンの部下共は、実際にその場に居たのか?」
「いえ。それが盗賊共全員が、その話を同じ者から聞いたと言っておりまして」
「同じ者? その者の名は?」
「はい。以前からヘイデン様がお探しになっていた、ヒースという者です」
ヘイデンは思わず頭を抱えた。
ダンケルドから伝わって来た話から興味を持ち、どうにかして自身の配下に加えようと思っていた男がヒースだった。
しかしその男の口から自分の息子が死んだという話が出る事になるとは、流石のヘイデンも予想していなかったのだ。
「それで──死因は?」
「どうやらそれが──魔法協会内部で『精神魔法』を使用しその罰を受けた、と」
「『精神魔法』だと!?」
いつも落ち着いているヘイデンも、この時ばかりは平静を保てなかったようだ。
眉間に皺を寄せ、難しい顔をしている。
アレクシスもケビンが女性相手に怪しい『術』を使う、という噂は聞いていた。
しかしケビンの口から『精神魔法』や『魔神』を信奉しているような話はそれまで一度も聞いたことが無い。
だから彼もデニス同様、その術とは媚薬のようなものだろうと解釈していたのだ。
だがヘイデンには何か思い当たる節があったようだ。
「ジェイドか──」
「ジェイド? そう言えばそんな名の魔術師が少し前に居たような」
「色々と便利だったので城に呼んだのだが、少々危険な男でな。出入りする場所には厳しく制限を付けていたはずなのだ。ケビンから接触をしたのかも知れぬ」
精神魔法と言えば魔法協会から禁忌認定を受けた魔法であり、魔神信奉者との繋がりが非常に強い魔法だ。
そんな事が表沙汰になったとしたら、領主以下、関連の強い人物から順に裁きを受ける事になってしまう。
(そろそろ身の振り方を考えないと──だが)
アレクシスはザウロー家に家族の命を盾に取られている。
つまり、ヘイデンにはあくまで止むを得ず付き従っているに過ぎない。
彼は日ごろからカークトンで軟禁状態にある家族の安全を確保しながら、如何にしてここから逃げ出すかを考えていた。
(罪を重ねてしまった俺はいいとしても、せめて妻と息子だけは──)
アレクシスが家族の安否を第一に考えていた事に比べると、目の前の領主はむしろ全く逆の思考を持った人物だったと言えよう。
ヘイデンは息子のケビンの死に対し、悲しみの感情など一切持っていなかった。
彼にとっては数多くいる後継候補の中で最もしがらみが少なく、頭は悪いがその分容易に扱える存在でしか無かったのだ。
替えはいくらでもいる。
今の彼は自分の息子の事よりも、現状を打破する方法で頭が一杯だった。
魔法協会に貴族家が手を出すというのは、家の存続に関わる大問題だ。
良くて領地没収、最悪だと爵位返上までしなければならなくなる。
爵位の返上というのはつまり、貴族で無くなるという事である。
それは身分が平民になる、というような甘いものでは無い。
もしそうなったとしたら、おそらく彼は数日以内に命を落とす事になるだろう。
今まで多くの人々に対し、非道な行いを繰り返してきたのだ。
それがわからぬヘイデンでは無かった。
だが今までそうならなかったのは、彼自身の才覚による所も多い。
彼は暫し考えに耽っていたが、こうした事に対する判断は早い。
「うむ──ならばこの手でいくとするか」
ヘイデンは軽く頷いた後、アレクシスに指示を出していく。
「ケビンを仮領主代行に据えた後、奴が正式に発行した書類は全て追えるか?」
「おそらく大丈夫です。ケビン様はあまり事務作業はお好きでは無かったので、それほど発行されていなかったと思います」
「そうか。であればその証書は全て破棄しろ。もしごねる人間がいたら私の署名入りの正式文書と交換してやると言えば喜んで交換するだろう」
「承知いたしました。あとヘイデン様、まずいないとは思われますが、もしそれでも拒否する人間がいた場合には……」
