Wild Frontier

beck

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第一章

真実

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 ベァナが以前話してくれた事がある。
 彼女の父が、彼女にベァナbeannaと名付けた由来についてだ。

「お父さんはこの土地の出身ではなかったんですが、村の北にあるこの丘から見る景色が大好きだったんです」

 彼女の父の気持ちはよく理解出来る。
 俺もまた、丘からの風景を何度も眺めていたからだ。

「それで私が生まれる前にこう言ったらしいのです。『北西に連なる険しくも美しい銀嶺ぎんれいもいいが、私はこの村を囲む穏やかなbeannaのほうが好きだ』って」

 村の周りには小高い丘がいくつも並び、遥か南まで連なっている。


 そして村の北の丘と言えば……ここだ。
 俺とベァナが訓練をした、この丘。

 
 そこに立つ一本のニレの木。
 そのかたわらに彼女は座っていた。

 月夜にも関わらず、無数にちりばめられた星が夜空を埋め尽くしている。
 昔、奥多摩でキャンプをした時の夜空よりもずっと多い。

 彼女が舞台上で唱えた照明ウィスプはとうの昔に消え、その役目は空に浮かぶ天然の照明に引き継がれていた。

 彼女のまとう神の衣装は、月明りを浴び一層神秘的に輝く。
 頭をひざに付け、その膝を抱えている。
 村の喧騒けんそうは既に遠く、かすかな嗚咽おえつが聞こえてきた。

 俺が近付く気配に気付いているはずだが、彼女はその場から動かない。

「まずベァナに黙っていた事を謝りたい。本当にすまなかった」

 彼女に反応は無い。俺は話を続けた。

「そのままでいいので、ちょっと話を聞いてくれないか?ベァナには全部知っておいて欲しいんだ。ヒースとは違う、本当の俺の話を」

 その言葉を聞いた彼女は、膝から顔を上げた。
 やはり泣きらしていたようだ。

「ベァナが信じてくれるかどうかはわからないけど、信じられないようなら何かの物語だと思って聞いてくれると助かる」

 そういって彼女の隣にそっと腰を降ろした。

「皆には俺が記憶喪失だって話をしているけれど、本当の所はちょっと違う。俺が今持っているのは、別の人間の意識なんだ。そいつには『岡野紘也こうや』って言う名前もあってね。こっちの名前っぽく無いので黙っていたんだけど」
「……コーヤ……?」
「ああ。でも今まで通りヒースで大丈夫だよ。なんというか、ヒースと呼ばれたほうが今じゃもう違和感が無いくらいなんだ」

 それは事実だった。
 自分の名前を『ヒース』だと認識した時点で、違和感は一切無かった。
 俺はある意味コーヤであって、そしてヒースでもあった。

「それでね、元の俺はこことは別の世界にいた。そしてその世界の学校に通っていたんだ。こっちの学校に比べるとめちゃくちゃ広くて大勢居る場所でね。教わる内容はこっちの世界とは全く違うもので、魔法なんかは一切無い世界なんだ」

 ベァナはその話にかなり興味を示していた。
 しかし話の本題はこれではない。

「まぁその話はまた今度話すとして……結局何が原因かはわからないんだが、俺は気が付くとこの村アラーニの近くの山中に居た。不思議な事に見た目はあまり変わっていなかったんだけどね」
「……その元の世界から……飛んできたの?」
「どうだろう。多分なんだけど、意識というか記憶というのかな?それだけがこの体に移ったような状態なんだよね。その時ヒースは山の中に居て、俺の意識だけが飛んできてヒースの中に入ったような感じ。だから俺はこっちの世界よりも元の世界の知識のほうが多いんだ」

 ベァナはすっかり泣き止んでいた。
 彼女のこの、知らない知識への旺盛おうせいな好奇心は見習うべきところが多い。

「ベアナが使っていたクロスボウも、むこうの世界の知識なんだ」
「ニックがよく遊んでいるあの独楽こまも?」
「そうだね。まぁ単純なものだから、この世界のどこかにあるかも知れないけど」

 独楽こまは紀元前から遊ばれていた玩具だ。
 この世界のどこかにあっても不思議ではない。

「だから俺は逆にこちらの常識を知らず、何が食べられるのかすら全くわからない状況だった。たまたま背嚢はいのうの中に保存食があったけれど、それも尽きようとしていた時……」

