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【19】ー2

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「どうしたの、光くん?」
「あ、なんか、ワサビが……」 

 席を立って背中を向けると、ぐしゅりと鼻をかんだ。
 手の甲で涙を拭く。

 ちゃんと、汀の言った通りだったじゃないか。

 心で呟いて、自分の浅はかさを嗤った。また涙が零れ落ちて、緩い涙腺を情けなく思った。

「花粉かも……」

 ぐしゃぐしゃの顔をごまかしてリビングから逃げる。

 清正がいけないのだ。
 光を甘やかすから。
 だから、いつまでたっても涙腺が緩くて、すぐに泣いてしまう。

 いい大人になっても、光が泣くことを許す。みんな清正のせいだと、泣きながら思った。

 よりを戻して、朱里と汀と三人でここに住むために、清正はマンションを解約するのだ。
 どうするか考えておけと言われて、光は何を考えていたのだろう。

 ここに来いと言ってくれたのだと、すっかり勘違いしていた。

 棚に片付けられた汀のリュックが目に入る。古いリュックの代わりに汀の背中で揺れる、光が作った青いリュック。
 そのリュックと同じように、光は朱里のいた場所に収まるつもりでいたのだろうか。

 汀の誕生日の朝、自分がしたほんの小さな遠慮を思い出し、恥ずかしくなった。
 汀の母親代わりになれるかもしれないと、どこかで光は思っていたのだ。バカな思い上がりだ。

 敵わないと、初めから知っていたくせに。

 汀の母親も、清正の妻も、朱里しかいないと知っていたくせに。

 聡子の引っ越しは「お任せパック」というタイプで、運んで欲しいものを指示すればスタッフが梱包してくれるというものだった。
 光が手伝うことは何もなく、邪魔にならないように作業の様子を見ているしかなかった。

 木曜日に荷物を詰めて出発し、金曜日の朝には山形で荷解きをしながらそれぞれの場所に片付けてくれるという。
 ありがたいシステムだ。

 夕方帰宅した清正は、同じ引っ越し業者の「お急ぎパック」なるものを予約した。日曜の午後には作業に来てくれるらしい。
 それが済めば、二月中にマンションを解約できる。

 全てがトントン拍子。
 話が綺麗にまとまってゆく。

 それらを横で見ながら、物事の流れというのはこういうものなのだと光は思った。目に見えない力がどんどん背中を押してくれる。
 清正と朱里の復縁を、世の中の全てが応援しているように見えた。

 引っ越しのトラックが出発すると、明日の荷解きに立ち合うために聡子も急いで山形に発たねばならなかった。
 上沢の駅まで清正と汀と一緒に聡子を送りに行った。改札を抜ける聡子に光はぼんやりと手を振った。

 その帰り道、並んで歩きながら清正が言った。

「光の荷物もさっさと運べよ」

 光は急に歩けなくなった。
 先を行く清正と汀が、体験保育に行った幼稚園の前で園庭を指差して何か話している。
 街灯の下で、清正の言葉に汀がにこにこ笑って何度も頷いていた。嬉しそうに、何度もぴょんぴょん跳ねる。

「どうした、光。早く来いよ」
「ひかゆちゃん、みぎわと、よぉちえん……」

 離れて立つ二人に笑おうとして顔が歪んだ。
 ようやく一歩足を踏み出すと、今度は急に全速力で走りたくなった。
 驚いている二人を追い越して、光は逃げるように歩きなれた上沢の住宅街を走った。

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