「あまり対処に手こずる様であれば──消せ」
「御意」
一礼した後、退室しようとするアレクシスをヘイデンが呼び止める。
「ああ。もう一点だけ頼む」
「はい」
「親衛隊を出す。準備させておけ」
これにはさすがのアレクシスも動揺の色を隠せなかった。
「トレバーへですか!?」
「ああ。息子の名を騙る者が問題を起こしたのだ。ここは領主自ら出向き、きっちりと調査させてもらおうではないか。もちろんお前にも同行してもらうぞ」
アレクシスは目の前の初老の男が笑う姿に、恐怖を禁じ得なかった。
それは、今まで何度も目の当たりにして来た理不尽な企み。
その前触れだったからだ。
失礼に当たらないよう、丁重に礼をして部屋を出るアレクシス。
そして自分が持つ情報を元に、今後の趨勢を推し量っていた。
(何を考えている、うちの領主は……だがこのタイミングなら……)
領主が町を離れている間ならば、家族への影響がすぐに出る事は無い。
トレバーからカークトンまで、早馬でも三~四日はかかる。
何か事を起こすのであれば、彼にとってこれは絶好のタイミングとも言えた。
(俺は今までそれはシュヘイム殿以外にはいないとばかり思っていたのだが──)
もしそれが出来るような人物がいるとすれば、それはヘイデンのような者にも屈せず、自らの立場を保っていける程の人物しかいないだろう。
アレクシスは今まで、この領地を救ってくれるのはシュヘイム男爵に違いないと、ずっとその時が来るのを耐え忍んで来たのだ。
だがそれはここに来て、想像も出来ない事態を迎えようとしていた。
(黒髪の剣士ヒース。もしかすると、彼なら──)
彼は来たるべき時に備え、そのタイミングだけは逸しないよう肝に銘じるのだった。
◆ ◇ ◇
木枯らしの季節も過ぎ、冬の寒さは本番を迎えようとしていた。
以前、この世界について知る為に日周運動を観察した事がある。
それによると、地軸の傾きは地球と同じか少しだけ小さいようだ。
この地が南方に位置しているからか、それとも地軸の傾きが緩やかな影響なのかはわからないが、思ったよりも寒暖差は少ない。
この世界の季節と気候については詳しくはわかっていないが、ここが北半球である事は間違いないだろう。
冬に新年を迎えるという点は日本と同じようだ。
だが年末が近づいているという雰囲気が全く無い日々の中。
ケビンの来襲で危機感を持ったのだろう。
俺を含めた仲間達は更に鍛錬を重ねていた。
セレナは剣術、プリムはクロスボウという感じで主に武器の鍛錬、ベァナとニーヴが主に魔法の鍛錬という感じで、それぞれの目的に応じた訓練を行っている。
そして俺。
シアへのマナ供給とベァナの魔法訓練を交互に行っているのだが──
ベァナとの訓練日でないと、俺は訓練が出来ない。
それくらいシアへのマナ供給量は多いのだ。
まぁずっと手を握られているので、訓練どころでは無いのだが。
「ヒースさん、その魔法は?」
彼女の言う魔法というのは、俺の手の先に現れている半透明な膜の事だ。
「ああこれか? これは難易度5の共通魔法、プロテクションだな。これ結構強度があって絶対便利だと思ってさ」
ハニカム状の半透明な膜がいくつも連なって出来た防護壁。
これは支部長室でケビンが閉じ込められた球体とほぼ同じものだ。
あのショッキングなシーンを目撃したシアの目の前では気軽に詠唱出来ないが、あの場に居なかったベァナならば問題は無い。
「難易度5ですか……相変わらずヒースさんはそう軽々と……」
ちょっとふくれ面をしているように見えるが、彼女がこんな表情をしている時は本気で怒っているわけではない。
むしろ俺以外では……祖父である村長くらいにしか見せない貴重な姿だ。
「あはは。別にそう言うわけじゃないんだけどな。何しろ盗賊団やケビンがあんな行動を取って来たんだ。準備は出来る限りしておいたほうがいいと思ってな」
「そうですね──」
