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ギルバートの話
03
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兄は人の生き血を啜って生きている。
人が食事を必要とするのと同じで、兄は生きる為に他人の血を必要とする身体となってしまった。
これが魔薬の力に頼ってまで運命を歪めた代償なのだろうか。
魔薬とは、違法薬物に指定された謎の多い代物で、服用しただけで超人的な力を授けるまるで魔法のような薬である。
その効力は千差万別で、炎を自在に操る者もいれば時を止める者もいる。
夢のような話だがこれが現実になると笑い話にもならなくて。神の御業だと崇める連中すらいるようだがおれには分かる、あれは人を人ならざるものに変えてしまう悪魔の薬だ。
故にこの街では服用が一切禁止されており、服用者には最も重たい刑が処される。
…だけど、服用者になってしまえば敵無し、誰がこんな抗力のない法を守るだろうか?
警察として様々な事件を目にしてきても、魔薬の服用者による犯罪とその悲劇は別格だった。災害、虐殺、暴虐、蹂躙…どんな言葉も当てはまらない程残虐で非道的だった。
…そんな人の欲を浮き彫りにする程の悪魔の力が兄にもたらしたのは、恩恵だったのだろうか、それとも呪いだっただろうか。
ふと目が覚める。
いつの間にかソファーの上で寝ていたようで、見慣れた天井でファンが回っていた。
おれは何をしていたんだっけ。
寝起きでモヤのかかる頭は浮遊感すら感じているのに全身が鉛のように重たくてダルい。
そして首元が熱くてじくじく痛む。
このお馴染みの感覚、兄に血を与えたまま貧血を起こしたのだろう。
知らずにかかっていたブランケットと共に体を起こすと、足元の方に兄が座っていた。つまらなそうに頬杖をついてテレビを眺める兄は、目覚めたおれにちらと視線だけ向け、紫煙を吐く。
「ああ、起きたか」
「兄ちゃん」
「ん」
声だけで返事する兄の横顔が先程と比べ血色づいていて少し安心した。
ただ、この顔色になるまでに最初は数滴の血だけでよかったはずだ。それがいつからかスプーン1杯、コップ1杯、ボトルいっぱい、今ではもう、おれ1人分の血ではまかないきれなくなってきている。それどころかおれが止めないと兄は他人の血すら吸い出す始末だ。
…それがおれには、兄が人から離れていっているように思えて恐ろしかった。
『こんな粉薬にこの街の秩序が脅かされるとは誰が予想出来ただろうか』
テレビの音にドキリと悪寒が走る。
兄の見ているテレビの中で、この街の警察署長、マリウス・アーサー・バーネットがまたあの演説をしていた。
家でも上官の顔を見る事になるなんて憂鬱な気分になるがそれ以上に気分が悪いのは、おれの心を見透かした様にあの"魔薬取締班"を結成した時の映像じゃないか。
どうしてこんなの見てるの、と聞くのは気が引けた。おれとのさっきの喧嘩を気にしているとはとても思えないけど、でも兄の事だから聞いたらすぐにチャンネルを変えてしまいそうな気がして。
おれもまた兄に倣って静かにテレビを眺めていた。
『魔薬とは服用しただけで奇跡の力を得る未知の薬だ。かつての人間が神によって与えられた火と同じように、我々を高めるものとなったであろう。
だが、この第二の火は忌まわしきものとして我々の歴史に刻まれた。これは人に、秩序に抗わせ正義すら揺るがす悪魔の薬だ』
何度このフレーズを聞いただろう。
市民街ではお馴染みの、途切れ途切れの電波でも内容が分かる程におれの脳裏に焼き付いている言葉だ。
この後、署長の口から魔薬と服用者を撲滅するためだけに設立された魔薬取締班が発表される。
今では短くマトリと呼ばれるその組織は名前の通りに魔薬を取り締まる為に、警察自らが魔薬を服用した異端の組織だ。
スピーチで署長は平然と語ってるが、この街から魔薬と、それに連なる人ならざる力を得た悪魔を徹底的に排除する為に自身の部下達も悪魔にさせた事に違いないのだから、彼こそが本物の悪魔である。
刑事罰だけではなんら抑止力にならなかった服用者へ、この署長は毒を以て毒を制す手段に出たのだ。
そんな異質な警察組織のマトリは驚くべき功績を上げ続けた。今まで為す術もなかった服用者達を次々と検挙し、抑止力としては充分すぎる働きを修めている。構成員も警察内部ですら明かされていない程の極秘ぶりだが、どんな効力をその身に宿そうと、彼らの前では服用者すら手も足も出ないらしい。
だからこうも、見たくもない発表会見が今も尚放送されている。それほどまでに彼らが英雄視されている証拠だ。確かに、今まで服用者に怯え続けていた人々にとって彼らは唯一の期待だろう、署長の声を覆い隠すほどの拍手の量がそれを物語っている。
……でも兄にとっては?
