黒獅子公爵の悩める令嬢

碧天

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 「戻ったか」



 バンっと重厚なオークの両開きの扉が勢いよく開く。

その重さを感じさせずに開け、歩く速度を落とさず部屋へ入って来た人はタルギス国ルニール王だ。

 デルヴォークにもデイヴェックの二人によく似た容姿で、早くに亡くなった彼らの父で自分の兄に代わり今の地位についた。

 その人好きする性格で、国民からも前王同様、支持は高い。

 それに本格的に剣を振らなくなった今でも適度に鍛えた体躯は、中年を感じさせない若々しさがある。



 「遅くに申し訳ありませんでした」

 「いや、起きていた。守備は?」

 「おそらく西の手の者、四人を捕らえました」

 「よくやった。キャセラック嬢は?無事か?」

 「……身柄は無事ですが……意識をなくしております」

 「何と」



 明け方に近い時間に目通りを頼んだ礼をし、デルヴォークは今回の事の報告をする。



 「それと気絶する前のキャセラック嬢の報告では刺青のある男がいたとありました……が、捕らえた者の中にはおりませんでした」

 「……逃げたか」

 「おそらく」

 「……いや、構わん。まずはキャセラック嬢の身柄が無事であれば。西はそれからだ。明日また詳細を報告しろ」

 「はい」

 「ご苦労」

 「ありがとうございます」



 ルニールとの話が切れたので、デルヴォークは退出をしようと踵を返したがその背にまた声が掛かった。



 「デル。話がある。座れ」



 王が自分を愛称で呼ぶ時は、王ではなく叔父として話すときだ。

 予想される良い話と悪い話はどちらであろうと考えを巡らせる。

 とにかく、座るしかないので長椅子へと向かう。

 自分のあとを追うように、向かいに座ったルニールは深く腰掛け足を組む。

 ちらりと扉の方へ手をやり従者へ下がる合図も送る。

 これで完全にこの部屋には二人きりとなり、ルニールの長い溜め息とともにそれは始まった。



 「……。お前の花嫁を決めようとしただけでこれか?」

 「…その様です」

 「だから幼い時に決めておけば……いや、言っても始まらん。とにかく花嫁決めは取り止める」



 おお。

 叔父の雰囲気からあまりいい話を期待していなかっただけに、今回の件でこのくだらない案件が片付くなら願ったりだ。

 向かいで目を瞑ったまま眉間を揉むルニールを見る。



 「……それが宜しいかと」

 「……で?お前はキャセラック嬢をどうするつもりだ?」

 「……どう…とは?」

 「まさか、傷物にしておいて知らぬ振りは出来んぞ」



 話の急展開にさすがのデルヴォークも付いていけず、眼を瞬かせる。

 今回の件は確かに大事になりかけはしたが、アリアンナも無事に戻り王家とキャセラック家で話し合いをもてばいいはずだ。

 それが、傷物?

 まさか自分一人が責を負うようにということなのか。

 全く想像をしていなかっただけに、デルヴォークが二の句を告げずにいるとまたもルニールが口を開く。



 「時にデルよ。随分久しい名で贈り物をしたようだな。あれは誰宛だ?」

 「…!」

 「古来より男が女性に身に付ける物を贈るのは好意の証だぞ」

 「いえ。…陛下。あれはそういった物ではなく、あくまでも彼女を応援する意味で」

 「だいたい、兄上達の不幸がなければさっきも言ったお前の婚約者は幼少にアリアンナ殿と決まっていたはずだ」

 「!?」



 自分の台詞を止めてまで聞くルニールの言葉にデルヴォークが固まる。

 向かいで困っている振りをしているが、明らかにルニールの表情が悪いものへと変わる。いや、正確には面白がっているのだろう。



 「今回の件、贈り物の件、婚約者だった件とアリアンナ殿とは三度目だ。……デル。お前がアリアンナ殿との婚約を発表すれば花嫁候補選抜の儀も取り止めてやる。その上、西との諸々全権をお前に委ねてもいい。さて。どうする?」

 「……どうする?と聞かれましても西とのことがあるから結婚はしないと言ったはずです。婚約者を持つことも全てが片付くまでは」

 「ならばそれはいつだ?」

 またもデルヴォークの言葉に食い気味にルニールが被せてくる。

 「お前の意思は十分理解している。では私の意思は理解しているか?お前の有事の際に相手を一人残したくはない気持ちは分かるが、俺はお前達がいてくれて有り難かったぞ」



 ルニールが言っているのはデルヴォークの両親が亡くなった時のことだ。

 そのことを持ち出されるとデルヴォークも弱いが、ここで引くわけにもいかない。

 愛する者とは別に妻や夫だけではなく、子や親や家族でも十分なり得ると言いたいのだ。愛する兄夫婦を亡くしても子に繋がっていればということだろう。



 「しかし、西が片付いてからでも遅いとこはないはずです。陛下が私に任せて下さるのであれば」

 「だからそれはいつだ?」



 ひたとルニールに射ぬかれてデルヴォークは口を閉じる。



 「俺が気付いていないと思ったか。デルヴォーク」



 デルヴォークは改めて視線をルニールに合わせる。



 「兄上達よりお前達を預かって、何度お前が危険な前線に行ったか覚えているか?俺は覚えているぞ。元服もそこそこに指揮を取りに何度も戦地へ向かうお前を止められたらといつも兄上達に謝っていた」



 デルヴォークは口を挟まず静かにルニールの話を聞く。



 「何も妻や子を絶対に持てとは言わん。ただ、お前の弟や叔父ではお前がここに留まる意義にはならんのだろう?……今でも兄上達のところへ行きたいのか?」



 思わず息をのんだ。

 両親の元へ行きたいなど自分で意識をしたことはなかったが、ルニールから指摘されればそうなのだろうか。

 生き急いだつもりはない。

 しかしそれがルニールを始め自分を取り巻く者達から見たら、死に急ぐように見えていたということなのだろう。

 はっきりと否定も出来ず、沈黙を深くするデルヴォークだ。



 「この際、お前がここに留まる重石を増やせればいいのだ。例え目にも止まらぬような小石とて構わん。……が、果たしてキャセラック嬢が小石で済むかどうか。ジョルトも面白い娘に育てたものだ」



 デルヴォークが黙っていることをいいことに、ルニールは一人話していく。

 話がまた元に戻ったことでデルヴォークも覚醒する。



 「……ですから、私の生き死ににキャセラック嬢を巻き込むのは」

 「構わん」

 「!」

 「キャセラックの承諾は得ている。元々王族に親が決めた婚姻を子どものお前が口を挟む権利は初めからない。が、俺は甥が可愛いからな。せめて気に入った小娘の一人や二人どうとでもする。それとも今からでもお前の為の後宮でも作ろうか?」

 「叔父上!」

 「だったらまずはキャセラック嬢を側に置け。王命にしてやる。婚約式は来月でもいい」

 「お待ちください、叔父上!」

 「何だ、不服か?ならば明日にでも」

 「分かりました!」



 この畳みかけるような契約の取り方は何なのだろうか。

 確実に追い込まれていることは十分わかる。

 ルニールはこんな腹黒い交渉術を持っていたのかと驚きもするが、周辺重鎮もキャセラック侯をはじめ食えないオヤジばかりである。



 「……キャセラック嬢は未だ目覚めておりません」

 「そうだな」

 「……話を」

 「ん?」

 「…………キャセラック嬢と話をさせて下さい」

 「よかろう!」



 満面の笑みで自分を見るルニールを見て、もう引き返せないことをデルヴォークは認めた。

 戦場でもこんな追い詰められ方をしたことはない。

 胸の奥を見えない手で握られた感覚を覚える。

 意識なく上を見れば、デルヴォークの目に重厚な天井画に描かれた女神の誕生が映った。


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