Wild Frontier

beck

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第一章

崖の縁

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 ゴブリン共の『巣分け』の準備が始まっているのは間違いない。
 その指標となるホブゴブリンを、数日前に退治したのがこの俺だったからだ。

 この事実を隠していても村になんのメリットも無い。
 正しい情報はすぐに共有すべきだ。
 俺は意を決してその話をした。

「多分ですが……私はホブゴブリンとも戦いました」
「!?」

 村の全員が息を飲む。
 村長は軽く息を吸った後、その目をゆっくりと閉じた。

「ヒース殿、それは本当ですかい!?」
「はい。一体だけでしたが体長は私よりも首1個分ほど高く、肌の色はゴブリンと同じ。ただしゴブリンと違い足や腕はとても太く、巨大な棍棒を持っていました」

 その場の全員が報告に耳を傾ける。

「私はその魔物の胸あたりを剣で思いっきり切りつけましたが、多分血すら流れなかったと思います。非常に硬い皮膚を持っていましたので、最終的には首の付け根を狙い、突き差して始末しました」
「間違いない。そいつはホブゴブリンだ」

 ボルタの言葉を聞き、村民たちは絶句した。

「でヒース殿。それはベァナ嬢ちゃんと会う何日前の話ですかぃ?」
「二日前です」
「村長……これはもう無理ですな」
「そうじゃのう……」

 その言葉が意味するところはとどのつまり、この村の放棄だ。

 しかし俺はその兵隊ゴブリンを実際に倒している。
 住人は50名程度なので、頑張れば一・二匹くらいなら倒せるだろう。
 なぜ望みが無いのだろうか?

 その答えは再び村長が教えてくれた。

「その昔、とある鉱山町が『巣分け』の集団に襲われことがあったのじゃが、一晩で全滅したのじゃ。」
「町の規模……住人は何人くらい居たのですか?」
「千人程度じゃったと聞いておる」
「人口千人の町が、一晩で全滅ですか!?」
「もちろん逃げ延びた者も何人かおったのじゃが、生き残りの話によると、十数体のホブゴブリンが同時に襲ってきたそうじゃ」

 あの巨体が十数体。
 もしその数のホブゴブリンがこの村を襲ってきたとしたら……
 今の村の状況では間違いなく瞬殺だ。

「ヒース殿が出会ったホブゴブリンが単独で行動していたのは、きっと偵察の為じゃろう。しかもそれを倒してくれたという事なので、かなりの時間稼ぎにはなっているのじゃが……」

 村長は手を組みながら、ゴブリン集団の行動について教えてくれた。

「奴らは手頃な洞窟が見つかるまでずっと探し続けるのじゃ。そしていくら探しても見つからない時はの、見つけた村を襲ってその近くに横穴を掘るのじゃよ」
「もしかして……人を食うのですか?」
「そうじゃ。良い住処が見つからないと、餌の近くに巣を作ってしまうのじゃ」

 確かに蟻も自分で運べないような大きな獲物を見つけると、その場に巣を掘り始める事がある。
 それと同じ事なのだろうとは思うが……

「そしてこの村から2日くらいの距離にゴブリンが住めるような洞窟は……一切無いのじゃよ」

 つまりゴブリン達はアラーニ村を見つけ次第、ここを約束の地と認識する。

「しかも奴らは女どころか動物にまで乱暴を働く。おぞましい生き物じゃ」

 自分の孫娘が目の前に居るため村長はかなり遠回しな表現を使っていたが、きっとそういう事なのだ。
 ベァナは視線を横に外していた。
 その言葉の意味する所は、彼女なりにきっと分かっているのだろう。

 職人のボルタがホブゴブリンとの闘いについて語った。

「一番の問題はよぉ、やっぱあの硬い皮膚だぁな。ヒース殿も一度戦っているならわかると思うが、あいつらにゃ弓での攻撃が全く効かねぇんだよ。人間が射った矢くらいじゃビクともしねぇ」

 この村に来てすぐ、村の子供たちが大きな弓を持って練習のような事をしていたのを思い出した。
 あの大きさはイングランドのロングボウのような長弓だ。
 走り回って転んで怪我をしていたが、使わなくなった弓で遊んでいたのだろう。

 俺はその時ふと、ベァナの使った魔法の事を思い出した。

「魔法で攻撃するというのはどうなんでしょうか?」
「うちの村にも魔法を使える村人は今の所5人ほどはいるんだが……残念ながら攻撃魔法を使えるのはベァナの母君だけだ。今のヒース殿は忘れちまってるんだと思うんだが、攻撃魔法を使える人間なんざこの世界にゃほとんど居ねぇんだよ」

 ベァナの芝居をあんなに感情移入して聞いていたお母さまが、攻撃魔法を使えると言うのは全くもって想像していなかった。どんな人なのだろうか。

「それこそ王都でも行かない限り見つからないだろうし、そもそも居たとしてもこんな田舎まで助けに来ちゃぁくれねぇな。それくらい貴重な人材って事よ。そうなるともう接近戦しかねぇ」

