16 / 75
予兆(1)
しおりを挟む
城の中には泉の湧く部屋があった。これは魔法ではなく、城の裏にある山から湧き出るものが引かれているのだった。だから、どのみち水汲みの仕事は必要なかった。
泉は二つあって、片方からは冷たい水が、もう片方からは温かいお湯が湧いている。寝室のそばにある浴室にもこのお湯が来ていて、マットソンの屋敷では奥様でも滅多に入れなかったお風呂に、フランは毎日入ることができた。
さらに、泉の近くには綺麗な石が一つ生えていた。置かれているというよりも、生えているという感じの岩のような形の石で、絵本で見た水晶の結晶に似ている。二つの泉の間にある黒御影石の台座の上に載っていて、いつでもきらきらと七色に光っていた。
ステファンは時々その石を眺めて何か考えていた。
その日、泉の部屋から居間に戻ってきたステファンは、難しい顔でレンナルトに言った。
「ネルダールが、何か妙なことを始めたな」
ボリス・ネルダールはカルネウスの部下で、フランを迎えに来た時にカルネウスの後ろに立っていた男だ。フランを蔑むように見下ろして笑っていた。
「妙なこと? カルネウスの指示かな?」
「わからない」
「最近、王宮は忙しいね」
「ああ。何かあるな……」
街に行く用事があれば、少し様子を見てきてほしいとステファンは言った。自分も調べるつもりだが、ごく普通の街の様子がどうなっているか知りたいと言う。
「じゃあ、さっそく午後からフランを連れて、買い物に行ってこようかな」
レンナルトの言葉を聞いて、フランは本から顔を上げた。
馬車で半時ほどのところにあるレムナの街に行くのは、とても楽しい。レムナはラーゲルレーヴ郡の郡都で、とても賑やかなところだった。
ステファンがあまり一緒に行かないのは、少し残念だった。けれど、レンナルトは、以前「ステファンは一人で行くほうが速くていいんだよ」と説明していた。一人で、こっそり、一瞬だけ行くほうがいいのだと。
街に行く時、レンナルトは平民風の質素で目立たない服を着る。髪色の濃いレンナルトは、貴族だとわかると強い魔力があることを疑われるからだ。実際にレンナルトの魔力はかなり強いのだけれど、無駄に怖がられるのはいろいろ都合が悪いらしかった。
街に行くようになった頃、レンナルトに教えられて気づいたのだが、ボーデン王国では、ほとんどの人が茶色い髪をしている。ミルクティーのような淡い茶色や赤みの強い栗色など、色味も濃淡もさまざまだが、「茶色」と呼べる色合いに含まれる髪色がほとんどなのだ。
フランのような金色の髪はあまり見かけない。ステファンのような黒髪はさらに珍しく、明るい時間に街を歩くと、とても目立つのだとレンナルトは言った。
王族や上級貴族にはどういうわけか明るい髪色の者が多く、平民には濃い髪色の者が多いとも言っていた。
「ただでさえ黒い髪は目立つし、ステファンはあの通り、見た目が異様によすぎるからね。アルファだってこともすぐにバレる」
ラーゲルレーヴ領で黒髪のアルファと聞けば、誰でも闇の魔王を思い浮かべる。平民のふりをしていても、怖がる者は怖がる。だから、あまり明るい時間帯に、街には行かないのだと言っていた。
「行く時は、夜になってからか明け方に、こっそり、一瞬だけ」
レンナルトの説明を聞いて、フランはなんだか悲しくなった。そんなふうにステファンが怖がられなければならないことが悲しかった。
たまごと野菜を挟んだ雑穀パン、果物とミルクの食事を済ませると、レンナルトと一緒にレムナの街に出掛ける準備をした。
「じゃあ、行ってくるよ」
「行ってきます」
「フラン、迷子になるなよ」
前に一度、珍しいものに気を取られてはぐれてしまったことがある。
「気を付ける」
フランは少し頬を赤くして、真剣な顔で頷いた。
レンナルトに手伝ってもらって御者台に登る。本当は魔法で動かせるのだから、御者は必要ない。けれど、周囲の目があるのでレンナルトは必ず御者台で手綱を握った。
フランこそ、そこに乗る必要は全くなかったが、キャビンに一人で乗っているよりも、御者台に乗っているほうが楽しい。高いところから景色を眺め、風の匂いを嗅いだり空を眺めたりするのは気持ちがよかった。
泉は二つあって、片方からは冷たい水が、もう片方からは温かいお湯が湧いている。寝室のそばにある浴室にもこのお湯が来ていて、マットソンの屋敷では奥様でも滅多に入れなかったお風呂に、フランは毎日入ることができた。
さらに、泉の近くには綺麗な石が一つ生えていた。置かれているというよりも、生えているという感じの岩のような形の石で、絵本で見た水晶の結晶に似ている。二つの泉の間にある黒御影石の台座の上に載っていて、いつでもきらきらと七色に光っていた。
ステファンは時々その石を眺めて何か考えていた。
その日、泉の部屋から居間に戻ってきたステファンは、難しい顔でレンナルトに言った。
「ネルダールが、何か妙なことを始めたな」
ボリス・ネルダールはカルネウスの部下で、フランを迎えに来た時にカルネウスの後ろに立っていた男だ。フランを蔑むように見下ろして笑っていた。
「妙なこと? カルネウスの指示かな?」
