カラマワリの兄弟

衣更月 浅葱

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エマの話

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昼休み、いつものように警察署内のウッドデッキに出たエマは、昼食のグラタンと共に同期を待っていた。
待っていてもギルバートは中々顔を出さなかったが、最近の彼の様子からすればそれも予想通りである。
警備課は自由だからね~、なんて軽口叩いては先に着いていた明るい彼が今では懐かしいくらいだ。

しばらく中庭の木々が風に揺られる景色を眺めていたエマだがそれにもいつしか飽き、か細い湯気が昇るグラタンにスプーンを入れることにした。噂好きの同期が喜ぶかと思い、吸血鬼の似顔絵の原画を借りてきたものの、出番はなしかもしれない。
マトリという特殊な環境に身を置くエマにとって、同期との食事こそ気の休まる憩いの時間でだったが、それも2週間前のこと。

「…エマちゃんわりい」

申し訳なさと覇気のなさが入り混じる弱りきった声にハッと顔を上げる。声以上に元気の消え失せた同期の顔にエマは苦く笑った。

酷くなっている。昨日よりくまが一段と濃い。
彼の顔から怪我が消えて安心できたのは、ほんの束の間の事だった。

「待ってもらってあれだけど、おれさ…まだあんま食う気しねーんだよね…」
「無理しなくていいよ。ね、座って」
「…」

渋々向かいに座ったギルバートは、ここ最近様子がおかし。
元々出会った頃からギルバートの顔色は悪かった。
血の気だけではない、顔には殴られたような痣、首には絞められたり噛まれた跡など、誰かにずっと暴力を振るわれているのは間違いないはずだが、聞いても本人ははぐらかし理由は分からないまま。
本人の性格こそ明るいが、見た目からなにかとこちらを心配にさせるのがエマの同期であった。
それが2週間ほど前からだろうか、顔色に血の気が戻り、終始はぐらかされ続けた怪我も彼からぱたりと消えたのだ。

その明らかな変化には当初、やっとなにかが解決したのだろうと内心安堵するエマだったが、後にそれは思い違いであったと気づかされる。

見た目こそ健全になった彼の中身は逆行してやつれだしたのだ。
あんなに口数が多かったのに、今では終始無言で思い詰めたような表情ばかり浮かべている。

彼が何を考えているのか、聞いても怪我の時と同様に答えてくれた試しはない。

「ギル、隊長から聞いたよ」

『隊長』の単語にビクッと大袈裟に肩を跳ねさせたギルバートを怪訝に思ったが、気にしないふりをしてエマは続ける。彼が話しやすいよう口調はなるべく普段通りを心がけていた。

「最近毎日夜間のパトロール出てるんでしょ?人の担当変わってまで出てるって急にやる気じゃん」
「あー…まあね。家にいても暇だからさ」
「へぇ~てっきり吸血鬼が見たさかと思った。マトリとか、そういう都市伝説系ギル好きだしさ」
「別に好きってわけじゃねーよ…」

そうは言うが、マトリの噂話をさんざんエマに繰り広げていたのは他でもないギルバートだ。マトリが顔を明かさないのはなにかある!と何度も熱心に語っていたのはエマの記憶に新しい。

何故顔を明かさないまま活動する決定を下したのか、エマはマトリの班員として直々に聞かされていた。

『市民の記憶には服用者による犯罪の恐怖が未だ深く刻まれている。刑事だろうが服用者の事実を元にお前たちを拒絶し、嫌悪する者はまだ多いだろう。身元を明かすことは憎悪の矛先になりかねない』と。
だがただの刑事がそれを知っているわけもなく、当然同期の前だろうと知らぬ存ぜぬと嘘を突き通すしかなかった。
その板挟みがどんなにやりづらかったことか。

