惑いの森と勿忘の花

有村朔

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第四章

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ハクは困っていた。
あからさまに何かあったであろう二人は絶妙に距離を取りながらも互いを意識しているのが丸わかりなので、見ている方が気を遣う。厄介なのは二人ともそれを認めていないということだ。

何かあったのかと訊けば別に何もないと答えるし、かといって見て見ぬ振りして生活していると、ふとした拍子に事故が起きる。手と手が触れ合ってドキンみたいなベタな展開を地でいく二人なのだ。
はっきりいって目のやり場に困る。

(まるで初めて恋を知った子供みたいだ)

春太が悪いものに取り憑かれた時はどうなることかと思ったが、それからの日々は平和そのものだった。
負傷したヤナギが目を覚ましたのは悪夢の夜から丸三日後、その後しばらく熱が続いて、完全復活を遂げたのはつい昨日のことだ。

「心配かけてごめん師匠」

起きて歩けるようになった頃、ヤナギはハクに謝罪した。
あの時、本来であればヤナギは刺されるまでもなく春太を行動不能にすることが出来たはずだった。
様子がおかしければ一度距離をとって体制を整えよう、そう言っていたにも関わらずヤナギは強行した。
春太を傷つけたくないというヤナギの気持ちも分からなくはないが、さすがにヤナギが刺された時は動揺した。それでも、ヤナギのやろうとしていることが分かってしまった以上、ハクはそれに合わせるしかなかった。

「ヤナギ、何度も言うようだがその悪癖は直しなさい。自己犠牲は善じゃない。万が一にもヤナギがあの時本当に死んでしまったら、春太はもう二度と立ち直れなくなっていた。違うか?」

諭すように問いかける。
いつもだったらごめんなさいと謝罪の言葉が返ってくるところだった。だけど、その日は予想に反した答えが返ってきた。

「雪帆に出会えさえすれば、二度と立ち直れないなんてこともないだろう。俺は過去になるだけだ。俺が生きていようといまいと、どちみちいつかはあいつの方がここからいなくなるんだから」
「ヤナギ…おまえ…」
「師匠、俺のせいで随分無駄足食っちまった。先を急ごう。今って森のどのへんなんだ?」

ヤナギは焦っているようだった。
ハクには当初ヤナギの行動がまるで理解できなかった。ヤナギが春太に惹かれているのは間違いない。それは側から見ていても明らかで、疑いようも無かった。
引き留めようとするのなら話はわかる。
でも、ヤナギは逆なのだ。
早く春太を帰そうと焦っているように見える。
なぜ?と、ハクは不思議に思っていた。

それが今ようやくわかったような気がした。

(そうか、この子は恐れているのか)

いずれ来る別れなら、早い方が悲しみは少ない。
長く一緒にいればいるほど、想いは募り、別れは辛くなる。ヤナギには最初から春太を引き止めるつもりがないのだ。だから早く離れようとする。
これ以上好きになってしまわぬように。

(なんだかなぁ…)

ハクはずっとヤナギに対して思っていたことがあった。
ヤナギは自分に対して見切りをつけるのが早すぎる。他人を大事にしすぎるあまり、自分のことを蔑ろにしてしまうところがあった。

(春太と一緒にいれば少しは変わると思ったんだがな…)

かえってヤナギの悪癖に拍車がかかったような気もする。
人の思考を変えるというのはやはり難しいのだろうか。

(なにか、良いきっかけがあると良いのだけど…)

ハクは人知れず大きくため息をついた。

***

「ここらでちょっと休憩にしよう」

春太とヤナギ、そしてハクの一行は森の奥へと再び歩き始めていた。
あのひと騒動があったおかげで実はこの旅は大きく前進していた。
というのも、あの夢魔が逃げていったのは森の奥、まさに春太達の進行方向そのものだった。
敵を追いかけているうちに春太達はすでに森の中枢を超えていた。今は深部と呼ばれる森の奥地にちょうど足を踏み入れたところだ。

「ヤナギ、その、体調はどう?」

春太が遠慮がちにヤナギに尋ねると、ヤナギも目を合わせることなく大丈夫だと答える。
ここのところ、二人はずっとこの調子でギクシャクしながら会話をしていた。
少しは間に立つ身にもなってほしいものだ。
本当にもう勘弁してほしい。

「春太、ヤナギ、お昼にしようか」

ハクが先を歩く二人に声をかけると、二人は振り返り頷いた。どちらもどことなくホッとしたような顔をしている。

(まったく世話の焼ける…)

