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第4章 金に追われて追っかけて

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ある朝何週間かぶりにポストを開けてみると、大量の紙切れが溢れ出てきた。色とりどりの紙切れたちが薄暗いアパートの廊下にばらまかれた。俺はため息を何回かはいてそれらを拾い集めていると、102号室のドアが開いて若い男が顔だけ出してこっちを見ている。えげつないほどに痩せており、薄ら笑いを浮かべている。何か用ですか?と俺が聞くとその痩せっぽっちが返してきた。
「あのーもしかして202号室の人ー?」
「そうだけど」
「あのー夜中もう少し静かに歩いてくれないかなあ。忍者みたいにさ。さささっさささってさ」その薄ら笑いを見て俺はまたため息をついて返した。
「ああそれは申し訳ない。これからはもう少し忍者みたいに歩くことにするよ。さささっさささって」
「そうそうそう!さささっさささっ。もう一回言ってみて。さささっさささって」
「さささっさささっ」俺はめんどくさそうに答えた。
「うんうんそうそうその調子。僕は来年東京大学法学部に受験するんだ。絶対に受かって大企業に就いて金持ちになるんだ。だから邪魔だけはしないでね!」
なんだ。東大にいるやつはみんなこんなテンションなのか?いやありえない。
「君は学生?」痩せっぽっちは言った。
「いや、1年でやめたよ。友達が2人できたからもうそれで満足したんだ」痩せっぽっちは驚いた顔をしていた。それから悲しそうな顔をした。
「やめたんだ!そうかあ。じゃあもう一生お金持ちにはなれないんだね」
「うん。その通り。俺は一生金持ちにはなれない。でも君はなれるよ。お金持ちを望んでいるからね」
「うん。なるよ。きっと。お金持ちに」
痩せっぽっちはそう言うととても悲しそうな顔をしてゆっくりドアを閉めた。俺は本当にそう思っていた。きっと彼なら金持ちの仲間入りになれる。でももしなれなくても、彼みたいなタイプは一生金持ちの影から夢にしがみついて生きるだろう。その方がかっこいい場合もある。俺はポストが吐いた大量の紙切れを自分の部屋に持って帰った。見てみるとどれも体に悪いものばかりだ。
ハンバーガーショップ 
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選挙区のみなさまへ 
日本を変えましょう!日本が生まれ変わるためには私が必要です!妥当安倍!(おそらくこいつも税別だ)
俺はそれらをくしゃくしゃにひとつに丸めてデブ猫のパンダの方へ投げた。パンダは気だるそうにその丸まった紙を前足でパンチして遊び始めた。もし俺に今よりも金があったならあのチラシたちをもう2分ぐらいは長く見ていられたかもしれない。チラシの山の中にひとつ味気ない白い紙を見つけた。
東京都水道局からのお知らせ
「重要」と赤い字で書かれている。要するに丸めて猫に投げるなよって事だろう。封を切って見てみると中にはこれまた味気ない白い紙が入っていた。いろんな難しい言葉が書いてあった。難しい言葉は嫌いだ。その中ではっきりとこう書かれてあるのだけはわかった。

金払ってないから水止めるね。

確かに重要だ。俺は急いで台所に向かって蛇口をひねった。ちょろちょろちょろ…ぽたんぽたんぽたん…ついにやりやがった水道局の奴ら。確かに俺が悪い。どう言い訳を考えても思いつかないほどに俺が悪い。チラシの山の中には水道局から警告の紙も入っていた。これまた赤の字で「重要」だ。そんなに重要なら直接言ってくれればと思ったが後の祭り。俺は冷静になれと自分に言い聞かした。水が使えないからってどうってことはない。近くに公園もあるし。クソ。トイレか。これまた重要だ。言葉の通りクソだ。俺は財布を探したが見つからない。ソファーベッドに腰掛けてじっくり思い出そうとしてみた。ああ、クソ。できれば思い出したくないことを思い出してしまった。おととい俺は昼から荻窪駅前の焼き鳥屋で飲んでいた。魔が刺したんだ。暗くなってきた頃に2人のフィリピンのお姉さんが隣に寄ってきて一緒に飲むことになった。俺はその時まで女性を避けてきたのだが国籍も違う、年齢も違う(確かおばさんよりのお姉さんだった気がする)ということで久しぶりにテンションがだだ上がってしまった。それから後のことは俺のお決まりで、濃いめのウーロンハイを飲みに飲んで潰れてしまった。起きたらそこは交番の前で警官が2人立っている。俺は逃げるようにして帰った。その時だ。財布がない事に気づいたのは。俺はソファーベッドに座り込んだまま4分は頭を抱えていた。こんな時、詩はなんの役にも立たない。いくら詩を書いたって読んだって俺の蛇口はキュルキュル空回るだけだ。ただこんな窮地に立たされた状況で精神的に支えてくれるのがやはり言葉だった。俺はソファーベッドから勢いよく起き上がると部屋の隅に積まれた本を漁り始めた。どこだ。どこだ。10分かかってようやく見つけた。レフトルストイ名言集。パラパラとめくりお望みのページを開いた。この薄っぺらいページにこう書いてある。