「ベァナだって難易度4の『バインド』まで使えるようになっただろう? 十分すごいと思うんだが」
「治癒魔法の鍛錬がこれ以上は無理なので、仕方なくですよ」
治癒魔法は難易度5からマナ消費が激しくなり、集団で詠唱する必要がある。
というのもその『縫合』という魔法が、治癒と言うよりもはや奇跡に近い代物で、切断された体同士を繋げて元通りに直してしまうらしい。
もちろん、命がある状態で無いと成功しないのだが。
「まぁ、とにかくベァナの魔法訓練には最優先で付き合うからな」
「本当ですか!? 約束ですよ?」
機嫌が戻ったようで良かった。
しかし約束も何も──
元々最初からそのつもりだったのだ。
この旅に出た当初から、ずっと。
◇ ◆ ◇
そして日々訓練を続けていた、冬のある日。
「じっ、自噴していますっ!!」
「すごいっ! 噴水のようですっ!!」
魔法協会の中庭は一種のお祭り状態になっていた。
井戸を掘り始めて約二か月。
ついに自噴する地下水脈を掘り当てたのだ。
「まさか……本当にトレバーに井戸が湧くなんて……」
騒ぎこそしていなかったが、シアの思いは誰よりも強かったろう。
水の安定供給は、ウェーバー家長年の悲願だったのだ。
「特に水脈を調べなくてもこれだけ水量のある井戸が掘れたのです。落ち着いたら他の場所にも掘ってみるのもいいかも知れませんね」
「はいっ! 私達の子供の為にも、もっと住み易い町作りを目指します!」
(私たち?)
仲間達からの視線が痛い。
そんな中、プリムの質問が気まずい雰囲気を和らげてくれた。
「ヒースさま。こんなに水が出たら、地面のお水なくなっちゃいませんか」
ナイスだプリム!
また今度お菓子を作ってあげよう。
「平地で井戸を掘りすぎると汲んだ水の分だけ地面が下がる事もあるんだけど、自噴する井戸水ってのは川の水のようなものでね。これ、全部あの山から流れて来ているお水なんだよ」
俺はそう言って北方に連なる山脈を指差す。
それらの山の頂は、既に白く雪化粧されていた。
「地面の下に川がながれているですか!」
「ああそうだ。だから水が無くなったり地面が下がったりはしないんだ」
「おさかなはおよいでますか!?」
「いやー。地面の下だと餌が無いから生きて行けないだろうねぇ」
「そうですか。ざんねんです……」
プリムにとって、川というのは魚が獲れる場所らしい。
自噴する井戸水の中から、魚が出て来る事を想像したのかも知れない。
「とにかく魔法協会の皆さん、今まで作業お疲れ様でした! 近所の方々にはこの井戸の水を提供してあげれば良いと思いますが、離れた場所にお住まいの方々には引き続き巡回が必要でしょう」
「ええ。ただこれでシアさんとニーヴさんへの負担も軽くなりそうですね」
事ある毎に作業を見守って来たロルフも、感慨深げにそう語る。
「ロルフさん、今後の事についてお話があります。宜しいですか」
「そうですね。支部長室でお話しましょうか」
喜んでいる皆には申し訳無いが、実はもう時間が無い。
この世界の時間の流れは元の地球とほぼ同様で、一か月の日数こそ違うものの一年は十二か月となっている。
そして今は元の世界でいう所の師走。
十二月だ。
それは領地権限が委譲されるまで、既に一か月を切っているという事実を示していた。
◇ ◇ ◆
「発送した文書の何通かは、やはり何らかの妨害により届いていなかったようです」
「まぁそれを見越していくつかのルートで文書を送ってはいますが……」
予想はしていたが、さすがに思い通りには行かないようだ。
伝達事項が遅れるのは仕方が無いにしても、そもそも相手に意図が届かない。
こんな状況に置かれて初めて、地球の通信システムがいかに発達したものだったのかを痛感する。
そしてそれと同等以上の機能を持っているのが魔法協会システムだ。
そんなすごいシステムがあるのだから使えば良いでは無いか!?