 やはり攻撃魔法は存在するが、誰でも使えるようなものではないという事か。
 ベァナのように治癒の魔法を使える人間はどれくらいいるのだろうか。

「最近は大公様のところの騎士団もめっきり来てくれなくなってしまってのぅ」
「以前はこちらに騎士団がよくいらっしゃっていたのですか?」

 質問には鋳物いもの屋のジェイコブが答えてくれた。

「この国の大公様はとてもお優しい方でね。ここのような田舎の山村にまで目を掛けてくださる方なんだ。それで騎士団を定期的に派遣してくれていたんだよ」

 村自体の雰囲気や村人たちの陽気な振る舞いからも、大公が圧政を敷いているわけでないのは明らかだ。

「ところが数か月前、メルドラン王国に魔物の大群が襲ってきた事があって、それを向かい撃つべく出陣したメルドランの第一王子が戦死、第二王子が行方不明になってしまったそうなんだ。この国までその噂が伝わって来る程、とても人気のあった王子様達だったんだけどね……本当に酷な話だよ」

 俺の身の上話をしていた時にメルドランの話題で場が静まっていたのは、これが原因だったのか。

「その事が原因でメルドラン王は今、病床びょうしょうしているという噂で、うちの大公様も魔物の大群に備えて騎士団を再整備しているという事なんだ。まぁそんな中でも最低限の兵士は割いてくれているのだが……」

 土地勘が分からないため何とも言えないが、この村に回って来る騎士が少ないという事は、それよりも大きな危機が迫っているという事なのだろう。
 ジェイコブの説明にケチを付けるように、ボルタが吠えた。

「まぁその割いてくれた兵士がジェイコブんとこの優男やさおとこじゃぁ世話ねぇけどな!」
「なんだとぉボルタ! お前ん所のショーンなんか、まだ見習い兵士だろうが!」
「ほれほれ、やめんか二人とも」

 村長がそう声を掛けると、二人とも机に載せていた手をしぶしぶ降ろした。
 周りの村人達の様子をうかがってみると、むしろ今までの緊張感が少し和らいだようで、これはこれでいつもの事なんだろう。
 ベァナに至ってはくすくす笑っていた。

「この村にゃ、ヒース殿のようにホブゴブリンを一人で倒せるような戦士は……恥ずかしながら一人もいねぇ。山の村だから弓を扱える奴ぁ多いが、弓の威力を上げようとすると今度はつるを引けなくなっちまう」

 ボルタは職人だけあって弓の特性をよく理解している。
 弓は銃が登場するまで間、最も強力な遠距離武器だった。
 野生動物や生身の人間相手に戦うのであれば、高度な鍛冶技術と火薬の知識を必要とする銃よりも弓のほうが圧倒的に入手しやすく、矢も現地調達可能だ。
 とてもコストパフォーマンスが高く、良い武器と言えるだろう。

 だがボルタの言う通り、扱いには筋力と集中力、そして器用さが必須だ。
 弓弦ゆづるを引くために筋力が、狙いを定める間ずっと弦を引き続ける為に忍耐力が、そして矢を命中させるために器用さがそれぞれ必要になる。
 腕の良い弓兵を育てるには、長期間の修業が必須なのだ。

「あぁ。もうこの村には居られないのかねぇ……」

 村人の一人がそうこぼすと、職人たちのやりとりで少し元気の戻っていたこの場にまた、重い空気が戻ってしまった。

 しかしそれは決して彼女のせいではない。
 事態は既に「村を捨てる」という選択をしなければならない段階に来てしまっている。気の持ちよう、などと言っていられる状況はとうの昔に過ぎていたのだ。


 なんとかしたい。
 そう思ったのは、この村だからだろうか。
 俺は思いつく限りの手立てについて考えを巡らせた。


 まず普通のゴブリンについては多分、村人たちの弓でも十分倒せるだろう。
 数の問題はあるかも知れないが、これは安全な陣地を設営するなどして少しずつその数を減らしていけばなんとかなりそうだ。

 問題はホブゴブリンだ。
 今の所ホブゴブリンを倒した実績があるのは、この村では俺だけだ。
 ボルタも倒せる人間は俺しかいないと言っていた。

 俺はホブゴブリンを剣で倒した。
 それはヒースがホブゴブリンの弱点を知っていたから出来た事だ。
 多分俺は以前にもホブゴブリンと戦った事があるのだろう。

 それではその弱点を村人に教えて戦ってもらうというのはどうか?

 ……だめだ。
 剣では接近戦になる。
 戦いに相当熟練していないと、弱点を狙って一突きなんて芸当は出来ない。
 あんな巨大なこん棒をまともに食らったら、打ち所によっては即死もまぬがれないだろう。

 ならば弓で遠くから弱点を狙うのはどうだろうか?

