Wild Frontier

beck

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第一章

夜明け

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「体が……軽い」

 結局、何事も無く朝を迎えられた。

 今まであれほどの疲労感を感じた事が無かったので実際の所は良くわからないのだが、それにしても驚異的な回復力である。
 体力が回復したことと朝を迎えたことで、今後の対応を考える余裕が出来た。


 まずこの場所について。

(背の高い樹木に囲まれていて良くわからないが……おそらくどこかの山中だな)

 俺が今いる場所は比較的平らな場所ではあったが、少し遠くを見ると木々に覆われた斜面が周りを取り囲んでいたからだ。
 街中の公園などで無かったのは不幸中の幸いだった。
 どこともわからない土地で多くの人と遭遇するのはトラブルになる可能性が高い。

 しかも俺にはキャンプで鍛えた野外活動スキルがある。

(最悪山の中ここでなら、一年でも十年でも暮らしていけるな)

 この事実を理解した時点で、俺の不安のほとんどが解消された。
 もしかしたら不安を感じるよりも、これからどんな活動をしてやろうかという期待感で胸が一杯になっていたからかも知れない。

 目的がある人間というのはどんな環境にいても強いものだ。


 次にこの世界について。

 もちろん山の中に居るだけでは世界の全てを知ることは出来ないのだが、この体の持ち主──おそらく現実的にはもう、俺自身と言っても差し支えないと思うが──俺が持っている所持品から、この世界の概要をある程度予測する事は可能だ。

 服装については、明らかに日本人が着るようなものではなかった。
 雰囲気としては中世ヨーロッパで着られているようなものだろうか。

(ところどころ擦り切れているし、かなり長い間着られてきた感があるが──布地は丈夫そうだし、縫製もしっかりしている)

 間違いなく手による縫製で、機械で大量生産されたものではないようだ。

 あとは自分のものと思われる背嚢はいのう
 皮製でしっかりした作りなのだが、デザイン的には本当にシンプルなものだ。
 丁寧になめされてはいるが、塗装や装飾などは一切されていない。

 中に入っていた道具も確認してみたが、俺が使っていたようなキャンプ用品は無いものの、野外活動で必要と思われる品はある程度揃えられているようだった。


 また奥にしまわれていた巾着袋の中に、硬貨が数枚入っていた。

(貨幣の製造技術も中世──いや古代レベルか)

 元の世界の貨幣に見られるような緻密な絵柄はなかった。
 古銭などに見られるような素朴なデザインのものだ。
 もしかしたら文字や数字が書かれているかもと考えたが、いくら眺めてもその模様が持つ意味は理解できなかった。


 そして剣。

(キャンプ用に刃渡り20cm程度のナイフは所持していたけれど……これは)

 これほど本格的な剣を見たのは生まれて初めてだった。
 俺の知識の中では中世によく使われていたという事や、RPGなどでは必ず出てくる武器という程度の認識しかない。

 気になったので剣を抜いてみた。
 どう考えてもかなり重そうだったのだが──

(あ……れ? なんでこんな動きが出来るんだ!?)

 まるで映画に出て来る剣士のように、腕が勝手に動く。
 重さもそれほど感じないし、なんというかしっくりくるのだ。

(元の体の持ち主が使いこなしていたからなのか?)

 これならば単なる飾りではなく、実戦でも使えそうな気がした。


 最後に俺自身について。

 まず体格がかなり違うというのがすぐにわかった。
 足や腕の太さがそもそも違っている。
 ここに来る前の俺も同年代の平均からすると結構筋肉質で体力には自信があったのだが、この体はまるで武術家のように鍛えられていた。

 そして顔。まず手で顔を触って確認してみたものの、無精ひげが気になった以外は特に気になるところは無かった。

 荷物を探してみたが、鏡は無い。
 しかしふと思いついて剣を手に取り、手を切らないように服で剣の表面を磨いて覗き込んでみると……


「……これは……『俺』か?」



 なんとも不思議な感覚だった。


 そこに写っている人物は全くの別人ではなく、きっと『俺』自身だった。


 黒髪だが一見すると日本人に見え無さそうな顔の作りに、白めの肌。
 多分間違いなく自分自身なのだが、ほんの少し印象が違う。
 髭があるとか無いとかという問題ではなく、少しやつれた……というよりも少しだけ年を重ねた俺の姿という表現が最も適切だろうか。

 自分によく似た人間は世間に三人は存在するという話を聞いたことがあるが、目の前に見えるその『俺』は決してそっくりさんなどではない。
 時系列で並べられた成長アルバムがあるならば、その延長線にあって今後そこに貼られるであろう、未来の俺自身の姿のように見えた。

 もちろん自分の将来の姿など当然見たことはないが、雰囲気としてはよわい三十を超えたあたりだろうか。

 それでも俺はいきなり老けてしまったというショックよりも、自分の見た目が全くの別人ではなかったという、自己同一性アイデンティティの維持が出来る事実に心底安堵あんどしていた。


 一通り考えをまとめた所で、俺はこの場所から離れる準備を始めた。

 周りの状況から考えるに、このキャンプはあくまで一時的なものだろう。
 拠点を作るには荷物が身軽すぎるし、場所も良いとは思えない。

 きっと限界を迎えた体を休めるため最善を尽くしてなんとか確保した、仮の居場所だったのだろう。


 俺の意識が元の世界に戻るという確証もないし、この世界の誰かが俺の面倒を見てくれる保証もない。

 むしろ疲労困憊こんぱいの状況でこんな場所にキャンプを張って休んでいたという事実から考えて、この世界で俺が安心して住める場所がそれほど多く無いという可能性が高い。


 であるならば自分の居場所は自分で作るしかない。
 


 こんな異常な状況だというのに、俺の心は喜びに震えていた。

 様々な事実から考えて、ここが元の世界とは別世界なのはほぼ確実だ。

 知的好奇心は旺盛おうせいなほうなので、自分がなぜこんな状況に置かれてしまったのかも気になるところだし、元の世界に帰りたいという気持ちが無いわけでもない。
 もちろん置いてきてしまったかも知れないシロの事も……

 しかし──



(俺はまだ死にたくなんかない!)



 ここがどんな場所であっても生き抜こうと思う。
 意識が宿る前の俺自身もそう思っていたはずだ。

 そう心に決め、俺はこの場所を発つのだった。





    ◆  ◇  ◇





<鏡>
 自分自身の姿は自然界に存在するものでも確認する事が出来る。
 もっとも身近なものとしては雨後の水たまりなどであろう。もしかしたら遠い祖先である類人猿だった時代から、人類は水鏡に映った姿を自分として認識していたに違いない。
 そのため鏡はほとんど全ての古代文明でその存在を確認する事が出来る。
 最も古い例としてはトルコ中央部にあるチャタル・ヒュユク遺跡から出土したもので、紀元前6850年頃~前6300年頃の女性の副葬品として見つかった。黒曜石を丁寧に磨いて作られたものだが、黒曜石は非常に硬く、大きな傷を付けずに磨き上げるのは非常に困難なものだった。そういった高度な技術が既に石器時代に存在していたという事実は、発掘した考古学者達を大変驚かせた。
 金属製の鏡はエジプト文明では紀元前2900年頃、インダス文明では紀元前2800年頃~前2500年頃、中国文明では紀元前2400年頃~前1900年頃の斉家文化期に、それぞれの文明から独自に出現している。
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