Wild Frontier

beck

文字の大きさ
上 下
75 / 142
第三章

追手

しおりを挟む
 ヒースからの要請もあり、日程に余裕が出来た事をセレナは感謝していた。

「お陰で武器屋なんかを覗く時間も取れそうだな。有難い事だ」

 セレナは同い年くらいの女子達とは興味の対象が異なり、己の剣術を磨いたり自分の得意武器である剣くらいにしか興味が無い。

 彼女の故郷であるダンケルドは比較的大きな町ではある。
 しかし農耕と通商を中心として栄えた町であるため、武器防具に関する店はそれほど充実していなかった。

 しかしこれから向かうカークトンは違う。
 領主のヘイデン・ザウローが治める都市であり、実質領地の中心となっている。
 当然、商店の種類はダンケルドよりも多い。

 彼女は町に到着した後すぐ、全員分の用事を済ませていた。
 依頼を達成した彼女は、彼女自身のもう一つの目的である武器屋へ向かう。

「ちょっと粉挽きに時間がかかってしまったが、さすがはカークトンだ。ダンケルドよりも食材の品揃えは格段に良い」

 実家が食品を扱っているだけあって、普段あまり興味が無い食材に関しても、彼女は一定の知識を持っている。

 更に言うと料理も元々は、決して嫌いだったというわけではない。

(やれ花嫁修業だと言って無理やりさせられていた時期もあったが……)

 父であるアーネストの方針で、実家では三姉妹全員が家事をする事になっていた。
 初めはなかなか面白いと思い、自ら調理する事もあった。
 しかしその目的がお見合いにあると知ってからはあまり身が入らなくなり、実際に何度か見合いをしてからは、完全にやる気が無くなったのだ。

『あんな男共の為に料理を? 腹が減っては戦が出来ぬ、とは師匠の言ですが、あの軟弱者共は戦に行く気など更々無いではないですか』

 父にそう言い残し、その後の花嫁修業は全て放棄。
 結局シュヘイム率いる衛兵の詰め所に通うようになっていった。
 ダンケルドで彼女の剣に太刀打ちで出来るのが、シュヘイム一人だったからだ。

 彼女は他の姉妹とはまた違った美しさを持つ女性だ。
 何事にも折れないような芯の強さと、清廉さを兼ね備えた立ち姿。
 詰め所の衛兵達から憧れの目で見られる事も数多くあった。

 ただ、彼女の理想の相手は『自らと対等以上に剣を交えられる者』だ。

 そんな男性は、それまでの人生でたった三人しか出会っていない。
 そのうち今でも健在なのは団長のシュヘイムと彼女の師匠、タヘイである。

 シュヘイムは既に壮年で、妻も子供もいる。
 とても尊敬できる男性ではあるが、当然恋愛対象にはならない。

 師匠のタヘイは更に高齢であったし、今では所在すら分かっていない。
 父が行商していた頃からの付き合いで、信用出来る人間なのは間違いないのだが、その素性は父も良く知らないらしい。

 彼自身が見せてくれた剣技は、もはや芸術レベルのものだった。
 彼に対する思いはもはや尊敬や崇拝に近い。

 そんな高い理想を持つ彼女なのだ。
 当然ながらダンケルドの住人に興味を持てる男性は一人もいなかったし、そもそも恋愛感情なるものを持ったことが一度も無い。

(恋愛感情とは……一体なんなのだ?)

 彼女には今までそれが良く分からなかった。
 良く分からないながらも、最近になって気になる相手が存在するのも事実だ。


 若いながら、自分と同等以上の剣術を持つ男性、ヒース。


「彼とまともに組み合った事は無いが……おそらく勝てないだろうな」


 彼女にとって、ヒースはとにかく不思議な男だ。

 まず、今まで会ったどの男とも価値観が違う。
 彼女が知る殆どの男性は、女性が剣を振るう事を良く思わない。
 ところが彼はセレナに対してそんな態度を見せないばかりか、一人前の剣士として信用して背中を預けてくれる。
 彼女にとって、それはとても居心地の良いものだった。