そう考えた俺はそれをなんとか使えないかロルフに聞いてみた事もあった。
だが様々な解説をし苦労して意図を伝えた結果わかったのは、前回の防護装置のような機能を任意で使う方法は一切伝えられていないという事実だった。
そもそもそんな事が出来る仕様なのかすら不明だ。
協会のシステムは当てに出来ない、と考えておいたほうがいいだろう。
「でもそんな中、ダンケルドのアーネスト様からわたくし宛の親書が届きまして」
「本当ですか!」
ダンケルドからの文書は最短ルートだと十日程度で届くはずだが、ザウロー家の干渉を受ける可能性が大きい。
そう考えると南のアルフォード経由が安全だ。
しかし、それでは届くまでに倍以上の時間がかかる。
こちらから文書を送った時期を考えると、内容を確認後すぐに返信しなければ、このスピードで届く事は無い。
さすがはアーネストだ。
仕事が早い。
「それで、内容はどのようなもので?」
「『ご依頼のあった技術者ですが、ダンケルドでお任せする仕事の影響で到着が更に一か月ほど遅れてしまった事をお詫びします』といった内容でしたね。あと連邦本部宛の親書も同封されていました」
「同封されていた親書には、派遣した技術者が俺だという事が書かれているのでしょうね。実際にダンケルドでアーネストさんと仕事をした実績もありますし」
「はい。ですが親書を連邦本部に渡すタイミングが──」
同様の内容の親書を、シアの直筆でトーラシアの首都にも送っている。
連邦監察隊に拘束されているマティアスに共通認識を持ってもらう為だ。
(監察隊による検閲が直前に入るだろうから、内容には注意が必要だが)
その点もシアにはしっかり伝えてある。
彼女は『お父様がかねてからアーネスト様に依頼されていた技術者が、先日やっと到着されました』という内容で書くと言っていた。
それならば検閲されても問題無いだろう。
しかしそれがマティアスにきちんと届いていなければ、アーネストからの親書を連邦側に渡す事は出来ない。
あくまでこれは、マティアスとアーネストの間に『トレバーに井戸を掘る』という共通認識が事前に存在していた、という点に意義があるのだ。
そうでなければ協会員達がコツコツ地道に掘ってくれたあの井戸は、単なる俺の道楽に付き合ってくれただけの、領地運営とは全く関係のない作業となってしまう。
「おそらくですが、シアさんの文書がマティアス殿にきちんと届きさえすれば、連邦本部はその確認に動かざるを得ないのではないかと思います」
「それは……やはり井戸でしょうか?」
「はい。文書に書かれた内容が真実かどうかを確かめる必要もありますし、何しろこの土地に井戸を掘るなんて、普通の人には信じられない事ですよね?」
「はい。ヒース様が嘘を仰る方で無い事はわかっていたつもりですが──自噴する井戸水をこの目で見るまで、正直申し上げて私も半信半疑でした」
ロルフは軽く頭を下げる。
「はい。だからこそ都合が良いのです」
「都合が良い、と申しますと?」
俺は『上総掘り』の存在を初めて知った日の事を思い出す。
その時の気持ちは今でも忘れない。
人の知恵には、常識を覆す驚くべき力があるのだ、と。
そしてそれらの知恵は、それを必要とする人にとってこそ万金に値する。
「だってそんな技術があるのなら、私だったら喉から手が出る程欲しいですからね」
国を治める者が、そんな有用な技術を放っておくわけが無い。
そして俺は確信している。
もし連邦の本部からこの町を視察する者が来たのならば──
その時こそ、ウェーバー家の復権が為される時であると。
トレバー方面の情報を報告する為に、一人の男が立っていた。
ケビンの元から逃走を図ったデニスを始末した男、アレクシスだ。
彼は諜報要員として、平時からケビンの部下として紛れていた。
しかしケビンが暴走し始めたあたりで一度カークトンに戻り、その後再びケビンの配下たちから情報を集めていた。
