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ギルバートの話
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***
貴族街の中心であるこのルピシエ警察署は、周りの貴族屋敷に引けを取らない程豪華で煌びやかである。建物の大きさもそうだけど、何より理解出来ないのは庭園だ。なんでこんな無駄に広いのだろう。
大きな屋敷をすっぽり隠してしまう程の一面の緑はまるで森で、庭師によって木々から始まり花や芝生に至るまでを毎日のように手入れされているここには風情があるのかもしれないが、平民の感想はただの無駄遣いにしか見えない。だって、金出してまで育てるくらいなら全部刈っちゃえばいいのに。
と、税で贅を尽くした庭を一望できるのは食堂のデッキ席で。昼時の混み合う中でおれは1人、つまらなく頬杖をつきながらぼんやり思いついたのはどうでもいい愚痴なのだから、自分の小ささに気付かされた気がした。
ため息が出てくる。いちいちどうでもいいことに噛みつくのは睡眠不足のせいだろうか。それとも身体の重たさ?どこかに凭れていたいダルさがずっとのしかかっていた。
昼休みで賑わう警官たちの声にすら耳が痛い。
兄が他人を襲わなくていいよう腹を満たすと啖呵こそ切ったものの、自分の身体の中に巡る血が明らか足りていないのをなんとなしに感じていた。
お陰で立ちくらみや目眩なんていうのはすっかりお馴染みである。
いつか仕事に支障が出るだろうか。そうすると過保護な隊長がいちいち口を挟んで来る未来が目に浮かんだ時には気づけばため息が零れていた。
……なんか、だるいなあ。
憂鬱に苛まれながらも重たい瞼に逆らえずおれは目を瞑ることにした。視界を遮断した感覚の中で感じるのは、人の声と、秋の心地いい日差しと、それから首元のじくじくとした痛み……
「お待たせ~」
聞き覚えのある声にふと目を開くと、待っていた同期の姿があった。にこやかに手を振って駆けてくるエマは刑事課に所属している立派な刑事であり、おれと彼女は週に1度、共にランチをするのが習慣になっていた。ちなみにルピシエ市警察は2つの課で構成されており、もう1つはおれの所属する警備課と言う所だ。
こちらと違い花形部署で忙しいであろう彼女は、上司におつかい頼まれちゃってさあ~、なんて愚痴りながら向かいの椅子を引くのだが、腰かけるや否や途端におれをまじまじと見つめだす。
「え何?ちゃんとおれ聞いてるよ?」
「じゃなくて。顔色、なんか悪くない?」
ぎく、と小さく心臓が跳ねるのは、絶賛貧血さをひしひしと感じているからだ。だからおれは小首を傾げて別に?と至って平然に振る舞う。少しわざとっぽ過ぎたかもしれないが
「大丈夫よ?」
「そ?てかお昼は抜きなわけ?」
「あー…ま、ちょっとねー…」
流石は刑事というかそれともこれが女の勘ってヤツなのか。聞かれたくないやましい事を開口一番にズバズバ言い当てられてしまうものだから、言葉を濁しながら手元のコーヒーを手繰り寄せた。広いテーブルでおれみたく、肩身の狭そうにしていたそれはとっくに冷めて、苦味ばかりが強かった。
エマの見抜いた通り、ランチは頼んでいたかった。貧血による身体のダルさは空腹すら負けてしまうらしく、お陰で最近食欲が湧かないのだ。
ついこの前までは大盛りを頼んでいたのを知っているエマからしたら違和感でしかないだろう。
そんななのにどうしてランチに誘ったの?とか言われるかな。
鋭い彼女の追撃に身構えていたおれだったが、優しい彼女はそんな事よりも目の前のおれを心配してくれているらしく、自分の頬を指差して、
「ねえ、また怪我増えてるよ?本当、大丈夫なの?」
これまた痛い所に刺さるのだが。
「しょーがねーじゃん、仕事柄怪我しちゃうんだもん」