 また剣術だけが得意の戦闘狂と言うわけでもない。
 実家の農場が更に発展したのは、ヒースのアイデアに因るものだ。
 セレナは産業について精通しているわけではない。
 しかし、彼がもたらした品々が簡単な思い付きで作れるようなものでは無い事くらいは十分理解出来た。
 彼女自身が教養のある家に育ったためか、いくら剣術に優れていても知性の欠片も感じられない男性は苦手だったのだ。

(ヘイデンの長男、ケビンなんかは最悪だったな。二度と顔も見たくない。用事を済ませたらさっさと町を出ないと)

 彼女は武器屋が並ぶ商店街に入っていく。

 嫌な思い出を忘れようと頭を振りながら、彼女は今最も楽しいと思う事について考える事にした。

 彼女にとってここ最近で最も楽しみな時間……
 それはヒースとの剣術訓練の時間である。

 彼女は自らの剣術を更に磨くため、ずっと年の近い好敵手を探していたのだ。
 それが今では、ほぼ毎日のように手合わせする機会がある。

(真剣では危ないからと言っても、いつまでも木の棒で訓練ではいささか身が入らぬ。せめて模擬戦用の剣でも入手出来れば、接近戦時の訓練なども……)

 少し違う方向の想定も混ざっている事実に、自分でもまだ気付かないセレナ。

 そんな楽しい妄想をしている中、衛兵らしき男の声が通りに響いた。

「貴様がヒースという者の関係者だという話は既に分かっているのだ! 大人しく着いて来い!」

(何!? 今ヒース殿の名が!?)

「無礼なっ! なぜ人探しをするだけで、このような処遇を受けねばならぬか!?」
「ここ最近、怪しい入国者が増えている! 国境近くでは獣人に襲われた村もあると聞くぞ」
「どこからどう見れば私が獣人に見えるのか? お主ら衛兵の対応のほうが、よっぽど蛮族並みに見えるのだが!」

 気の強そうなその女性は、燃えるような赤髪せきはつを持つ剣士だった。
 目的の武器屋の近くで、数人の衛兵に取り押さえられている。

(雰囲気や身に着けている装備から言って、町の衛兵相手に簡単に不覚を取るような人物ではないはずだ……大方おおかた一切の警告もされずに、同時に大勢から押さえつけられたのだろう)

 もしここが故郷の町であれば、すぐさまその不躾ぶしつけな態度を改めさせるセレナだったが、残念ながらここはダンケルドではない。

 しかし聞き捨てられないセリフが、彼女の足をその集団へと向けた。

(今、確かにヒース殿の名を……)

 その女性剣士が悪人なのか善人なのかは、セレナには分からない。
 しかし、このまま衛兵に連れて行かれると言うのは、それはザウロー家の手に落ちるという事を示している。

(ザウロー家の現当主ヘイデンは、役に立つ人間であれば懐柔かいじゅうし、そうでなければ容赦無く斬るような人物。どんな人物であれ、ヒース殿の事を知る者をクズ領主の手に渡すのは得策ではない)

 その刹那、彼女は走り出した。
 そして女性剣士にのしかかる一人の衛兵の頭を、つかで一突きする。

「ぐわっ」
「貴様、何をする!?」
「それは私のセリフだ。一人の若い女性によってたかってのしかかるなど、貴様等よっぽど欲求不満らしいな。風俗街にでも行くがよかろう」

 セレナの挑発に衛兵が乗ってしまったがために、押さえつけていた赤髪の女性剣士が自由を取り戻した。
 立ち上がると同時に、二名の衛兵を素早く蹴り飛ばす。

 何らかの理由で不覚を取っただけで、本来はかなりの手練れのようだ。
 まともに受けた衛兵はその場に屈みこんでしまった。

 挑発に応じた衛兵も、既にセレナによって無力化されている。

「他の衛兵を呼ばれたら厄介だ。こっちだ、案内する」


 セレナがどんな人物か分からないにしても、少なくとも衛兵の仲間では無いのは明らかだと判断したのだろう。

 女性剣士は無言でうなずき、セレナの後を追った。




    ◆  ◇  ◇




 セレナは家の行商の手伝いで、何度かこの町を訪れていた。

 カークトンは領地の中心だけあって、かなり広い町だ。
 衛兵の目が届かない場所はいくらでもある。

「クリスティンと言います、剣士殿。貴殿のお陰で助かりました」

 自らをクリスティンと名乗る剣士は、背筋を伸ばし礼をする。

 彼女に衛兵共のような野蛮さは微塵みじんも感じられない。
 おそらく多少名のある貴族の出身か、騎士のような立場にいる人物だろう。
 それくらい服装にも、立ち居振る舞いにも気品があった。