そして領主への報告を一通り終え──
「ケビンが魔法協会に盾突いて死んだだと!?」
「はい。ケビン様の複数の部下からそういった話が出ています」
「そのケビンの部下共は、実際にその場に居たのか?」
「いえ。それが盗賊共全員が、その話を同じ者から聞いたと言っておりまして」
「同じ者? その者の名は?」
「はい。以前からヘイデン様がお探しになっていた、ヒースという者です」
ヘイデンは思わず頭を抱えた。
ダンケルドから伝わって来た話から興味を持ち、どうにかして自身の配下に加えようと思っていた男がヒースだった。
しかしその男の口から自分の息子が死んだという話が出る事になるとは、流石のヘイデンも予想していなかったのだ。
「それで──死因は?」
「どうやらそれが──魔法協会内部で『精神魔法』を使用しその罰を受けた、と」
「『精神魔法』だと!?」
いつも落ち着いているヘイデンも、この時ばかりは平静を保てなかったようだ。
眉間に皺を寄せ、難しい顔をしている。
アレクシスもケビンが女性相手に怪しい『術』を使う、という噂は聞いていた。
しかしケビンの口から『精神魔法』や『魔神』を信奉しているような話はそれまで一度も聞いたことが無い。
だから彼もデニス同様、その術とは媚薬のようなものだろうと解釈していたのだ。
だがヘイデンには何か思い当たる節があったようだ。
「ジェイドか──」
「ジェイド? そう言えばそんな名の魔術師が少し前に居たような」
「色々と便利だったので城に呼んだのだが、少々危険な男でな。出入りする場所には厳しく制限を付けていたはずなのだ。ケビンから接触をしたのかも知れぬ」
精神魔法と言えば魔法協会から禁忌認定を受けた魔法であり、魔神信奉者との繋がりが非常に強い魔法だ。
そんな事が表沙汰になったとしたら、領主以下、関連の強い人物から順に裁きを受ける事になってしまう。
(そろそろ身の振り方を考えないと──だが)
アレクシスはザウロー家に家族の命を盾に取られている。
つまり、ヘイデンにはあくまで止むを得ず付き従っているに過ぎない。
彼は日ごろからカークトンで軟禁状態にある家族の安全を確保しながら、如何にしてここから逃げ出すかを考えていた。
(罪を重ねてしまった俺はいいとしても、せめて妻と息子だけは──)
アレクシスが家族の安否を第一に考えていた事に比べると、目の前の領主はむしろ全く逆の思考を持った人物だったと言えよう。
ヘイデンは息子のケビンの死に対し、悲しみの感情など一切持っていなかった。
彼にとっては数多くいる後継候補の中で最もしがらみが少なく、頭は悪いがその分容易に扱える存在でしか無かったのだ。
替えはいくらでもいる。
今の彼は自分の息子の事よりも、現状を打破する方法で頭が一杯だった。
魔法協会に貴族家が手を出すというのは、家の存続に関わる大問題だ。
良くて領地没収、最悪だと爵位返上までしなければならなくなる。
爵位の返上というのはつまり、貴族で無くなるという事である。
それは身分が平民になる、というような甘いものでは無い。
もしそうなったとしたら、おそらく彼は数日以内に命を落とす事になるだろう。
今まで多くの人々に対し、非道な行いを繰り返してきたのだ。
それがわからぬヘイデンでは無かった。
だが今までそうならなかったのは、彼自身の才覚による所も多い。
彼は暫し考えに耽っていたが、こうした事に対する判断は早い。
「うむ──ならばこの手でいくとするか」
ヘイデンは軽く頷いた後、アレクシスに指示を出していく。
「ケビンを仮領主代行に据えた後、奴が正式に発行した書類は全て追えるか?」
「おそらく大丈夫です。ケビン様はあまり事務作業はお好きでは無かったので、それほど発行されていなかったと思います」
「そうか。であればその証書は全て破棄しろ。もしごねる人間がいたら私の署名入りの正式文書と交換してやると言えば喜んで交換するだろう」
