アカシの小さな冒険

全ての始まり

孤独の交渉者

アカシは福岡市南区にある豪邸の応接室に座っていた。天井が高く、シャンデリアが煌めくその部屋は、彼の生活とはかけ離れた世界だった。部屋に漂う静けさが、彼の心の中の緊張をじわじわと増幅させる。

「さすが、何店舗も経営している人の家だな……」

そんなことを心の中で呟きながら、彼は静かに息を整えた。

すると、廊下から足音が響き、ドアが開かれる。現れたのは、品のある一人の女性と、屈強な体格の二人の男だった。二人の男は無表情で、護衛であることは一目瞭然だった。女性は、長い黒髪の中に白髪が混じっており、若干の年齢を感じさせたが、娘の綾香とほとんど変わらない美しい体型を保っていた。その立ち居振る舞いには、ただならぬ威厳が漂い、自然と人を従わせるオーラがあった。

女性は微笑みを浮かべ、アカシに向かって優雅に一礼した。
「初めまして。私は綾香の母、**綾女（あやめ）**です」

アカシは緊張しながらも、表情に出さないよう気をつけ、軽く頭を下げた。
「初めまして。お会いできて光栄です」

綾女は席に腰を下ろし、少し待ちアカシは口を開いた。

「単刀直入に申し上げますが――監視するのはやめてください。」

彼女の目がアカシの一挙一動を逃さず見ているようで、言葉を選ぶ必要があると感じた。

「……どうかお願いします」アカシは懸命に訴えた。「僕たちは、あなたや娘さんに危害を加えようなんて考えていません。ただ、普通に生活をしたいんです」

綾女は彼の言葉を聞いても表情を変えず、静かに一度瞬きをしただけだった。

「あなたが一人でここに来て、直接頼みに来たその勇気と覚悟は認めましょう」
彼女はゆっくりとした口調で続ける。「ただ――それだけで私たちが『はい、わかりました』と手を引くわけにはいかないの」

アカシは驚きと困惑が入り混じった表情を浮かべた。
「どうしてですか？ まだ、僕たちは何もしていないじゃないですか」

綾女は穏やかな表情を保ったまま、淡々と答えた。
「確かに今は何もないかもしれない。でも、今後はどうかしら？」

「今後……？」

「仮に、あなたにその気がなくても、何かしらの弱みを握られて、誰かに利用されることだってあるでしょう？ それは組織かもしれないし、個人かもしれない」

アカシは目を見開き、身を乗り出した。
「僕の弱みを……？ どういうことですか？」

「あなたの能力よ」綾女は視線をそらさず、まっすぐにアカシを見つめた。「あなたの持っている力が他人に知られたとき、それを利用しようとする人間が現れる可能性がある。もしかしたら、あなたの知らないうちに――ね」

アカシは息を呑んだ。彼女の言葉は現実的で、反論する余地がなかった。
「……」

綾女は静かに話を続けた。
「だからこそ、私たちはまだ優しい方なの。あなたに警告を与え、取引を持ちかける余地を残している」

その言葉には、恐怖を煽る意図はなかったが、アカシの背筋に冷たいものが走った。これが彼女の「優しさ」なのだと理解できたからだ。

「それでは交渉をしましょう。」