「そう言うけどさぁ。唇の傷がやっと治ったらまた別の所に怪我作ってんじゃん」
「刑事課と違ってうちは人遣い荒いんだって。頭使えないから身体使うしかねーの」
物言いたげな彼女に苦く笑う。エマはやはり勘がいいから、それだけでおれがこの話を終わらせたがっているのを察してくれたのだと思う。それ以上踏み込まれることはなかった。
唇の傷も、エマの言う顔の傷も全て兄との口論の果てに出来たものだ。でも兄にやられたなんて言いたくなくて、おれは仕事のせいだといつも彼女に嘘をつく。エマの様に刑事であれば怪しまれる程に度重なる怪我も、要人護衛として貴族の盾となるのが主な仕事の警備課であれば自然な事だ。片や体力勝負、片や頭脳派の花形にある違いは仕事の役割以上に確固たる差である。
それこそ、身分社会の縮図の様なものが。
高い志を持つ貴族出身者が大半の刑事課にとって警備課というのは、金に目が眩み危険の伴う仕事を選んだ利己的で賎しい存在に見えるのだと思う。彼らは警備課を見下し、金の有難みを知っている警備課は生まれながら恵まれている刑事課に対し卑屈になる、そういう構図が常だ。
でもそんな差を全く気にしていない珍しいタイプが、目の前のエマ。だからこそ、マフィアの兄がいると後ろ指立たれていたおれ相手ですら分け隔てなく接し、未だに同期として対等に扱ってくれているのだと思う。今でこそ習慣づいたランチも、最初に誘ってくれたのは彼女だった。
…だから、そんな人格者な彼女に探りをいれるようなことをするのは正直気が引ける。こんな事の為に同期の好を利用するのは申し訳ない。でもおれがもつ唯一の刑事課へのパイプもまた、彼女しかいないのだ。
ぐっ、とテーブルの下で拳を強く握り決意を固める。運ばれてきたパスタを嬉しそうに頬張る彼女に聞く。
彼女と同じくマトリもまた、刑事課の人間だ。
「そういえば、マトリってさぁ…」
なんとなしに話題を振ってみる。
優しいエマを利用して内部事情を盗み聞く事にまだ残っていたらしい良心が痛みながら。
貴族街の中心であるこのルピシエ警察署は、周りの貴族屋敷に引けを取らない程豪華で煌びやかである。建物の大きさもそうだけど、何より理解出来ないのは庭園だ。なんでこんな無駄に広いのだろう。
大きな屋敷をすっぽり隠してしまう程の一面の緑はまるで森で、庭師によって木々から始まり花や芝生に至るまでを毎日のように手入れされているここには風情があるのかもしれないが、平民の感想はただの無駄遣いにしか見えない。だって、金出してまで育てるくらいなら全部刈っちゃえばいいのに。
と、税で贅を尽くした庭を一望できるのは食堂のデッキ席で。昼時の混み合う中でおれは1人、つまらなく頬杖をつきながらぼんやり思いついたのはどうでもいい愚痴なのだから、自分の小ささに気付かされた気がした。
ため息が出てくる。いちいちどうでもいいことに噛みつくのは睡眠不足のせいだろうか。それとも身体の重たさ?どこかに凭れていたいダルさがずっとのしかかっていた。
昼休みで賑わう警官たちの声にすら耳が痛い。
兄が他人を襲わなくていいよう腹を満たすと啖呵こそ切ったものの、自分の身体の中に巡る血が明らか足りていないのをなんとなしに感じていた。
お陰で立ちくらみや目眩なんていうのはすっかりお馴染みである。
いつか仕事に支障が出るだろうか。そうすると過保護な隊長がいちいち口を挟んで来る未来が目に浮かんだ時には気づけばため息が零れていた。
……なんか、だるいなあ。
憂鬱に苛まれながらも重たい瞼に逆らえずおれは目を瞑ることにした。視界を遮断した感覚の中で感じるのは、人の声と、秋の心地いい日差しと、それから首元のじくじくとした痛み……
「お待たせ~」