 だがセレナにとって重要なのは、相手が高貴な人間かどうかではない。

「礼には及ばぬ。ちょっと気になる事があってな」

 赤髪の剣士は、セレナの様子が穏やかでは無い事を悟る。

「単に親切心からお助け頂いたわけでは無さそうですね」
「単刀直入に伺おう。貴殿、ヒース殿を追っているというのは本当か」


 セレナはヒースから直々に告白されたのだ。

『俺はとある女性に追われている』と。

 ヒースはアーネストが持ち掛けた、セレナの姉妹との婚約話を断っている。
 それは彼が魔神信奉者に追われる身で、戦えない女性を危険な旅に連れて行く事を受け入れられなかったからだ。

(そしてヒース殿は、戦う事の出来る、旅の伴侶として選んだ)

 少なくとも彼女の脳内ではそう結論付けられていた。


(今まで剣術に打ち込んで来たのは、きっとこの時の為だったのだ)


 彼女にとってこの旅の目的は、危険な追手から仲間達を守る事にあった。

「ヒース様をご存じなのですか!?」
「私の事は良い。追っているのか追っていないのか!?」
「もちろん。私はヒース様の足跡そくせきを追って、ここまで来ました」

 セレナがニヤリと笑い、剣に手を伸ばした。

「そうか。それなら問答無用だな。申し訳無いが、ここでそなたを斬らせてもらう」

 それを聞いたクリスティンも戦闘態勢を取る。

 目の前の女性剣士の構えは、鍛錬を積んできたセレナから見ても全く隙が無い。
 これはとんでも無い相手だと、彼女の第六感が告げていた。

 赤髪の剣士が思い出したように告げる。

「なるほど、さては貴殿がヒース様と宿を共にしたという女性ですね。宿のあるじの言っていた印象とは少々異なりますが、確かにヒース様好みの見た目をしています」
「何を訳の分からぬ事を……」

 と言いながらも、彼女の言葉はセレナの心にしっかり刻まれた。


(私の見た目が、ヒース殿の好みだと!?)


 セレナが少し動揺したのを見て間髪入れずに畳み込もうとするクリスティン。
 だが当の彼女もまた、自分の言葉になぜか動揺している。

「あ、あなたがあの硬派なヒース様を篭絡ろうらくしたのでしょう!?」
「篭絡だとっ!? 黙って聞いておればぬけぬけとっ!」

 セレナの思い込みとクリスティンの勘違いによって、対立は深まる。
 殺気立つセレナに比べ、クリスティンには多少の余裕が感じられた。

「まぁ良いでしょう。やるならかかって来なさい」

 そうけしかけたのはクリスティンからだったが、彼女の話が終わる前にセレナの太刀筋がクリスティンの目の前を横切った。

「なかなか素早い動き。でもっ」

 クリスティンも構えたサーベルを瞬時に斬りつける。

 かろうじて身をかわすセレナ。

(この女、全く本気では無さそうなのにこの動き。ヒース殿が手ごわい相手と言ったのは本当だったな……しかしっ)

 セレナは自分の持てる剣術を総動員して、目の前の剣士に打ち掛かっていった。
 目の前の女性剣士は余裕があるとは言え、真剣に攻撃を避け続ける。

 しかし、セレナを本気で攻撃する様子は見られない。

(私より数段上手うわてなはずなのに、攻撃らしい攻撃を一切してこない。どういう事だ?)