「承知いたしました。あとヘイデン様、まずいないとは思われますが、もしそれでも拒否する人間がいた場合には……」
「あまり対処に手こずる様であれば──消せ」
「御意」
一礼した後、退室しようとするアレクシスをヘイデンが呼び止める。
「ああ。もう一点だけ頼む」
「はい」
「親衛隊を出す。準備させておけ」
これにはさすがのアレクシスも動揺の色を隠せなかった。
「トレバーへですか!?」
「ああ。息子の名を騙る者が問題を起こしたのだ。ここは領主自ら出向き、きっちりと調査させてもらおうではないか。もちろんお前にも同行してもらうぞ」
アレクシスは目の前の初老の男が笑う姿に、恐怖を禁じ得なかった。
それは、今まで何度も目の当たりにして来た理不尽な企み。
その前触れだったからだ。
失礼に当たらないよう、丁重に礼をして部屋を出るアレクシス。
そして自分が持つ情報を元に、今後の趨勢を推し量っていた。
(何を考えている、うちの領主は……だがこのタイミングなら……)
領主が町を離れている間ならば、家族への影響がすぐに出る事は無い。
トレバーからカークトンまで、早馬でも三~四日はかかる。
何か事を起こすのであれば、彼にとってこれは絶好のタイミングとも言えた。
(俺は今までそれはシュヘイム殿以外にはいないとばかり思っていたのだが──)
もしそれが出来るような人物がいるとすれば、それはヘイデンのような者にも屈せず、自らの立場を保っていける程の人物しかいないだろう。
アレクシスは今まで、この領地を救ってくれるのはシュヘイム男爵に違いないと、ずっとその時が来るのを耐え忍んで来たのだ。
だがそれはここに来て、想像も出来ない事態を迎えようとしていた。
(黒髪の剣士ヒース。もしかすると、彼なら──)
彼は来たるべき時に備え、そのタイミングだけは逸しないよう肝に銘じるのだった。
◆ ◇ ◇
木枯らしの季節も過ぎ、冬の寒さは本番を迎えようとしていた。
以前、この世界について知る為に日周運動を観察した事がある。
それによると、地軸の傾きは地球と同じか少しだけ小さいようだ。
この地が南方に位置しているからか、それとも地軸の傾きが緩やかな影響なのかはわからないが、思ったよりも寒暖差は少ない。
この世界の季節と気候については詳しくはわかっていないが、ここが北半球である事は間違いないだろう。
冬に新年を迎えるという点は日本と同じようだ。
だが年末が近づいているという雰囲気が全く無い日々の中。
ケビンの来襲で危機感を持ったのだろう。
俺を含めた仲間達は更に鍛錬を重ねていた。
セレナは剣術、プリムはクロスボウという感じで主に武器の鍛錬、ベァナとニーヴが主に魔法の鍛錬という感じで、それぞれの目的に応じた訓練を行っている。
そして俺。
シアへのマナ供給とベァナの魔法訓練を交互に行っているのだが──
ベァナとの訓練日でないと、俺は訓練が出来ない。
それくらいシアへのマナ供給量は多いのだ。
まぁずっと手を握られているので、訓練どころでは無いのだが。
「ヒースさん、その魔法は?」
彼女の言う魔法というのは、俺の手の先に現れている半透明な膜の事だ。
「ああこれか? これは難易度5の共通魔法、プロテクションだな。これ結構強度があって絶対便利だと思ってさ」
ハニカム状の半透明な膜がいくつも連なって出来た防護壁。
これは支部長室でケビンが閉じ込められた球体とほぼ同じものだ。
あのショッキングなシーンを目撃したシアの目の前では気軽に詠唱出来ないが、あの場に居なかったベァナならば問題は無い。
「難易度5ですか……相変わらずヒースさんはそう軽々と……」
ちょっとふくれ面をしているように見えるが、彼女がこんな表情をしている時は本気で怒っているわけではない。
むしろ俺以外では……祖父である村長くらいにしか見せない貴重な姿だ。
「あはは。別にそう言うわけじゃないんだけどな。何しろ盗賊団やケビンがあんな行動を取って来たんだ。準備は出来る限りしておいたほうがいいと思ってな」