聞き覚えのある声にふと目を開くと、待っていた同期の姿があった。にこやかに手を振って駆けてくるエマは刑事課に所属している立派な刑事であり、おれと彼女は週に1度、共にランチをするのが習慣になっていた。ちなみにルピシエ市警察は2つの課で構成されており、もう1つはおれの所属する警備課と言う所だ。
こちらと違い花形部署で忙しいであろう彼女は、上司におつかい頼まれちゃってさあ~、なんて愚痴りながら向かいの椅子を引くのだが、腰かけるや否や途端におれをまじまじと見つめだす。
「え何?ちゃんとおれ聞いてるよ?」
「じゃなくて。顔色、なんか悪くない?」
ぎく、と小さく心臓が跳ねるのは、絶賛貧血さをひしひしと感じているからだ。だからおれは小首を傾げて別に?と至って平然に振る舞う。少しわざとっぽ過ぎたかもしれないが
「大丈夫よ?」
「そ?てかお昼は抜きなわけ?」
「あー…ま、ちょっとねー…」
流石は刑事というかそれともこれが女の勘ってヤツなのか。聞かれたくないやましい事を開口一番にズバズバ言い当てられてしまうものだから、言葉を濁しながら手元のコーヒーを手繰り寄せた。広いテーブルでおれみたく、肩身の狭そうにしていたそれはとっくに冷めて、苦味ばかりが強かった。
エマの見抜いた通り、ランチは頼んでいたかった。貧血による身体のダルさは空腹すら負けてしまうらしく、お陰で最近食欲が湧かないのだ。
ついこの前までは大盛りを頼んでいたのを知っているエマからしたら違和感でしかないだろう。
そんななのにどうしてランチに誘ったの?とか言われるかな。
鋭い彼女の追撃に身構えていたおれだったが、優しい彼女はそんな事よりも目の前のおれを心配してくれているらしく、自分の頬を指差して、
「ねえ、また怪我増えてるよ?本当、大丈夫なの?」
これまた痛い所に刺さるのだが。
「しょーがねーじゃん、仕事柄怪我しちゃうんだもん」
「そう言うけどさぁ。唇の傷がやっと治ったらまた別の所に怪我作ってんじゃん」
「刑事課と違ってうちは人遣い荒いんだって。頭使えないから身体使うしかねーの」
物言いたげな彼女に苦く笑う。エマはやはり勘がいいから、それだけでおれがこの話を終わらせたがっているのを察してくれたのだと思う。それ以上踏み込まれることはなかった。
唇の傷も、エマの言う顔の傷も全て兄との口論の果てに出来たものだ。でも兄にやられたなんて言いたくなくて、おれは仕事のせいだといつも彼女に嘘をつく。エマの様に刑事であれば怪しまれる程に度重なる怪我も、要人護衛として貴族の盾となるのが主な仕事の警備課であれば自然な事だ。片や体力勝負、片や頭脳派の花形にある違いは仕事の役割以上に確固たる差である。
それこそ、身分社会の縮図の様なものが。
高い志を持つ貴族出身者が大半の刑事課にとって警備課というのは、金に目が眩み危険の伴う仕事を選んだ利己的で賎しい存在に見えるのだと思う。彼らは警備課を見下し、金の有難みを知っている警備課は生まれながら恵まれている刑事課に対し卑屈になる、そういう構図が常だ。
でもそんな差を全く気にしていない珍しいタイプが、目の前のエマ。だからこそ、マフィアの兄がいると後ろ指立たれていたおれ相手ですら分け隔てなく接し、未だに同期として対等に扱ってくれているのだと思う。今でこそ習慣づいたランチも、最初に誘ってくれたのは彼女だった。
…だから、そんな人格者な彼女に探りをいれるようなことをするのは正直気が引ける。こんな事の為に同期の好を利用するのは申し訳ない。でもおれがもつ唯一の刑事課へのパイプもまた、彼女しかいないのだ。
ぐっ、とテーブルの下で拳を強く握り決意を固める。運ばれてきたパスタを嬉しそうに頬張る彼女に聞く。
彼女と同じくマトリもまた、刑事課の人間だ。
「そういえば、マトリってさぁ…」
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