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ヘーグマン邸にて(3)
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その部屋は屋敷の裏側の、どちらかというと使用人エリアに近い位置にあった。造りも簡素で部屋そのものもこじんまりしている。エミリアが紹介した女性はフレドリカよりもだいぶ年上に見えた。老婦人と呼んでもいい年齢だ。
ゆったりとくつろいでいる様子から、使用人ではないように見える。かと言って客人とも違うようだ。
「ノイマン夫人にはエリオットのお手伝いをお願いしているの。ボタン付けとか、ランプの油の補充とか、細かい、ちょっとしたことなら、ノイマン夫人がやってくれるから」
元からいた使用人の一部と、黒の離宮から移ってきた人たち、合わせて三十人くらいの人が現在のヘーグマン邸で働いている。先代伯爵が存命の頃から比べたら使用人の数は半数以下に減ったけれど、社交的な行事を行わないので特に困ってはいないとエミリアは言った。ただ、以前はいた家政婦長がいなくなったため、エリオットの負担が増えた。エリオットの手をわずらわせるほどではないが、何か頼みたいことがある時に、ノイマン夫人の存在は助けになるのだと続けた。
「ノイマン夫人は、昔お世話になった人のお母様なのよ」
エミリアの話を聞いていたフランは、ふとその名前に聞き覚えがあることに気づいた。
(あ。ノイマンさんて……)
「あの……、そのお世話になった方というのは、オロフ・ノイマンという方ですか?」
「え? どうして知ってるの?」
「ステファンが……」
十二年前の事件について話してくれた時、ステファンからその名前を聞いた。唯一、犠牲になった兵士の名前。その名前を、ステファンはしっかりと、自分の胸に刻むように口にした。彼の家族はステファンを恨んでいるだろうという言葉とともに……。
フランは一つ呼吸をして「一回りも年上だったけれど、明るくて優しい人で、レンナルトが特に慕っていたと聞きました」とだけ言った。一昨日は、レンナルトと二人で墓に花を供えたことも伝えた。
ノイマン夫人ははしばみ色の目を見開き「まあ、お花を……」と囁いた。何度か瞬きを繰り返し、皺の目立つ目じりに浮かんだ涙をそっと拭いた。
夫人はオロフのたった一人の身内で、一人息子を失った彼女をフレドリカが呼び寄せて、一緒に暮らしているのだとエミリアは言った。
「夫人はオロフのお母さんなんだから、何もしないでってお願いしたんだけど、オロフはただの護衛兵で、仕える立場だったのだから、少しでも何かさせてくれって言って聞かないの……。それで、エリオットのお手伝いをお願いしているわけ」
「たいしたこともできないのに、こんなによくしていただいて……」
ノイマン夫人は深い感謝を湛えた目でエミリアを見つめた。身寄りを失った自分が安心して暮らせるのは、全てエミリアとフレドリカのおかげだと微笑む。
エミリアがフランとアマンダを紹介する。「ステファンのパートナーなの」と言われて、フランは頬が熱くなった。
「そして、こちらがアマンダ。レンホルム子爵家の令嬢で、ステファンやお兄様の力になってくれてるの」
「力になってもらおうとしてるのは、私たちのほうだけど……」
苦笑するアマンダに、ノイマン夫人が「レンホルム家……?」と驚いたように問い返した。
「レンホルム子爵家というと……、もしや、マルクス様のお身内の方ですか?」
「ええ。マルクスは私の兄です。一番上の……」
「その方は、今、どちらに……」
もうずいぶん前に亡くなったことをアマンダが告げると、夫人は痛ましそうに眉を寄せた。
「お亡くなりに……」
「兄をご存じなのですか?」
「直接ではないのですが、オロフが……、息子が、マルクス・レンホルム少尉の部下でしたので……」
黒の離宮の護衛兵に任命されるまでの数年間、オロフはマルクスと同じ部隊で国境や山岳地帯の警備に当たっていたという。
「とても、お世話になったと聞いています」
「そうでしたか……」
お互いに残念なことだったと、お悔やみの言葉を交わす。アマンダは、マルクスとは二十も年が離れているので、任務や同僚についての話は聞いたことはないのだと言った。
「兄が事故で他界したのは、私が八歳の時でしたし……」
十六年前、演習中に起きた不幸な事故で命を落とした。仲間の銃が暴発し、至近距離から弾を受けて即死だったと言った。
その時の調査を担当したのが、当時はまだ事務官の一人だったカルネウスで、軍の上官がおざなりな捜査で片を付けようとするのを、なぜそのような事故が起きたのか、銃の整備は誰がどのような手順で行い、誰がどう管理しているのかなど、かなりしつこく調べていたらしい。子どもながらに、真摯な役人だと感じたのを覚えていると言って笑った。
