黒獅子公爵の悩める令嬢

碧天

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 「殿下!」

 現れた男は、アリアンナの弟、ジィルトだった。

 殿下と聞いて(やっぱり!)と思うが、色々後の祭りであることは、それはもう眩暈がする程分かっている。

 「ジィルトか」

 「申し訳ございません。姉が何かご迷惑をお掛け致しましたか?」

 「いや。……姉君はどうやら口が訊きけぬらしい」



 (ん?今、笑わなかった?!)



 「……は?」

 「まぁ、いい」

 そう言うと、殿下と呼ばれた男は元来た垣根の方に踵を返した。

 「お送り致します」

 「いや。構わなくていい」

 「…では後程」

 「あぁ」

 立ち去る背中にジィルトが声を掛けると、完全に姿を消した垣根から返事が返った。









 「……あーねーうーえー」

 完全に男の気配がなくなるまで見届けた途端、振り返りジィルトが恨みの声を上げる。

 「ほほ……ほ……」

 取り繕って精一杯微笑む。



 (最近、この笑い方、得意になってきたわね……)



 「何をされてるんですか」

 「……何も。お茶をしようとしていただけよ」

 そう、これは事実だわ。

 「何もせず、ただお茶をしようとしていたなら、なぜ小卓と椅子がそこに落ちているのですか?」

 えぇ、それも事実だわ。

 「……外でのお茶を用意しようとしていただけよ」

 これはもう、現在進行形の事実なのよ。

 「……それはもうただのお茶ではないですよね」

 いいえ、違うわ。

 「私にとってはただのお茶よ」

 何よ。その溜息……私の方がしたいじゃない!

 「……とにかく。家じゃないのですから、使うなとは言いませんが、時と場所と使い方を考えて下さい」

 全面的にジィルトが言っていることが正しいのは理解出来るので、反論も出来ない。

 「……以後、最善を尽くすと誓うわ」

 神妙に反省を込めて返事を返す。

 ジィルトはもう一度嘆息すると、詰襟を少し緩める。





 「因みに、今の方かたがデルヴォーク殿下ですよ」

 「……あの黒獅子くろじしとか言われてる?」

 「……姉上。と・か・ではございません。正真正銘、黒獅子殿下です」

 だから。溜息をやめて欲しいわ。

 「王都伝説かと思っていたわ」



 見事にアリアンナの予想は的中したが、答えを聞けば更に状況は悪化したかに思える。

 まさか国の権威、実質二位に当たるとは。

 ジィルト相手に軽口をききつつ、内心の動揺を悟られないようにする。



 「だから……。年初めの祝賀パーティーにも毎年いるじゃ……」

 「あら。見える位置に私が行くと思って?」

 「…………」



 食い気味にアリアンナから返事を返され、会話を諦めたジィルトは言葉を切る。

 確かに夜会自体にあまり出席しない姉だが、思い起こせば王家の挨拶や貴族の挨拶回りなど上手く両親から逃げている。というか、姿を消す。

 本当に夜会の最初の大事なところにしか居たためしがない。

 体調が悪くなったとかもあれば、ただ帰宅している時もあった。

 ……仮病だったのかと考えれば合点がいく。



 「そうですね。この後のち、王への謁見もありますし、くれぐれも失敗などされませんよう」

 送る言葉に嘆息を添える。



 ジィルト、年々表情が乏しくなるわね。というか、背景にブリザードが見えてよ?まだ、水しか使えないハズなのに……ところで、この子何か用があったのかしら。



 「ねぇ、何か用があったのではなくて?」

 「……今。お伝えしました」

 「謁見の事?そんな大舞台で失敗するほど錆びついてはいないわよ。私の猫の毛皮は、獅子にも匹敵する……」

 「たった今失敗なされたように思いますが。その毛皮とやらも被っていて結構ですが、相手は黒獅子だということをお忘れなきよう」

 今度はジィルトから食い気味に肯定をされる。

 「……確かに」



 弟に対し完璧な淑女の微笑みを浮かべたアリアンナだったが、はたと気付けば敵も獅子なら相討ちは覚悟しなければならぬのかとまた新たに静かな焦りを覚えた。


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