「わからない」
「最近、王宮は忙しいね」
「ああ。何かあるな……」
街に行く用事があれば、少し様子を見てきてほしいとステファンは言った。自分も調べるつもりだが、ごく普通の街の様子がどうなっているか知りたいと言う。
「じゃあ、さっそく午後からフランを連れて、買い物に行ってこようかな」
レンナルトの言葉を聞いて、フランは本から顔を上げた。
馬車で半時ほどのところにあるレムナの街に行くのは、とても楽しい。レムナはラーゲルレーヴ郡の郡都で、とても賑やかなところだった。
ステファンがあまり一緒に行かないのは、少し残念だった。けれど、レンナルトは、以前「ステファンは一人で行くほうが速くていいんだよ」と説明していた。一人で、こっそり、一瞬だけ行くほうがいいのだと。
街に行く時、レンナルトは平民風の質素で目立たない服を着る。髪色の濃いレンナルトは、貴族だとわかると強い魔力があることを疑われるからだ。実際にレンナルトの魔力はかなり強いのだけれど、無駄に怖がられるのはいろいろ都合が悪いらしかった。
街に行くようになった頃、レンナルトに教えられて気づいたのだが、ボーデン王国では、ほとんどの人が茶色い髪をしている。ミルクティーのような淡い茶色や赤みの強い栗色など、色味も濃淡もさまざまだが、「茶色」と呼べる色合いに含まれる髪色がほとんどなのだ。
フランのような金色の髪はあまり見かけない。ステファンのような黒髪はさらに珍しく、明るい時間に街を歩くと、とても目立つのだとレンナルトは言った。
王族や上級貴族にはどういうわけか明るい髪色の者が多く、平民には濃い髪色の者が多いとも言っていた。
「ただでさえ黒い髪は目立つし、ステファンはあの通り、見た目が異様によすぎるからね。アルファだってこともすぐにバレる」
ラーゲルレーヴ領で黒髪のアルファと聞けば、誰でも闇の魔王を思い浮かべる。平民のふりをしていても、怖がる者は怖がる。だから、あまり明るい時間帯に、街には行かないのだと言っていた。
「行く時は、夜になってからか明け方に、こっそり、一瞬だけ」
レンナルトの説明を聞いて、フランはなんだか悲しくなった。そんなふうにステファンが怖がられなければならないことが悲しかった。
たまごと野菜を挟んだ雑穀パン、果物とミルクの食事を済ませると、レンナルトと一緒にレムナの街に出掛ける準備をした。
「じゃあ、行ってくるよ」
「行ってきます」
「フラン、迷子になるなよ」
前に一度、珍しいものに気を取られてはぐれてしまったことがある。
「気を付ける」
フランは少し頬を赤くして、真剣な顔で頷いた。
レンナルトに手伝ってもらって御者台に登る。本当は魔法で動かせるのだから、御者は必要ない。けれど、周囲の目があるのでレンナルトは必ず御者台で手綱を握った。
フランこそ、そこに乗る必要は全くなかったが、キャビンに一人で乗っているよりも、御者台に乗っているほうが楽しい。高いところから景色を眺め、風の匂いを嗅いだり空を眺めたりするのは気持ちがよかった。
11
お気に入りに追加
430
あなたにおすすめの小説
拾った駄犬が最高にスパダリ狼だった件
竜也りく
BL
旧題:拾った駄犬が最高にスパダリだった件
あまりにも心地いい春の日。
ちょっと足をのばして湖まで採取に出かけた薬師のラスクは、そこで深手を負った真っ黒ワンコを見つけてしまう。
治療しようと近づいたらめちゃくちゃ威嚇されたのに、ピンチの時にはしっかり助けてくれた真っ黒ワンコは、なぜか家までついてきて…。
受けの前ではついついワンコになってしまう狼獣人と、お人好しな薬師のお話です。
★不定期:1000字程度の更新。
★他サイトにも掲載しています。
出来損ないΩの猫獣人、スパダリαの愛に溺れる
斯波良久@出来損ないΩの猫獣人発売中
BL
旧題:オメガの猫獣人
「後1年、か……」
レオンの口から漏れたのは大きなため息だった。手の中には家族から送られてきた一通の手紙。家族とはもう8年近く顔を合わせていない。決して仲が悪いとかではない。むしろレオンは両親や兄弟を大事にしており、部屋にはいくつもの家族写真を置いているほど。けれど村の風習によって強制的に村を出された村人は『とあること』を成し遂げるか期限を過ぎるまでは村の敷地に足を踏み入れてはならないのである。
オメガ修道院〜破戒の繁殖城〜
トマトふぁ之助
BL
某国の最北端に位置する陸の孤島、エゼキエラ修道院。
そこは迫害を受けやすいオメガ性を持つ修道士を保護するための施設であった。修道士たちは互いに助け合いながら厳しい冬越えを行っていたが、ある夜の訪問者によってその平穏な生活は終焉を迎える。
聖なる家で嬲られる哀れな修道士たち。アルファ性の兵士のみで構成された王家の私設部隊が逃げ場のない極寒の城を蹂躙し尽くしていく。その裏に棲まうものの正体とは。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/bl.png?id=5317a656ee4aa7159975)
嫁側男子になんかなりたくない! 絶対に女性のお嫁さんを貰ってみせる!!
