黒獅子公爵の悩める令嬢

碧天

文字の大きさ
上 下
39 / 59

38.

しおりを挟む
 
 「……やはり剣も使うか」

 「…はい」



 アリアンナの背後に剣を見たデルヴォークが言う。

 先日の砦に行くときにもサーシャとミシェルから持っていくのを嫌という程止められたので今更ということもないが、こうして改めて聞かれると令嬢らしからぬ事を知られるわけだが、それもまた今更というような気がしてくる。



 「ふ」



 (……また笑ってらっしゃるわ)



 「…いけませんか?……女が魔術や剣を使えるのは」



 淑女なら質問をすることはやってはいけないことだが……

 デルヴォークにはもう隠すことがないのである。

 家族のようにというと不敬に当たるが、取り繕うことをしなくてもいい感は否めない。

 なぜならデルヴォークにしてもこんな夜中に自ら出向いて来るのもいかがなものかと思うからだ。



 「いや、気分を害したならすまない。だが……実に貴女あなたは面白い」

 「……誉め言葉と受け取りますが?」

 「無論だ。貴女のようなご令嬢に会ったことがない」

 「……」



 でしょうね。とはさすがに言えなかった。

 アリアンナが勧めた椅子にデルヴォークが座るのを待って向かいに座る。

 本気でデルヴォークが花を届けに来ただけとは思わないが、口を開く気配がないので思い切って気になっていることを聞いてみる。



 「……なぜいつも窓から現れるのですか?」

 「む?……あぁ。先に貴女の魔術を見てしまったからな。俺も本当の姿を見せておあいこだと思ったんだ」

 「本当の姿ですか?」

 「……王子っていうのは外面で…王子って歳でもないが。普段はこうしてくだけた姿でいる。……怒られるがな」



 アリアンナは暫し目を見張った。



 普通に考えれば臣下の娘の失態など放っておけばよいものを、彼の中の正義感で対等にしてくれるなどおよそ王族とは思えない。

 改まった口調が崩れデルヴォークという人に更に親しみやすさを感じてしまう。

 アリアンナの目の前で、足を組んで深く腰を掛け、ゆったりと手を組んで寛ぎ自分に向ける困ったような笑顔にも、目が離せなくなる。

 こうしてデルヴォークに見つめられている自分も、見つめ返している自分も急にもの凄く恥ずかしくなってきて俯いてしまう。

 耳が熱くなっているのは気付かれていないだろうか。



 「その後体調は大丈夫だったか?」

 「はい」



 砦からの帰路は用意して貰った馬車で帰って来たアリアンナだったが、その道中眠ってしまいほとんど覚えていなかった。

 アリアンナからすればなまってしまった体力に反省をするところだが、それを知らぬデルヴォークにすれば無理をさせたと心配をしているのだろう。

 確かに自分の父が提案をしたとはいえ、何ともまぁ無茶な接見だった。

 それでもアリアンナが魔術を見せたことにより素の飾らない自分でいてもいい相手にデルヴォークがなったのは否めない。



 「……貴女が俺の妃になるつもりがないのは分かる。……俺の方から断りを入れようか?王立魔術学院への入学は取り消さずに」

 「!」



 ふいにデルヴォークの声の質が低くなった。

 それまで流れるような外面会話ではない、お互い気負いのない会話はたわいもないことを何ともなしに話していただけに、デルヴォークに視線を戻せば真剣な表情だ。

 確かに、こんな聞いてもいなかった花嫁候補になるつもりはないのだから「はい」と答えればいい。

 いいのは分かっているが、声にならない。ならない自分から出た言葉は意に反することだった。



 「……私は……今のままでも……大丈夫です」



 けれど今の自分が出来る素直な返事だ。

 何でこんなことを言ってしまったのか、むしろ自分の希望とは真逆の返事だが、こうして話している時間に嫌な気持ちはない。

 いや、自分が次々と見せた令嬢らしからぬ姿も笑い飛ばし、こうして時間を作って会いに来てくれたデルヴォークの心遣いは好感が持てる。

 であれば、王立魔術学院に行くという希望もあるが、父からの約束でもあるこの型破りな王子殿下の妃候補を続けてもいいと理由を探す。

 絞り出すように小さな声になってしまったが、デルヴォークに聞こえただろうか。



 「…そうか」

 「何か?」

 「いや。…次は必ず時間を守ろう。約束の品も急がせるとしよう」



 アリアンナの返事にデルヴォークが溜息を吐いたのを気付くはずもなく、ただ見つめる先に微笑むデルヴォークから目を離せない。

 あれほど欲しかった王立魔術学院の制服も今夜は上の空で聞いてしまう。



 「起こしてしまった上に居座ってしまって申し訳なかった。今更だが早く休まれよ」



 立ち上がるデルヴォークに合わせてアリアンナも立ち上がる。