どんな気持ちで兄がこのニュースを見ているのかおれには分からない。少しも変わらない表情から少しも読み取れなかった。
だが生きる為に他人の生き血を啜る兄にとってマトリは最も危険で命を脅かす存在に他ならない。兄の存在が発覚すればまずマトリは黙っていないのだから。
兄は終始無表情だった。ただ、拍手に包まれたマリウス署長が降壇するまでの間、兄はテレビから目を話すことは無かった。
それがとても、おれの記憶に焼き付いている。
人が食事を必要とするのと同じで、兄は生きる為に他人の血を必要とする身体となってしまった。
これが魔薬の力に頼ってまで運命を歪めた代償なのだろうか。
魔薬とは、違法薬物に指定された謎の多い代物で、服用しただけで超人的な力を授けるまるで魔法のような薬である。
その効力は千差万別で、炎を自在に操る者もいれば時を止める者もいる。
夢のような話だがこれが現実になると笑い話にもならなくて。神の御業だと崇める連中すらいるようだがおれには分かる、あれは人を人ならざるものに変えてしまう悪魔の薬だ。
故にこの街では服用が一切禁止されており、服用者には最も重たい刑が処される。
…だけど、服用者になってしまえば敵無し、誰がこんな抗力のない法を守るだろうか?
警察として様々な事件を目にしてきても、魔薬の服用者による犯罪とその悲劇は別格だった。災害、虐殺、暴虐、蹂躙…どんな言葉も当てはまらない程残虐で非道的だった。
…そんな人の欲を浮き彫りにする程の悪魔の力が兄にもたらしたのは、恩恵だったのだろうか、それとも呪いだっただろうか。
ふと目が覚める。
いつの間にかソファーの上で寝ていたようで、見慣れた天井でファンが回っていた。
おれは何をしていたんだっけ。
寝起きでモヤのかかる頭は浮遊感すら感じているのに全身が鉛のように重たくてダルい。
そして首元が熱くてじくじく痛む。
このお馴染みの感覚、兄に血を与えたまま貧血を起こしたのだろう。
知らずにかかっていたブランケットと共に体を起こすと、足元の方に兄が座っていた。つまらなそうに頬杖をついてテレビを眺める兄は、目覚めたおれにちらと視線だけ向け、紫煙を吐く。
「ああ、起きたか」
「兄ちゃん」
「ん」
声だけで返事する兄の横顔が先程と比べ血色づいていて少し安心した。
ただ、この顔色になるまでに最初は数滴の血だけでよかったはずだ。それがいつからかスプーン1杯、コップ1杯、ボトルいっぱい、今ではもう、おれ1人分の血ではまかないきれなくなってきている。それどころかおれが止めないと兄は他人の血すら吸い出す始末だ。
…それがおれには、兄が人から離れていっているように思えて恐ろしかった。
『こんな粉薬にこの街の秩序が脅かされるとは誰が予想出来ただろうか』
テレビの音にドキリと悪寒が走る。
兄の見ているテレビの中で、この街の警察署長、マリウス・アーサー・バーネットがまたあの演説をしていた。
家でも上官の顔を見る事になるなんて憂鬱な気分になるがそれ以上に気分が悪いのは、おれの心を見透かした様にあの"魔薬取締班"を結成した時の映像じゃないか。
どうしてこんなの見てるの、と聞くのは気が引けた。おれとのさっきの喧嘩を気にしているとはとても思えないけど、でも兄の事だから聞いたらすぐにチャンネルを変えてしまいそうな気がして。
おれもまた兄に倣って静かにテレビを眺めていた。
『魔薬とは服用しただけで奇跡の力を得る未知の薬だ。かつての人間が神によって与えられた火と同じように、我々を高めるものとなったであろう。
だが、この第二の火は忌まわしきものとして我々の歴史に刻まれた。これは人に、秩序に抗わせ正義すら揺るがす悪魔の薬だ』
何度このフレーズを聞いただろう。
市民街ではお馴染みの、途切れ途切れの電波でも内容が分かる程におれの脳裏に焼き付いている言葉だ。
この後、署長の口から魔薬と服用者を撲滅するためだけに設立された魔薬取締班が発表される。
今では短くマトリと呼ばれるその組織は名前の通りに魔薬を取り締まる為に、警察自らが魔薬を服用した異端の組織だ。
スピーチで署長は平然と語ってるが、この街から魔薬と、それに連なる人ならざる力を得た悪魔を徹底的に排除する為に自身の部下達も悪魔にさせた事に違いないのだから、彼こそが本物の悪魔である。
刑事罰だけではなんら抑止力にならなかった服用者へ、この署長は毒を以て毒を制す手段に出たのだ。
そんな異質な警察組織のマトリは驚くべき功績を上げ続けた。今まで為す術もなかった服用者達を次々と検挙し、抑止力としては充分すぎる働きを修めている。構成員も警察内部ですら明かされていない程の極秘ぶりだが、どんな効力をその身に宿そうと、彼らの前では服用者すら手も足も出ないらしい。
だからこうも、見たくもない発表会見が今も尚放送されている。それほどまでに彼らが英雄視されている証拠だ。確かに、今まで服用者に怯え続けていた人々にとって彼らは唯一の期待だろう、署長の声を覆い隠すほどの拍手の量がそれを物語っている。
……でも兄にとっては?
どんな気持ちで兄がこのニュースを見ているのかおれには分からない。少しも変わらない表情から少しも読み取れなかった。
だが生きる為に他人の生き血を啜る兄にとってマトリは最も危険で命を脅かす存在に他ならない。兄の存在が発覚すればまずマトリは黙っていないのだから。
兄は終始無表情だった。ただ、拍手に包まれたマリウス署長が降壇するまでの間、兄はテレビから目を話すことは無かった。
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