「そうですね──」
「ベァナだって難易度4の『バインド』まで使えるようになっただろう? 十分すごいと思うんだが」
「治癒魔法の鍛錬がこれ以上は無理なので、仕方なくですよ」
治癒魔法は難易度5からマナ消費が激しくなり、集団で詠唱する必要がある。
というのもその『縫合』という魔法が、治癒と言うよりもはや奇跡に近い代物で、切断された体同士を繋げて元通りに直してしまうらしい。
もちろん、命がある状態で無いと成功しないのだが。
「まぁ、とにかくベァナの魔法訓練には最優先で付き合うからな」
「本当ですか!? 約束ですよ?」
機嫌が戻ったようで良かった。
しかし約束も何も──
元々最初からそのつもりだったのだ。
この旅に出た当初から、ずっと。
◇ ◆ ◇
そして日々訓練を続けていた、冬のある日。
「じっ、自噴していますっ!!」
「すごいっ! 噴水のようですっ!!」
魔法協会の中庭は一種のお祭り状態になっていた。
井戸を掘り始めて約二か月。
ついに自噴する地下水脈を掘り当てたのだ。
「まさか……本当にトレバーに井戸が湧くなんて……」
騒ぎこそしていなかったが、シアの思いは誰よりも強かったろう。
水の安定供給は、ウェーバー家長年の悲願だったのだ。
「特に水脈を調べなくてもこれだけ水量のある井戸が掘れたのです。落ち着いたら他の場所にも掘ってみるのもいいかも知れませんね」
「はいっ! 私達の子供の為にも、もっと住み易い町作りを目指します!」
(私たち?)
仲間達からの視線が痛い。
そんな中、プリムの質問が気まずい雰囲気を和らげてくれた。
「ヒースさま。こんなに水が出たら、地面のお水なくなっちゃいませんか」
ナイスだプリム!
また今度お菓子を作ってあげよう。
「平地で井戸を掘りすぎると汲んだ水の分だけ地面が下がる事もあるんだけど、自噴する井戸水ってのは川の水のようなものでね。これ、全部あの山から流れて来ているお水なんだよ」
俺はそう言って北方に連なる山脈を指差す。
それらの山の頂は、既に白く雪化粧されていた。
「地面の下に川がながれているですか!」
「ああそうだ。だから水が無くなったり地面が下がったりはしないんだ」
「おさかなはおよいでますか!?」
「いやー。地面の下だと餌が無いから生きて行けないだろうねぇ」
「そうですか。ざんねんです……」
プリムにとって、川というのは魚が獲れる場所らしい。
自噴する井戸水の中から、魚が出て来る事を想像したのかも知れない。
「とにかく魔法協会の皆さん、今まで作業お疲れ様でした! 近所の方々にはこの井戸の水を提供してあげれば良いと思いますが、離れた場所にお住まいの方々には引き続き巡回が必要でしょう」
「ええ。ただこれでシアさんとニーヴさんへの負担も軽くなりそうですね」
事ある毎に作業を見守って来たロルフも、感慨深げにそう語る。
「ロルフさん、今後の事についてお話があります。宜しいですか」
「そうですね。支部長室でお話しましょうか」
喜んでいる皆には申し訳無いが、実はもう時間が無い。
この世界の時間の流れは元の地球とほぼ同様で、一か月の日数こそ違うものの一年は十二か月となっている。
そして今は元の世界でいう所の師走。
十二月だ。
それは領地権限が委譲されるまで、既に一か月を切っているという事実を示していた。
◇ ◇ ◆
「発送した文書の何通かは、やはり何らかの妨害により届いていなかったようです」
「まぁそれを見越していくつかのルートで文書を送ってはいますが……」
予想はしていたが、さすがに思い通りには行かないようだ。
伝達事項が遅れるのは仕方が無いにしても、そもそも相手に意図が届かない。
こんな状況に置かれて初めて、地球の通信システムがいかに発達したものだったのかを痛感する。
そしてそれと同等以上の機能を持っているのが魔法協会システムだ。
そんなすごいシステムがあるのだから使えば良いでは無いか!?