棚から現ナマ
BL
リュールが転生した世界は女性が少なく男性同士の結婚が当たりまえ。そのうえ全ての人間には魔力があり、魔力量が少ないと嫁側男子にされてしまう。10歳の誕生日に魔力検査をすると魔力量はレベル3。滅茶苦茶少ない! このままでは嫁側男子にされてしまう。家出してでも嫁側男子になんかなりたくない。それなのにリュールは公爵家の息子だから第2王子のお茶会に婚約者候補として呼ばれてしまう……どうする俺! 魔力量が少ないけど女性と結婚したいと頑張るリュールと、リュールが好きすぎて自分の婚約者にどうしてもしたい第1王子と第2王子のお話。頑張って長編予定。他にも投稿しています。
完結・オメガバース・虐げられオメガ側妃が敵国に売られたら激甘ボイスのイケメン王から溺愛されました
美咲アリス
BL
虐げられオメガ側妃のシャルルは敵国への貢ぎ物にされた。敵国のアルベルト王は『人間を食べる』という恐ろしい噂があるアルファだ。けれども実際に会ったアルベルト王はものすごいイケメン。しかも「今日からそなたは国宝だ」とシャルルに激甘ボイスで囁いてくる。「もしかして僕は国宝級の『食材』ということ?」シャルルは恐怖に怯えるが、もちろんそれは大きな勘違いで⋯⋯? 虐げられオメガと敵国のイケメン王、ふたりのキュン&ハッピーな異世界恋愛オメガバースです!
ふしだらオメガ王子の嫁入り
金剛@キット
BL
初恋の騎士の気を引くために、ふしだらなフリをして、嫁ぎ先が無くなったペルデルセ王子Ωは、10番目の側妃として、隣国へ嫁ぐコトが決まった。孤独が染みる冷たい後宮で、王子は何を思い生きるのか?
お話に都合の良い、ユルユル設定のオメガバースです。
次男は愛される
那野ユーリ
BL
ゴージャス美形の長男×自称平凡な次男
佐奈が小学三年の時に父親の再婚で出来た二人の兄弟。美しすぎる兄弟に挟まれながらも、佐奈は家族に愛され育つ。そんな佐奈が禁断の恋に悩む。
素敵すぎる表紙は〝fum☆様〟から頂きました♡
無断転載は厳禁です。
【タイトル横の※印は性描写が入ります。18歳未満の方の閲覧はご遠慮下さい。】
12月末にこちらの作品は非公開といたします。ご了承くださいませ。
近況ボードをご覧下さい。
若奥様は緑の手 ~ お世話した花壇が聖域化してました。嫁入り先でめいっぱい役立てます!
古森真朝
恋愛
意地悪な遠縁のおばの邸で暮らすユーフェミアは、ある日いきなり『明後日に輿入れが決まったから荷物をまとめろ』と言い渡される。いろいろ思うところはありつつ、これは邸から出て自立するチャンス!と大急ぎで支度して出立することに。嫁入り道具兼手土産として、唯一の財産でもある裏庭の花壇(四畳サイズ)を『持参』したのだが――実はこのプチ庭園、長年手塩にかけた彼女の魔力によって、神域霊域レベルのレア植物生息地となっていた。
そうとは知らないまま、輿入れ初日にボロボロになって帰ってきた結婚相手・クライヴを救ったのを皮切りに、彼の実家エヴァンス邸、勤め先である王城、さらにお世話になっている賢者様が司る大神殿と、次々に起こる事件を『あ、それならありますよ!』とプチ庭園でしれっと解決していくユーフェミア。果たして嫁ぎ先で平穏を手に入れられるのか。そして根っから世話好きで、何くれとなく構ってくれるクライヴVS自立したい甘えベタの若奥様の勝負の行方は?
*カクヨム様で先行掲載しております
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる