文の御手

和泉

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文の御手

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文の御手

それは、時折吹く風の中に仄かな花の香りを感じる頃合いでした。
道行く人の往来も増え、
心なしか、笑顔をよく見かける気もしておりました。

「清さん、ちょっといいかい?」

母が奥から呼ぶ声がしました。
ああ、そろそろだろうなぁ、と思っておりますと案の定

「お彼岸の墓参りに思うんだけどねぇ」
と言いますので

「はいはい、お付き合いしますよ。」
と返事をしますと

「いえねぇ、急なお客様が入ってしまって…私は行けないんですよ。
 清さん、代わりにお願い出来るかしら?
 …牡丹餅は、いつもの『亀屋』さんに頼んでありますから」
母は、人好きのする困り顔で頼んで参りました。
この顔をされると、私も父も、どうにも断れないのです。

「大丈夫ですよ。
 多分、そろそろだろうと思っていましたから。」
少し困り顔をしながら、笑って答えておきます。

「清さん、助かります。有難うねぇ。
 お土産もそうですけれど、
 駄賃代わりに、お茶してらっしゃいな。
 宗順さまにも宜しく頼みます。」
そう言って母から、牡丹餅の代金に駄賃を合わせて受け取ると、
さっそく出掛けることにしました。
この陽気です、のんびりしていたら『亀屋』が混んでしまいそうです。

「では、行って参ります。」



寺は、四半刻も歩けば着くほどですが、
今日は母と一緒でないせいか、いつもよりずっと早くに着いてしまいました。

これなら、饅頭も食べていけそうですね。

寺の門前にある『亀屋』は、饅頭がとても美味いと評判なのです。
母の付添いで墓参りの帰りに寄ると、
その饅頭は売切れて食べられない事がしばしばでした。

あのふわりと柔らかくほんのりと甘い皮が堪らないのですよね。

などと思っておりますと『亀屋』に着いておりました。
頼んでおいた牡丹餅を受け取り、土産の牡丹餅の注文と、
帰りに頂くからと饅頭も注文しておきました。

墓参りを済ませ、宗順さまに牡丹餅を渡しておりますと
「そうじゅん さまぁ、おそなえもの ですか?」
と数人の子ども達がやって参りました。

「仏様にお供えしましょう。
 その後、皆さんで頂きますかねぇ。」
宗順さまが笑っていますと、
少し慌てた様子で「申し訳ありません」と一人の女性が現れました。
すると子ども達は口々に謝りながら、その女性と寺の裏手に回って行きました。

「ウチの学び舎の子ども達です。
 美味しい匂いでもしたのかな?」
「宗順さま、元気な子ども達ですね。
 それにしても、あの女性に随分と懐いている様ですが…。」
子ども達と女性の暖かな雰囲気に、思わず聞いてしまいました。
いつもなら、笑って済ませるだけでしたのに。

「あの人は、元はウチの学び子でしてね。
 教え方も、きれいな筆もあって、先生として来て貰っているのですよ。」
宗順さまは、昔を懐かしむように話して下さいました。
「機会があれば、私も教えて頂きたいです。」
思わず、そう話してしまいました。


というのも、
私は師匠から「お前さんは、身体の動きは良いのにその筆がなぁ。」
とよく言われていたのです。
師匠は、町外れに小さな剣術指南の道場を構えていて、
近くの住人に『護身術』を主に教えていました。

私も例に漏れず、剣筋は良くないからと『護身術』を教えて貰っていました。
その時に、「手習いも少しはみてやろう」と弟子たちの筆も見てもらっていたのです。


「では機会がありましたら」
と、宗順さまは笑っておりました。



さて、楽しみにしていた饅頭を頂きますか。
『亀屋』の店先でお茶を啜りながら饅頭を食べていますと、
先程の子どもの一人が店にやって来ました。
「おふく さ~ん、ふみ で~す。」
「あら、有難う。お染さんからね。また、宜しくねぇ。」

