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ヘーグマン邸にて(4)
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神官たちの悪事を根こそぎ暴いても、その先の国を支える人間を失っては元も子もないとステファンは言ったらしい。
現在のボーデン王国で、ステファンは「闇の魔王」と呼ばれて恐れられている。王と対立すれば、たとえ勝利したとしても人々はいっそう恐怖の目を向けるだけだろう。そして、ステファンに与したカルネウスからも、人心は離れる。
『それではダメだ。カルネウスを失えば国は立ち行かなくなる』
力で争う覚悟などするなと続けたという。腐敗の大元がカルネウスでも裁けない相手だったと、わかった。そこまで力のある者が関わっているなら、もう一度、調べたいことがある。だから時間をくれとステファンは言ったそうだ。
「調べたいこと……?」
フランの呟きに、アマンダは頷く。
「あの日、あの山の周辺には誰がいたのか。警備をしていた者は誰か。何か見た者はいないか」
「あの日?」
「前の国王陛下、アンブロシウス七世が事故に遭った日……」
十八年前の……。
「不都合なことを、全て闇に葬れる者が相手だったとしたら、調べ直す必要があるって言ってたわ」
もちろん、当時も調べたのだ。けれど、何も出てこなかった。そして、ステファンは途中でどうでもよくなって、その時は投げ出してしまったようだとアマンダは続けた。
「さっきのヘーグマン伯爵夫人の話を聞いて思ったんだけど、今の国王陛下はあまり聞く耳を持たなかったみたいだし、いくら頭がよくても十歳の子どもには難しかったんでしょうね」
フランは黙って頷いた。
ステファンは、きっと、ひどく傷ついたのだ。最初から悪いと決めつけられて、話も聞いてもらえずに叱られて、実の兄に遠ざけられてしまったから……。それがあまりに悲しすぎたから、向き合い続ける力を失くしてしまったのだ。
どんなに心を強く持とうとしても、自分一人の力ではどうにもできないことがある。繰り返し否定され、心が死んでゆくような悲しさはフランもよく知っていた。
「時間が経ちすぎているから、調べると言っても簡単ではないでしょうけど……」
カルネウスに連絡を取り、アマンダの仲間とも情報を共有した。けれど、ヘーグマン邸の使用人や護衛についてフレドリカが言っていたように、十八年も前の末端の兵士の記録など、おそらく残っていない。その日、事故のあった山道付近の警備をしていた者を、今から探し出すことなど不可能に近いだろうとため息を吐いた。
「あの……」
ノイマン夫人が口を開き、アマンダは「あ」と呟いて夫人とエミリアに目を向けた。
「ごめんなさい。なんだか余計な話を……」
苦笑いを零したアマンダに「いいえ」と首を振って、ノイマン夫人はぎゅっと握り込んだ手を胸に押し当てた。大きく息を吸って、ふうっと吐き出すと、どこか自分でも信じられないような顔をして、こう言った。
「あの……、あの日……、陛下が事故にお遭いになったあの日、事故のあったグリプ山地で……、街道の入口を警備していたのは、オロフだと思います」
「え……っ」
アマンダとフラン、そしてエミリアも一斉にノイマン夫人を見た。
「オロフと、あなたのお兄様であるレンホルム少尉、他に二人の兵士が、交代で警備をしていたと……、事故のすぐ後で、オロフから聞いたんです……」
グリプ山地でがけ崩れが起きて、王の一行が谷底に落ちた。大変なことになったと顔を青くして、上官からの質問攻めにあってなかなか帰れなかったのだと、オロフ・ノイマンは言った。そのすぐ後でラーゲルレーヴ領の離宮に異動になったため、警備の責任を取らされたのだと夫人は思ったという。
「何年かで、また戻れるようにすると、レンホルム少尉が言ってくださって……。でも、その前にオロフはあんなことになってしまって……」
まさかそのマルクス・レンホルム少尉も先に命を落としていたなんて……。そう続けて、ノイマン夫人は目を閉じた。
「それは……、本当ですか。兄たちが……」
ごくりと喉を鳴らして、アマンダが聞いた。夫人は小さく、けれどしっかりと頷いた。アマンダの青い目が見開かれる。
「公爵は、それを知っているのですか」
「知らないと思います」
夫人は顔を上げて首を振る。
「事故のあった日に街道の警備をしていたことは、人に言わないほうがいいと、後からレンホルム少尉に言われたみたいで……。誰に言うつもりもありませんでしたが、オロフは、わざわざ私にも口止めしたのです」
「兄が……、どうして……」
青ざめるアマンダの顔を見ながら、フランは、何かがカチリと音を立てて隙間を埋めるのを感じた。
恐ろしい考えが、まるで黒い雨雲ように胸の中に広がってゆく。
(あの時……、どうしてって、思った……)
レンナルトと二人で、王都に向かうステファンを見送った時……。その時のレンナルトの声が耳によみがえる。ステファンが黒の離宮に遠ざけられたのは、神官たちにとって邪魔だったからだと話した後のひと言。
『あの事件の後は、誰も来なくなったし……』
『どうして来なくなったの?』
自分の声がその声に重なる。十二年前、四人の死者を出した襲撃事件の後、ステファンへの攻撃はピタリと止んだ。
『どうして、急に襲ってこなくなったの?』
『さあ、どうしてかな。ステファンが抵抗しないと思ったからかな』
レンナルトはそう答えた。あの時、フランはなんとなくスッキリしないものを感じた。
(でも、もし、狙っていた相手が……)
ステファンではなかったとしたら?