「ね、ギルが好きだと思って借りてきたんだけど見てよ。じゃーん!吸血鬼事件の犯人の似顔絵。原画だから新聞のよりはっきりしてるでしょ」
「…っ」

広げた似顔絵に表情を変えた同期をエマは見逃さなかったが、その理由を知る由もなく、ただこの時は、食い入るように見つめる彼はこの話に興味があるのだとばかり思っていた。

「どう?こんなイケメン、パトロール中に見かけた?」
「いや、見てないな…」
「残念。やっぱ美化してんのかなぁ。
ね、最初見た時ちょっと思ったんだけど、これギルに似てなくもないと思うんだよね」
「…全然似てないよ」
「結構本気で言ってんの、似顔絵の顔にちょっと寄せてみてよ」
「…やだ」
「え~けちくない?この人みたいに涼しそうな顔してさ、ほら…」
「やめろよ!!」

バンッと叩かれたテーブルの上で食器が跳ねた。ウッドデッキ席で優雅に食事をしていた刑事たちも、何事かとこちらを振り返る。

ギルバートも怒るんだ。
声を荒げた彼を初めて見たエマは少し驚いたが、一番この状況に動揺しているのは当の本人だったようだ。

「わりぃ…」
「ごめんね、私もしつこかった」
「ううん、気遣わせてんのにもう…おれまじで変…」

絞り出すように言うギルバートはとうとう頭を抱えこんでしまう。相当憔悴しいているようだ。
彼を悩ませるのはなんなのか、聞いてもきっと答えてはくれないだろう。

彼と向かい合っていたエマは席を立つと、ギルバートの隣の椅子に座り直し小さくなった肩をさすってやる。俯く彼の表情は見えないが背中は小刻みに震えていた。

「こんなにすぐ怒んの、おれじゃない…」

うわごとのように言う。
なにを思い詰めているのかは分からないが、もう限界まできている。

「ねえ、ギル、疲れてるんだよ。毎日夜中のパトロール出てたら身体もたないって。休みなよ。もうクマすごいよ」
「…考えとくよ」
「そう言って聞かないでしょ?」
「ふは……」
「何がおかしいの」
「ううん。おかしくない。ただ、兄ちゃんとこの前同じやりとりしたから…」

首を振るギルバートは、

「なんでこんな時に喧嘩しかできねぇんだろ…おれさ、もう分かんねーんだわ。兄ちゃんのためだと思ってたけど、全部おれの独りよがりで。おれの幸せ全部あの人の負担でしかなくて、でもおれこのままじゃ駄目な気がして…」

堰を切ったようにあふれ出る言葉こそ支離滅裂だが、彼を悩ますのはどうも兄弟関係らしい。兄がいることすら初耳だったエマであったが、邪魔にならないよう静かに聞いていた。
そのまま話してくれればいいのにと淡い期待をするエマだったが、ギルバートはふいに我に返ったように顔を上げた。

「何言ってんだおれ…」
「好きに話してくれればいいじゃん。私もギルによく愚痴ってるんだしさ。何でも聞くよ」
「…」

途方にくれた顔に、もう一度声をかけるエマだったが、もう彼が話すのをやめたのは薄々感じ取っていた。
ギルバートの口が既に堅く結ばれているからだ。

昼休憩の終わりを告げる鐘の音がギルバートには助け舟に聞こえたことだろう。彼はすぐに立ち上がると、

「怒鳴っちゃってごめんな、エマちゃん…。心配してくれて嬉しいけど、おれ大丈夫だからさ」

そう言い残して足速に去っていった。



「ああ、エマ」

オフィスへと帰るエマに声をかけてきた警備課の隊長ルドルフは、エマと同じくに彼も憔悴しきったギルバートのことを気にかける一人であった。
以前、彼からエマは同期の好でギルバートの件を尋ねられたことがある。その時はさっぱりわからなかったが、先の
昼休みに手掛かりはあった。