ああ、金、金!この金のためにどれだけ多くの悲しいことがこの世に起こることだろう。

よしこれだ。俺はテーブルにあったメモ用紙をちぎりこの詩を書きなぐった。そしてこう付け加えた。
 
こんにちわ。東京都水道局の皆様。ご機嫌いかがでしょうか。
私はあまりよくありません。まあそれはおいといて、私は現在作家として暮らしています。ですが、正直申し上げますとあまりお金には結びつきません。そして家には養わなければいけない家族もいます。水道局で毎日働いていらっしゃる職員の皆様にも家族がおられることでしょう。どうかこのレフトルストイの詩を読んで水道局の皆様が私にもう少し猶予を下さることを心から願っております。

引き出しから白い封筒を取り出し詩と俺のメッセージを書いた紙を中に入れ、東京都水道局様へ。と、こう書いた。それと東京都水道局の住所も。それと赤ペンで「重要」と。これで彼らの機嫌が治ってまた俺の部屋の台所の蛇口を潤してくれる事を願うだけだった。そうすれば俺の砂漠のような心も少しは潤うはずだ。詩が、言葉が、人の心を動かす事を信じて。50年代アメリカには詩人がたくさんいた。その隣には戦争もあったが。コーヒーショップで自分の考えや思想や敵意を自分の国に向けて、アメリカに向けてぶちまけた。それでどれだけの人々が良い方向に変わっていったのだろう。ギンズバーグ、ディラン、その時代の全ての詩人たち。いくら時代が変わろうとその心の灯火を消してはならない。そう俺は思った。そしてその封筒を握りしめて部屋を飛び出した。一階に降りると102号室のドアが開き、痩せた悲しそうな顔が出てきた。
「さっきはどうも」俺は挨拶した。
「ねえ、僕やっぱり東大にはいかないよ」痩せっぽっちが落ち込んだように言った。
「どうしたよ急に。金持ちになりたいんだろ?」
「もういいんだ。金持ちは。水道局に水を止められたんだ」なんてこった。いまいましい水道局め。
「金がないからずっと水だけを飲んでいたのに。いつかは止まるだろうと思ってたけどさ。そりゃ当然の報いだよね。せめて受験が終わるまで待って欲しかったよ」
「まだ6月だぜ?」
「うん。だからもう無理だよ。富山の実家は貧乏だから仕送りもないし。自力でやろうと思ったんだ。ああ、金持ちの道…アルマーニ…ポルシェ…でももう、富山に帰るよ」俺はゆっくり考えた。だがどっちだっていいんだ。彼にとって道が増えただけで喜ばしい事だ。俺は言った。
「まあ、金持ちの道なんかは金持ちになるまでが楽しいんだろうよ。ああでもないこうでもない言いながら。まあ田舎でも頑張って」
痩せっぽっちの彼はまだ悲しそうにしていた。仕方がないので俺は付け加えた。
「今から水道局に重要な手紙を出してくるから、君の部屋にも水を通してやってくれって付け加えとくよ」
彼はそれを聞いて少し笑顔になっていた。純粋なのは悪い事じゃない。薄ら笑いの痩せた顔が引っ込んでドアがゆっくりと閉まっていく。俺は自転車にまたがって近くのポストへと向かった。そしてポストに封筒を入れて手を離した瞬間に痩せっぽっちの部屋の水のことを付け足すのを忘れたことに気付いた。まあ、純粋な彼のことだ。きっと皿を洗えなくたって風呂に入れなくたってクソが流れなくたって俺より世の中をうまくやっていける。ポケットに手を突っ込むと千円札が2枚入っていた。梅雨の季節にしては今日もよく晴れたいい空だ。俺はその足でキャットフードと煮干しとビールを半ダース買ってうちに帰った。


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