適当な場所に座り、昼用にヤナギが用意した弁当を広げる。

「ああもう、飯を急いで詰め込むなって何度も言ってんだろが」

春太がむせてるのを見てヤナギはすぐに水を手渡す。涙目になっている春太の背中をトントンと軽く叩きながら、「仕方ねぇな」とヤナギは笑っていた。

こういう光景を目にする時、ハクは春太が来てくれたことに感謝する。
春太がやって来るまでのヤナギはもっとギラついていた。一人で生きていく覚悟を決めたといえば聞こえはいいが、どちらかというと捨て鉢になっているような印象だった。どうせ自分には何もないからと諦めて、全てを投げ打っているかのような。ハクはそれが心配だった。

(あの子も随分と人らしくなったもんだ)

守るものが出来てヤナギは変わった。
前よりも感情が前に出るようになった。
自己犠牲精神で突き進むところは相変わらずだが、それも時間が経てば変わるのかもしれない。

あとは雪帆と春太がいつ再会を果たすのか、それにかかっている。

ヤナギがいい方向に変わってくれるのなら、そうして三人で穏やかに笑っていられるのなら、いっそこのままでいられたらいい。
ほんの少しでもそんなことを考える自分にハクは心の内で自嘲する。

(私は…師匠失格だな)

あの子達は前に進もうとしているのに、自分は何を考えているんだ。
ハクがそんな葛藤を繰り広げていると、ふと頭上に影が差した。
何気なく上を見上げると、その影はハクの方に段々と近づき大きくなっていく。

「え…?」

物凄い勢いで天から降ってきたその影はハクの目の前すぐのあたりにズドンと落ちてきた。

「師匠…!!」

ヤナギは即座に反応し、何もない空間から剣を取り出す。反射的に抜刀し、その切先を影の方に向けて伸ばそうとする。

「やめなさい、ヤナギ」

ハクの声にヤナギの動きがピタリと制止する。
春太はあっけにとられるばかりでその場に固まってしまっていた。
緊迫した空気が流れる。
ピンと張り詰めた空気、それを破ったのは今まさに空から落ちてきた黒い影の主だった。

「ハク様~!お久しぶりです!こんなところで会えるだなんて運命じゃないですか?ああ、本当、嬉しすぎる!会いたかったぁぁ!!」

フード付きの黒装束を身に纏ったその人物は予想に反して高い声で早口にそう捲し立てるとすっと手を伸ばしてハクに抱きついた。
そのまま顔をうずめるようにハクの真っ白な毛並みに擦り寄る。

何が起きたのか分からなくて、ヤナギも春太も思わず目を合わせた。
ようやく二人の存在に気が付いたのか、黒装束の人物はヤナギに向かって文句を言う。

「ちょっとそこのお兄さん、その物騒なもの引っ込めてくんない?」

ヤナギはハクに視線を向ける。
ハクが頷くのを確認して、ヤナギはようやく刀を鞘におさめた。

「ハク様もボディガードなんて雇うようになったんです?」
「いや、彼はそういうのじゃないよ。今はうちに住んでいる同居人だ」
「へえ、そうなんだ!」

明るくそういうと、彼か彼女かもわからないその人はハクから離れて立ち上がった。
フードをパサリと外すとヤナギと同じ三角耳がひょっこりと顔を出す。ただし、ヤナギの耳が白いのとは対照的にその色は鮮やかな赤色をしていた。

「ぼくはアサヒ。君の名前は?」

ヤナギは春太を庇うように後ろに下がらせた。警戒しているということを伝えるべく視線は決して外さない。

「ヤナギだ」

アサヒはやれやれと肩をすくめた。

「ハク様~ぼくは怪しい奴じゃないってちゃんと説明してよぉ。初対面でこんなに嫌われるとか傷つくんですけど」

アサヒはぷうと頬を膨らませてハクのもとにしゃがみ込む。

「ヤナギ、春太、本当に心配する必要はないよ。彼は私の甥だ」
「師匠の…?」

ヤナギはハクの言葉にようやく警戒を解いたが、やはりまだ胡散臭い物を見るような目でアサヒを見る。

「ちょっと、ぼくのことを疑うのはいいけどさ。君はハク様のとこにいる子なんでしょ?自分のご主人の言葉くらいは信用しなきゃダメなんじゃないの?」

正論なだけにヤナギも返す言葉がない。
黙り込むヤナギの代わりに声を上げたのは背中に隠れた春太だった。

「あの…」
「なーにぃー?」
「さっきからハク様ハク様って呼んでるけど、どうして?」
「様付けなのは何故かって話?」

アサヒに問われて春太は頷く。
アサヒはきょとんと首を傾げて当然のように返した。

「なぜって…聞いてないの?ハク様は我が国の先代国王の息子。現国王であるぼくのパパの弟さんだもん。そりゃえらい人にはそれなりの呼び方をするっしょ」

ねー?と言って、アサヒはハクに笑いかけるのだった。
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