Wild Frontier

beck

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第三章

略取

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 井戸の深度は二百メートルに到達しようとしていた。
 掘り鉄管から採取される土砂の中に砂が混じるようになってきたため、既に帯水層にまで到達しているのは間違いないだろう。

 しかしこの町にはポンプを作れるような職人がおらず、井戸は自噴じふんする必要があった。
 水圧がかかる深度まで、更に掘り進めるしか無い。


「皆さんちょっと休憩しましょうかー」


 道具の準備や採掘開始時にいくつか指導をしたくらいで、主な作業は全て協会職員によって行われている。
 ロルフによるとこの町の状況もあって、職員はそれほど忙しくないのだそうだ。
 だがこの町の問題とは言え、井戸を掘ると宣言したのはこの俺だ。
 領主の権限移譲期限もある中、採掘人員を確保出来るのはとてもありがたかった。

「いつもお手伝いしていただいていますので、今日は我々からおもてなしさせてもらいます」
「ヒース様ご考案のお菓子ですか。これは期待してしまいますな」

 提供しようとしているのは旅の途中に作った団子だ。
 だからそんなに期待されても困るのだが……
 結構な人数分作らないといけないため、調理の簡単なものという事で決定した。
 セレナには既にカラメルソースの作り方を教えてあるので、いい実戦経験だ。

 協会所有の大きな鍋を借り、団子を丸める作業は職員を交えて全員で行う。
 みんなが参加出来るというのも、かなり好評だったようだ。

「これは……」
「どうしました?」

 シアが丸めた団子を見て、一人呟く。

「今まですっかり忘れていたのですが、この団子というお菓子、幼少の頃におばあさまに作って頂いた記憶がございます」
「本当ですか!?」

 シアの祖父母はグリアン出身だ。
 もしかするとグリアンというのは住んでいる住民だけでなく、その文化までも日本に近いのかも知れない。

「まさかこんな形で再会するとは。やはり私たちは深いえにしで結ばれ──」
「ヒースさん、あちらの職員さんがお困りのようです。見てあげてくれませんかっ」

 そう言いながら横から袖を引く人物が──

 ベァナだ。

 言われた方向を見る。
 確かに茹で上がりのタイミングが分からず、困っている職員がいた。

 だが普段の彼女なら困った人を見つけ次第、率先して助けに入るはずだ。
 そう思い、ふとベァナの顔を見てみると──

 彼女の視線は俺でも困った職員でも無く、シアに向けられていた。
 その表情は……警戒するようないぶかしむような、そんな目付きだ。

 一方のシアは見られているのが分かった上で、敢えて視線を外しているようだ。



 何か色々とまずい予感が!



「いやあのなんというか……こういうのは自分自身で失敗を繰り返してだね……」

 自分でも何を言っているのかわからなかったが、そんな状況の中、協会の本棟からハンナが飛び込んで来た。

 その形相は深刻を通り越し、絶望を感じさせるものだった。
 彼女は全速力で走り続けて来たのだろう。
 息を切らしながら、やっとの事で何事かを伝えた。

「メラニーが……メラニーが居ないの。多分何者かに連れ去られたんだわ」
「ハンナさん、それはどういう……」

 ロルフが穏やかに情報を聞き直そうとする。
 だがハンナの視点は定まっておらず、呆然としたまま状況を語った。

「彼女の姿をしばらく見なかったので家に行ったら……ドアが壊されていて……」


 俺の脳裏に真っ先に浮かんだのは、ケビンの姿だ。


「とりあえず状況を確認したいです。ハンナさん、メラニーさんの家に案内してください」




    ◆  ◇  ◇




 メラニーの家に着く頃には、ハンナの気持ちも大分落ち着いたようだった。

「なんてひどい……」

 ベァナがそう思うのも無理は無かった。
 玄関のドアが斧か何かで切り刻まれていて、原型を留めていない。

 部屋の中もひどいもので、机や棚がことごとく破壊されていた。

「ケビンが帰って行った後、どういうわけかごろつき共の姿が見られなくなったので、メラニーと二人で『これは絶対油断させようとしている』なんて話をしていたの。だから以前よりももっと警戒していたはずなのに……」
「でもこれだけ暴れたのなら、近所の人が気付きそうなものなのだが」
「彼女の家は結構大きな果樹園でね。周りにある家には使用人たちが住んでいたんです。でもこんな状況だから雇えなくなって。今は誰も住んでいないはずです」
「家族もいなかったのか」
「ええ。彼女の母はかなり前に亡くなっていて、残っていた父と兄と弟がザウロー家に連れて行かれてしまったの」