「カルネウスは、本物よ。私がラーゲルレーヴ公爵に従ったのは、カルネウスを失ってはいけないと公爵が言ったからなの」
ゆったりとくつろいでいる様子から、使用人ではないように見える。かと言って客人とも違うようだ。
「ノイマン夫人にはエリオットのお手伝いをお願いしているの。ボタン付けとか、ランプの油の補充とか、細かい、ちょっとしたことなら、ノイマン夫人がやってくれるから」
元からいた使用人の一部と、黒の離宮から移ってきた人たち、合わせて三十人くらいの人が現在のヘーグマン邸で働いている。先代伯爵が存命の頃から比べたら使用人の数は半数以下に減ったけれど、社交的な行事を行わないので特に困ってはいないとエミリアは言った。ただ、以前はいた家政婦長がいなくなったため、エリオットの負担が増えた。エリオットの手をわずらわせるほどではないが、何か頼みたいことがある時に、ノイマン夫人の存在は助けになるのだと続けた。
「ノイマン夫人は、昔お世話になった人のお母様なのよ」
エミリアの話を聞いていたフランは、ふとその名前に聞き覚えがあることに気づいた。
(あ。ノイマンさんて……)
「あの……、そのお世話になった方というのは、オロフ・ノイマンという方ですか?」
「え? どうして知ってるの?」
「ステファンが……」
十二年前の事件について話してくれた時、ステファンからその名前を聞いた。唯一、犠牲になった兵士の名前。その名前を、ステファンはしっかりと、自分の胸に刻むように口にした。彼の家族はステファンを恨んでいるだろうという言葉とともに……。
フランは一つ呼吸をして「一回りも年上だったけれど、明るくて優しい人で、レンナルトが特に慕っていたと聞きました」とだけ言った。一昨日は、レンナルトと二人で墓に花を供えたことも伝えた。
ノイマン夫人ははしばみ色の目を見開き「まあ、お花を……」と囁いた。何度か瞬きを繰り返し、皺の目立つ目じりに浮かんだ涙をそっと拭いた。
夫人はオロフのたった一人の身内で、一人息子を失った彼女をフレドリカが呼び寄せて、一緒に暮らしているのだとエミリアは言った。
「夫人はオロフのお母さんなんだから、何もしないでってお願いしたんだけど、オロフはただの護衛兵で、仕える立場だったのだから、少しでも何かさせてくれって言って聞かないの……。それで、エリオットのお手伝いをお願いしているわけ」
「たいしたこともできないのに、こんなによくしていただいて……」
ノイマン夫人は深い感謝を湛えた目でエミリアを見つめた。身寄りを失った自分が安心して暮らせるのは、全てエミリアとフレドリカのおかげだと微笑む。
エミリアがフランとアマンダを紹介する。「ステファンのパートナーなの」と言われて、フランは頬が熱くなった。
「そして、こちらがアマンダ。レンホルム子爵家の令嬢で、ステファンやお兄様の力になってくれてるの」
「力になってもらおうとしてるのは、私たちのほうだけど……」
苦笑するアマンダに、ノイマン夫人が「レンホルム家……?」と驚いたように問い返した。
「レンホルム子爵家というと……、もしや、マルクス様のお身内の方ですか?」
「ええ。マルクスは私の兄です。一番上の……」
「その方は、今、どちらに……」
もうずいぶん前に亡くなったことをアマンダが告げると、夫人は痛ましそうに眉を寄せた。
「お亡くなりに……」
「兄をご存じなのですか?」
「直接ではないのですが、オロフが……、息子が、マルクス・レンホルム少尉の部下でしたので……」
黒の離宮の護衛兵に任命されるまでの数年間、オロフはマルクスと同じ部隊で国境や山岳地帯の警備に当たっていたという。
「とても、お世話になったと聞いています」
「そうでしたか……」
お互いに残念なことだったと、お悔やみの言葉を交わす。アマンダは、マルクスとは二十も年が離れているので、任務や同僚についての話は聞いたことはないのだと言った。
「兄が事故で他界したのは、私が八歳の時でしたし……」
十六年前、演習中に起きた不幸な事故で命を落とした。仲間の銃が暴発し、至近距離から弾を受けて即死だったと言った。
その時の調査を担当したのが、当時はまだ事務官の一人だったカルネウスで、軍の上官がおざなりな捜査で片を付けようとするのを、なぜそのような事故が起きたのか、銃の整備は誰がどのような手順で行い、誰がどう管理しているのかなど、かなりしつこく調べていたらしい。子どもながらに、真摯な役人だと感じたのを覚えていると言って笑った。
「カルネウスは、本物よ。私がラーゲルレーヴ公爵に従ったのは、カルネウスを失ってはいけないと公爵が言ったからなの」
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