最初から、敵はオロフ・ノイマンを狙っていたのだとしたら……?
現在のボーデン王国で、ステファンは「闇の魔王」と呼ばれて恐れられている。王と対立すれば、たとえ勝利したとしても人々はいっそう恐怖の目を向けるだけだろう。そして、ステファンに与したカルネウスからも、人心は離れる。
『それではダメだ。カルネウスを失えば国は立ち行かなくなる』
力で争う覚悟などするなと続けたという。腐敗の大元がカルネウスでも裁けない相手だったと、わかった。そこまで力のある者が関わっているなら、もう一度、調べたいことがある。だから時間をくれとステファンは言ったそうだ。
「調べたいこと……?」
フランの呟きに、アマンダは頷く。
「あの日、あの山の周辺には誰がいたのか。警備をしていた者は誰か。何か見た者はいないか」
「あの日?」
「前の国王陛下、アンブロシウス七世が事故に遭った日……」
十八年前の……。
「不都合なことを、全て闇に葬れる者が相手だったとしたら、調べ直す必要があるって言ってたわ」
もちろん、当時も調べたのだ。けれど、何も出てこなかった。そして、ステファンは途中でどうでもよくなって、その時は投げ出してしまったようだとアマンダは続けた。
「さっきのヘーグマン伯爵夫人の話を聞いて思ったんだけど、今の国王陛下はあまり聞く耳を持たなかったみたいだし、いくら頭がよくても十歳の子どもには難しかったんでしょうね」
フランは黙って頷いた。
ステファンは、きっと、ひどく傷ついたのだ。最初から悪いと決めつけられて、話も聞いてもらえずに叱られて、実の兄に遠ざけられてしまったから……。それがあまりに悲しすぎたから、向き合い続ける力を失くしてしまったのだ。
どんなに心を強く持とうとしても、自分一人の力ではどうにもできないことがある。繰り返し否定され、心が死んでゆくような悲しさはフランもよく知っていた。
「時間が経ちすぎているから、調べると言っても簡単ではないでしょうけど……」
カルネウスに連絡を取り、アマンダの仲間とも情報を共有した。けれど、ヘーグマン邸の使用人や護衛についてフレドリカが言っていたように、十八年も前の末端の兵士の記録など、おそらく残っていない。その日、事故のあった山道付近の警備をしていた者を、今から探し出すことなど不可能に近いだろうとため息を吐いた。
「あの……」
ノイマン夫人が口を開き、アマンダは「あ」と呟いて夫人とエミリアに目を向けた。
「ごめんなさい。なんだか余計な話を……」
苦笑いを零したアマンダに「いいえ」と首を振って、ノイマン夫人はぎゅっと握り込んだ手を胸に押し当てた。大きく息を吸って、ふうっと吐き出すと、どこか自分でも信じられないような顔をして、こう言った。
「あの……、あの日……、陛下が事故にお遭いになったあの日、事故のあったグリプ山地で……、街道の入口を警備していたのは、オロフだと思います」
「え……っ」
アマンダとフラン、そしてエミリアも一斉にノイマン夫人を見た。
「オロフと、あなたのお兄様であるレンホルム少尉、他に二人の兵士が、交代で警備をしていたと……、事故のすぐ後で、オロフから聞いたんです……」
グリプ山地でがけ崩れが起きて、王の一行が谷底に落ちた。大変なことになったと顔を青くして、上官からの質問攻めにあってなかなか帰れなかったのだと、オロフ・ノイマンは言った。そのすぐ後でラーゲルレーヴ領の離宮に異動になったため、警備の責任を取らされたのだと夫人は思ったという。
「何年かで、また戻れるようにすると、レンホルム少尉が言ってくださって……。でも、その前にオロフはあんなことになってしまって……」
まさかそのマルクス・レンホルム少尉も先に命を落としていたなんて……。そう続けて、ノイマン夫人は目を閉じた。
「それは……、本当ですか。兄たちが……」
ごくりと喉を鳴らして、アマンダが聞いた。夫人は小さく、けれどしっかりと頷いた。アマンダの青い目が見開かれる。
「公爵は、それを知っているのですか」
「知らないと思います」
夫人は顔を上げて首を振る。
「事故のあった日に街道の警備をしていたことは、人に言わないほうがいいと、後からレンホルム少尉に言われたみたいで……。誰に言うつもりもありませんでしたが、オロフは、わざわざ私にも口止めしたのです」
「兄が……、どうして……」
青ざめるアマンダの顔を見ながら、フランは、何かがカチリと音を立てて隙間を埋めるのを感じた。
恐ろしい考えが、まるで黒い雨雲ように胸の中に広がってゆく。
(あの時……、どうしてって、思った……)
レンナルトと二人で、王都に向かうステファンを見送った時……。その時のレンナルトの声が耳によみがえる。ステファンが黒の離宮に遠ざけられたのは、神官たちにとって邪魔だったからだと話した後のひと言。
『あの事件の後は、誰も来なくなったし……』
『どうして来なくなったの?』
自分の声がその声に重なる。十二年前、四人の死者を出した襲撃事件の後、ステファンへの攻撃はピタリと止んだ。
『どうして、急に襲ってこなくなったの?』
『さあ、どうしてかな。ステファンが抵抗しないと思ったからかな』
レンナルトはそう答えた。あの時、フランはなんとなくスッキリしないものを感じた。
(でも、もし、狙っていた相手が……)
ステファンではなかったとしたら?
最初から、敵はオロフ・ノイマンを狙っていたのだとしたら……?
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