 ここにもザウロー家のせいで壊された家庭が存在する。
 こんな事を放置していたら、不幸になる人間が増えるだけだ。
 そういう意味でもシアの父、マティアスには絶対に復権して貰わないと。

「ハンナさん、こういった事をする連中に心当たりはないか?」
「あります。以前、街道沿いで強盗を働いていた盗賊団があったのですが、マティアス様が領主の時にそいつらを一斉摘発したんです」

 盗賊団のような集団を摘発するには、訓練された人員が相当数必要だ。
 魔法協会の職員は戦闘訓練など行っていないし、そもそも盗賊団が必ず魔神信仰を行っているわけではないから、彼らが摘発に参加したわけでは無いはずだ。

「その摘発には実際、どなたが参加されたのですか?」
「トレバーの自警団です」

 自警団?
 それは初耳だ。

 というよりこれだけ長く滞在しているのに、衛兵など一度も見ていない。
 その疑問にはハンナが続けて答えてくれた。

「彼らは仮領主ヘイデンの命で、北にある砦に駐屯しています。なんでもダンケルド近郊で大量のゴブリンが出没したという事で、巡回要員として駆り出されて」
「なんと……そんな事が……」

 まさか自分が関わっていた出来事が、別の都市にまで影響していたとは。

「でもこの辺じゃ魔物なんかほとんど見かけないの。だからトレバーを管理し易くするために、町から追いやったんじゃないかってみんな言ってるわ」

 仮領主の権限では自警団の解散までは出来なかったとしても、に衛兵に命令を出すくらいの権限はあったのだろう。

「それにしても、一度壊滅させた盗賊団が再び動き出すとは──」
「おそらくケビンが領主代行になった時に、手駒にしたのでしょうね」

(ああ、そういう事か)

 ロルフと出会った日、彼はこう言っていたのだ。
『町のごろつき集団の中に、マティウスの統治時に一度捕まったはずの連中が存在している』と。

「なるほど──ところで、その盗賊団はいったいどこから来たのでしょう?」
「多分ですが、以前アジトとして使っていた場所じゃないかと。というのもこの辺りは開発するのにとても手間がかかるので、そうそう新しい建物を立てたりは出来ないはずです」

 ウェーバー家が苦労して開拓した土地は、やはり伊達では無かったという事か。

「その場所はわかりますか?」
「ロルフさんならわかると思います。摘発当時に協会本部へ報告していたはずですので……というかヒースさん、盗賊団のアジトへ向かうのですか?」
「そのつもりです。部屋の状況を見るにメラニーさんは殺されたわけではないでしょう。血痕が一切ありません。急げばまだ間に合うかも知れない」

 ハンナは俺の言葉にこう答えた。

「ロルフさんに場所を聞いたら、私がそこまで案内します。私は地元民ですので土地勘がありますし」
「相手は盗賊団です。かなり危険ですよ?」
「メラニーはこの町でずっと一緒に育って来た親友です。町が渇水になっても、家族がヘイデンに連れて行かれても、地元のみんなで何とか支え合って生きて来たのです。ここで彼女を支えられなかったら、私に親友を名乗る資格はありません」

 彼女の決意は固い。

「しかし協会の規定で、魔神信奉に関わる者以外への攻撃行動は認められていないのです。道案内しか出来ませんが、どうか同行させてください!」
「自身を防衛する行動も禁止されているのですか?」

 その質問に、ハンナは首を横に振る。

「それは禁止されていないわ。自らの命を無駄にするような規定はありません」
「では大丈夫でしょう。盗賊は我々で退治いたします」

 すると意外な所から参加を名乗り出る声が出て来た。

「わ、私も行きます!」

 ニーヴだった。

「私がこの町で巡回を始めた時、メラニーさんは緊張している私を元気付けてくれました。ご自分も大変なのに果物まで分けて頂いて……」
「ああ。あの時の梨が──」

 町がこんな状況でも、出来る限りの世話をしていたのだろう。
 形はいびつだったが、とても甘く、瑞々みずみずしい梨だった。

「メラニーさんに頂いたこの髪留めには、町を助けたいっていう気持ちが込められているとお聞きしました。もし、それを引き継いだ私が町を助けなかったら、その気持ちを無下むげにしてしまう事になります」