 俺はちょっとベァナに目を向けた。
 彼女は俺と目が合うと、恥ずかしそうにしてまた目を背けた。

「君に出会ったんだ」

 視線を元に戻して話を続けた。

「だから俺はね、君には本当に感謝をしているんだ。君の望みを断る事なんて俺には出来ない」
「じゃあ……なんで村を出ていくなんて言ったの?」

 彼女は自分の気持ちを言えるくらいには、元気になってきたようだ。

「そう、その事なんだけど……さっきも言った通り、俺はヒースとして意識を持つ前の事を一切知らない。でも俺が村に来た日に村長やボルタさんが言っていた事、ベァナも聞いていたよね」
「うん。ヒースさんは多分、メルドランの出身じゃないかって」
「そう言ってたよね。でも気が付けば俺はメルドラン王国から遠く離れた、別の国の山中に居たわけだ。ほんの少しの荷物を持って。たった一人で」

 俺は語気を強めた。

「そして目覚めた俺はひどく疲労困憊こんぱいした状態だった。一人旅を楽しんでいるような状況ではなかった!」

 ベァナは俺の話を黙って聞いてくれていた。

「状況から言って、明らかに何かから逃げていたんだ。理由なんてわからないし、多分思い出す事も無いだろう。だって俺の記憶はヒースのものではないのだから」


 俺が苦悩する点はまさにここだった。


 俺は自分がこの世界で、全く知らないのだ!




「もしかしたら俺は……犯罪者なのかも知れない」




「違いますっ! そんなわけないっ!!」




 いきなり大声で否定され、その場で固まった。

「ヒースさんが悪い人なわけないじゃないですか……」

 彼女はまるで全力を出し切った後のように、力無く、そうつぶやいた。

「ありがとうベァナ。俺もそう信じたいし、少なくとも今の俺はそんな事は絶対しない人間だと自負している」

 ただそれはあくまで希望論だ。
 起こした事実をじ曲げる事は出来ない。

「でもねベァナ。俺が犯罪者ではなかったにしても、自分が過去に何をして、なぜこんなに離れた土地で一人で居たのかを確かめておきたいんだ。そうでなければ俺はこの先ずっと、よくわからない何かを抱えたまま生きていく事になってしまう」

 本当は村を危険に巻き込みたくないという理由のほうが強かった。しかし理由を村に求めてしまえば、村人達はそんな事は気にするなと言うだろう。
 だから理由は俺自身の中に求めなければならない。

「あとはやはりこの世界にある沢山のわからない事を、一つでも多く知りたいって思うようになったんだ。だから俺はまず手始めに、ダンケルドのティネさんに会おうと思っている」
「先生の所に行くんですか!?」
「ああ。そう言えばベァナの先生でもあったよね。ブリジットさんと魔法の話をしている時にティネさんの事を色々聞いたんだけど、彼女は物知りそうだからね」

 ベァナは何やら考え込むような表情を見せ、俺のほうを向いた。
 その姿は正に普段のベァナであり、つい先ほどまで膝を抱えてむせび泣いていたとは思えない振る舞いであった。

「わかりました! それがいいですね、そうしましょう!」

 その物言いに少し違和感を感じたが、とりあえず彼女は俺が村を出ていく事に納得してくれたようだ。

「みんな心配するから、村に戻ろうか」

 祭りはまだ明日もある。
 残り少ない村での生活を、大事な友人と仲たがいしたまま続けずに済んだ事に、心から安堵あんどした。

 ただその当の友人は、俺がそんな悩みを抱えていた事など気にも留めていなかったのか、只只ただただいつも通りの笑顔で村への道のりを戻っていくのだった。



    ◆  ◇  ◇



 そしてある程度予想はしていたのだが……

 中央広場に戻った途端、あっという間に出来る人だかり。
 まるで芸能レポーターさながらに、何があったのかを事細かに聞いてくる村人達がそこに居た。

 俺のほうは『出会ってから今までの話をしていた』という事で済ましていたのだが、ベァナは『うふふ。内緒』というような言葉でけむに巻いていたようだ。



 その言い方では俺にあらぬ疑いが……


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