『亀屋』から嫁のお福さんがやって来て、結び文を受け取りました。
私はもしやと思い、
「お福さん、不躾で申し訳ありませんが…
 その文の方、手習いの先生ではありませんか?」
思い切って聞いてみました。

「あらあら、若さん。ご存知なんですか?」
「いえ、先程お寺で見掛けたものですから。
 …その…筆がきれいだそうで。」
私は少し恥ずかしくなって、言葉が続かなくなってしまいました。
お福さんは、可愛い兄弟でも見るように微笑むと
「ちょっと、お待ち下さいね。」と言って奥へ下がって行きました。

それから暫くすると、
文らしきものを二枚持ってお福さんは戻って来ました。
「文、見てみたいのでしょう?
 以前、お染さんから貰ったものですけれど。」
そう言って、そっと差出してくれました。
「読み終わりましたら、声を掛けて下さいね。」
「少し、お借りします。」
私はその文を、そっと開いてみました。

内容はとても簡単なもので、
時節の挨拶に寺での出来事、お福さんの様子を伺うものでした。
ただ、予想通りにとてもきれいな筆跡なのです。
達筆というよりは、むしろ暖かく、子ども達が読みやすそうな文字でした。心を暖かくさせながら、私もこの人の文が欲しいな、と思ってしまいました。

文を読み終え、饅頭も食べ終わりましたので、お福さんに勘定とお礼を言うと、
「いつもご贔屓にどうも。」
と、注文の土産を渡されました。
土産の事はすっかり忘れていて、改めてお礼を言ったのでした。
頭は、あの文の事で一杯でした。



そうして帰宅しますと
「あぁ、清さん、おかえりなさい。
 お土産も有難うねぇ。奥の旦那さまに届けて頂戴な。」
母に頼まれ奥へ持って行くと、父は店の帳簿をつけていました。
私のウチは、少し大きな小間物屋を営んでおり、この時期はこまめに帳簿付けをしておりました。
春も本番となると、何かと物入りなお客様で店が忙しくなるからです。

「おぉ、おかえり。
 清、すまないが…茶と土産の菓子を出してくれんか?」
「はいはい。『亀屋』の菓子、本当に好きですねぇ。」
父は、帳簿付けの手を止めて、美味しそうに牡丹餅を食べ始めました。
「ははは、美味いからなぁ。
 っと、後でお富にも声掛けてやっておくれ。」
ウチは、両親に息子の私共々『亀屋』の菓子が大好物なのです。

「…清、お前そろそろ何とかならんか?
 あの走り書きの様な筆では、帳簿付けは難しいぞ。」
「そうですねぇ。対策を考えてみます…。」
ふぅ。
これは、『手習い』が本当に必要そうです。



その後、
宗順さまのはからいもあり、週に一度、子ども達とは別に『手習い』
をさせて貰う事になりました。
あの、お染さんに教えて貰えるのです。

「…焦らず、ゆっくりで良いのですよ。一文字づつ、大切にしてあげて下さい。」
お染さんは、文字の表す通り暖かな人でした。
『手習い』も、幾度か通う内に緊張も解け 
その人が、何とも可愛らしく、そばに居たくなる人だと実感します。
子ども達が懐くのもよく分かるものです。

「あの…お染さん。一つお願いをしても宜しいですか?」
「はい、何でしょう?」
「…私にも、文を頂けませんか?…『亀屋』のお福さんのように。」
「あら、読まれたんですか?…恥ずかしい。」
少し年上の女性らしく、静かに頬を染める素振りは何とも色っぽい。
筆の練習の為、とはいえ下心があり過ぎたでしょうか?
ですが、『手習い』の手本ではなく、どうしても『文』が欲しかったのです。
お染さんは、暫く考えていたようですが

「…では、次の『手習い』の時に。」 


その答えを聞きながら、
お染さんの暖かな雰囲気と、春の香りに包まれる場所を離れ難いと思い始めていたのでした。

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