 窓に向かって歩き始める背中についていく。



 「剣に魔術に…馬。貴女さえ良ければ遠乗りも今度してみないか?」

 「…はい」



 ははっと今度は声に出してデルヴォークが笑い、窓に手を掛けたままアリアンナを振り返る。



 「……貴女は本当にいいな…」



 デルヴォークの前に立つアリアンナは瞳が潤み、何も着飾ってなどいないが月明かりを浴びて輝き、流れる金の髪は絹の如き艶を放ち自分の鈍い緑ではない瞳は若葉に落ちた雫の宝石のように煌めいていて、すべてが儚く佇む姿がとても美しい。

 そんな美姿に反して、自分のやりたいことをはっきりと言う姿にも好感が持てた。

 他の裏を読まねばならない宮廷会話ではなく本心を語れる人だと、この細やかな会話から思えることが出来る。

 その気持ちがデルヴォークの手を意識なくアリアンナへ近付ける。



 触ふれられる。



 そう思ったが、デルヴォークの指先はアリアンナの頬に触ることはせず、そのまま握った拳を収め、無言で背を向けるとバルコニーから飛び降りる。

 アリアンナは急いで手摺りに駆け寄るが、こちらを振り返らず行ってしまったデルヴォークは闇に溶けて見つけることは出来なかった。



 ただ闇となってしまったところを見つめながら、徐々に触れられそうになった右頬が熱くなってくる。

 一気に心の距離を縮められたような気がして羞恥心も湧いてくる。

 だんだんと顔にも熱がともり両手で頬を抑える。

 耳に鼓動が響き心臓が耳になったようだ。

 こんなのは想定外もいいところで、自分で自分が分からなくなる。



 さすが国民の婦女子の皆様の憧れの的、恐るべし!



 次に会った時にどんな顔をすればいいのか!

 会う度自分だけ失態を晒しているような気がしてならない。

 取り繕うことがない相手とは取り繕えない相手なのだろうか。

 無駄に耳に響く鼓動を感じながら、アリアンナに今確実に分かっていることは今夜はもう眠れないだろうだけだった。
 


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

「君の為の時間は取れない」と告げた旦那様の意図を私はちゃんと理解しています。

あおくん
恋愛
憧れの人であった旦那様は初夜が終わったあと私にこう告げた。 「君の為の時間は取れない」と。 それでも私は幸せだった。だから、旦那様を支えられるような妻になりたいと願った。 そして騎士団長でもある旦那様は次の日から家を空け、旦那様と入れ違いにやって来たのは旦那様の母親と見知らぬ女性。 旦那様の告げた「君の為の時間は取れない」という言葉はお二人には別の意味で伝わったようだ。 あなたは愛されていない。愛してもらうためには必要なことだと過度な労働を強いた結果、過労で倒れた私は記憶喪失になる。 そして帰ってきた旦那様は、全てを忘れていた私に困惑する。 ※35〜37話くらいで終わります。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。 だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。 その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。

鶯埜 餡
恋愛
 ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。  しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

夫が寵姫に夢中ですので、私は離宮で気ままに暮らします

希猫 ゆうみ
恋愛
王妃フランチェスカは見切りをつけた。 国王である夫ゴドウィンは踊り子上がりの寵姫マルベルに夢中で、先に男児を産ませて寵姫の子を王太子にするとまで嘯いている。 隣国王女であったフランチェスカの莫大な持参金と、結婚による同盟が国を支えてるというのに、恩知らずも甚だしい。 「勝手にやってください。私は離宮で気ままに暮らしますので」

婚約者の側室に嫌がらせされたので逃げてみました。

アトラス
恋愛
公爵令嬢のリリア・カーテノイドは婚約者である王太子殿下が側室を持ったことを知らされる。側室となったガーネット子爵令嬢は殿下の寵愛を盾にリリアに度重なる嫌がらせをしていた。 いやになったリリアは王城からの逃亡を決意する。 だがその途端に、王太子殿下の態度が豹変して・・・ 「いつわたしが婚約破棄すると言った?」 私に飽きたんじゃなかったんですか!? …………………………… たくさんの方々に読んで頂き、大変嬉しく思っています。お気に入り、しおりありがとうございます。とても励みになっています。今後ともどうぞよろしくお願いします!

処理中です...