 ニーヴの決意も固いようだ。
 俺こそ、その気持ちを無下にしてはいけないだろう。

「わかった。一緒に向かおう。ただ、絶対に先走ったりしないように。前衛の俺とセレナの前には絶対に出るなよ?」
「はいっ。わかりました!」


 その後俺達は協会に戻り、準備を整えてすぐに出発した。




    ◇  ◆  ◇




 トレバー近郊の街道から更に少し離れた所にある裏道。
 そこにはケビンの乗る馬車が控えていた。

「盗賊団の連中には、ちゃんと指示を出したかぁ?」
「はい。連中には誰でもいいから町から一人二人さらってどこかに売り飛ばせ、という指示を与えました。おそらく昨日・今日には実行しているかと」
「そうかそうか。んじゃ俺達もそろそろ町に出向くか」

 目付け役を任されているデニスは耳を疑った。

(自ら手を下さないのではなかったのか?)

「え? ケビン様自らが町へ出向かれるのですか?」
「なんだよ。何か文句あんのかよ?」
「いえ、私はまた誰かを使って町を襲わせるのかと……」
「おめー、そんな事しちまったら愛しのシアちゃんが、どこぞのごろつき連中にヤられちまうだろうが! あの女の初物は俺が頂くって、ずっと前から決めてんだよ!」
「いや……トレバーを襲ったりしたら御父上から何を言われるか……」

 ケビンはゆっくりと溜息を吐く。

「俺はなぁ、親父から指示を受けてからもう何か月も我慢してんだよ。最初は黙って従ってたけどよぉ、親父の言う通りちんたら待ってたら、愛しのシアちゃんにいつの間にか気になる男がデキちまってるじゃねぇか。おめぇも聞いたろう? あの高慢なシアちゃんが『ヒース』なんて言ってたのをよぉ?」

 目付け役のデニスは勘違いしていた。
 ケビンは策を巡らせ、自らの手を汚さずにのだとばかり思っていた。

 だが実際は単に自分の欲求が満たされ無くなる事を恐れ、だけだったのだ。

(俺はバカだ。こいつが正真正銘のバカだった事を見抜けなかったのだから)

 デニスはこの時点で、完全に方針を転換する。
 もはや目の前のお坊ちゃまには、何を言っても無駄だと。

「わかりました。で、ケビン様は実際にはどんな方法でシア嬢を?」
「ああ。力ずくだと俺も親父も立場が悪くなるからな。ちょっとした『術』をな」
「『術』と申しますと、魔術師に教わったという?」

 ケビンが魔術師から何か怪しい術を教わった話は、デニスも聞いている。
 デニスはその『術』を、精神高揚作用のある薬か何かだと考えていた。

「ああ。あれは本当に便利なんだよなぁ。誰でも喜んで盛るようになるんだぜ? 相手が喜んでんだから、誰も文句を言えねぇよな?」

 今のデニスにとって、ケビンが何をしようが全く興味が無かった。
 今はとにかく、この場を離れる為の口実さえあれば良い。

「なるほど、それはいいですね! 多分それでしたらケビン様と数名の連れだけでどうにでもなると思いますし、私はシア嬢をしっかり出来る寝室を先にご用意させて戴きます」
「おっ! おめぇもたまには気が利くじゃねぇか! 宜しく頼むぞ!」

 そう言うとすぐにカークトンへ戻る準備を始めるデニス。

(このままトレバーに突撃なんかしたら、場合によっちゃこのイカれたお坊ちゃまの盾にされちまう。それにうまく行ったとしても、お目付けの役目を果たせなかった以上、ヘイデンに首を斬られておしまいだ)

 準備とは言っても、それはケビンの元から逃走するための準備だ。

(この事をありのまま報告しても、どのみち首をねられるだけだ。そろそろ潮時って奴か)