そう考えた俺はそれをなんとか使えないかロルフに聞いてみた事もあった。
だが様々な解説をし苦労して意図を伝えた結果わかったのは、前回の防護装置のような機能を任意で使う方法は一切伝えられていないという事実だった。
そもそもそんな事が出来る仕様なのかすら不明だ。
協会のシステムは当てに出来ない、と考えておいたほうがいいだろう。
「でもそんな中、ダンケルドのアーネスト様からわたくし宛の親書が届きまして」
「本当ですか!」
ダンケルドからの文書は最短ルートだと十日程度で届くはずだが、ザウロー家の干渉を受ける可能性が大きい。
そう考えると南のアルフォード経由が安全だ。
しかし、それでは届くまでに倍以上の時間がかかる。
こちらから文書を送った時期を考えると、内容を確認後すぐに返信しなければ、このスピードで届く事は無い。
さすがはアーネストだ。
仕事が早い。
「それで、内容はどのようなもので?」
「『ご依頼のあった技術者ですが、ダンケルドでお任せする仕事の影響で到着が更に一か月ほど遅れてしまった事をお詫びします』といった内容でしたね。あと連邦本部宛の親書も同封されていました」
「同封されていた親書には、派遣した技術者が俺だという事が書かれているのでしょうね。実際にダンケルドでアーネストさんと仕事をした実績もありますし」
「はい。ですが親書を連邦本部に渡すタイミングが──」
同様の内容の親書を、シアの直筆でトーラシアの首都にも送っている。
連邦監察隊に拘束されているマティアスに共通認識を持ってもらう為だ。
(監察隊による検閲が直前に入るだろうから、内容には注意が必要だが)
その点もシアにはしっかり伝えてある。
彼女は『お父様がかねてからアーネスト様に依頼されていた技術者が、先日やっと到着されました』という内容で書くと言っていた。
それならば検閲されても問題無いだろう。
しかしそれがマティアスにきちんと届いていなければ、アーネストからの親書を連邦側に渡す事は出来ない。
あくまでこれは、マティアスとアーネストの間に『トレバーに井戸を掘る』という共通認識が事前に存在していた、という点に意義があるのだ。
そうでなければ協会員達がコツコツ地道に掘ってくれたあの井戸は、単なる俺の道楽に付き合ってくれただけの、領地運営とは全く関係のない作業となってしまう。
「おそらくですが、シアさんの文書がマティアス殿にきちんと届きさえすれば、連邦本部はその確認に動かざるを得ないのではないかと思います」
「それは……やはり井戸でしょうか?」
「はい。文書に書かれた内容が真実かどうかを確かめる必要もありますし、何しろこの土地に井戸を掘るなんて、普通の人には信じられない事ですよね?」
「はい。ヒース様が嘘を仰る方で無い事はわかっていたつもりですが──自噴する井戸水をこの目で見るまで、正直申し上げて私も半信半疑でした」
ロルフは軽く頭を下げる。
「はい。だからこそ都合が良いのです」
「都合が良い、と申しますと?」
俺は『上総掘り』の存在を初めて知った日の事を思い出す。
その時の気持ちは今でも忘れない。
人の知恵には、常識を覆す驚くべき力があるのだ、と。
そしてそれらの知恵は、それを必要とする人にとってこそ万金に値する。
「だってそんな技術があるのなら、私だったら喉から手が出る程欲しいですからね」
国を治める者が、そんな有用な技術を放っておくわけが無い。
そして俺は確信している。
もし連邦の本部からこの町を視察する者が来たのならば──
その時こそ、ウェーバー家の復権が為される時であると。
0
仕事しながらなので大体土日に更新してます。
そしていつも眠いので誤字脱字大量にあるかも。ごめんなさぃぃ
現在プロットの大枠はほぼ終了し、各章ごとの詳細プロットを作成中です。
読んでいただいて本当にありがとうございます。
※ 11/20追記
年末に向けて本業が忙しく、ちょっと更新が滞るかも知れません。なるべく毎週一回は追加していきたいと思っておりますので、今後ともよろしくお願いいたします。
そしていつも眠いので誤字脱字大量にあるかも。ごめんなさぃぃ
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年末に向けて本業が忙しく、ちょっと更新が滞るかも知れません。なるべく毎週一回は追加していきたいと思っておりますので、今後ともよろしくお願いいたします。
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