彼を悩ませているのは、兄だ。ずっと存在を秘密にしていたことも関係があるのかもしれない。
警察になる前から知り合いだというルドルフは何か知っているのでは?
だが本題に入る前に彼はエマの持つ紙を指差した。

「なんだ?えらくでかい絵だな」
「これは吸血鬼事件の犯人の似顔絵です。ギル、こういうの好きかなって思って借りてきたんですけど…」

結果は大失敗。吸血鬼事件の話で元気になるどころかギルバートを怒らせて終わってしまった。
だが警備課の隊長として繁華街のパトロールを指揮しているルドルフには刺さったようだ。

「へえ、あの事件の犯人って顔割れてるのか?」
「え。新聞でいっぱい載ってるじゃないですか」
「あー、俺読み書き苦手なんだわ。新聞も眠くなるしで見てないね」

ルドルフが言うのも珍しい話ではなく、この街の識字率は出身で大きく異なり、文字を難なく読み書きできるのは貴族と裕福な商人くらいだ。貴族出身者がほとんどを占める刑事の捜査会議では当たり前のように文字が使われているが、平民であれば生活に必要な範囲が読めるか否かである。その格差がある以上、同じ警察でも刑事課と警備課では必要な学力水準が異なるが、必要最低限の読み書きができないと警備課にはなれないはずだ。
まさか新聞を読めないと言われるとは思わなかったが、その驚きはエマだが胸の内に留めておく。

一つ分かったことは、犯人の顔も気にしないままにパトロールを進めていた警備課はそもそも吸血鬼事件を信じていないのだということ。
エマが聞けば案の定だったようで、ルドルフは作り話だろ?信じるのはガキだよ、とけらけら笑っていたが、似顔絵を見た途端、異様なまでに顔をこわばらせ息を飲んだ。

「…なあ、これ、ギルに見せたのか?」
「はい、見せましたけど…」
「何か言ってたか?」
「特に何もー。ただ似てるって私がからかっちゃって、そしたら気に障ったみたいで」
「そうか…」

押し黙ったルドルフは難しい顔のまま少し考えこみ、重たそうな口を開いた。

「いやぁな、この似顔絵、ギルの兄貴なんだよ」
「え。え!?そうなんですか?!」
「ああ、アイツとは付き合いあってな、見間違えねぇよ。ギルが悩んでいたのはこのせいか…」

それでは吸血鬼と騒がれる服用者はギルバートの兄ということになる。エマと違って、この事件を全く信じていないルドルフは、似顔絵が知り合いの顔だというのに全く動揺を見せることはなかった。
それどころか、悔しそうに眉をしかめる。

「ひでぇいたずらする奴らがいたもんだな、死人の顔だからって好き勝手に使うなんてよ」
「…はい?」
「死んだんだ、ギルの兄貴。ギャングなんてロクでもねぇことしてたから、殺されたみたいでな。ギルはまだ小さかったんじゃないか」
「そ、それはおかしいです…」

エマは足元から悪寒が上ってくるのを感じていた。
さっきギルバートは何て言っていた、

「だってギル、この前お兄さんと喧嘩したって…」
「は?ギルバートがそう言ったのか!?」
「一瞬だけ、でも嘘を言ってる風には見えませんでした…」
「くそ、そんなの出来るわけねぇだろ、どうなってんだ!アイツ相当まいってんのか?!」
「分かんない、分かんないですけど!」

死人が生き返るとは到底思えないが、
ギルバートが嘘を言ったようにも思えない。

頭が真っ白になるエマ、困惑したようにルドルフも前髪を荒くかきあげている。
何が起こっているかは分からない。
だが、これらあり得ない事象を可能にする方法が、この街には一つ存在していることをエマは知っている。

ギルバートが本当のことを言っているのだとしたら、
もし死人が生き返っているのだとしたら、
死をも覆すほどの力を持つのが魔薬というもの。

この吸血鬼事件の犯人である服用者は、
死んだはずのギルバートの兄だ。
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