 ケビンの配下にはよく見られる行動ではあった。
 ただその末路は、多くの場合『死』という結末を辿るわけだったが。

(そういや前にケビンに使いをやったあいつ……あれも途中で消えやがったしな)

 デニスは以前、カークトンに使いを出した部下の事を思い出した。
 名前すら憶えていないくらい、どうでも良い男ではあったのだが……

(全くあいつが逃げたせいで一時はどうなるかと思ったが……その後の消息を聞かないという事は、上手く逃げおおせたって事だよな)

 ケビンの配下のみならず、ザウロー家から逃げようとする者はとても多い。
 しかし領主のヘイデンは、そういった者達を厳しく処断する事で内部の安定を図って来た。

 それが有用な人材だったなら、恫喝どうかつや監禁程度で済むであろう。
 しかし幾らでも替えの利く人間となれば、容赦なく斬り捨てられる。
 そして処罰されたという情報は当然のごとく、全体に周知されるのだ。


 部下たちに恐怖を植え付け、同じ真似をさせないように。


(ヘイデンの配下ではなく、ケビンの配下だったから監視も緩かったのだろう。あの野郎だって無事逃げおおせられたんだ。逃げ出すなら今以外、他に無い!)

 そんな事を考えていると、一人の部下が目の前に現れる。

「デニス様、道中お一人では危険でしょうし、わたくしもお供致します」
「おおそうか? なんだか悪いな!」

 何度か見たことのある顔だったが、口数も少なくあまり印象は無い。
 ただ文句も言わず、黙々と仕事をする姿だけは記憶にあった。

(こんな真面目な奴がケビンのもとで働くなんて……他にいい仕事なんぞ、いくらでもあったろうに)

 デニス自身、盗賊団の出身ではあった。
 だが好き好んでその場に身を置いていたわけではない。

 多くの盗賊たちと同様、彼もまた貧しい暮らしを強いられてきたのだ。
 人から奪う事くらいしか、生きる術を持つ事も出来ずに。

「お前、名はなんと言ったか?」
「アレクシスと申します」
「アレクシスか。まぁ気楽に生きて行こうや、なぁ」

 デニスはその真面目な部下に声をかけ、共にケビンの元を出立しゅったつした。




    ◇  ◇  ◆




 デニスは道中、カークトンへ向かう岐路とは別の道を選ぶ。
 途中、馬を休憩させるために移動を止めた。

 行く先が違う事に対し、部下のアレクシスは当然の事ながら疑問を持つ。

「デニス様、こちらの道からではカークトンへは行けないと思いますが」
「真面目なお前だから言うんだが……俺はもうケビン様の元を去ろうと思っててよ。このままじゃ、俺達は長生き出来ねえと思うんだ」
「しかし……それをヘイデン様に知られたら、とんでもない事になると思います。お考え直してはいただけませんか」
「ケビンのお目付け役っつう仕事を果たせなかったんだ。このまま報告してもまともな処遇はされねえだろう。おめぇもここらで足を洗ったらどうだ?」

 部下の男はしばし沈黙をした後、ぽつりと話始める。

「もう手遅れだと思うのです。どうかお考え直し頂けませんか……」
「アレクシス、お前はこんな時まで真面目なんだなぁ。でも俺は決めたんだ。前に部下が無事逃げおおせたらしくてな。俺はこれから真っ当な仕事を探すつもりだ。だからよ、おめぇも……」
「そうですか」

 デニスは一瞬、部下の表情に憐憫れんびんの情が表れるのを感じた。
 彼がその理由を考える間に、部下はその答えを再度告げる。


「でももう遅いのです」


 部下はそう言うと、懐から取り出した短刀で、デニスの腹部を一突きした。

「なっ、お、おめぇ……何を……」
「デニス様がそのままカークトンにお戻りになられれば、あと数日は出来ましたでしょうに」


 そのまま倒れ息を引き取るデニス。
 部下の男は独り呟いた。


「ヘイデンに関わってしまった以上、もう遅いのです。私もあなた同様、自分や家族の命は惜しい。悪く思わないでください」



 アレクシスはそう言い、短刀をデニスの服でぬぐう。
 そして彼はカークトンへの道を引き返し、そのまま奥へと消えていった。


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