 正直これも難しいだろう。
 俺が狙ったのは首ではなく、正確にはあごの裏の喉元だ。
 弓で狙うには場所が悪すぎる。
 攻撃部位を考えると、魔物よりも低い位置から狙いを定めなければならない。

 しかも接近するのは危険なので距離を取る必要がある。
 結果、更に命中率が下がる。
 体のどこに当ててもいいというなら問題無いのだろうが、狙うべき急所はりんご一個分よりも一回り狭い範囲しかない。
 ウィリアム・テルクラスの凄腕弓兵でもないと難しいだろう。

 あとは弓自体の強化についてだが……

 これはボルタの意見が正しい。
 強化した弓を扱うには筋力や訓練が必須なのだ。
 弓の威力を上げたがために、その弓を扱える村人がいなくなっては本末転倒だ。

 しかし……
 他の武器とは違って、弓にはまだ何か可能性がありそうな気がする。


 要はその威力を思いっきり上げたとしても、村人がそれを扱えれば良いわけだ。
 ホブゴブリンの硬い皮膚を考えると、弓の剛性を高める必要があるのは確かだ。
 実際に戦ってみた俺の感覚だと、最低でも数倍の弦を引く重さドローウェイトが必要になるだろう。


 弓の数倍のドローウェイト……


「!?」


 こんな事に気付かないとは!!


「あの、ボルタさんは弓を作る事は出来ますか?」
「あたぼうよぉ。この村の弓は全部俺が作っているからなぁ」
「それは良かった。あとジェイコブさん。例えば金型があれば、大抵の金属部品は作れそうですか?」
「そうだね。元々は鍛造たんぞうなんかもやってたし、大抵の物は作れるとおもうよ」
「おらぁてっきり鍋の修理くらいしかできねーのかと思ってたんだがよ」

 また余計な所でボルタがあおりを入れてくる。

「今度からボルタんの鍋だけ、穴広げて返してやるよ!」
「あんだとぉ!!」
「ええいっ!やめんかぃ!今大事な話をしとる所じゃろうに!」

 二人のけなし合いにたまりかねた村長が、今まで見せた事も無いような形相ぎょうそう叱責しっせきすると、二人の職人はすぐに押し黙った。

わしは全然偉くないのじゃよ、ほほ……』なんて言っていた村長だが、実際のところ村人たちはそんな風には全く思っていないのだろう。

 大人しくはなったものの、ボルタはやはり話の続きが気になるらしい。

「でもヒース殿、さっきも言ったが、弓じゃぁホブゴブリンを倒すのは無理だぜ?」
「いえ、ふと思い出した事がありまして……」
「お、記憶が戻ったのか?……まぁホブゴブリンを倒したヒース殿だし、何か妙案があるのかも知れんが……」

 そうは言いつつも、ボルタは少し怪訝けげんな面持ちだ。

「そうですね……わたしの記憶によるとですが……」


 自分で作った事は無い。しかしその考え方や仕組みはわかっている。
 俺は言葉を少し選んでこう続けた。



「ホブゴブリンを貫き、かつ誰にでも扱える弓が存在します」



 ここに居た全員が俺に視線を向けていた。
 しかしその時、俺の言葉に納得していた者は、誰一人として居なかった。





    ◆  ◇  ◇





<弓と矢>
 弓矢は、人類が狩りや獣から身を守るといった日常生活の中から生まれてきた。
 初めは手に持った石を投げる事から始まり、止めを刺す武器として石器、そして更に発展して槍が生まれた。そして槍を投げて使うようになると、今から10万年~6万年前の中期旧石器時代には投槍器アトゥルアトゥル(アトラトルとも)という武器が誕生する。てこの原理を使った武器で、近年の実験によると時速145kmを超える速さで射出する事が出来たそうだ。しかし世界各地で使われていたはずのこの武器はその後、投石器スリングや弓の登場によって駆逐され、アメリカ大陸以外では廃れていった。
 発見されているやじり(矢先部分)としては南アフリカ・シブドゥ洞窟から発見された約61000年以上前の骨製の矢が、現存する最古のものとされている。
 その後、オーストラリアを除く世界のあらゆる地域で弓と矢は使用されるようになり、地域によって様々な発展を遂げた。
 弓の分類法は様々だが、長さによる分類では主に短弓と長弓に分けられる。短弓は速射性に優れ騎馬民族を中心に世界各地で使われたが、長弓は貫通力に優れ、主にユーラシア大陸の東端と西端で発達した。
 長弓で最も有名なのはイングランドのロングボウと日本の和弓であろう。
 2つの弓は弓の長さという類似点こそあるが、それぞれの地域で独自に発展しており、その造りは全く異なっている。ロングボウがイチイかニレの木を使った単一素材の弓(単弓)であるのに対し、和弓は木と竹を組み合わせた合成弓コンポジットボウである。単弓に比べて合成弓は剛性・弾性が高く破壊力に勝る反面、構造が複雑な為、その作製やメンテナンスには多くの手間と時間が必要とされた。
 アメリカのドキュメンタリーチャンネルである、ナショナルジオグラフィックのある番組内で、全く同じ弦を引く重さドローウェイトのロングボウと和弓を科学的に比較する検証実験を行った事があった。それによると双方とも矢の発射速度は同じだったが、貫通力では和弓が勝っていた、という結果が出ている。

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