Wild Frontier

beck

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第一章

考察

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 俺の意識がこちらの世界に転移してから二週間程度経っただろうか。

 思えばこの世界の知識が全く無い状態で目覚め、決して多くは無い背嚢はいのうの荷物、ヒースの持つ運動能力、そして稀にひらめく『イメージ』だけで生き抜いて来た。
 来る日を「生き延びる」事だけで頭が一杯で、この世界自体について考える余裕など一切ない。
 しかしそれもベァナとの出会いによってやっと「生き延びる」以外の選択肢を増やせるようになった。

 もちろんゴブリンの『巣分け』といった脅威きょうい依然いぜんとして残ってはいる。
 ただこれも今日明日の問題というわけでは無く、戦いへの準備期間が取れた分、この先の事について色々と考える余裕が生まれているのだ。

 冷静になって考えれば、まず俺の意識がこの世界にやって来てしまった事自体、俺の理解の範囲を超えている。
 映画やゲームのような物語では良くあるシチュエーションであるが、残念ながらそんなものを頭から信じる程、お気楽な思考回路は持ち合わせていない。
 何かしら説明可能な原因があってしかるべきだと考えている。

 また未開地へのあこがれは持っているが、人類が悩みながらも発展させてきた科学技術を、真っ向から否定するようなオカルト信奉者というわけではない。
 むしろ人類の発明、発展の歴史に誇りを持っているからこそ、それを辿たどりたい、再現してみたいという気持ちが強いのだ。
 意識は大自然に向いているとしても、思考原理は科学的なものに基づいていると自負している。

 何か思い当たる節は無いか考えていた所、一つだけ思い出したものがあった。

 大学での選択物理。
 担当の杉崎先生は授業中にこう言っていた。

『同じ組成を持った生命体同士は、無意識下で情報を共有する』

 その話を聞いた時にいくつか思い当たる事があった。
 先生は『既視感デジャヴ』によって共有した知識が現れると言っていたはずだ。
 それが真実であるのなら、いくつかの納得できる点が出てくる。

 まず俺が見ていた『既視感デジャヴ』の映像だが、それらは明らかに現代地球のものでは無かった。
 風景などに関しては田舎に行けば見られそうなものではあったが、人々の身なりや建物から受ける印象は、どちらかというと今居るこの世界……中世世界を想起そうきさせるものだった。

 そして遠足の時に見た怪物……


(あれはまぎれもなく、こちらの世界のゴブリンだった!)


 もともと映画はあまり見るほうではなかったし、むしろ『既視感デジャヴ』がトラウマとなって怪物や魔物が出てくるような物語にはなるべく触れてこなかったから、俺の地球上の経験だけであのようなリアルな怪物の造形が形成されたとは思えない。

 そしてもう一つ『同じ組成を持った生命体』という言葉。

 こちらで確認した俺の姿は、まさしく俺のものだった。
 もちろん加齢を思わせる若干じゃっかんの違いはあったため、紘也とヒースが全く同じ体組成でないのは明らかだ。
 そもそも人間の体組織は年齢や部位にもよるが、肌などの早い箇所で20日、骨等の遅い箇所でも二年前後で総入れ替えになると言われている。

 しかし脳細胞については生まれた後、減る一方で増える事は無いらしい。また個人が持っている遺伝子について言えば、ガンなどによるエラーはあるものの、基本的には死ぬまでほぼ同一だ。
 こういった事が関係しているのだろうか……

 考えて答えが出るものではない。
 元の世界に戻る方法があるのか無いのかすら見当も付かない。
 ただし、もし元の世界に戻りたいと願うのであれば、その方法を探すか、または方法を知っている誰かを探すかするしかないだろう。

 あとは……



(この村でずっと暮らすというのも悪く無い、か)



 開拓者の村なんて、ある意味俺の理想郷ではないか。
 色々な思いはあったが、それらはまず村を守り切ってから考える事にした。





    ◆  ◇  ◇





 クロスボウの開発についてはいくつか問題は残っているものの、それほど難しい仕組みでは無いので、そのうち完成するのは間違い無いだろう。

 問題は時間だ。
 敵は自分たちの都合で勝手に襲ってくる。

「私に哨戒しょうかい任務をさせてくれませんか」

 俺は村長に村周辺の警戒、敵の排除をになう申し出をした。
 村が発見された時点で、奴らが大挙して襲い掛かって来る事が確定するからだ。

「何か対策が必要とは思うのじゃが……お客人を危険な目に遭わせるのはのう」
「奴らは今この時にも、自分たちの新天地を求めて彷徨さまよっています。村の存在を知られてからでは遅いのです」

 偵察中の魔物を倒し続けていれば、そのうちどこか別の洞窟を発見し、そこを定住の地としてくれる可能性だってある。
 まぁ問題の先送りとも言えなくは無いが、こちらはその間に更に準備を整える事が出来る。

 とにかく今欲しいのは時間なのだ。

「むむぅ……」

 村長はしばらく難しそうな顔で考えては居たが、現状取れる対策として最も有効的な手段だという事は誰の目から見ても明らかだ。

「本当にすまぬが……頼まれてくれるかの」
「ありがとうございます」

 一宿一飯いっしゅくいっぱんの恩義なんていう言葉があるが、この見知らぬ世界で受けた恩義は一宿どころか、一生に値する価値がある。

 こうして村の外へ哨戒しょうかいに出る事になった。

 しかしいくらなんでも24時間常に警戒するのは無理な話だ。
 ゴブリンは普段は夜行性だが『巣分け』時には昼も行動するため、魔物に出くわしても対処しやすい日中に警戒活動を行う事とした。夜目の効く魔物と夜間戦闘するのは極力避けるべきだ。