「変わった剣さばきをされるのですね。まるで西方の技のようです。でもヒース様のおそばにいるのなら、もう少し研鑽けんさんが必要かと」
「くっ……」

 もしここに見物客が居たのならば、全員がセレナを優勢と見ただろう。
 だが当のセレナ本人は、全く逆の見方をしていた。


(少しも勝てる気がせぬ)


 剣と剣の打ち合う音だけが響き、それは十数ごう続いていく。
 そして激しい剣げきの中で、セレナはある事に気付いた。


(剣を交えた時のこの感覚……まるでヒース殿と対峙しているような?)


 二人が同時に剣を振り戻し、睨み合う形になる。
 そんな中、クリスティンがセレナに問うた。

「剣士殿、一つだけ教えて頂きたい。ヒース様はご健勝ですか?」

 一瞬セレナは何かの罠ではないかと感じたが、彼女の表情を見て考えを改めた。
 今まで見せていた堂々とした態度が一切消えている。

 そこにいたのは物悲しさを漂わせた、単なる一人の女性でしか無かった。

(その思い詰めた表情は一体……)

 その姿を見たセレナも、知らずの内に胸が苦しくなる。
 本気の質問には本気で返さねばなるまい、と彼女は思う。

「それならば……答えても良いだろう。ヒース殿は達者で毎日楽しく過ごしている」
「そうですか。それを聞き安心しました。今後ともヒース様をお願いいたします。そろそろ時間も無さそうですので、私はこれで」
「おい待て、私からも質問がある! 貴殿は一体ヒース殿の何なのだ!?」

 セレナの問いに、彼女はこう答えた。

「私が何者かは──お伝えしないほうが良いでしょうね」
「どういう事だ?」
「ヒース様の身を案じてお探ししておりましたが……私と共にいるより、今はむしろあなた方と一緒にいたほうがきっと安全だからです。それより──私も貴殿も、ここからすぐに退散したほうがよろしいかと」

 クリスティンの目線の先には、カークトンの衛兵と思しき一団があった。
 衛兵と揉めた女性剣士達を追いかけて来たのだろう。

「まぁ良い。今度は自分自身で逃げてくれよ? 私はもう手助けは出来な……」

 セレナはクリスティンにそう声を掛けた──
 ──つもりだったが、彼女の姿は既にそこには無い。

(魔法か何かだろうか? 剣術・体術共にかなりの達人で、その上私の知らない魔法まで扱うとは……最初から私などがかなうような相手では無かった)

 セレナの素直な感想だった。

 あしらうような身の動きは、相手より数段上の実力が無いと出来ない。
 クリスティンという剣士は、それを軽々とやってのけた。

(彼女が本気で私を斬ろうとしたならば……私は数合も持たずに落命していただろう。自分から難癖を付けておいて、結局その相手にあしらわれるとは……なんたる醜態)

 彼女は衛兵の手から逃れるため、馬の回収を目指すべく走り出す。
 馬さえ回収出来れば、雑然としたこの都市から逃れる術はいくらでもあった。


 そして走りながらも、自分の未熟さ・世の中の広さを噛みしめていた。


(上には上がいる)


 彼女の心にふとした疑問が沸く。


「しかしあの剣士、魔神信奉者にしては卑怯な手も使わず、そもそも剣筋に邪悪さが一切感じられなかった。それに『ヒース様をお願いします』というのは……」



 セレナは女性剣士の真意を知るために、その発言を思い起こす。
 そして自分の容姿についての言及を思い当たり、急に気恥ずかしさを感じた。



「私の見た目が……ヒース殿好み、だと?」



 その言葉は彼女にとって、当初は侮辱に値する言葉だっただろう。
 女らしさを敢えて捨て去り、剣士としての自分を磨いて来たからだ。

 一笑に付すべき内容だ、と頭ではわかっていた。

 だが心が言う事を聞かない。
 不思議と何度も反復リフレインしてしまう。



 セレナはどうにか馬を無事回収し、仲間の元へと急いだ。



 彼女は帰路の最中も、女性剣士の言葉を思い出してしまう。
 そしてその度に今まで理解出来ずにいた、得も言われぬ感覚を感じるのだった。


しおりを挟む

処理中です...