 そしてクロスボウの開発については、巡回の行き帰りに工房へ立ち寄ってやり取りをする事にした。
 一日の予定がびっちりと詰まってしまったが、山の中を放浪していた頃に比べれば食事も摂れて夜もしっかり眠れる分、精神的にはかなり楽だ。

 クロスボウ本体を担当するボルタのほうは、まずは短弓をベースにしてクロスボウに近い形の検証武器を作成していた。最初からは本格的なものを作らず、まずは検証実験を重ねるつもりらしい。
 そしてそれを土台にして弓の弧の部分……洋弓だとリムとかハンドルに相当する部分……つまり弓の威力の源泉となる部分の強化をしていく、という話だった。

 ゴブリンの『巣分け』がいつ来るのかは分からない。
 しかし急ごしらえで役に立たないものを作っても意味が無い。
 ボルタはそれを分かっているから、遠回りをしてでも確実な方法を模索しているのだろう。

 威力を増す為には村で使われている単弓ではなく、複数素材を使った合成弓コンポジットボウにする必要があるかも知れない。
 しかし彼は今まで弓に限らず様々なものを作ってきた職人だ。試行錯誤をしているうちに自分の求めるものを造り出すに違いないという確信があった。

 どちらかと言うと大変なのはジェイコブの担当であるトリガー部分だ。
 先日は描いたクロスボウの設計図は、自分が歴史展を見た後、改めてネットで調べたものだったのだが、よくよく考えてみればあれは現代のテクノロジーを利用して再現したものに過ぎないという事に気付いた。

 バネなんて現代日本のホームセンターに行けば数百円で入手出来る。
 しかしこの世界にいては、一財産築けるほどのポテンシャルを秘めているのだ。


 俺は元の世界で『最新テクノロジーに頼らず生き抜いてみせる』なんて威勢のいい考えを持っていたが、それは全く甘い考えだったと悟った。
 結局、現代日本で生活しているだけで、人類が発展させてきたテクノロジーの恩恵を知らず知らずのうちに受けていたのである。

 実際にそういったテクノロジーの無い世界に来てみれば良くわかる。

 この世界にはLEDどころかガスランタンすら無いし、アルミ製クッカーなども存在しない。夜に明かりが必要ならば、火を付けるか月明かりを利用するしかないし、食器を作るのであれば真鍮しんちゅうで作るのが一般的だ。
 この世界の冶金技術はまだまだ発展途上にあるのだ。


 俺は自分の浅はかさを恥じた。
 ジェイコブともう一度打ち合わせする必要がありそうだ。





    ◇  ◆  ◇





<金属加工(冶金やきん技術)>
 人類が金属を使い始めたのは少なくとも今から1万年以上も前からであるが、それは製錬の必要の無い自然金や隕鉄いんてつを加工したものであった。
 金属精錬の歴史はアナトリア半島(現在のトルコ)周辺で銅の精錬が始まったのが最初だと言われている。年代については諸説あるが、紀元前7500年頃には既にその痕跡こんせきが現れていたようだ。ただし銅の精錬は世界各地で同時的に始まっており、紀元前6000年~前3000年頃にはネイティブ・アメリカン達も独自に精錬法を発見している。
 銅は比較的精錬しやすい金属ではあったが、硬さ的に刃物等には不向きだったため、主に装飾品や生活用品として使われていた。
 その後紀元前3000年頃、シュメール人が銅にスズを混ぜる事で高い硬度の金属が出来る事を発見した。現代の日本でも10円硬貨等で使用されている『青銅』である。青銅器は武器や農具として非常に優秀で、都市や国家の生産力・軍事力の増大と文化の発展に多大なる影響を与えた。
 現代で最も利用されている鉄の精錬には非常に高い温度が必要で、この精錬法を最初に発見したのは銅と同様、アナトリア半島のヒッタイト人であるとされている。彼らは紀元前1500年頃には既に独自の精錬法を持っていたが、その後炭を使って鉄を鍛造たんぞう(ハンマー等で叩く金属加工)する事により、鋼を生み出す事に成功。鋼の製造方法は国家機密として数百年の間秘匿され続けたが、ヒッタイトが「海の民」からの攻撃により滅亡すると、その製造法は周辺諸国に広まっていった。
 鉄はその炭素含有量によって大きく特性が変わるため、炭素量の多い順に鋳鉄、錬鉄、鋼、鉄というように名前が付けられている。
 鉄鉱石は炭素による還元反応によって精錬する。精錬をすると、まず炭素含有量が多く(4~5%)融点の低い「銑鉄せんてつ」を取り出すことが出来る。この銑鉄にケイ素等を混ぜて調整したものが「鋳鉄ちゅうてつ」であり、鋳鉄を鋳型いがたに流し込んで成型したものを「鋳物いもの」と呼んでいる。
 ただこの鋳鉄は融点が低く扱い易いものの、もろく壊れやすいため刃物等の作成には向かなかった。
 そこで炭素を取り除く方法として古代より利用されていたのが前述の「鍛造たんぞう」である。鍛冶屋がハンマーで金属を叩いているのは、金属中の炭素を取り除き、硬さとしなやかさの丁度良いバランスの金属を造り出すためである。
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